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◆ 「眞宗 佛光寺派 西徳寺」の掲示板には、いつも「独自な」法語が「達筆な」文字で書かれていて、読むのが楽しい。ま、浄土真宗の寺らしくて、よろし。 ![]() ![]()
♪ 仲よしこよしは なんだかあやしい |
◆ 雨が降ったり止んだり降ったり止んだり降ったり止んだり降ったり止んだり、まるで花占いのように、狐が狸に嫁入りでもしかねない、そんな妙な天気の一日を、気象台はどのように記録するのだろう? 雨のち曇りのち雨のち曇りのち雨のち曇りのち晴れのち雨のち晴れと同時に雨、それから虹! ![]() ![]() ![]() ◆ 新宿で虹を見たよ、とちょっと自慢げに友人にメールを打つ。その返事には、ワタシが見た虹よりも数倍美しい虹の画像(中央)。いったいどこで見たんだろう。左の新宿の画像では虹がよく見えないだろうから、ちょっと前の虹の写真(右)でバランスを整えて・・・負け惜しみ? というわけで、虹の歌、ふたつ(といっても、後者はあまり虹と関係がないが)。 ♪ 虹の向こうは晴れなのかしら あなたの町のあのあたり ♪ fuir le bonheur de peur qu'il ne se sauve ![]() ![]() ◆ 以下は「NHKテレビフランス語会話・ドミニクと歌おう」の解説から、ということらしいけれども、歌詞はたしかに「ひねっ」てあって、この解釈も正しいのかどうか。 ◇ この歌は1983年にセルジュ・ゲンズブールがつくり、ジェーン・バーキンが歌ってヒットしました。歌詞の内容はゲンズブールらしく、ひねったものです。「幸福はあっという間に消えるはかないものだから、幸福を避けてもっとほかのことを考えなさい。幸福(虹)の彼方にはもっといいもの(太陽)がある。私との愛の幸福よりもいいものがあるはずだ」 ◆ 3年前の5月にも虹を見て、「誕生日プレゼント」という記事を書いた。つぎに虹を見るのはいつだろう。 |
◆ 《Wikipedia》によれば、この歌詞は「月刊明星」での公募から簑島若代のものを原案として、阿久悠が作詞したものらしい。この「花びらむしりながら 恋をうらなう」遊びは、日本語では一応「花占い」とこなれたコトバになっているけれど、《Wikipedia》の英語版でのタイトルは、「He Loves Me... He Loves Me Not」となっていて、これをひとつにまとめたような便利なコトバはないらしい。 ◇ He/She Loves Me, He/She Loves Me Not or effeuiller la marguerite (in French) is a game of French origin, in which one person seeks to determine whether the object of their affection returns that affection or not. ◆ フランス語では、「effeuiller la marguerite」(マーガレットの花びらむしり)という。《Wikipedia》の解説では、この「花占い」遊びの起源をフランスだとしているが、そうなのだろうか? 《Wikipedia》のこのページには、各国語による「花占い」の言い方のリストがあって、簡単に翻訳すると、 ・ブルガリア語:"Той ме обича... той не ме обича"(愛してる、愛してない) ◆ となって、そのほとんどが「愛してる、愛してない」式の二者択一であるのに、フランス語とロシア語だけは、選択肢が異様に多い。なぜだろう? まあ、こんなことはだれかがすでに研究していることだろうから、そのうち、その詳細を読む機会もあるだろう。フランス式の「花占い」を映画で見たような気もするが、はっきりしない。画像検索をすれば、いろいろ出てくる。 ![]() ![]() |
◇ キュートなお目々のセセリちゃん、可愛いですね。 ◇ セセリは大きな目が特徴ですね~ 見た目ははかなり地味ですがあの目のおかげでキュートな感じがします^^ ◇ ある日、河川敷で身動きせずに撮影している女性がいました。〔中略〕 何故イチモンジセセリを写しているのかと聞いたら、「だって、目が可愛いでしょう」との事。確かに、大きな目は可憐な感じがしないでもありません。 ◇ お目目クリクリだしかなりの美人さんだわ。 ◇ この種類の蝶は眼がものすごく特徴がありますよね、大きなサングラスをかけている感じがして、私のお気に入りです。 ◇ この丸くて大きい愛らしい眼がたまりません。。。 ◇ お食事中のセセリたんをパチリ。相変わらず黒目が大きくて、ちょっとウサギちゃんに似てカワイイ♪
◆ つぶらな瞳。蝶の複眼を瞳と呼ぶのはまちがいかもしれないが、すくなくとも「円ら」であることは確かだろう。おそろしいほど円らなセセリの眼。 ◆ 人間の女性の「つぶらな瞳」。《Yahoo!知恵袋》に、こんな質問。 ◇ 「つぶらな瞳」ってどんな目の事ですか? 目の小さい友人が、いつも「自分のこのつぶらな瞳が嫌でさぁー・・」って言ってますが、この使い方はあってるんでしょうか? ◆ 《教えて!goo》にも、こんな質問。 ◇ つぶらな瞳ってどんな目のことをいうのですか?たまにほめ言葉としてそんなつぶらな瞳で見つめられると、みたいなことを言われます。〔中略〕 けれどもつぶらな瞳って小さい目っていう感じなのでこれをいわれるとうれしくありません。 ◇ 気になってたのでお聞きします。私はずっと「つぶらな瞳」って「大きくて丸いくるっとした目」のことだと思ってました。ですが、最近友人がお子さんの事を話してるときに(そのお嬢さんは目がとても小さいです)「うちの子はつぶらな目だけど女の子だし大人になればメイクで何とでもなる。」と言ってて、周りのママ友たちも疑問に思うようなそぶりも見せずに、「そうだよね〜。」って感じでうなづいてました。私がずっと間違って覚えてたのかと思って調べましたが、「つぶら」というのは「丸くて可愛い」という意味しかないようで、実際に「大きい、小さい」のサイズは記載されてませんでした。最近、テレビで芸能人が「目が小さい」と言う意味で「つぶら」を使ってるのを何回か見ましたし、やはり「小さい」というニュアンスの方が正しいのかな? 一般的には、皆さん「つぶら」は「大きい、小さい」のどちらで使ってるのでしょうか? ただ単に「丸い」という意味で使ってますか? ◆ その回答のひとつ。 ◇ つぶらという言葉に小さいという意味はないかと思いますが、やはりわたくしは「ちいさくて丸くてかわいらしい」という意味で使用しております。 ◆ ひとりごとをすこし。この回答を読んで、「そうか、こういうことだったんだな」、と思った。これまで、コトバの誤用(あるいは、「すれ違い」)にかんするハナシをいろいろと書いてきたけれど、その原因について、ちょっと理解できた気がしている。辞書を引いて(あるいは、ひとに聞いて)、コトバの正しい意味を知ったあとでもなお、「やはりわたしくは」と断固として誤用を続けるひとたちがいるということをワタシは知らなかったのだ。 ◆ もちろん、模範解答は、この次のようなものだろう。 ◇ 「瞳」ですから、目の大きさは関係ありません。黒目の部分=瞳が丸くて可愛いという意味で使います。あえて、大きさで考えるなら、目の白目の部分に対して、黒目の割合が大きい?ということになるのかな。犬なんかは白目の部分がほとんどなくて、黒目だからかわいいですよね。この投稿を見て、「小さい」という意味で使っている人がいるということを知り、驚きました。日本語もどうなっていくことやら… ◆ 「円らな」が「小さい」の意味にすりかわる過程についてのヒント。 ◇ 男:「ねえ、キミの目って “つぶら” って言われない?」 ◆ つぶら。つぶつぶ。うずら。案外こんなことかもしれない。 |
◇ 何だか、ギリシャのしんでんみたいだね。って言っても、ギリシャのしんでんも写真でしか見たことないけどさ。 ![]() ![]() ◆ 上の写真の説明。左:旧武州銀行川越支店(昭和3年)、右: 旧六十八銀行奈良支店(大正15年)。 ◆ 《Yahoo!知恵袋》に、こんな質問。 ◇ 銀行の外観についてお聞きします。ギリシャの神殿風になっているようなところがありますが、理由があるんでしょうか? ◆ なるほど。たしかに、ちょっと旧い銀行建築はギリシャ神殿みたいな造りをしてるのが多い。だから、逆に、ギリシャ神殿みたいな、イオニア式だかドーリア(ドーリス)式だかコリント式だかの巨大な石柱が並んでいる建物を見ると、ああ銀行なんだなって思う。でも、なぜだろう? ◆ 昭和初期に、流行ったことはたしからしい。 ◇ 〔旧盛岡貯蓄銀行本店(昭和2年)にかんして〕 当時の銀行建築で見られたギリシャ風の要素を取り入れ、正面外壁には6本の丸柱があり神殿をモチーフにして銀行の持っている重厚で誠実な印象を引き立ています。 ◇ 〔旧第四銀行本店(昭和3年)にかんして〕 昭和3年鉄筋コンクリートに改築されました。ギリシャ建築を模した巨大な柱に象徴される典型的銀行建築でした。 ◇ 〔旧安田銀行小樽支店(昭和5年)にかんして〕 ギリシャの建築様式をもった昭和初期の典型的な銀行建築で重量感あふれる円柱がこの建物を特徴づけています。 ◆ で、ついさっき、トイレで文庫本を読んでいたら、たまたま、 ◇ 銀行制度すらギリシャ人の発明の才に帰されており、そのために古風な銀行建築は、イオニア式かドーリア式のギリシャふうの列柱をそなえている。 ◆ ホントかどうかはしらないけど、こういうのがいちばん腑に落ちる。というか、腑から落ちた。ああ、すっきりした! |
◆ 先月、「アスナロ」のことを書いたさい、「あすなろ学級」のことも書こうと思ったが、時間がなかった。いまもない。 ◆ 古瀬幸広というジャーナリストが、こんなことを書いている。 ◇ 最近ハッとしたのは、ある人が「あすなろさん」と言ったのを耳にしたときのことだった。あすなろ学級に通っている子供、という意味である。その瞬間に、血が逆流した。あの子たちは、「明日はヒノキになろ」という名前の学級に通わされているのである。人間の尊厳を無視するにもほどがある、と思う。「商品価値の高いヒノキとは違う、ヒノキに似た植物」という意味の「アスナロ」を使うということは、障碍児たちを「人間に近いが、人間ではない存在」と言っているに等しい。 ◆ あすなろさん、か。ワタシが耳にしたら、「血が逆流」することはなかったと思うが、それでもやはり、なにかを感じてこのようになにかを書いているような気もする。また、べつのひとが書いている。 ◇ あすなろ、という言葉が大嫌いである。この言葉を冠した会社や団体や組織の名前を聞くといっぺんに身が汚れたような気分になる。その正体がとてつもなく胡散臭いもののように感じてしまう。アスナロの木が嫌いだということではない。アスナロの木には何の罪もない。その名前の由来として広く知られている話が気に入らないのだ。ヒノキに似ているがヒノキではない。そして「明日はヒノキになろう、あすはひのきになろう」と懸命に努力しているが決してヒノキになれない。だから、アスナロと呼ばれるようになった、という俗説だ。これが何ともいえずカンにさわる。 ◆ ワタシが「あすなろ」というコトバがキライだとしたら、その音が「うすのろ」に類似しているからだろう。また、渡部亮次郎というひとが書いている。 ◇ ある総理大臣が不能になった衆院議長を「マシュマロ君」と言ったのは冗談にしても失礼だが、江東区が精神薄弱者の作業所に翌檜(あすなろ)と名づけたのは残酷すぎないか。明日は檜になろうとしても絶対なれないのが翌檜の意味。さも希望があるように見せるのはどうか。我々は根拠も無く明日に希望を見出そうとするが、翌檜に明日は絶対無いのだ。だから残酷だと言うのだ。 ◆ 最初に引用した、「あすなろさん」というコトバを聞いて血が逆流したジャーナリストは、つづいてやや突飛な連想をしてワタシを困惑させる。 ◇ あすなろ学級という言葉を改めて噛みしめて思い出したのは、その昔のアニメ「妖怪人間ベム」(1968年10月7日‐1969年3月31日放送。全26話)である。「はやく人間になりたいっ!」と叫ぶ妖怪たちの物語だ。あすなろ学級という言葉は、学校に適応できない子供たちを妖怪扱いしている雰囲気がある。 |
◆ 子どものころに見たテレビで「妖怪人間ベム」は「ウルトラQ」とならんで怖い番組だった。オープニングのナレーションは城達也。すばらしい。 ◇ それは、いつ生まれたのか誰も知らない。暗い、音のない世界で一つの細胞が分かれて増えていき、三つの生き物が生まれた。彼らはもちろん人間ではない。また、動物でもない。だが、その醜い体の中には、正義の血が隠されているのだ。その生き物、それは、人間になれなかった妖怪人間である。 ![]() ![]() ![]() ◆ 《発言小町》の「こどもの頃、なぜか怖かったテレビ番組」というトピから、妖怪人間を拾い出すと、 ◇ 「闇に隠~れて生きる俺達妖怪人間なのさ♪」でしたっけ? このテーマソングと一緒に流れてたあの画面は、幼稚園か小学生だった私にはとても怖かった。 ◇ 鍵っ子で、三人姉妹の末っ子だった私は、小学生の頃、夕方一人で、このアニメを見る度、もう怖くて、怖くて・・・ 映像の暗さ、音楽の暗さ、テーマの暗さ、べム、べラ、ベロ(?)の不気味さ、悲しさ、何とも言えないおどろおどろしさ・E・ トイレにも行けず、毎回、怖い物見たさで見ていて、やっぱり怖くて、震えて観てました。たぶん、人生の折り返しを過ぎた今、観ても、ちょっとチビっちゃうかも! ◇ やはり妖怪人間のオープニングの実験室みたいな所で液がたれて妖怪人間になる所です。顔を手で覆い指の隙間から見てました。 ◇ 妖怪人間ベム。絶対見ないようにしていたのですが、ある日留守番中にうっかり、つけっぱなしになっていたテレビで始まってしまいました。恐ろしくてたまらず、隣の部屋で頭から布団を被り、息をとめ、手にティッシュをぐるぐる巻いて、目をつぶって一気にテレビに駆け寄り、消しました(直接テレビに触れるのさえ怖かった)。消した後、はあはあ息をはずませながら、(勝った・・・)と思った事を覚えています。 ◇ 妖怪人間の歌の時のアニメーションが恐かったですね。あまり見ていないのですが、机の上の薬品がこぼれて、妖怪人間の形になっていくという感じだったような・・・。アニメ自体は嫌いじゃなかったので、歌のときは別のチャンネルにして、歌が終ったあたりで、チャンネルを戻して見ていた記憶があります。 ◇ 「妖怪人間ベム」です。今思い出しても怖くて怖くて・・・ 音楽も内容も。 ◇ 「妖怪人間ベム」。オープニング前に妖怪人間たちがどうやって誕生したのかを必ず紹介するのですが、液体から徐々に人の形になり、次の瞬間、「キシャー!」と一人ずつ画面に向かって振り向いちゃう妖怪たち。そのあと部屋の中を歩き回るのですが動きが生々しく、音楽が絶妙に合いまって、すっごくコワかった ◇ アニメですが妖怪人間ベムです。絵が恐かったのになぜか見ていました。特に最終回は、靴だけ残して消えたことろが、恐いというか、哀しかったです。 ◇ 妖怪人間ベムのオープニング、歌が始まる直前の「それは、人間になれなかった妖怪人間である」というセリフと同時に机の下から3本指の手がぬっと現れてフラスコを握りつぶすというシーンだけが、毎回正視できないほど怖かったです。でも内容は、人間になりたくて人間と仲良くしたくて、人間のために命がけで闘うのに、いつも結局は化け物だからと石で追われる、という哀しいお話でしたね。 ◆ そう、とっても哀しいお話なんだった。 |
◆ 《発言小町》の「こどもの頃、なぜか怖かったテレビ番組」というトピが、おもしろかった。「妖怪人間ベム」や「ウルトラQ」が怖いのは、どちらかというとあたりまえなので、それ以外の「なぜか」怖かったテレビ番組で、複数のかたが挙げられているものを列挙すると、 ◆ 「アタック25」 ◇ 私が子供の頃、怖かったのは「アタック25」の最後に優勝した人が、海外旅行か何かをかけて最後の問題にチャレンジするやつ。「チャン、チャン…」という音楽から最後「チャチャチャチャ~」みたいな(うまく表現できなくてすいません)迫ってくる音楽が怖くてたまりませんでした。親がこの番組が好きでよく見ていたのですが、最後のクイズになるとこの音楽が鳴る前に怖くて部屋の外に出ていました…。大人になった今では何とも思わなくなったんですけどね(苦笑) ◇ 「アタック25」の最後の問題にチャレンジする時のあの音楽が苦手でした! 同じ様に思っていた方がいるなんて! 司会の児玉清さんが「その人物とは?!」とか「その地名とは?!」という感じで、音楽のラスト部分で挑戦者に答えを迫るんですよね? 私は音楽と児玉さんの迫ってくる感じがもうなんとも言えずダメで、その間は押入れに入って耳をふさいでいたほどです。今思えば「何がそんなに怖かったんだろう?」って不思議なんですけどね。 ◆ 「セサミストリート」 ◇ 私は「セサミストリート」が怖くて怖くて、泣いて逃げました・・・。口でかいし、何言ってるか分かんないし! オバケか妖怪の類だと思ってました。 ◇ どなたかも書かれていましたが『セサミストリ―ト』の人形がマジで怖くて。顔が緑色て! 赤って! 口の中が黒って! オマケに可愛くないし(好きな人スイマセン)。ある日ウッカリ観ちゃって奴等が画面一杯に映っているのを拝んだ日にゃあ大泣きましたよ。 ◇ セサミストリートが怖くて仕方なかったです。テレビの画面に映ると恐怖感でいっぱいになりました。今もあまり好きじゃないですけど・・・ ◆ 「ウイークエンダー」 ◇ 私はウイークエンダーが怖くてたまらなかったです。あのテーマ曲、手の形をしたキャラクター・・・ すべてが怖かったです。 ◇ ウィークエンダーがこわかったです。何でだろう・・・と不思議なんですが。 ◆ 「笑点」 ◇ 私の姉は、子供の頃(今から30年近く前になります)、笑点のオープニングテーマの映像を怖がっていました。当時、テーマ曲は今と同じですが、歌舞伎かなんかの絵が出てたみたいです。 ◇ 私も小学生の頃、笑点の歌の時がなぜか恐かったです・・・。同じ方がおられてなんだか安心しました。何が恐かったのかはよくわかりませんが、画面も見れず、歌も聞けませんでした。 ◇ 何故か笑点のオープニング。いまは怖くないのですが、何故か子供の頃は怖くてたまらなかったです。
◇ 日本昔話のオープニングの曲と共に龍の背中に乗って現れる、あの白い無表情の坊やが怖くて怖くてたまりませんでした。今考えてもなぜだかはわかりません・・・ ◇ 日本昔話、オープニングの歌がこわかったです。おまけに、その画面に龍とその龍に乗ってる男の子もこわかった! 聴くのも、観るのも嫌でした。って、今でも苦手です。 ◇ 当時この曲と映像が怖くて号泣した覚えがあります。今でもトラウマになっています。 ◇ 私の友人は、「ジャイアントロボ」が怖くて、始まるといつも手で目を覆い、指の間から見てたと言ってましたよ! ◇ 私もジャイアントロボが怖かった~。「ロボ! 〇〇をしろ!」「フォッ!」←うまく書き表せませんが、ロボの返事が怖かった。 ◆ 「タイムショック」 ◇ 子供の頃、タイムショックがすごく怖かったです!! 時報とともに「ショック!」とか言いながら真っ暗の中、時間を示す赤いランプが点灯して(うまく説明できない!)、始まるとすぐにチャンネル変えてました。クイズの出題中、時間がなくなってくるとかかる音楽も、何かが迫ってきそうで不気味で、全てが怖かったなぁ。。。 ◇ 40代の主婦です。私は、何人かの方が書かれている「クイズタイムショック」が怖かったです。くるくるイスが回りながら落ちるで、妙な照明効果で怖さ倍増。クイズの優勝者の景品がたしか毎回「スイスの高級時計ラドー」で、いまでもこの会社の時計を見ると、あの怖さを思い出してしまいます。 ◆ 「新日本紀行」 ◇ 「新日本紀行」のテーマ ほんとに怖かったです。重く苦しい、絶対に逃れられない運命を負って長い人生を巡礼するような、鉛色の荒海に、自分が飲み込まれそうな恐怖を感じました。 ◇ NHKの「新日本紀行」のテーマ… 私もまったく同じ印象です。曲から同じ事を連想される方がいるんだなとうれしくなりました。この曲ならみんなそうか…(笑) ◆ 「欽ちゃんの仮装大賞」 ◇ 私は「欽ちゃんの仮装大賞」を見ることができませんでした。時々怖いオチの作品・気味の悪い作品が出てくるのが原因かな?と思うのですが、いつしか普通の作品も見るのが怖くなってしまい、番組全体が漠然と「怖い」と思うようになっていました。成人した今でもあの番組を見るのは苦手です・・・ ◇ 21歳です。昔の書き込みですが、まさか自分以外で『欽ちゃんの仮装大賞』が怖いと思っている人がいるとは思わず、ちょっとうれしくなりました(汗)。ホントに自分だけかと思ってたので… なにせ国民的人気番組なので、もし人に怖くて観れないと言って「なぜ?」と聞かれたり、変な人を見る目で見られたり笑われたりするのが嫌でなかなか言えませんでした。子供の頃から怖くて成人した今でも怖くて観られません。一番観たくない番組かも。怖い作品があるのもそうなんですが、それ以上に恐怖の種なのが、作品によって時々出てくる、手作り感漂う巨大な『人間の顔面パネル』。あれが本当に苦手でなんとも言えない不気味さと恐怖を感じます。 ◆ 「日本沈没」 ◇ 昔TVシリーズでやっていた「日本沈没」が怖かったですね。地割れが人や建物を飲み込む(で、私の中では再び閉じる(笑))という物理的恐怖感もさる事ながら、「今立っている地面が沈んでしまったらどうすればいいんだ!」という絶望的気分に浸るあまり、劇中で活躍する人々が超人に見えました。 ◇ 40代主婦です。小学生の頃、テレビドラマの「日本沈没」が怖くてしかたありませんでした。五木ひろしさんが歌っていた主題歌が頭の中から離れず、「さようならは~言わないで~今は微笑を~」を布団の中で思い出しては、泣いていました。 ◇ 小学校に上がった頃に見ていた「日本沈没」が怖かったですねー。日本列島が徐々に沈没していくトーリーもさることながら、五木ひろしが歌うテーマ曲も暗~い雰囲気で怖さ倍増でした(笑)。親に「日本が海に沈むことなんてないよね?」と聞いたら「さぁ・・日本は島だからわからないよ」みたいなことを言われて、本気で心配していました。 ◆ みんな、なつかしい(のは、あたりまえで、そういうのだけを選んで引用してるのだから)。では、最後に、五木ひろしが歌う「日本沈没」の主題歌を聞きながら、お別れしましょう。
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◆ アンデルセンの『裸の王様』を、 ◇ 王様が裸ということに周囲の大人は皆、気づいているのに、怖いからか、バカだと思われるのが嫌だからか、口に出せない。それを言えたのは子供だけ。 ◆ というハナシとして理解しているひとが多いだろうが、 ◇ この童話では、王様が裸だということは、一人一人には、そう見えているのですが、そのみんながみんな、そう見えているのは自分にばかりで、ほかの人間には服が見えていると思っているため、そのことを人には黙っているのです。そういうことがあるため、一人の男の子が「王様は裸だ」というと、その声があっという間にひろがり、王様もそれを聞いて、具合の悪い思いをするという話なのです。 ◆ と考えるひともいて、この違いはことのほか大きいだろうと思う。 |
◆ だれも土星のことなんか気にしてはいないだろう。 ◇ その後何年かして友達の兄に三脚つきの本格的な天体望遠鏡を覗かせてもらったことがあったが、その時も土星は見つからなかった。友達の兄は大きな木の箱の中に沢山のレンズを持っており、どのくらいの倍率のものがあるか、ということをうるさいほど説明していたが、惑星をあまり捜そうとはせず、月の噴火口ばかりを「どうだすごいだろう、あのひとつひとつのクレーターが後楽園の球場ぐらいあるんだぞ」といって何度もそれを見せるだけであった。 ◆ さいきんは、経済不況やら新型インフルやらでいそがしいので、星空を眺める余裕のあるひとはおそらく少ないだろう。個人的にも、なんにもいいいことはないので、いや、コンパクトデジタルカメラで小さなものを撮るのがおもしろいので、下ばかり向いて歩いている。ときには、「星を踏む」ことぐらいはしているだろうが、夜空を見上げることがめっきり少なくなった。まあ、東京で夜空を見たところで、おもしろくもなんともないんだけど。
◆ カッシーニ&ホイヘンスは、とても勤勉で、土星のステキな画像を休むことなく地球に送り続けている。たとえば、こんなの。 ![]() ![]() ◆ な、わけないか? 上の画像は《NASA Jet Propulsion Laboratory》からでした。 |
◇ 「あすは檜(ひのき)になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって! それであすなろうと言うのよ」 ◆ 上の文章の「あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ」のところを、なぜだか、「あすは檜になろうと一生考えている」と読んでしまい、ヒノキになることを「一生」考え続けているアスナロの「人生」にいいようのない救いのなさを感じてしまった――。けれど、アスナロはほんとに「永久に」ヒノキになれないのだろうか? 長嶋茂雄の名セリフ「わが巨人軍は永久に不滅です」じゃあるまいし(それにジャイアンツだって、滅亡しかかってるんじゃないのか?)。 ◆ たとえば、「永久」の一歩手前くらいには、こんなことだってあるかもしれない(ワタシが土星に帰るよりは可能性があるだろう)。 ◆ その1。新型ウィルスの影響で、地球上からヒノキが絶滅してしまう。そうすれば、ヒノキの名前が空くので、アスナロはどうどうとヒノキを名のれるだろう。 ◆ その2。絶滅しないまでも、地球環境のなんらかの変化にともなって、ヒノキの材木としての品質がいちじるしく低下してしまう。そうすれば、ひとびとは「こんなのヒノキじゃない!」といって、ヒノキからその名前を取り上げてしまうだろう。昨日まではヒノキだったかもしれないが、いまはそうじゃない、ということで、ヒノキを「モトヒノキ」とか「ムカシヒノキ」とか「キノウハヒノキ」とか「キノウマデ」とか「ヒノキノナレノハテ」とか呼ぶようになって(もしかしたら、もう一度チャンスを与えるうえで、「アスナロ」と呼ぶかも?)、アスナロをヒノキと呼ぶようになるだろう。 ◆ このことに関連して、アカシアとニセアカシア、また、パンダと「レッサーパンダ」などのことも書こうと思ったが、長くなりそうなので、またいずれ。 |
◆ もうすぐアカシアの白い花が咲くだろう。もう咲いているかもしれないが、行って見なければわからない。北海道のアカシア。ニセアカシアっていうひともいるけど。 ◇ 明治期に日本に輸入された当初は、このニセアカシアをアカシアと呼んでいた。後に本来のアカシア(ネムノキ科アカシア属)の仲間が日本に輸入されるようになり区別するためにニセアカシアと呼ぶようになったが、今でも混同されることが多い。たとえば、札幌のアカシア並木も、札幌松坂屋開店時のキャッチコピー『アカシアの花白くいま開く松坂屋』も、アカシア蜂蜜として売られているものも、西田佐知子のヒット曲『アカシアの雨がやむとき』、石原裕次郎のヒット曲『赤いハンカチ』や北原白秋の『この道』に歌われる "アカシアの白い花" や、2000年代に入ってからは松任谷由実の『acacia(アケイシャ)』やレミオロメンの『アカシア』もすべてニセアカシアを歌った曲である。 ◆ (あとで、もちょっと付け足すつもり) |
◆ 朝、手近な文庫本を適当に手にとって、トイレに入る(わがボロアパートのは和式で便所というべきか?)。それで、いましがた、ちくま文庫の『太宰治全集』のなかの「千代女」を数ページ読んだ。 ◇ 十二の時に、柏木の叔父さんが、私の綴方を「青い鳥」に投書して下さって、それが一等に当選し、選者の偉い先生が、恐ろしいくらいに褒めて下さって、それから私は、駄目になりました。あの時の綴方は、恥ずかしい。あんなのが、本当に、いいのでしょうか。どこが、いったい、よかったのでしょう。「お使い」という題の綴方でしたけれど、私がお父さんのお使いで、バットを買いに行った時の、ほんのちょっとした事を書いたのでした。煙草屋のおばさんから、バットを五つ受取って、緑のいろばかりで淋しいから、一つお返しして、朱色の箱の煙草と換えてもらったら、お金が足りなくなって困った。おばさんが笑って、あとでまた、と言って下さったので嬉しかった。緑の箱の上に、朱色の箱を一つ重ねて、手のひらに載せると、桜草のように綺麗なので、私は胸がどきどきして、とても歩きにくかった、というような事を書いたのでしたが、何だか、あまり子供っぽく、甘えすぎていますから、私は、いま考えると、いらいらします。 ◆ 柏木、煙草屋のおばさん、バット、桜草。それぞれに書きたいことが見つかって、 ♪ 何から伝えればいいのか わからないまま時は流れて ◆ これで今日一日、あれこれ考えて、たのしく過ごせることだろう。とりあえず、バットでも買ってみようか。 |
◆ 太宰治の『千代女』のつづき。『千代女』の語り手である和子が12歳のときに書いた「お使い」という作文(綴方)。父のお使いでゴールデンバットを買いに行ったときのエピソードを綴ったもの。 ◇ 煙草屋のおばさんから、バットを五つ受取って、緑のいろばかりで淋(さび)しいから、一つお返しして、朱色の箱の煙草と換えてもらったら、お金が足りなくなって困った。おばさんが笑って、あとでまた、と言って下さったので嬉しかった。緑の箱の上に、朱色の箱を一つ重ねて、手のひらに載せると、桜草のように綺麗なので、私は胸がどきどきして、とても歩きにくかった、〔…〕 ◆ この文章を読んで、「バット」の緑のパッケージが見たくなり(いまも売っているのだ)、昨日、3軒の煙草屋をはしごしたが、そのうち2軒は取り扱っておらず、残りの1軒はあるにはあったが、カートンでしか売らないというので、あきらめて帰った。なんでも、フィルムで梱包してないので、ばら売りはできないということらしい。
◆ 『千代女』は昭和16(1941)年に発表されたようで、当時のパッケージを確かめたくて、《たばこと塩の博物館》の「ゴールデンバットの移り変わり」というページも見てみたが、画像があまりに小さすぎて、色もよくわからない。おまけに、 ◇ 太平洋戦争前後の1940年(昭和15年)から戦後の1949年(昭和24年)までは、「ゴールデンバット」という名称が敵性語とされたため、神武天皇の神話に基づいた「金鵄(きんし)」に名称変更され、デザインもそれに従って変更されていた。 ◆ ということもあったりしたそうでややこしい。パッケージの変遷をみるなら、《懐かしい日本のタバコ歴史博物館》がより詳しい。 ◆ 太宰治は自らが熱烈なバット党で、 ◇ 甲府へ行つて来て、二、三日、流石(さすが)に私はぼんやりして、仕事する気も起らず、机のまへに坐つて、とりとめのない楽書をしながら、バットを七箱も八箱も吸ひ、また寝ころんで、金剛石も磨かずば、といふ唱歌を、繰り返し繰り返し歌つてみたりしてゐるばかりで、小説は、一枚も書きすすめることができなかつた。 ◆ 「バットを七箱も八箱も吸ひ」とあるが、その当時は10本入りだった。 |
◆ 天袋をお気に入りの場所としているネコは多そうで、《Google 画像検索》で「天袋」を検索すると、1ページ目に表示される20の画像のうち、なんと7匹もネコがいる! ◆ 天袋のなかのネコでは、山寺の和尚さんもさすがに蹴鞠の代わりにするわけにはいかないだろう。 ♪ 山寺の和尚さんは 毬は蹴りたし毬はなし ◆ 久保田宵二による歌詞では、ネコを押し込んだ紙袋(カン袋)を「蹴る」ことになっているが、これを「つく」と覚えているひとも多い。 ◇ 童謡で「山寺の和尚さんはマリはつきたしマリはなし」とある山寺とは山形県にある立石寺のことでしょうか? ◇ 大学生になるまで、あの手まり歌の「やま寺の和尚さんが、・・・・」を「あま寺の和尚さんが、・・・」だと信じていました。大学の研究室で「鞠つきするんだから、絶対尼さんだよ。」とがんばったら、翌日教授が、お嬢さんの童謡の本を持ってらっしゃいました。さすが、検証と実証をモットーとする心理学者です。「鞠はつきたし」じゃなくて、「鞠は蹴りたし」だったのねぇ・・・・。 ◆ 尼寺と立石寺というおまけまでついてきてハナシがややこしい。「つきたし」か「蹴りたし」にかんしては、どちらが正解というわけでもないような気もするが、これはもっと調べてみなければわからない。 ◇ 猫を紙袋に入れて、ちょいとつけばニャンと鳴かせる、山寺の和尚さんも、鼠には困った。 |
◆ 「天袋のなかのネコ」の記事中、 ◇ 天袋のなかのネコでは、山寺の和尚さんもさすがに蹴鞠の代わりにするわけにはいかないだろう。 ◆ と書いて、あとからちょっと気になった。なんのことかというと、ここで「蹴鞠(けまり)」を、「鞠を蹴って遊ぶこと」の意味ではなく、「(蹴って遊ぶための)鞠」の意味として使ったのだが、そんな風にこの「蹴鞠」というコトバを使用していいものやら、自信がなくなったのだった。さいわい、辞書(のひとつ)には、 ◇ 昔、貴族社会で行われた遊戯の一つ。数人が鹿革製のまりをけり、地面に落とさないように受け渡しするもの。また、それに使うまり。しゅうきく。 ◆ とあって、安心した。ついでだから、もう少し続けると、たとえば、「野球」というコトバは、スポーツの名称であって、ボールの名前ではない。野球に使うボールを「野球」とは呼べない。ボールのことは、面倒なことに、「野球の球」と重ねて言わなければならない。「ソフトボール」はどうなんだろう? 「ソフトボールのボール」? ソフトボールのボールは「ソフトボール」? ◆ では、「跳び箱」はどうか。これは「(跳ぶための)箱」のことだろうか。それとも「箱を跳ぶこと」だろうか。 ◇大岡史直 『子どもはなぜ「跳び箱」を跳ばなければならないのか?―幼稚園児を持つ親必読の「ジャック式」教科書必読の「ジャック式」教科書』(小学館,2008) ◆ という本があるようだ。ワタシは「幼稚園児を持つ親」に該当しないので、読むことも永久にないだろうが、「ジャック式」というコトバには多少の興味を抱き・・・なんかすると、いつものようにハナシが脇道に逸れて行くはめになるので、「ジャック式」はどうでもいいことにして、このタイトルからすると、「跳び箱」は「跳ぶ」のだった。ということは「跳び箱」は箱らしい。とはいえ、「跳び箱をする」と言うひともいるはずで、この場合の「跳び箱」は箱ではない(「野球をする」の「野球」が球ではないのと同様)。 ◆ また、こんなのはどうか。「落葉」。「ラクヨウ」と読めば、「葉っぱが落ちること」だろうし、「おちば」と読めば、「落ちた葉っぱ」のことだろう。 ◆ とまあ、どうでもいいことをあれこれ考えているが、楽しいのは、いろいろなコトバに思いをめぐらせているときで、それからしばらくして、なんとなくパターンが見えてきて、理屈で説明がつきそうになると、とたんにおもしろくなくなって冷めてしまう。 ◆ というわけで、ちょっと飽きてきたので、もうひとつだけ。お馬さんのハナシ。今はなき高崎競馬場で騎手だった赤見千尋が、かつて騎乗した思い出の競争馬「オンワードクウガ君」に再会する。 ◇ そのクウガ君、無事に現役生活を終え、この度、乗馬になる訓練を受ける事になり、早速会いに行って来ました! 〔中略〕 乗馬になるためには、まず「キョセイ」をしなければなりません。男子の、男子たる由縁を取るんですね。クウガは昔から、馬っけ(性欲ですね)を出す馬ではないので、「取らなくていいんじゃない?」と言うと、そういう問題ではないそうで・・。〔中略〕 もし、乗馬になれなければ、死んでしまう。私が世話をする訳ではないけど、責任重大! 競走馬から、乗馬になれる確率は、10頭に1頭くらいだそうで。まぁ、クウガ君の気性を考えたら、きっと素晴らしい乗馬になって、初めて馬と接する人の手をペロペロ舐めたりして、馬の優しさを伝えてくれるんじゃないかな。競走馬は、引退すると、悲惨な末路を辿る事が多い。でもクウガ君のように、馬主さんに恵まれ、第二の馬人生を歩む馬もいる。引退した騎手と競走馬が、再び出会えるなんて・・騎手冥利に尽きますね☆ ◆ 「乗馬になる」という表現に妙な感じがした方もおられることだろう(「馬っけ」というコトバが気になったひともいるかもしれないが、自分で調べてください)。「乗馬」を辞書で引くと、 (1) 馬に乗ること。 ◆ とあり、「乗馬に乗馬する」といってもなんの問題もない。 |
◆ 探しものをしていたら、その途中にべつなものが見つかって、そのうちにもともと探していたものがなんだかわからなくなってしまう、そんなことがよくあって、今日はべつなものとして文庫本の『魯山人味道』が見つかった(部屋のかたすみに転がっていた)。ちょっとまえに、「山椒魚」の記事で、 ◇ すくなくとも魯山人はそう書いている〔らしいが、未読(だと思ったが、買ったような気もしてきた。部屋のどこかに転がっているかもしれない)。以下の引用はとりあえずネットからのコピペ。近日中に確認予定〕 ◆ と、他人にはどうでもいいことを、まわりくどく書いてしまっていたが、これですっきりした。上記の文章から〔亀甲括弧〕の内側を晴れて削除。 ♪ 探しものは何ですか? ◆ さいしょに「探しものをしていたら」と書いたが、この「探しもの」と陽水の「探しもの」。「蹴鞠と乗馬」のハナシのように、意味が違う。「ものを探すこと」と「探しているもの」の違い。 ◇ さがしもの【捜し物/探し物】 見当たらない物をさがすこと。また、さがしている物。「―をする」「―が見つかる」 ◆ また、先日、テレビで「探す」と「捜す」の違いについてのクイズがあったが、正解は、 ◇ ◆ふつう、見えなくなったものをさがす場合には「捜」、欲しいものをさがす場合には「探」を用いる。 ◆ のようなことだっただろうか。この区別にしたがえば、ワタシの用例も陽水の歌詞も「捜しもの」と書くべきなのだろうが、辞書に「ふつう」と言われるのもおもしろくないので、そのままにしておく。 |
◆ またまた『西の魔女が死んだ』から。「真っ赤なルビーのような野いちご」があたり一面に群生しているのをはじめて目にした主人公まいは、 ◇ 何だか本当に宝石のようだった。みずみずしく柔らかな、傷つきやすい宝石。 ◆ と思う。宝石にはこれまであまり関心がなかったので、「ルビー」と聞いても、寺尾聰の「ルビーの指環」を思い出すくらいで、 ♪ そうね誕生石ならルビーなの そんな言葉が頭にうずまくよ ◆ それで、ルビーは8月の誕生石かと思ったら、7月の誕生石だった。なにしろ誕生石の指輪をプレゼントした経験など一度もないので、まったくわからない。小学生のころには、たしか図鑑を見て誕生石を覚えたような記憶もあるが、すぐに忘れてしまったらしい。憶えているのは、自分の誕生石のエメラルドのほかには、4月のダイアモンドに12月のトルコ石くらいか。なぜだかトルコ石が好きだった。 ◇ 今日の誕生石は1912年に米国宝石商組合で定められたものを基にして、1952年にアメリカ宝石小売商組合など複数の団体によって改訂されたものが基準となっている。誕生石の種類は国によって若干の違いがある。日本では1958年に全国宝石卸商協同組合が制定した誕生石が古く、サンゴ(3月)・ヒスイ(5月)が追加されている。 ◆ 日本では5月の誕生石として、エメラルドにくわえてヒスイ。これは知らなかった。ヒスイといえば、富山県朝日町の宮崎・境海岸は「ヒスイ海岸」と呼ばれていて、ここで何度か遊んだことがある。 ![]() ![]() ◇ 〔富山県朝日町〕 ここヒスイ海岸には砂がありません。日本でも珍しい小石の海岸です。しかし、ブルーやグリーン、そしてコバルト色に輝く五色の小石が海岸にちりばめられ、海岸の小石が全て宝石と言っても過言ではありません。でも、何と言っても青緑色に輝く翡翠(ヒスイ)の原石があるのがうれしいのです。そのためか、海水までエメラルドグリーンに輝いて見えるのです。 ◆ 宝石ということでもうひとつ思い出すのは、おともだちのめめさんの書いた「小石とランドセル」という小文。以下に一部を引用するが、できれば全文を読んでほしい。 ◇ ある日、学校帰りに、すばらしい拾い物をした。歩道に面したマンションの、コンクリートの階段の隅に、数個の小石が転がっていた。見た瞬間に、きゅうっと胸が痛くなった。それまでもわたしの「ポケット博物館」には、たくさんの石がしまわれては母の怒りを誘ってきたのだが、いままでの石を全部あわせてもかなわないほど、この数個の小石は特別だった。半透明のピンク、金色と茶色の縞々、深い緑、うすい紫色。わたしは息を詰めてしゃがみこみ、小石たちを見つめた。ほんとうに石? ほんとうに拾っていいの? 意を決して拾ってみると、つまらないプラスチックのかけらなんかじゃなくて、紛れもなく、ほんとうの石だった。汗ばんだ手のひらに小石をにぎりしめ、ときどきそうっと開いてまじまじと見つめながら、家まで帰った。ポケットの中にしまうのが惜しかった。たからもの。ほうせき。 ◆ たからもの。ほうせき。文章全体がまるで無数の宝石のようで、ワタシには梨木香歩のルビーより輝いてみえる。 |
◆ 北見市のことをヒマにあかせてあれこれ調べていたら、北見市民憲章にでくわした。平成19年3月5日制定、「平成の大合併」後の新北見市の市民憲章。 ◇ わたくしたちは、澄みきった青い空のもと、大雪連峰とオホーツク海にいだかれたみのりの大地に、幸せを求めて生きる北見市民です。わたくしたちは、風雪に耐えきびしい大自然を切りひらいた、先人のたくましい開拓精神と文化を受けつぎ、より美しく豊かな未来をきずくために、この憲章を定めます。 ◆ これを読むと、市町村合併とは、武力を用いないにせよ、ある意味、「帝国主義」のようなものだなあという気がする。北見市は留辺蘂町と常呂町を併合することで、山と海、「大雪連峰とオホーツク海」を手に入れたのだった。ちなみに旧北見市の市民憲章はというと、 ◇ すみきった明るい北見の空、それはわたしたちの心のしるべです。かって父祖が北国のきびしさに耐えて、原始の林にいどみ土に生きぬいてきた開拓のたましいは、今なおわたしたちにうけつがれています。わたしたちは、このまちの市民であることに誇りをもち、この地方に住む人びとと手をたずさえながら、北見市をより豊かに、よりうつくしく、発展させるねがいをこめて、この憲章を定めます。 ◆ 旧北見市の誇りうる唯一のものは、すみきった明るい空! とはいえ、これは、たんなる美辞麗句ではなくて、 ◇ 日照時間が長く、1年の半分以上が「快晴、晴れ」であり、「雨」の日は平均25日前後と、雨量が日本で最も少ない地域です。 ◆ という裏づけのある立派な、それだけでじゅうぶんに誇りうる事実にもとづくものではあるけれど、「大雪連峰とオホーツク海」というメジャーな地名をまえにすれば、「みのりの大地」の端野町とともに、いささか霞ががってしまうのも仕方がない。新北見市による「市民憲章の趣旨解説」にしたがえば、 ◇ 「澄みきった青い空」は旧北見市、「大雪連峰」は旧留辺蘂町、「オホーツク海」は旧常呂町、「みのりの大地」は旧端野町と、各地域の特色を表現した言葉がちりばめられており、新市の自然環境及び地理的な位置が分かるようになっています。 ◆ ということだそうで、まあ、これはこれで、ひじょうにうまくできたパッチワークだろうとも思ったりもするのだが。 |
◆ 北見の市民憲章のことを書いたついでに、全国の市民憲章も検証してみようかと思ったが、めんどうなのでやめにして、北海道内からいくつかを拾い出すだけにしておこう。まずは札幌市。 ◇ わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。 ◆ これはおそらく、さしたる確証はなんにもないが、全国で一番有名な市民憲章ではないだろうか? 市民憲章は、「わた(く)したちは、○○の市民です」という前文で始まるものが多いけれども、道内で、そのパターンのものを選んでみると、 ◇ 〔函館市〕 わたくしたちは、北海道の文化発祥の地、函館に住む市民です。 ◇ 〔室蘭市〕 わたしたちは、白鳥湾の美しい自然のなかで、たくましく発展している港湾と商工業のまち、室蘭の市民です。 ◇ 〔釧路市〕 わたしたちは 、広野に丹頂が舞い、夕焼けが太平洋を染める釧路の市民です。 ◇ 〔夕張市〕 わたしたちは開基以来石炭とともに生き きびしい自然環境に立ち向かつてきた夕張の市民です ◇ 〔岩見沢市〕 わたしたちは、生き生きとした緑の中の岩見沢市民です。 ◇ 〔網走市〕 わたしたちは、母なるオホーツクの海に抱かれ、湖と森の美しい自然にかこまれた網走の市民です。 ◇ 〔留萌市〕 わたくしたちは美しい日本海と留萌川にそう山々の緑にかこまれた留萌の市民です。 ◇ 〔苫小牧市〕 わたしたちは 樽前山のふもと 水烏が舞い 太平洋の潮かおる勇払原野に たくましくひらけた苫小牧の市民です ◇ 〔稚内市〕 わたくしたちは、氷雪の門のあるところ秀峰利尻富士と樺太を望む、日本北端の都市稚内の市民です ◇ 〔美唄市〕 わたくしたちは たくましい開拓者精神をうけつぐ美唄市民です ◇ 〔赤平市〕 わたくしたちは、空知川にはぐくまれ石炭によって発展した赤平の市民です。 ◇ 〔江別市〕 私たちは、屯田兵によってひらかれた江別の市民です ◇ 〔士別市〕 わたくしたちは、天塩川の源流にはぐくまれた士別市民です。 ◇ 〔名寄市〕 私たちは、秀峰ピヤシリを望み、天塩川の恵みに育まれた美しい緑と樹氷きらめくまち、名寄の市民です。 ◇ 〔三笠市〕わたしたちは、先人が大地を拓き、石炭を掘り、鉄道を敷き、北海道開拓の先べんを担った誇りをもつ三笠の市民です。 ◇ 〔滝川市〕 わたしたちは、母なる石狩川と空知川の寄り合う自然に恵まれた誇りある滝川の市民です。 ◇ 〔富良野市〕 わたしたちは、北海道の中心標が立つ富良野の市民です。 ◇ 〔登別市〕 わたしたちは 古い歴史と美しい自然に恵まれた登別の市民です。 ◇ 〔恵庭市〕 わたくしたちは、恵庭岳のそびえる、恵庭の市民です。 ◇ 〔伊達市〕 わたしたちは、先人の築いた遺産と伝統を受け継ぎ、悠久の大地と豊かな自然の中で、たゆみなく歩みつづける伊達市民です。 ◇ 〔北広島市〕 わたしたちは、「青年よ大志をいだけ」のこころを受けつぐ、北広島市の市民です。 ◇ 〔石狩市〕 わたしたちは、母なる川にサケがのぼる石狩の市民です。 ◇ 〔北斗市〕 わたしたちは 豊かな大地と歴史に結ばれた夢と希望をふくらませ ともに喜び感じるまちをつくる 北斗市民です ◆ 以上、《市民憲章情報サイト》を参考に、北海度で、行政区分上の「市」である自治体の「市民憲章」のうち、その前文が、「わた(く)したちは、○○(の)市民です」というパターンをもつものを列挙してみた。まるで、マンホールの蓋の図柄を文字で表したような感じの文章がずらりと並んで、なんたる壮観。 ◆ そもそも「市民憲章」とはなんだろう? この「市民」とは、もともとは英語 citizen の訳語だったのだろうから、行政区分上の市町村の区別はあまり意味をなさないはずで、町民憲章も村民憲章も、「市民憲章」の範疇に含めて同列に扱うべきだと思う。けれど、参考にした《市民憲章情報サイト》でも、町民・村民にはあまり出番がないのが残念といえば残念。 |