MEMORANDUM

  蹴鞠と乗馬

「天袋のなかのネコ」の記事中、

◇ 天袋のなかのネコでは、山寺の和尚さんもさすがに蹴鞠の代わりにするわけにはいかないだろう。

◆ と書いて、あとからちょっと気になった。なんのことかというと、ここで「蹴鞠(けまり)」を、「鞠を蹴って遊ぶこと」の意味ではなく、「(蹴って遊ぶための)鞠」の意味として使ったのだが、そんな風にこの「蹴鞠」というコトバを使用していいものやら、自信がなくなったのだった。さいわい、辞書(のひとつ)には、

◇ 昔、貴族社会で行われた遊戯の一つ。数人が鹿革製のまりをけり、地面に落とさないように受け渡しするもの。また、それに使うまり。しゅうきく。
大修館書店「明鏡国語辞典」

◆ とあって、安心した。ついでだから、もう少し続けると、たとえば、「野球」というコトバは、スポーツの名称であって、ボールの名前ではない。野球に使うボールを「野球」とは呼べない。ボールのことは、面倒なことに、「野球の球」と重ねて言わなければならない。「ソフトボール」はどうなんだろう? 「ソフトボールのボール」? ソフトボールのボールは「ソフトボール」?

◆ では、「跳び箱」はどうか。これは「(跳ぶための)箱」のことだろうか。それとも「箱を跳ぶこと」だろうか。

◇大岡史直 『子どもはなぜ「跳び箱」を跳ばなければならないのか?―幼稚園児を持つ親必読の「ジャック式」教科書必読の「ジャック式」教科書』(小学館,2008)

◆ という本があるようだ。ワタシは「幼稚園児を持つ親」に該当しないので、読むことも永久にないだろうが、「ジャック式」というコトバには多少の興味を抱き・・・なんかすると、いつものようにハナシが脇道に逸れて行くはめになるので、「ジャック式」はどうでもいいことにして、このタイトルからすると、「跳び箱」は「跳ぶ」のだった。ということは「跳び箱」は箱らしい。とはいえ、「跳び箱をする」と言うひともいるはずで、この場合の「跳び箱」は箱ではない(「野球をする」の「野球」が球ではないのと同様)。

◆ また、こんなのはどうか。「落葉」。「ラクヨウ」と読めば、「葉っぱが落ちること」だろうし、「おちば」と読めば、「落ちた葉っぱ」のことだろう。

◆ とまあ、どうでもいいことをあれこれ考えているが、楽しいのは、いろいろなコトバに思いをめぐらせているときで、それからしばらくして、なんとなくパターンが見えてきて、理屈で説明がつきそうになると、とたんにおもしろくなくなって冷めてしまう。

◆ というわけで、ちょっと飽きてきたので、もうひとつだけ。お馬さんのハナシ。今はなき高崎競馬場で騎手だった赤見千尋が、かつて騎乗した思い出の競争馬「オンワードクウガ君」に再会する。

◇ そのクウガ君、無事に現役生活を終え、この度、乗馬になる訓練を受ける事になり、早速会いに行って来ました! 〔中略〕 乗馬になるためには、まず「キョセイ」をしなければなりません。男子の、男子たる由縁を取るんですね。クウガは昔から、馬っけ(性欲ですね)を出す馬ではないので、「取らなくていいんじゃない?」と言うと、そういう問題ではないそうで・・。〔中略〕 もし、乗馬になれなければ、死んでしまう。私が世話をする訳ではないけど、責任重大! 競走馬から、乗馬になれる確率は、10頭に1頭くらいだそうで。まぁ、クウガ君の気性を考えたら、きっと素晴らしい乗馬になって、初めて馬と接する人の手をペロペロ舐めたりして、馬の優しさを伝えてくれるんじゃないかな。競走馬は、引退すると、悲惨な末路を辿る事が多い。でもクウガ君のように、馬主さんに恵まれ、第二の馬人生を歩む馬もいる。引退した騎手と競走馬が、再び出会えるなんて・・騎手冥利に尽きますね☆
blog.oddspark.com/akami/2006/09/post_63.html

◆ 「乗馬になる」という表現に妙な感じがした方もおられることだろう(「馬っけ」というコトバが気になったひともいるかもしれないが、自分で調べてください)。「乗馬」を辞書で引くと、

  (1) 馬に乗ること。
  (2) 人が乗る馬。また、乗っている馬。

  三省堂 「大辞林」

◆ とあり、「乗馬に乗馬する」といってもなんの問題もない。

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