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◆ 男女が二人で同じ場所にいて、同じ方向を向いていたとしても、同じものを見ているとはかぎらない。 「お前は松の木を見ていたんだな」 ◆ 夫婦といっても違う人間なのだから、それはあたりまえのことに思える。むしろ、 阿川 でも、丈晴さんのイヤなところとか、直して欲しい癖とか、なかったですか。 ◆ というような文章を読むと、「理想」としてならいいけれども、現実に「人生観、価値観がまったく同じ」などということはありえないだろうと思ってしまう。いや、ありえないということもないだろうが、まれだろう。そもそもそういう状態が「理想」なのかどうかも、ひとそれぞれだろう。 ◆ 男女が二人で同じ場所にいて、同じ方向を向いて、同じものを見ていたとしても、同じことを考えているとはかぎらない。 ◇ (ここに、なにか引用文を挿れたいが、適当なのが見当たらない。たとえば、ドライブの途中に牧場があって、そこにいた仔牛を二人で仲良く見たとしても、一人は「かわいい」と思っているのに、もう一人は「おいしそう」と思っているかもしれない、というようなことだ。映画や小説のなかに、ごろごろ転がっているだろうから、各自アタマのなかで適当な引用に差し替えてください。) ◆ 男女が二人で同じ場所にいて、同じ方向を向いて、同じものを見ていたとしても、その視線が同じであるとはかぎらない。ここまで来ると、べつのハナシとして考えなければならなくなるが、せっかくなので、引用しておこう(また、べつのことを考えるときに便利だろうから)。 ◇ 幼いころから、私は、あるものをじっと見つめればそれを深さに於て捉えることができると思っていました。町で出会ったりする人々の中で特に私の興味を惹く顔を、私はいつでもじっと見つめ続けたものです。そうすることで、世の中のことが理解できると錯覚していたのです。この癖はいまも変っておりません。電車の中などで乗客の一人に強く惹きつけられたりすると(それは幼児であったり、老人であったりしますが)、思わずその真正面に座ってしげしげと見つめてしまう。父親と市電に乗っていたとき、そんなに他人を見つめるものではないと、何度も忠告されたことを思いだします。 |
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◆ たとえば、 ◇ その昔、国連鉄鋼部会の視察に同行して、英語、フランス語の通訳の方と組んで日本の某自動車メーカーを訪れたときのこと。前日の夕刻、現地に到着して、地元のホテルに宿泊し、翌日工場見学という手はずになっていた。 ◆ というような文章を読んで、「両者が照合した瞬間、カチッと音がするような快感がある」と書いてあるけど、どうして「カチッと音がする」のだろうとか、なぜ「カチッと音がする」ことが快感になるのだろうとか、考えるひともいるだろうが、まれだろう。考えるひとは、この文章にどこか引っかかりを感じたわけで、引っかかりを感じなければ、そもそも考えてみる機会がない。この文章に引っかかりを感じないひとというのは、この「カチッと音がするような」という比喩をなんなく理解できるひとか、なんとなく理解できるので悩まず先に進むひとのどちらかで、どちらであっても読者の大半はこの両者に属するのではないかと思う。 ◆ 「なんとなく理解できるひと」が、引っかかりを感じて、すこし立ち止まり、あれこれ考えて、その結果、ああこんなことかな、と思うに至ったとき、おそらくそのひとのアタマのなかでもカチッと音がして、「なんなく理解できるひと」に変わっていることだろう。 ◆ はてさて、アタマのなかで、なにかが照合したときに、カチッと音がして開くのはいったいどんな秘密の鍵なのだろう。 |
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◆ 「門前の小僧習わぬ経を読む」ということわざがある。「門前の小僧」でGoogle検索をすると、最初にヒットするのがこれ。 ◇ お寺に行儀見習いなどにきた小僧さんが、庭掃除をしたり雑巾がけをしているだけで、お坊さんの読むお経をただ毎日、毎日聞いてるだけで、別にお経を習ったわけでもないのに、お経を読めるようになったというお話です。 ◆ この文章をそのままコピペしたと思しきサイトがこのあとにぞろぞろ続いているのを見れば、一番であるというのは、やはり大事であるということか。それはともかく、「お寺に行儀見習いなどにきた小僧さん」が「門前の小僧」であるというのは、どうにも解せない。この小僧、お寺に行儀見習いに来たものの、寺内にすら入れてももらえなかったのだろうか? それもまた行儀見習いの一環であったのだろうか? こんな解釈もある。 ◇ お坊さんのお子さんでしょうか?普段からお経を聞いていたんでしょう。誰に教わった訳でもなく、また勉強した訳でもないのに、自然とお経を覚えて読み上げる事が出来るようになった、なんてすごいですね。 ◆ 「小僧」というのは「僧のお子さん」? 辞書で「小僧」を引くと、 こぞう【小僧】 ◆ 『大辞泉』によれば、「門前の小僧」の小僧は、(1)の「仏門に入って、まだ修行中の男の子」ということになるようだが、一般的な「門前の小僧」の解釈は、(3)ではないだろうか? ◇ 寺の近所に住む子供たちは、自然に僧の読経を聞き覚えて、御経を読むようになるということで、日頃の感化の力の大きいことをいう。(出典:ことわざ辞典 日東書院) ◆ それとも、「門前」に「寺の前」という意味のほかに、寺そのものを指す用法でもあるのだろうか? |
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◆ デンバーの horsecar。 ![]() ![]()
◆ 先に、horsecar には「鉄道馬車」と「馬運搬車」のふたつの意味があると書いたが、この horsecar は、はてさて、どちらの意味なのか? ![]() ![]() ![]() ◆ この Cherrelyn 線は行程が坂になっていて、行きは上りで馬が引き、帰りの下りは馬も車両に載って戻っていったということらしい。 |