MEMORANDUM

◇  「チャーリー・ブラウン。たったいま信じられないようなフットボールの試合を見たよ」。ある日曜日、ライナスがこう言う。
 「見事な反撃だった。ホームチームは6対ゼロで負けていて、残り時間は3秒。ボールは味方の1ヤードのラインの上……クォーターバックがボールをとって味方のゴールポストの後ろヘフェードバックして、完璧なパスをレフトエンドに送った。彼は4人の相手をかわして独走しタッチダウンさ! ファンは気が狂ったようになったね。きみにも見せたかったよ! みんな、飛んだり跳ねたりしてた。エキストラポイントを入れたら、何千人もの観客が笑ったり叫んだりしながらフィールドになだれ込んだ。ファンも選手たちもうれしさのあまり、地面を転がりまわるわ、抱き合うわ、踊るわ、の騒ぎさ! ほんとにすごかった!」
 チャーリー・ブラウンの答え。「相手チームはどんな気持ちだったかな」(引用は谷川俊太郎訳)

リタ・グリムズリー・ジョンソン『スヌーピーと生きる ― チャールズ・M・シュルツ伝』(越智道雄訳,朝日文庫,p.67)

◆ これも、とくに書き加えることはなにもないのだが、せっかくだから、すこし書く。スリルとサスペンスというようなことで考えると、ライナスのセリフは長ければ長いほどいい。これをさらにさらに延長して、どんな本でも、その本の最後にチャーリー・ブラウンの「相手チームはどんな気持ちだったかな」というセリフを勝手に付け加えてみるのはどうだろう。小説を書く人なら、書き終わった小説の「完」のページのその裏に、「相手チームはどんな気持ちだったかな」というセリフに相当する、その小説に合った適当なコトバを考えて、1行さりげなく記しておく。小説を書かないふつうの人なら、買ってきた本を読み始める前に、自分でそのようにする。まあ、そんな具体的なことまで考えなくてもいいのだけれども、とにかく、このチャーリー・ブラウンのコトバには、それ以外の一切合切をひとつの大きな「カギカッコ」に封じ込めてしまう、とんでもない威力があるだろうと思う。そういえば、

◆ と思い出してしまったのだが、高校生のころに『エンドレス・ラブ』という映画(いま調べると、日本公開は1981年12月5日)をカップルで観に行った同級生がいた。そういえば、ワタシがはじめて女性と観に行った映画は、なぜだか『がんばれ!! タブチくん!!』だった(1979年11月10日公開)。で、『エンドレス・ラブ』を見終わったあとに、男が女にこういったらしい。「終わらない恋愛なんてない」(正確なセリフは関西弁なので「~あらへん」だったかもしれないが)。女がどういう返事をしたのかはしらない。そもそも男のほうも冗談のつもりだったのだろう。あるいは大人の振りをしてみたかったのかもしれない。その男はワタシの友人だったが、その後その女性と別れて、自らのコトバを実証した。その女性がその次につきあったのがワタシで、ワタシはエンドレスラブというものを信じていたのだったが、これはもうチャーリー・ブラウンとはなんの関係もないハナシである。いやはや、妙なことを思い出してしまった。

  人の顔

◇ 前々から思っていたが、オサマ・ビンラディンという人は立派な風格をしている。哲学的かつ知的で姿が優美静謐で目が深い様に見えてしまう。世界中から憎悪されているが。
 ブッシュの顔を見ると、とても恥かしい人類の顔だと思う。ビンラディンがどの様な悪党か知らぬが、私たちは本当の事など何も知らない。考えるべき基準など、少なくとも私にはない。9・11で三千人位の人が死んだが、アフガニスタン、イラクでは四万人以上の市民が死んでいる。こういう事って正義なのであろうか。正義の話ではない。人の外見のことである。あの大胆なテロを実行させたアフガニスタンのテロ集団の内情などわからない私であるがアフガニスタンで国民は何を食っているのか、どんな風が吹きどんなほこりが流れるのか、私は知らない。
 しかしビンラディンが細長い顔とひげとターバンと質素に見える民族衣装をつけて立っているのを見ると好もしい外見であると私は思ってしまう。
 北朝鮮の金正日は解りやすくて安心である。安心しておおいやだ、とんでもない奴だと思えて嬉しい。
 多分ビンラディンはインドの乞食と同じムードがある。インドの乞食はどうしてあの様に哲学的に見えるのだろう。
 五十過ぎたら自分の顔に責任を持てと云うがどんなものだろう。韓国の整形美女たちは、整形医師に責任を持ってもらうのだろうか。

佐野洋子『役にたたない日々』(朝日文庫,pp.193-194)

◆ 下線部分の文章がちょっと変だが、それはさておき、上の文章から他人(ひと)がどのようなことを読み取り、感じ取るのか、私は知らない(この文章を読みながら、ビンラディンやブッシュの顔をじっさいに思い浮かべるひとはどれくらいいるのだろう)。ワタシは最初、この「私は知らない」について書こうと思ってこの文章を書き写したのだが、気が変わった。やはりこれは顔のハナシだろう(9・11のことかもしれないが)。

養老 それをブータンでものすごく感じた。坊主がみんな違う顔をしてるんですよ。同じ坊主で同じ服装をして同じところに暮らしているにもかかわらず。顔が全部違う。僕は、「面魂」とか「面構え」という言葉が、日本では死語になっていると気がついた。なぜみんながそういうふうに個性的なのかと考えたときに、各人その所を得ているからだなと思った。生まれたまんまの性格が伸びていって、それぞれが所を得るような形で僧院が運営されているんです。
奥本 僕もブータンの男の人たちがみんな立派な顔をしているのに感心しましたね。何かこう、正しい生活をしている、というような。うしろ暗いところがないんですね。日本の場合、会社員がみんな同じ顔をしているとかいうのは、やっぱり強いものに「擬態」してるんだね(笑)。代議士でも顔を見るとだいたいその所属する党がわかる。
池田 小学校からやることがみんな同じとなると、生態的地位がひとつしかないといった感じになるわけです。そこに収斂した人は活き活きとしているけど、あとは全部駄目になっちゃうんですね。
養老 所を得て生きていると、見ていて気持ちがいい。僕が思い出したのは、黒澤明の『七人の侍』です。ブータンであの映画をつくろうとしたら、なんの苦労もない。坊主から七人、ランダムに選んでくれば、七人の侍ができてしまう。百姓は全部そのまま使えばいい(笑)。

養老 孟司,池田 清彦,奥本 大三郎『三人寄れば虫の知恵』(新潮文庫,pp.36-37)

◆ それで、あれこれ考えてみたが、顔について個人的になにか書きたいことがあるかというと、とくにない。そのことに気がついた。そういえば、人の顔にはあまり関心がないのだった。

「暦の上では」の正しい理解の仕方の実例をひとつ(しかし、よくもまあこんなに都合よく見つかるものである)。

◇  「もう春ですよ、ひろみちゃん」と祖母に言われ、驚いた。
 昭和半ばの東京、二月初旬。一昨日は雪が降った。出したばかりの十一月ごろには重いと思っていた布団のその重さが嬉しく、いつまでも朝は布団から出られなかった。つまさきを、もう暖かくないゆたんぽを包むネルの布に、ぐずぐずとくっつけていた。
 ようやく布団から出て、長袖のシャツを着て、ブラウスを着て、セーターを着ても、ちっとも暖かくならない。木造の家は隙間だらけで、このごろの機密性のある家のように、窓に結露を見ることもない。外と中の温度がさほど変わらないので、結露しないのである。吐く息が白い。顔を洗いながら、外国のお姫さまはきっと毎日お湯で洗顔してるんだろうなあ、などと考える。
 私は、日本の小学生で、タイツの膝にはつぎが当たっていて(ひどく貧しいから、というのではない、あのころはストッキングだっていちいち伝線をかがっていたものだった)、指先にはしもやけがあって宝物は箱根みやげの千代紙貼りの入れ子の箱とタミー人形(着せ替え用の服は高価なので、母が見よう見まねで二着ほど縫ってくれた)、というごく普通の子供たった。
 「今日から春ですよ」もう一度、祖母が言った。
 「でもまだ冬なのに」私は口をとがらして答えた。霜柱はつんつん立っていたし、その朝も水道管が凍った。あおあおとしているのはつわぶきの葉とアオキばかりで、楓も樺も桜も柿もすっかり葉を落としてしんとしていた。寒暖計の赤は下の方にわだかまり、ぜんぜん上かってこない。
 「でも、暦の上では、ほら。立春ですよ」
 「りっしゅん」
 「春が立つ、春になるっていうことですよ」
 祖母の部屋には日めくりの暦が下げてあった。暦には、二月四日、木曜、友引(お葬式をしてはいけない日だと、少し前に教わった。引かれますからね。祖母は説明した。それ以上は聞いても答えてくれない。ひかれるって、鼠にひかれるみたいなもんなんだろうか。巨大な鼠が出てきてひくんだろうか、こわいこわい、と私は身震いしたものだった)、立春、の字が並んでいた。
 「春って、立つの
 「立ちますよ」そう言って、祖母は真面目に頷いた。以来私は、春は立つものだと思うようになったのである。
 立つ春とは、どんなものなのだろう。学校へのみちみち、考えた。
〔中略〕
 勝手に解かれてしまった「春が立つ」謎は、今にいたるまで、じつは私の中に居つづけている。現在も、立春という言葉を聞くと、反射的に、水平線からゆっくりと立ち上がってくる霧のような絵を思い浮かべるのである。

川上 弘美『あるようなないような』(中公文庫,pp.139-141)

◆ 線を引きながら、文章を読むのは楽しい。あるいは、線をたくさん引けるような文章を読むのは楽しい。鼠にひかれる(小学生なのに、こんなコトバをよく知っていたものだ。ワタシなど、ちょっと前に知ったばかり)。宝物の箱根みやげの千代紙貼りの入れ子の箱とタミー人形。はて、タミー人形とはなんだろう。それから、そのタミー人形の着せ替え用の服。「母が見よう見まねで二着ほど縫ってくれた」と書くだけで、昭和の母のイメージがとてもリアルに感じられる。やさしいお母さん。夜なべをして手袋も編んだかもしれない(これは、もう少し古そうだ)。ゆたんぽ。しもやけ。霜柱。今年はほんとうに寒い。外と中の温度がさほど変わらない、隙間だらけの木造アパートは寒い。昭和のなつかしい冬の感じをひさしぶりに味わっている。さすがに水道管が凍りはしないが。

◆ 霜柱も立つが、春も立つ。どのように立つのかについては、〔中略〕のところに書いてある。冬も、夏も、秋も、みんなそれぞれの仕方で立つだろう。それから、茶柱も立つ。今度は茶柱のハナシでも書くことにしよう。いや、その前に「ほら」のハナシも書いてみたい。いろいろと忙しい。

「には」のハナシを書いたので、今度は「では」のハナシを書くことにしよう。では、

◇ でわではにわににわにわとりがいる。でわではうらにわにはにわにわとりがいる。
(出羽では、庭に二羽ニワトリがいる。出羽では、裏庭に二羽ニワトリがいる。)

◆ またニワトリになってしまった。これでは、あまり「では」の出る幕がないではないか。がんばってあれこれ「では」を探してみたが、そもそも「では」はあんまり出たがりではないのかもしれない。きっと出不精なんだろう。「では」のハナシはやめて、「上では」のハナシにする。ではでは、

♪ 暦の上ではもう春なのに
  まだまだ寒い日がつづく

  風「暦の上では」(作詞・作曲:伊勢正三)

◆ いや、まったく。寒いどころではない。今日も寒い。おしまい。ああ、終わっちゃったよ。では、さようなら。

◆ 以下、おまけ。「では」ではなくて「の上」のハナシ。《教えて!goo》に変な質問。この質問者、質問する立場なのに、妙にえらそうなのである。

◇ 皆さんは「暦の上では・・・」の正しい意味を説明できますか。
oshiete.goo.ne.jp/qa/2725228.html

◆ もちろん、こんな質問に回答するひとは少ない。正しい意味などさっぱりわからないが、とりあえずワタシが回答みると、こんなところか。まず暦というのは今のコトバでいえばカレンダーです。年末にあちこちでタダで配ってる、あのカレンダーです。好きなのを買うひともいるようですが、ワタシは買いません。買いませんが、せっかくなら、1枚で1年分のものよりは、1ヶ月ごとで12枚のものがいいです。日めくりだとなおいいかというと、そういうわけでもありません。ずぼらなので、かえって使いにくくなるからです。そのカレンダーの上に、いろいろ書いてあるんですね。2月4日は「立春」とか。5月20日は「Saturnian の誕生日」とか(書いてなかったら、書き足しといてください)。「暦の上では」というのは、そういう意味です。「紙のカレンダーの上では」という意味です。まあ、紙じゃなくてもいいかもしれませんが。木とか金属とかプラスチックとか。でも、そういったおしゃれなカレンダーには、「立春」とか「Saturnian の誕生日」とかはあんまり書いてないと思うので、できれば紙のがいいです。それに、紙なら、「暦の中では」とか「暦の下では」とかになったりする可能性があまりないので、便利です。

◆ 「~の上では」の「~」のところに当てはまるものは、いろいろある。「畳の上では」とか「ベッドの上では」とか「屋根の上では」とか「船の上では」とか「山の上では」とか「舞台の上では」とか「土俵の上」では。「雪の上では」なんてのもある。「机の上では」、ついで「計算の上では」というあたりから微妙になって、「歴史の上では」とか「理屈の上では」とか「経済の上では」とか、こうなってくると、そろそろ限界である。ワタシには、歴史の「上」とか理屈の「上」とかをイメージすることができない。さっぱりできない。

◆ で、「暦の上では」というのは、上の例でいうと(デタラメだが)、「机の上では」と「計算の上では」のあいだくらいに位置するんじゃないか。「暦の上では」というコトバを聞いたときに、リアルに具体的なカレンダーを思い浮かべるひとが、減りつつはあるだろうけど、まだまだいるんじゃないか。と、そんなことを考えました。では、さようなら。

  には

◆ しかたなく「戦闘員資格という概念は非国際的武力紛争には存在しないので」という言葉を書き綴っていたら、突然ニワトリが出てきた。眠気覚ましに、ちょっと「には」のハナシを書くことにしよう。

◆ 一週間ほど前、駅からの帰り道、と書くと電車に乗ったと思われるだろうが、そうではない。駅前に用事があっただけであるが、それはともかく、家への帰り道、前方に親子連れが歩いていた。女の子が右へ寄ったり左へ寄ったりふらふらしながら、おかあさんに「にわにわにはにわにわとりがいる。うらにわにはにわにわとりがいる。幼稚園でならったの」とうれしそうに披露していた。なんとも微笑ましい光景である。で、その「には」が今になって出てきたわけである。

◆ にわにはにわにわにわとりがいる。うらにわにはにわにわとりがいる。にははにわとにわにわとりのあいだにいた。にははうらにわとにわにわとりのあいだにいた。さっきまで。でもいまはいない。にははにわとにわにわとりのあいだにはいない。にははうらにわとにわにわとりのあいだにはいない。あれ、やっぱりいる。にははにわとにわにわとりのあいだといないのあいだにいた。にははうらにわとにわにわとりのあいだといないのあいだにいた。さっきまで。でもいまはいない。にははどこへいったんだろう。
〔庭には二羽ニワトリがいる。裏庭には二羽ニワトリがいる。「には」は庭と二羽ニワトリの間にいた。「には」は裏庭と二羽ニワトリの間にいた。さっきまで。でも今はいない。「には」は庭と二羽ニワトリの間にはいない。「には」は裏庭と二羽ニワトリの間にはいない。あれ、やっぱりいる。「には」は「庭と二羽ニワトリの間」と「いない」の間にいた。「には」は「裏庭と二羽ニワトリの間」と「いない」にいた。さっきまで。でも今はいない。「には」はどこへ行ったんだろう。〕

◆ ニワトリは庭にしかいないけれど、「には」は非国際的武力紛争なんてところにも出てくる。「には」ってすごいなあ。

◆ 以下、おまけ。この「にわには」を同音異義語の実例として国語の授業で取り上げた先生の実践報告をネットで見つけた。生徒に絵を描かせてみたらしい。その結果は、「鶏の数は、1,2、4匹と様々であった」そうだ。「,」「、」の混交も気になるが、なんといっても「匹」が気になる。「にわには」は同音異義語のいい実例でもあるが、数助詞のいい実例でもある。「庭には2羽、裏庭には2羽、合わせて何羽?」という質問に「4匹」という回答がはたして国語の授業で正解なのかどうか? あいかわらず、眠い。

◇ 当然ながらこだまのあとだまは、「あなたの家の前を虎が通りましたかと言って通ったんですかと言って通ったんですかと言って通ったんですか」と言い、すぐさま師は、「あなたの家の前を虎が通りましたかと言って通ったんですかと言って通ったんですかと言って通ったんですかと言って通ったんですか」と、やり返したのである。
別役実『もののけづくし』(ハヤカワ文庫,p.139;イラスト:玉川秀彦)

◆ レイ・ブラッドベリの『二人がここにいる不思議』という短篇集があって(新潮文庫)、ずいぶん以前にタイトルに惹かれて、ブックオフの100円文庫で買ったのだが、読むのを忘れていた。たまたまなにかの拍子に、このタイトルに似た内容の「なにか」を書こうと思いつき、この本のことを思い出した。で、ぱらぱらページをめくってみて、「二人がここにいる不思議」という短編の原題が I SUPPOSE YOU ARE WONDERING WHY WE ARE HERE? であるのを知った。それはいいのだが、案の定、書きたいと思っていた「なにか」がなんだったのかを忘れてしまった。なので、書けない。しようがないので、この原題についてぼんやり考えていたら、冒頭のハナシを思い出したので、引用した。とまあこういう次第。

◆ 中身をまだ読んでいないので、「We」というのがだれだかわからないけれども、だいたい「私たちがここにいるのはどうしてかな、って思ってるんでしょ?」というような意味だろう。もう少し原文の構造に忠実に訳すと、「『私たちはどうしてここにいるの?』とあなたは思っている、と私は思う」。とまあ、とくになんの不思議もないタイトルだが、「『私たちがここにいるのはどうしてかな、って思ってるんでしょ?』って思ってるんでしょ?」とすると、ちょっとは不思議か。英語では、I suppose you suppose I suppose you are wondering why we are here. になるのか。ワタシのアタマではせいぜいこれくらいが限界であるが、冒頭の「こだまのあとだま」と「師」はこれを数百回も繰り返したそうな。

◆ 似たようなことを考えるのは、じゃんけんのときだろう。相手の裏を読んだはいいが、すぐに相手もこちらの裏を読んでいるに違いないと不安になり、さらにその裏を読んだものの、やはり相手もその裏を読むのではないかと疑念はつもるばかりで、さらに裏を読むべきか、それともさきほど裏を読んだのをやめて表に戻るべきか、いや待てよ、いま私がいるのは裏だっけ、それとも表だっけ、さっぱりわからなくなってきたぞ。アタマが真っ白になって、時間切れ。けっきょく出した手はいつもと同じで、やっぱり負ける。とそんなことを繰り返す。まったく成長のないやつだ。

◆ 槇原敬之の「もう恋なんてしないなんて(言わないよ絶対)」という歌詞も、やや似ている。「もう恋なんてしないなんて言わないなんて絶対言わない」とでもすれば、この意味がわかるひとははたしてどれだけいるだろうか(ワタシはすでにわからない)。

◆ ジャーナリストの高野孟がこんなことを書いていた。

◇  思い出すのは、93年のJリーグ発足の1年ほど前、川淵三郎チェアマン(当時)と懇談した際に彼が口にした言葉である。
 「日本には明治以来、スポーツがなかったんですよ」
 「エッ、じゃあ何があったんですか?」
 「体育です。Jリーグのスタートで初めて日本のスポーツが始まります」

「日刊ゲンダイ」2013年2月16日付

◆ 続けて、高野は、「体育の本質は教練であり、つまりは軍事訓練であるから『日の丸のために死ね』ということになる。それで暴力も横行する」と書いていて、たしかに、最近のスポーツにからんだ不祥事の数々は、根底に「スポーツ」と「体育」の違いという問題が横たわっているようにも思える。

◆ こういう文章は「小論文」にうってつけだろう。以下の文章を読んで、「スポーツ」と「体育」の問題を自由に論じなさい。こんなのはどうか。

◇ 川淵三郎チェアマンは三郎というからには、三男なのであろうか。少子化が進む現代の日本から考えれば、少なくとも男の子を3人は産んでいるということだけでも、その母は表彰されてしかるべきであろう。しかし、かつては当たり前のことだった。有名人から実例を挙げれば、北島三郎、中村勘三郎、柴田錬三郎、篠田三郎、古畑任三郎、時任三郎、坊屋三郎、若山富三郎、嵐山光三郎、大江健三郎、城山三郎、坂東玉三郎、阪東妻三郎、伴淳三郎、風の又三郎、家永三郎など。しかし、三郎くらいでは表彰されるどころか、バカにされるくらいだったかもしれない。遠山金四郎に天草四郎、高見山大五郎にあっと驚く為五郎、六七がなくて、たこ八郎に岡八朗、宮藤官九郎に源九郎義経、椿三十郞、姿三四郎、松井八十五郎(近藤勇の義父)、はてはうしろの百太郎まで(参考サイト:《「一郎・二郎・三郎‥さん」あれこれ - Milch's blog》

◆ 姿三四郎を「34」の位置に並べている点が減点対象になるかもしれない。また、実例ではない部分も注意深い採点者の手にかかれば減点対象になるかもしれない。しかし、「スポーツ」の問題も「体育」の問題も「論じて」いないので、そもそも減点すべき点数がないかもしれない。では、こんなのではどうか。

◇ 言語の点から「スポーツ」と「体育」の問題を考えてみることにする。「スポーツ」というのは、英語の「sports」をカナ書きしたものだが、これは「sport」の複数形なので、サッカーが「sports」であるとはいえない。つぎに、「体育」であるが、本来これは「たいいく」と読むべきにもかかわらず、会話では現代日本人のほとんどがこれを「たいく」と発音している。このような現状においては、パソコンの漢字変換で「たいく」と入力すれば「体育」と変換されるようにするなどの実情に合わせた対策も必要であろう、と書こうと思ったが、いま「たいく」と入力したところ、無事「体育」と変換されたので、この文章は削除する。

◆ これはスポーツ「と」体育の問題を、まったく別個にではあるが、扱っているので、採点はしてもらえるかもしれない。ただし、論じていないことにはかわりがない。さらに、こんなのではどうか。

◇ 「チェアマン」というのは、直訳すれば「椅子男」である。いったい、この男はいかなる椅子だったのであろうか。安楽椅子であろうか。また、「(当時)」ということは、現在「椅子男」でないということになるが、だとすれば、この椅子男は、何男へと進化したのだろうか。この点について、進化論の観点から、いずれ考えてみたい。

小林秀雄は大学の試験で、「かかる愚問には答えず」とのみ記してその試験を放棄してしまったことがあるらしいが、これはちょっと喧嘩腰すぎるだろう。その点、この「いずれ考えてみたい」は、角が立たないみごとな表現である。もちろん、その場でなにか書くべきことが思いつけば「いずれ」を削除し、以下に続ければいい。あと、体育館の裏での甘酸っぱい思い出話などでも書いておけば、白紙で提出するよりは高得点が期待できるだろう。