MEMORANDUM

  チェアマン

◆ ジャーナリストの高野孟がこんなことを書いていた。

◇  思い出すのは、93年のJリーグ発足の1年ほど前、川淵三郎チェアマン(当時)と懇談した際に彼が口にした言葉である。
 「日本には明治以来、スポーツがなかったんですよ」
 「エッ、じゃあ何があったんですか?」
 「体育です。Jリーグのスタートで初めて日本のスポーツが始まります」

「日刊ゲンダイ」2013年2月16日付

◆ 続けて、高野は、「体育の本質は教練であり、つまりは軍事訓練であるから『日の丸のために死ね』ということになる。それで暴力も横行する」と書いていて、たしかに、最近のスポーツにからんだ不祥事の数々は、根底に「スポーツ」と「体育」の違いという問題が横たわっているようにも思える。

◆ こういう文章は「小論文」にうってつけだろう。以下の文章を読んで、「スポーツ」と「体育」の問題を自由に論じなさい。こんなのはどうか。

◇ 川淵三郎チェアマンは三郎というからには、三男なのであろうか。少子化が進む現代の日本から考えれば、少なくとも男の子を3人は産んでいるということだけでも、その母は表彰されてしかるべきであろう。しかし、かつては当たり前のことだった。有名人から実例を挙げれば、北島三郎、中村勘三郎、柴田錬三郎、篠田三郎、古畑任三郎、時任三郎、坊屋三郎、若山富三郎、嵐山光三郎、大江健三郎、城山三郎、坂東玉三郎、阪東妻三郎、伴淳三郎、風の又三郎、家永三郎など。しかし、三郎くらいでは表彰されるどころか、バカにされるくらいだったかもしれない。遠山金四郎に天草四郎、高見山大五郎にあっと驚く為五郎、六七がなくて、たこ八郎に岡八朗、宮藤官九郎に源九郎義経、椿三十郞、姿三四郎、松井八十五郎(近藤勇の義父)、はてはうしろの百太郎まで(参考サイト:《「一郎・二郎・三郎‥さん」あれこれ - Milch's blog》

◆ 姿三四郎を「34」の位置に並べている点が減点対象になるかもしれない。また、実例ではない部分も注意深い採点者の手にかかれば減点対象になるかもしれない。しかし、「スポーツ」の問題も「体育」の問題も「論じて」いないので、そもそも減点すべき点数がないかもしれない。では、こんなのではどうか。

◇ 言語の点から「スポーツ」と「体育」の問題を考えてみることにする。「スポーツ」というのは、英語の「sports」をカナ書きしたものだが、これは「sport」の複数形なので、サッカーが「sports」であるとはいえない。つぎに、「体育」であるが、本来これは「たいいく」と読むべきにもかかわらず、会話では現代日本人のほとんどがこれを「たいく」と発音している。このような現状においては、パソコンの漢字変換で「たいく」と入力すれば「体育」と変換されるようにするなどの実情に合わせた対策も必要であろう、と書こうと思ったが、いま「たいく」と入力したところ、無事「体育」と変換されたので、この文章は削除する。

◆ これはスポーツ「と」体育の問題を、まったく別個にではあるが、扱っているので、採点はしてもらえるかもしれない。ただし、論じていないことにはかわりがない。さらに、こんなのではどうか。

◇ 「チェアマン」というのは、直訳すれば「椅子男」である。いったい、この男はいかなる椅子だったのであろうか。安楽椅子であろうか。また、「(当時)」ということは、現在「椅子男」でないということになるが、だとすれば、この椅子男は、何男へと進化したのだろうか。この点について、進化論の観点から、いずれ考えてみたい。

小林秀雄は大学の試験で、「かかる愚問には答えず」とのみ記してその試験を放棄してしまったことがあるらしいが、これはちょっと喧嘩腰すぎるだろう。その点、この「いずれ考えてみたい」は、角が立たないみごとな表現である。もちろん、その場でなにか書くべきことが思いつけば「いずれ」を削除し、以下に続ければいい。あと、体育館の裏での甘酸っぱい思い出話などでも書いておけば、白紙で提出するよりは高得点が期待できるだろう。

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