◆ 「暦の上では」の正しい理解の仕方の実例をひとつ(しかし、よくもまあこんなに都合よく見つかるものである)。
◇ 「もう春ですよ、ひろみちゃん」と祖母に言われ、驚いた。
昭和半ばの東京、二月初旬。一昨日は雪が降った。出したばかりの十一月ごろには重いと思っていた布団のその重さが嬉しく、いつまでも朝は布団から出られなかった。つまさきを、もう暖かくないゆたんぽを包むネルの布に、ぐずぐずとくっつけていた。
ようやく布団から出て、長袖のシャツを着て、ブラウスを着て、セーターを着ても、ちっとも暖かくならない。木造の家は隙間だらけで、このごろの機密性のある家のように、窓に結露を見ることもない。外と中の温度がさほど変わらないので、結露しないのである。吐く息が白い。顔を洗いながら、外国のお姫さまはきっと毎日お湯で洗顔してるんだろうなあ、などと考える。
私は、日本の小学生で、タイツの膝にはつぎが当たっていて(ひどく貧しいから、というのではない、あのころはストッキングだっていちいち伝線をかがっていたものだった)、指先にはしもやけがあって、宝物は箱根みやげの千代紙貼りの入れ子の箱とタミー人形(着せ替え用の服は高価なので、母が見よう見まねで二着ほど縫ってくれた)、というごく普通の子供たった。
「今日から春ですよ」もう一度、祖母が言った。
「でもまだ冬なのに」私は口をとがらして答えた。霜柱はつんつん立っていたし、その朝も水道管が凍った。あおあおとしているのはつわぶきの葉とアオキばかりで、楓も樺も桜も柿もすっかり葉を落としてしんとしていた。寒暖計の赤は下の方にわだかまり、ぜんぜん上かってこない。
「でも、暦の上では、ほら。立春ですよ」
「りっしゅん」
「春が立つ、春になるっていうことですよ」
祖母の部屋には日めくりの暦が下げてあった。暦には、二月四日、木曜、友引(お葬式をしてはいけない日だと、少し前に教わった。引かれますからね。祖母は説明した。それ以上は聞いても答えてくれない。ひかれるって、鼠にひかれるみたいなもんなんだろうか。巨大な鼠が出てきてひくんだろうか、こわいこわい、と私は身震いしたものだった)、立春、の字が並んでいた。
「春って、立つの」
「立ちますよ」そう言って、祖母は真面目に頷いた。以来私は、春は立つものだと思うようになったのである。
立つ春とは、どんなものなのだろう。学校へのみちみち、考えた。
〔中略〕
勝手に解かれてしまった「春が立つ」謎は、今にいたるまで、じつは私の中に居つづけている。現在も、立春という言葉を聞くと、反射的に、水平線からゆっくりと立ち上がってくる霧のような絵を思い浮かべるのである。
川上 弘美『あるようなないような』(中公文庫,pp.139-141)
◆ 線を引きながら、文章を読むのは楽しい。あるいは、線をたくさん引けるような文章を読むのは楽しい。鼠にひかれる(小学生なのに、こんなコトバをよく知っていたものだ。ワタシなど、ちょっと前に知ったばかり)。宝物の箱根みやげの千代紙貼りの入れ子の箱とタミー人形。はて、タミー人形とはなんだろう。それから、そのタミー人形の着せ替え用の服。「母が見よう見まねで二着ほど縫ってくれた」と書くだけで、昭和の母のイメージがとてもリアルに感じられる。やさしいお母さん。夜なべをして手袋も編んだかもしれない(これは、もう少し古そうだ)。ゆたんぽ。しもやけ。霜柱。今年はほんとうに寒い。外と中の温度がさほど変わらない、隙間だらけの木造アパートは寒い。昭和のなつかしい冬の感じをひさしぶりに味わっている。さすがに水道管が凍りはしないが。
◆ 霜柱も立つが、春も立つ。どのように立つのかについては、〔中略〕のところに書いてある。冬も、夏も、秋も、みんなそれぞれの仕方で立つだろう。それから、茶柱も立つ。今度は茶柱のハナシでも書くことにしよう。いや、その前に「ほら」のハナシも書いてみたい。いろいろと忙しい。