MEMORANDUM

  ゴールデンバット

◆ 太宰治の『千代女』のつづき。『千代女』の語り手である和子が12歳のときに書いた「お使い」という作文(綴方)。父のお使いでゴールデンバットを買いに行ったときのエピソードを綴ったもの。

◇ 煙草屋のおばさんから、バットを五つ受取って、緑のいろばかりで淋(さび)しいから、一つお返しして、朱色の箱の煙草と換えてもらったら、お金が足りなくなって困った。おばさんが笑って、あとでまた、と言って下さったので嬉しかった。緑の箱の上に、朱色の箱を一つ重ねて、手のひらに載せると、桜草のように綺麗なので、私は胸がどきどきして、とても歩きにくかった、〔…〕
太宰治 『千代女』(青空文庫

◆ この文章を読んで、「バット」の緑のパッケージが見たくなり(いまも売っているのだ)、昨日、3軒の煙草屋をはしごしたが、そのうち2軒は取り扱っておらず、残りの1軒はあるにはあったが、カートンでしか売らないというので、あきらめて帰った。なんでも、フィルムで梱包してないので、ばら売りはできないということらしい。

◆ イエに帰って、ネットで検索すると、《All Japan Golden Bat Party 》という「ゴールデンバット党」のサイトがあり、ゴールデンバットが購入できる煙草屋リストなどという便利なページもあったが、それより「旧バット再現」というページがあって、これは専売公社時代のゴールデンバットのパッケージを、ページを印刷してハサミとノリで再現するというもの。

◆ 『千代女』は昭和16(1941)年に発表されたようで、当時のパッケージを確かめたくて、《たばこと塩の博物館》の「ゴールデンバットの移り変わり」というページも見てみたが、画像があまりに小さすぎて、色もよくわからない。おまけに、

◇ 太平洋戦争前後の1940年(昭和15年)から戦後の1949年(昭和24年)までは、「ゴールデンバット」という名称が敵性語とされたため、神武天皇の神話に基づいた「金鵄(きんし)」に名称変更され、デザインもそれに従って変更されていた。
ja.wikipedia.org/wiki/ゴールデンバット

◆ ということもあったりしたそうでややこしい。パッケージの変遷をみるなら、《懐かしい日本のタバコ歴史博物館》がより詳しい。

◆ 太宰治は自らが熱烈なバット党で、

◇ 甲府へ行つて来て、二、三日、流石(さすが)に私はぼんやりして、仕事する気も起らず、机のまへに坐つて、とりとめのない楽書をしながら、バットを七箱も八箱も吸ひ、また寝ころんで、金剛石も磨かずば、といふ唱歌を、繰り返し繰り返し歌つてみたりしてゐるばかりで、小説は、一枚も書きすすめることができなかつた。
太宰治 『富嶽百景』(青空文庫

◆ 「バットを七箱も八箱も吸ひ」とあるが、その当時は10本入りだった。

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COMMENTS (2)

すべり台 - 2009/05/22 16:34

ゴールデンバット懐かしく感銘しております。
実は以前から拝見してますが、フォトダイアリーの多岐にわたる内容にも驚かされます。
そのノスタルジックな画像には、何とも言いようのない安堵感を感じて止みません。
今後もどうか頑張ってください。

Saturnian - 2009/05/28 20:39

すべり台さん、

ゴールデンバット、いまでも販売してるんですね。
すべり台さんは、ゴールデンバットにどんな懐かしい思い出があるのでしょうか? ゴールデンバットといわず、煙草はもうすっかり悪者ですから、そのうち煙草自体が懐古の対象になってしまうのかもしれませんね。

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