MEMORANDUM

  あすなろ嫌い

◆ 先月、「アスナロ」のことを書いたさい、「あすなろ学級」のことも書こうと思ったが、時間がなかった。いまもない。

◆ 古瀬幸広というジャーナリストが、こんなことを書いている。

◇ 最近ハッとしたのは、ある人が「あすなろさん」と言ったのを耳にしたときのことだった。あすなろ学級に通っている子供、という意味である。その瞬間に、血が逆流した。あの子たちは、「明日はヒノキになろ」という名前の学級に通わされているのである。人間の尊厳を無視するにもほどがある、と思う。「商品価値の高いヒノキとは違う、ヒノキに似た植物」という意味の「アスナロ」を使うということは、障碍児たちを「人間に近いが、人間ではない存在」と言っているに等しい。
www.honya.co.jp/contents/offside/index.cgi?20040416

◆ あすなろさん、か。ワタシが耳にしたら、「血が逆流」することはなかったと思うが、それでもやはり、なにかを感じてこのようになにかを書いているような気もする。また、べつのひとが書いている。

◇ あすなろ、という言葉が大嫌いである。この言葉を冠した会社や団体や組織の名前を聞くといっぺんに身が汚れたような気分になる。その正体がとてつもなく胡散臭いもののように感じてしまう。アスナロの木が嫌いだということではない。アスナロの木には何の罪もない。その名前の由来として広く知られている話が気に入らないのだ。ヒノキに似ているがヒノキではない。そして「明日はヒノキになろう、あすはひのきになろう」と懸命に努力しているが決してヒノキになれない。だから、アスナロと呼ばれるようになった、という俗説だ。これが何ともいえずカンにさわる。
skt48a.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_fbd8.html

◆ ワタシが「あすなろ」というコトバがキライだとしたら、その音が「うすのろ」に類似しているからだろう。また、渡部亮次郎というひとが書いている。

◇ ある総理大臣が不能になった衆院議長を「マシュマロ君」と言ったのは冗談にしても失礼だが、江東区が精神薄弱者の作業所に翌檜(あすなろ)と名づけたのは残酷すぎないか。明日は檜になろうとしても絶対なれないのが翌檜の意味。さも希望があるように見せるのはどうか。我々は根拠も無く明日に希望を見出そうとするが、翌檜に明日は絶対無いのだ。だから残酷だと言うのだ。
blog.kajika.net/?eid=449619

◆ 最初に引用した、「あすなろさん」というコトバを聞いて血が逆流したジャーナリストは、つづいてやや突飛な連想をしてワタシを困惑させる。

◇ あすなろ学級という言葉を改めて噛みしめて思い出したのは、その昔のアニメ「妖怪人間ベム」(1968年10月7日‐1969年3月31日放送。全26話)である。「はやく人間になりたいっ!」と叫ぶ妖怪たちの物語だ。あすなろ学級という言葉は、学校に適応できない子供たちを妖怪扱いしている雰囲気がある。
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