◇ 「あすは檜(ひのき)になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって! それであすなろうと言うのよ」 ◆ 上の文章の「あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ」のところを、なぜだか、「あすは檜になろうと一生考えている」と読んでしまい、ヒノキになることを「一生」考え続けているアスナロの「人生」にいいようのない救いのなさを感じてしまった――。けれど、アスナロはほんとに「永久に」ヒノキになれないのだろうか? 長嶋茂雄の名セリフ「わが巨人軍は永久に不滅です」じゃあるまいし(それにジャイアンツだって、滅亡しかかってるんじゃないのか?)。 ◆ たとえば、「永久」の一歩手前くらいには、こんなことだってあるかもしれない(ワタシが土星に帰るよりは可能性があるだろう)。 ◆ その1。新型ウィルスの影響で、地球上からヒノキが絶滅してしまう。そうすれば、ヒノキの名前が空くので、アスナロはどうどうとヒノキを名のれるだろう。 ◆ その2。絶滅しないまでも、地球環境のなんらかの変化にともなって、ヒノキの材木としての品質がいちじるしく低下してしまう。そうすれば、ひとびとは「こんなのヒノキじゃない!」といって、ヒノキからその名前を取り上げてしまうだろう。昨日まではヒノキだったかもしれないが、いまはそうじゃない、ということで、ヒノキを「モトヒノキ」とか「ムカシヒノキ」とか「キノウハヒノキ」とか「キノウマデ」とか「ヒノキノナレノハテ」とか呼ぶようになって(もしかしたら、もう一度チャンスを与えるうえで、「アスナロ」と呼ぶかも?)、アスナロをヒノキと呼ぶようになるだろう。 ◆ このことに関連して、アカシアとニセアカシア、また、パンダと「レッサーパンダ」などのことも書こうと思ったが、長くなりそうなので、またいずれ。 |
このページの URL : | |
Trackback URL : |