MEMORANDUM
2010年01月


◆ 本を読んでいて、たとえば、

◇ 人間というのは「人と人の間」と書くごとく、その「あいだ」にことの真(まこと)はある。決して己の内にのみあるわけでもなければ、相手の内にのみあるわけでもなく、たがいの「あいだ」にある。
車谷長吉 『錢金について』(朝日文庫,p.51)

◆ というような文章に出くわすと、もういけない。ぎょっとして、読みすごせない。人間というのは「人と人の間」と書く? 「人間」というのは、「人の間」と書くのであって、「人と人の間」とは書かないだろう。そうではないのか? たんなる話の枕だとは承知しつつも、あれこれ考えてしまって、先に進めない。なんとも難儀な性分である。

◆ 後ろに「間」がつくコトバをいくつか思い出してみる。雲間、波間、谷間、昼間、山間。雲間は「雲と雲の間」の意味で、波間は「波と波の間」の意味かもしれないが、谷間は「谷と谷の間」の意味じゃあないだろう。昼間は「昼と昼の間」の意味じゃあないだろう。山間は「山と山の間」のことなのかどうか、よくわからない。

◆ 風間というコトバは、辞書(『大辞林』)を引くと、ふたつの意味があるようで、ひとつは「風の絶え間」、もうひとつは「風の吹いている間」。風が吹こうが、風が止もうが、どちらも「風間」であるらしい。なんとも難儀なコトバである。

◆ 難儀なコトバといえば、食間もまた同じ。辞書(『大辞林』)には、

(1) 食事と食事の間。
(2) 食事をしている間。食事中。

◆ とあって、これでは食間に服用と指示された薬をいつ飲んでいいのか迷ってしまうひとがいるのも当然だろう。たとえば、《Yahoo!知恵袋》に、

◇ 大正漢方胃腸薬に書いてある、「食間」を「食べている最中」という意味だと思っていませんでしたか?? これは私の愛用の薬ですけど、ついこの間まで食間の意味を知りませんでした。。m(_ _)m 食間って食事と食事の間なんですね!
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1221974917

◆ そして、この「質問」にたいする「ベストアンサー」は、

◇ 実は・・・私が それを知ったのは ほんの数年前で、それまでは 食事中に飲んでました。運良く?元薬剤師のママ友ができて 彼女から教えてもらうまでは。その彼女に聞いた話しでは、座薬を座って飲む人もいたとか。なので、私達は まだいい方ですよね♪

◆ きりがないので、冒頭の引用の「人間」にもどる。人間の場合、意味としては、「人と人の間」ということになるのかもしれないが、表記としては、「人の間」であって、それをわざわざ、

◇ 人間というのは「人と人の間」と書くごとく、

◆ と敷衍して冗長に書く理由が、よくわからない。もしかすると、「~間」という表現には、自然に「**と**の間」という、ふたつのものを想定した形式を強制するような力があるのかもしれなくて、あくまで想像ではあるが、「人の間」では、どうも「すわりが悪い」と感じて、「人と人の間」に落ち着いたのかもしれない。とはいえ、ワタシとしては、「人の間」で十分である気がする。「日本人の間では」という表現をいちいち「日本人と日本人の間では」と翻訳して理解するひとは少ないだろう。それと同じではないか?

◆ そういえば、行間というコトバもあった。「行間を読む」などという。「行と行の間」の何も書かれていないところに何かを読むというのは、かなり高度な技能だろう。ワタシなど、ご覧のとおり、本の一行を読むだけで四苦八苦していて、いつまでたっても行間など読めそうにない。

◆ もういちど同じ文章を引用する。

◇ 人間というのは「人と人の間」と書くごとく、その「あいだ」にことの真(まこと)はある。決して己の内にのみあるわけでもなければ、相手の内にのみあるわけでもなく、たがいの「あいだ」にある。
車谷長吉 『錢金について』(朝日文庫,p.51)

◆ くわえて、似たような文章を引用する。

〔わらじ医者よろず診療所所長 早川一光〕 「人間」という字を考えてみてください。人と人の「間」。人と人との間には、何もみえませんが、実は、この「間」が大切なのです。ある人がいくら学問ができようと、ある人がいかに教養があろうと、その二人の間がうまくいかなければ人間としてどうでしょうか?間合いがうまくいくというのが人間のできた人なんです。
www.sut-tv.com/terakoya/kougi/no1475/kougi.htm

〔国平寺住職 尹碧巌〕 人と人の間があるということで人間とも言います。この「間」こそが大事なのです。親子の間、兄弟の間、師弟の間、上司と部下の間、隣人との間など、66億人との間があります。人と人との間を理解する者が人間なのです。
www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/06/0906j1104-00001.htm

◇ 人間と言う字は“ひとのあいだ”と書きます。〔中略〕 本当の人間というものは「人と人の間」にあるのですね。〔中略〕 人と人の関係、親と子、夫と妻、或いは兄弟、親類関係も、また、国家と国家の関係にしても、この関係の「間」にこそ、本当の人間の美しさというものが現れてこないと全てが幸せな道へと歩めないのですね。
huurosounokaze.blog54.fc2.com/blog-entry-120.html

◆ なにが似ているのか。まず「人間」を「人と人の間」と解釈していることが共通している。「人間」という文字を見て、これらふたつの漢字のつながりを考えたときに、多くのひとにとっていちばん自然に出てくるのが、この「人と人の間」であるのかもしれないが、その理由がワタシにはよくわからない。ワタシには「人の間」で十分に思えるからで、複数であることを強調したいのであれば、「人々の間」(among people)と書く手もあるはずだが、あまり用例を見かけない。なぜだろう。

◆ 「人と人の間」と書かれた場合のこの「人と人」というのはいったいだれなのか。不特定多数を表すためにとりあえず「1+1」式に表現したのだろうか。この場合、「人と人と人の間」とか「人と人と人と人の間」と書くときりがないから、複数の最小値である2にとどめて簡潔な表現にしたということになろう。

◆ しかし、引用した文章においては、どうやらそういうことではなさそうだ。「人と人の間」の「人と人」が意味しているのは、不特定多数としての「人と人」ではなくて、「一人(ひとり)と一人(ひとり)」(between someone and someone)の「二人」のことであるように思える。さらに、この二人のうちの一人はかならず「ほかならぬ私」であって、「人と人の間」というのは、「私とだれかの間」(between someone and me)、自己と他者という二者の関係としてのみ理解されている、とそのようにワタシには思える。

◆ これは、たとえば、「人間(対人)関係に悩む」というときの「人間」に近いかもしれない。第三者同士の「人間関係」に「私」が悩むことも可能なはずだが、たいていは「私とだれか」の関係に「私」が悩んでいる。《教えて!goo》にこんな質問。

◇ 私は正直言って人間ということばは好きではありません。なぜ「人間」ということばが好きではないのかというと、「人間」は「『人』の『間』」と書きます。つまり、「『人』と『人』との『間』でもまれて暮らす『人』」という響きがあるような気がするのです。(というより、私が個人的にそう感じるんですが・・・) だから「人間」ということばはあまり好きではないのです。「ホモ・サピエンス」や「人」や「人類」はまあまあいいんですが、「人間」はどうも好きではありません。人はどういう場面で「人類」「人間」「人」ということばを使い分けるのでしょうか。
oshiete1.goo.ne.jp/qa1585044.html

◆ この「質問」の動機を、質問者が明かしている。

◇ 私は対人関係があまり得意でなく、あちこちで人と人とのあいだでぶつかりあいがおき、嫌われ者になってきました。だから、もう対人関係をしたくなくて、対人関係に疲れてしまってそういうことを書きました。

◆ なんだか、新年早々、暗いハナシになってしまったが、ついでだから、もうひとつ。

〔牧師 鈴木栄一〕 人間とはよく言ったものである。読んで字のごとく、人は人との間(関係)に生きている。生まれてから死ぬまで、誰の世話にもならず、自分だけで生きることのできる者はひとりとしていない。人は「関係」の中に存在しているからだ。故に生きる最大の苦しみは「人間関係」にある、ということになる。
d.hatena.ne.jp/suzuki_bokushi/20090614/p1

◆ 書きながら考えているので、まとまりのない文章になってしまった。ワタシも「人間関係」というものが得意ではないが、あまり苦しみはしない。苦手なことを克服しようとはあまり思わない。無駄な努力はしない。ワタシも人間であるはずだが、世界は「人間関係」ばかりじゃないよ、と言いたい気分だ。今日、空はとっても青かった。

◆ かつて「自由自在」という参考書のシリーズがあった。いまもあるらしい。

◇ 「人間」という字は「人の間」と書く。これは、「人の間にあってこそ、人のためになってこそ人間と呼べる」のだと私は理解している。「人」という字も、人は支えあわなければ生きていけないことを示している。つまり、「他人があってこその自分」という謙虚な気持ちを持てということだと思う。
野村克也 『野村再生工場』(角川oneテーマ21)

〔ウリグリース千賀子のPure・Heart〕 私達は人間としてこの世に生まれました。3年B組金八先生の訓話ではありませんが、人間とは『人の間』と表現されるように、私達は多くの人の縁の中で生き、そして多くの人と人との間で自己を磨き、意識の成長とつなげる旅を続ける旅人です。そしてこの旅のことを、時の先人は『人生』と名付けました。この言葉の示す通り、まさに人生とは『人を生きる』ことに他なりません。
uriguris.thd-web.jp/e2862.html

〔織田誠康運命相談室〕 「人間 にんげん」を、訓読みすると「ひとま」である。「ま」は、「真」や「魔」に通じ、「人間」という存在は、「人真」や「人魔」の「間」を、しょっちゅう行ったり来たりしている。悪いことをやってしまった場合、よく「魔が差してしまった」と言うが、それは、「人間」の「間」に「魔」が差して、「人間」が、「人魔」になってしまったということである。
www.odadestinyoffice.com/column005/index.php?mode=res_view&no=2

◆ 三者三様ながら、なんというコトバの自由自在。こんな風にコトバを操れたら、さぞ気持ちのいいことだろう。

  ド鳩

「鳩を食べる」という記事を書いたあと、ちょっとだけ鳩を味見したくなったが、鳩を食べさせてくれる店を探すのも面倒なので、近くの図書館で鳩料理について書かれた本はないかと探してみたら、『「ゲテ食」大全』という本に記載があった。そのタイトルが示すとおり、いかもの食いについての本であるから、ミミズ、フナムシ、ムカデ、ゴキブリ、シロアリ、金魚、セキセイインコ、ハムスター、イヌ、ネコなど、目次をみるだけで、ヨダレのかわりにヘドが出る。かと思ったら、そうでもなく、いろいろとタメになった。

◇ 虚ろな目をして、前後に首を振り歩き、エサだと見れば寄り集まり、少しでも身の危険を感じれば大慌てでバタバタと飛びすさるのに、数秒後には驚いたことすら忘れてしまい、虚ろな目をして、また首を振る。
北寺尾ゲンコツ堂 『「ゲテ食」大全』(データハウス,p.195)

◆ と書かれているのが、ドバト。

◇ 生き物を外見や頭脳程度で差別したくはないのだが、それにしても、全国の神社仏閣、公園などで、ドバトが受けている好待遇には、少々首をひねらざるをえない。人畜無害だというならまだしも、ダニやホコリを撒き散らしながら飛び回り、所かまわず脱糞し、しかも糞には、髄膜炎などを引き起こす真菌・クリプトコックスが含まれる。エサまで与えて保護しなければいけない理由など全くない生き物なのである。
Ibid.

◆ と散々な書かれよう。「虚ろな目」をしているかどうかの判断は留保するとして、まあほとんど事実であるから仕方がない。ただ味の評価は抜群で、◎(二重丸)。ドバトは、

◇ 神社仏閣などに住み着いたことから「だうばと(堂鳩)」「たうばと(塔鳩)」などと呼ばれていたのがドバト(土鳩)の語源ではないかと言われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/カワラバト

◆ のだそうだが、ドバトの「ド」というのがなんとも効いている。ド田舎、ド阿呆のド。ドレミのドであれば、少しはイメージも違ったかもしれない。公園では「ハトにエサを与えないで」と書かれた看板をよく見かける。エサを与えようにも、鳩豆売りのいる寺院や神社も少なくなって、鼻歌まじりに、

♪ 豆が欲しいか そらやるぞ

◆ というわけにもいかない。鳩にとっては世知辛い世の中になりつつあるが、食べられないだけまだましだというべきか。

◆ 京都の東本願寺では、まだ鳩豆売りが健在で、阿弥陀門のたもとには、「はとまめ」「鳩豆」、さらには「鴿子豆」「비둘기먹이」と書かれた立て看板。1袋100円。中国語では鳩は「鴿(鸽)子」と書くらしい。以下、意味もわからず中国人観光客の感想文を引用(ハングルはさらにわからないのでほったらかし)。

在东本愿寺,我把鸽粮放在手上,成群的鸽子就“扑啦啦”地落在我手臂上和头上,特好玩,散了之后我仔细检查,幸好没有被拉屎。
hi.baidu.com/tianlangxingkong/blog/item/7b61a7030232b4713812bbd3.html

◇ 東本院寺熱情的鴿子們...相信我了吧~這就是我買了鴿飼料的後果...被鴿子包圍...
www.kidoors.com/thread-73992-1-9.html

◇ 東本願寺的鴿子和奈良的鹿一樣恐怖。我從來沒有看過同時這麼多鴿子飛向一個目標…討東西吃…。真的比中正紀念堂的鴿子還猛。才在買鴿子豆就有鴿子飛到身上~和奈良的鹿一樣啊!還有從遠方屋頂上飛下來的呢!我以前覺得要拍一隻在飛的鴿子好難,但在那裡,我的每一個鏡頭裡都有飛舞的鴿子!
blog.roodo.com/atalanta/archives/7816851.html

鸽子被游人喂地肥嘟嘟的,怎么没人捉来炖汤? 果然我是实用主义者,这要拜从小的教育所赐,记得动物园介绍动物的牌子上主要内容就是什么该动物皮毛可御寒,肉可食用,筋骨可入药啥啥的…………所以不能怪我
tieba.baidu.com/f?kz=522892104

◆ 驚いたり、怖がったり、嬉しがったり、食べたがったりしてるんだと思う、たぶん。ついでに、日本人観光客(最後のは修学旅行の高校生)のも。「東本願寺的鴿子和奈良的鹿一樣恐怖」と書いた台湾人と同じことを考えていておもしろい。

◇ 奈良の鹿と、京都東本願寺のハト(まだハト豆とか売ってるのかしら?)は恐いです。エサらしきものを手にしてると襲われます((´д`))
kaiseikan.blog35.fc2.com/blog-entry-226.html

◇ 東本願寺ではハトの事しか覚えてないです。完全に歴史を学ぶ気0☆(コラ) だって奈良公園の鹿並に人懐っこくて沢山のハトがいたんですよ! ハト豆を手に乗せてたら腕や手の甲にハトが1、2羽とまって間近で豆をっ……vV(´▽`)キューン
mp.i-revo.jp/user.php/brtjvyxj/entry/103.html

◆ 年末、図書館で『「ゲテ食」大全』といっしょに、うしろの書架にあった四方田犬彦の『モロッコ流謫』をいう本も借りてきた。そのなかに、モロッコで三島由紀夫の弟(平岡千之)に出会ったハナシが出てくる。

◇ NYを立つ直前に、知り合いになった美術商から、もしラバトに立ち寄ることがあれば、ヒラオカに合うといいわ。彼はあの有名なミシマの弟で、モロッコに長く住んでいるからと、電話番号を教えてもらったことがあった。いかにも謎めいた情報だった。これはなにかの聞き違いではないか。日本人、しかも三島由紀夫の弟がいったいどのような理由で日本を長く離れ、モロッコに住んでいるというのか。
四方田犬彦 『モロッコ流謫』(新潮社,p.109)

◆ モロッコに着いた著者は、ラバトのホテルから教えられた番号に電話をかけてみる。電話に出たのは女性で、「ただいま大使に交替いたします」と言った。なんのことはない、いや、驚いたことに、と書くべきかもしれないが、その当時、ミシマの弟は大使としてモロッコに赴任していたのだった。

◆ そもそも三島由紀夫の弟のことなど考えたこともなかった。いや、それをいうなら、兄や姉や妹のことも考えたことはないし、いるのかどうかもしらない。それは当然のことだろう。そもそも三島由紀夫本人のことも書物を通じてしか知らないのだから。

◆ そういえば、由紀夫といえば、鳩山由紀夫にも弟がいて、こちらは弟も有名だが、こういう例はむしろ少数ではないか。

◇ 兄弟の間の関係というのは微妙なもので、カインとアベルの往古から、余人には窺いしれない複雑な感情が長い時間のうちに双方に蓄積されているものである。プルーストはかの長大な自伝的小説のなかに、一度たりとも実在した弟のことを書きこんではいないし、中上健次は死ぬまで兄の自殺に拘り続けた。まして平岡千之の場合にはと、わたしは同情した。おそらく日本に留まっているかぎり、彼は生涯を通して彼そのものとして紹介されず、どこまでも三島由紀夫の弟といわれ続けるのではないだろうか。
Ibid. p.110-111

◆ 兄弟、あるいは姉妹。ことに同性の「きょうだい」の場合には、それこそ「余人には窺いしれない複雑な感情」があるのだろうと思う。

◆ 正月休みに、実家の元自室で、「国鉄監修スタンプノート」なるものを見つけた。パラパラめくると、幼い字で旅行の感想なども書いてある。青函連絡船の羊蹄丸と摩周丸のスタンプも押してある。日付は昭和52年の8月12日と8月15日。はじめての北海道旅行は往復とも青函連絡船だったのだなあとシミジミ。

◇ 「連絡船の最終航海の話は聞いているべ、三月十三日だ。もしそちらの仕事の都合がつくなら、羊蹄丸の最後を一緒に見取ってくれねぇかい」
辻仁成 『海峡の光』(新潮文庫,p.117)

◆ 1988(昭和63)年3月13日、青函トンネルの開通にともない、青函連絡船廃止。なお、同年の6月3日から9月18日まで、青函博の開催中に復活運航。

◆ 摩周丸は、現在、函館で「青函連絡船記念館摩周丸」として保存展示されている。羊蹄丸はどうなったかと思って調べてみると、なんとずっと前から東京に来ていた。お台場の船の科学館で「フローティングパビリオン羊蹄丸」という博物館船になっているとか。知らなかった。さっそく見にいかなきゃ。

〔追記:2010/01/24 10:17〕◆ あと、青森の旧連絡船桟橋には、八甲田丸が「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」として、保存展示されている。船室内の座席や桟敷席、寝台室なども一部そのまま残されているそうで、保存された青函連絡船のなかで、いちばん現役当時の状態を保っているのが、この船。おともだちの rororo さんのブログから画像を拝借。

◇ 人生鳩に生れるべし。
林芙美子 『放浪記』

◆ 林芙美子の『放浪記』には、鳩があちこちに出てくる。というより、彼女が鳩のいるところに出むいているといった方が正確かもしれない。放浪の身を休めるのに最適な場所といえば、公園や神社仏閣。そして、そこには鳩がいる。たとえば、神戸の楠公さん(湊川神社)。鳩だけではなく、鳩豆売りのおばあさんもいて、

◇ 「もし、あんたはん! 暑うおまっしゃろ、こっちゃいおはいりな……」噴水の横の鳩の豆を売るお婆さんが、豚小屋のような店から声をかけてくれた。私は人なつっこい笑顔で、お婆さんの親切に報いるべく、頭のつかえそうな、アンペラ張りの店へはいって行った。文字通り、それは小屋のような処で、バスケットに腰をかけると、豆くさいけれども、それでも涼しかった。ふやけた大豆が石油鑵の中につけてあった。ガラスの蓋をした二ツの箱には、おみくじや、固い昆布がはいっていて、それらの品物がいっぱいほこりをかぶっている。
「お婆さん、その豆一皿くださいな。」
 五銭の白銅を置くと、しなびた手でお婆さんは私の手をはらいのけた。
「ぜぜなぞほっときや。」
 このお婆さんにいくつですと聞くと、七十六だと云っていた。虫の食ったおヒナ様のようにしおらしい。
「東京はもう地震はなおりましたかいな。」
 歯のないお婆さんはきんちゃくをしぼったような口をして、優しい表情をする。
「お婆さんお上りなさいな。」
 私がバスケットからお弁当を出すと、お婆さんはニコニコして、口をふくらまして私の玉子焼を食べた。

林芙美子 『新版 放浪記』(青空文庫

◆ 「アンペラ張り」「五銭の白銅」、それから「東京はもう地震はなおりましたかいな」という老婆のせりふが時代をしのばせる。「虫の食ったおヒナ様」のようなおばあさん、もしかしたら、あの世でも、鳩豆を売っているやもしれぬ。天国には、鳩がたくさんいそうだから。

◇ わたしにとってたやすく発音することのできるハングルは、強い自己主張の身振りとして映る。アルファベットは機能的な音符であり、キリル文字は不機嫌な厳粛さ、中国の簡略化された漢字はいかなる官能性とも無縁な政治のあり方を連想させるだけだ。だが、フェズでわたしを取り囲み、どこにいても襲いかかってくるアラビア文字は、そのいずれとも違った、恍惚とした感情へとわたしを誘惑する。
四方田犬彦 『モロッコ流謫』(新潮社,p.88-89)

◆ ワタシは、ハングルにも、キリル文字にも、アラビア文字にもほとんど無縁だが、ずいぶん以前、すっきりしたアルファベットの世界にしばらく滞在したのち、日本に戻って看板広告の「日本文字」の氾濫を目にしたときに、思わず「めまい」がしたことがあった。ことばのあやあやではなくて、ほんとうに身体的に「めまい」がして、それがしばらく続いた。そのあいだ、漢字やカタカナやひらがなの雑多な文字を、ワタシはなにひとつ解読することができなかった。文字から意味が失われてしまえば、たんなる形象にすぎない。そういうものかと思ったが、どうもそうではないらしかった。意味を喪失した文字は、それでもなお文字であることをやめないらしい。風景の一部として見られることを許さず、執拗に、わからない意味を「理解せよ」とワタシに迫ってくる。文字というものは恐ろしい、そう思った。さいわい、数十秒(だっただろうか?)ののち、「めまい」は治まり、文字はすべての意味を一挙に回復した。あんなことは後にも先にも一度きりだ。

◆ 辻仁成の『海峡の光』という小説を、函館が舞台だというので、読んでみた。元青函連絡船の客室係の主人公が、大門(柳小路)の船員バーで、かつての同僚たちと酒を飲んでいる。ひとりがしみじみとつぶやく。

◇ 「いよいよ明日っから俺はJRの人間さ。ファンネルマークもJRだ」
 客室係のかつての朋輩が告げた。
「来年には連絡船は廃航。そして俺たちゃみんなお払い箱だもんな」

辻仁成 『海峡の光』(新潮文庫,p.15-16)

◆ 連絡船の廃止は、1988(昭和63)年3月13日。国鉄が分割民営化されたのは、1987(昭和62)年4月1日。

◆ ファンネルマークというコトバは知らなかったが、先日、お台場に羊蹄丸を見に行ったときに、となりに保存展示されていた南極観測船「宗谷」も見学して、その意味を知った。

◇ エンジンやボイラーからの煙を排出するのが煙突(ファンネル)です。ブルーの帯とコンパス・マークは、海上保安庁の所属船であったことを示すファンネル・マークです。

◆ なるほど。もちろん、ネットで調べれば、より手軽に詳細に判明したことではあるが。

◇ 青函連絡船の最後の1年間はJR北海道の管轄となり、ファンネルマーク(煙突マーク)も「JNR」から「JR」に変わりました。
www.mashumaru.com/?補助汽船の錨とファンネルマーク,52

◇ ファンネルマークとは煙突につけられている所有者を識別するためのマークのことである。明治時代には、鉄道が所属していた「工部省」の「工」を赤色で掲げ、1965年(昭和40年)の津軽丸(2代目)から日本国有鉄道の「JNR」(Japanese National Railways)となる。色は赤で表示された。そして、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によって青函連絡船はJR北海道が継承する事となり,船籍が国鉄本社のある東京から青函連絡船の母港の函館に、ファンネルマークもJR北海道のシンボルマーク「JR (コーポレートカラーはライトグリーン)」に変更された。なお船の科学館に係留されている現在、船籍は東京に変更されている。
ja.wikipedia.org/wiki/羊蹄丸

  廃航

◆ もういちど、辻仁成『海峡の光』から同じ箇所を引用。

◇ 「いよいよ明日っから俺はJRの人間さ。ファンネルマークもJRだ」
 客室係のかつての朋輩が告げた。
「来年には連絡船は廃航。そして俺たちゃみんなお払い箱だもんな」

辻仁成 『海峡の光』(新潮文庫,p.15-16)

◆ いくらなんでも読むのが遅すぎるけれども、「ファンネルマーク」からわずか二行で、また止まる。「廃航」。ハイコウという音で、ワタシの脳が変換する漢字は、まず「廃校」、つづいて「廃坑」か「廃鉱」だろうか。さいきんは、伊丹空港の「廃港」問題などもあるが、「廃航」まではなかなか出てこない。そもそもそんなコトバは知らなかった。

◆ 交通におけるルートの廃止。鉄道なら「廃線」、道路なら「廃道」。船や飛行機の航路(航空路)の場合は「廃航」という(こともある)らしい。


◆ 道路や鉄道なら、それが廃れたり廃止になったあとに「跡」が残って、そこを訪れたときには、ノスタルジーを感じたりもするわけだけれど、航路となるとどうなのだろう? 空や海を眺めてみても、雲や波が見えるばかりで、その風景は廃航前とまったく変わりがない。

◆ そんなことを考えていたら、澁澤龍彦の短編を思い出した。

◇ はるかかなたに、ただひとすじ、なにか赤茶けた細い帯のようなものが、波間がくれにちらちら隠見した。
澁澤龍彦 「マドンナの真珠」(『澁澤龍彦初期小説集』所収,河出文庫,p.174)

◆ 洋上に突如とした現れた「赤茶けた細い帯のようなもの」、これが赤道。

◇ 近くで見ても、それはやはり一本の巨大な帯という以外になんとも言いようのないものであった。幅は十五六メートルもあろうか、しかしその帯の両端を目で追って行くと、水平線と交わるところは針のように細く、空と水の間(あわい)にぼうと煙るようにかき消えるまで、蜿蜒として途絶えない。ほとんど水面と同じ高さで、たえず激浪に洗われ、縁には貝殻や、海藻や、エボシ貝の類など、得体の知れない水棲動物や下等生物がびっしり付着している。さらに、何とも言えず奇怪なのは、その色である。遠望したところでは、単に代赭色のような赤茶けた色であったのに、そば近く見ると、あたかも永い時の腐蝕に錆爛れた鉄橋か何ぞの地肌を思わせるような、まぎれもないそれは金属の色なのだ。
ibid. p.175

◆ 幻想によって可視化された「赤道」は海面に浮き出た一本の巨大な赤い帯だ。そこで、シュペルヴィエルの『海に住む少女』のような少女にばったりと出会えたりすれば、どんなにおもしろいだろう。あるいは、

◇ 飛行機が那覇空港を飛び立って針路を南西の石垣島にとったとき、いかにも黒潮のふるさとへゆく思いがした。黒潮は本土にむかい、太古以来昼となく夜となく北上しつづけている。われわれはその流れにさからって南下している。
 ただし窓に顔をくっつけて下を見ても、海は黒く見えない。黒潮はこの飛行機の航路からいえば右の沖合を走っているらしい。

司馬遼太郎 『街道をゆく 6 沖縄・先島への道』(朝日文庫,p.61)

◆ 赤道を見るのは難しいかもしれないが、黒潮なら目を凝らせば見えそうな気もする。

◆ というわけで、とりあえず、二行進んだ。

◆ 去年の12月2日、「つくばエクスプレス」に乗車。今年の1月3日、「みやざきエキスプレス」に乗船。エクスプレスとエキスプレス。どっちが速そうだろう? なんとなく、「キ」が急行のキだからというわけでもないだろうが、エキスプレスのほうが速そうな気がするのだが。

◆ 英語の「express」をカタカナ表記した名称としては、新しめのものはそのほとんどが「エクスプレス」を採用しているようで、「エキスプレス」はすでにいくぶん古めかしさを感じさせるようでもある。そのうち、「ビルヂング」のようなものになってしまうのだろう。

◆ 「防犯テレビ」「防犯ビデオカメラ」「監視カメラ」。いろいろある。さいしょは、「防犯テレビ」というコトバが時代遅れなような気がして、むかしはビデオがついてなかったのかなと、笑ってみたのだけど、カメラ(入力)・テレビ(主力)・ビデオ(記録)をひとつのシステムとして考えると、どれでもいいのかなとも思ったり。そもそも、カメラ・テレビ・ビデオというコトバの意味の違いがいまひとつはっきりとわかってなかったり。

◇ 監視カメラ(かんしカメラ、CCTV、closed-circuit television)とは、様々な目的で監視を行うためのテレビカメラです。
www.laqoo.net/bohan/kansi.html

〔毎日新聞〕 盗撮ビデオを仕掛けたら、防犯ビデオに映ってお縄に--。道警釧路方面本部と中標津署は14日、釧路管内標茶町上多和、酪農業、****容疑者(34)を道迷惑防止条例違反の疑いで逮捕したと発表した。容疑は、**容疑者は昨年11月、根室管内別海町内のコンビニエンスストアのトイレに小型ビデオを設置して利用者を盗撮した疑い。
mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20100115ddlk01040252000c.html

〔Panasonic〕 テレビカメラと防犯業務が結びつくようになったのは、1979年(昭和54)に起きた三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)大阪北畠支店での猟銃立てこもり事件の頃からだといわれています。そして、1984年(昭和59)のグリコ社長誘拐事件で、犯人のビデオ画像がテレビで放映され、これを機に防犯カメラの普及が急速に進んでいきました。
panasonic.biz/solution/system/education/electric/security01.html

◆ ま、どうでもいいんだけど。そういえば、上の写真を撮ったデジカメは、動画も録画できて、モニターもついているからその場で視ることもできる。これって、カメラでもあるし、ビデオでもあるし、テレビでもあるってこと? テレビデオなんてのもあったけど。

◆ 羊蹄丸のなかに「青函ワールド」という展示があって、昭和30年の青森駅付近がリアルに実物大で再現されている。食堂のレジの机の上にタバコのショーケースがあって、そのなかにピースがあった。ピースについては、「PEACE!」という記事を書いた。ピースといえば、鳩のデザイン。それにからめてまた鳩のハナシでも書こうと思ったが、さいきん読んだ本のなかにもピースが出てきたので、方向転換。

◆ 姜尚中の熊本での少年時代。「おじさん」のタバコ。

◇  わずかな酒でも酔ってしまう「おじさん」の唯一の嗜好品は、煙草だった。ピースの箱がいつも「おじさん」の後ろのポケットに押し込まれていた。わたしは、煙草をふかしている「おじさん」が好きだった。とりわけ広々とした大学のグラウンドの隅でゆっくりと腰掛けて目の前の立田山を漫然と眺めながら、煙草をふかしている「おじさん」の姿が好きだった。
 その頃、「おじさん」とわたしは、熊本大学の学生食堂に豚の餌になる残飯を取りに出かけるのが日課になっていた。ふたつの石油缶に残飯を入れ自転車の荷台に載せて運ぶ道すがら、「おじさん」は決まって大学のグラウンドの隅に自転車を止め、木陰に腰を下ろしてピースに火をつけるのである。フーッっと深く息を吐くと、紫煙がぷかぷかと舞うように大空に消えていく。それを追いかけながら、わたしはなぜか無性に幸せだった。わたしの人生の中でこんなに無邪気に幸せだと思ったことはなかったかもしれない。このときの情景がときどき目に浮かぶことがある。

姜尚中『在日』(集英社文庫,p.66-67)

◆ 1950(昭和25)年生まれの姜尚中は、6歳のときに「熊本大学のキャンパスを見下ろすことのできる立田山のすぐふもと」に引っ越したそうだから、これは昭和30年代前半の思い出。この「情景」はワタシの目にも浮かびそうで、他人のワタシでさえ「無邪気に幸せ」になれそうな気がする。

◆ 「だが今思えば」と文章は続いていくのだが、とりあえずそれは置いておくことにして、つぎは、さくらももこのおとうさん(ヒロシ)のタバコ。さくらももこは、1965(昭和40)年生まれ(年下だったのか!)。

◇ ヒロシはハイライトを吸っていた。いつも彼のそばには必ずハイライトの水色の箱がおいてあり、ハイライトの水色は私にとっておとうさんの色だった。ハイライトを吸っているおとうさんはちょっとだけカッコ良く見えることもあった。
さくらももこ『ももこの話』(集英社文庫,p.132)

◆ それから、最後に、内匠宏幸(元日刊スポーツ阪神担当、現フリーライター)が書いたコバへの追悼文。

◇ 1952年(昭和27)生まれで同い年。コバよ、なんで急いで逝っちゃうんだよ。僕らの世代の反骨のヒーローが死んだ。〔中略〕 コロンの香りが流れ、ラークのキングサイズをくゆらせた小林の姿は決して忘れない。
「日刊スポーツ」(2010年1月18日付1面)

◆ ピースにハイライトにラーク。ワタシが死んだとき、ワタシの吸っていたタバコの銘柄をだれかなつかしく思い出してくれるだろうか?

◆ 友人と少し飲んだ夜、帰りに近くのブックオフで文庫本を6冊買って、バスのなかで、そのうちの1冊を適当に選んで、「あとがき」から読み始めた。そしたら、酔っていたせいか、思わずほろりとしてしまった。こんな文章。

◇  以前読んだ雑誌にのっていた記事で、とても印象に残っている話があります。それは、ある大学の先生と子育てに悩んでいるお母さんの話です。その先生は、子育ての相談をしにお母さんが来ると、「動物園に行ってらっしゃい」というのだそうです。お母さんは不思議がりますが、先生は、「動物たちがどんなふうに子どもを育てているか、よーく見てらっしゃい」といって送り出すのです。
 はたしてそれで子育ての悩みがなくなるのかしら、と私は首をかしげました。
 動物園でサルを見てきたあるお母さんは、「おサルさんのお母さんは子どもをただだっこしたり、おんぶしたり、手づくろいしているだけでした」と先生に報告しました。でも、実はそれがいちばん大切なことなのだ、と先生はいうのです。動物たちは、何歳からピアノをはじめたらいいか、とか、どこの幼稚園へ入れたらあの有名な小学校に入れるのか、とか、そんなことは考えていません。ただ、だっこしたり、おんぶしたり、なめたり、シラミをとってやったりしているだけです。小さな子どもが欲しがっているのは、いい小学校に入ることよりも、お母さんにいっぱいさわってもらいたい、かまってもらいたい、そういうことではないでしょうか。いまのお母さんにはそれが欠けている、と先生はいうのです。
 しばらくすると、おサルさんを見てきたお母さんはお風呂に入ったとき、子どものすみずみまで、ていねいに洗ってあげるようになりました。おサルさんが子どものの毛づくろいをするのをまねたのです。たぶん、そのお母さんの子どもは、とてもうれしかったと思います。
 この話を読んで、なるほど、と思いました。動物園には、動物である私たちの原点があるように感じたからです。

浜なつ子『旭山動物園12の物語』(角川ソフィア文庫、p.193-194)

◆ いま、書き写しながら読み直してみると、とりたてて、なるほど、と思うこともなかったし、ましてや、ほろりとすることもまったくなかったので、やはり酔っていたせいで、どこか留め金が外れてしまったのだろう、と思うしかないのだけれど、なんとなく見当をつけてみれば、ほろりとしたのは、おそらく内容そのものではなくて、この文章の書き方のせいではないか。「おサルさんのお母さんは子どもをただだっこしたり、おんぶしたり、手づくろいしているだけでした」と大人であるはずの「お母さん」が「先生」にはまるで自らが子どものように報告をする、そのあたりに(ワタシのウィーク)ポイントがあるのではないか。そんな気がする。じっさいに「お母さん」がそのようなコトバで報告したのか、あるいは、「先生」がそのように「お母さん」のコトバを翻訳して紹介したのか、またあるいは、「あとがき」を書いた著者が雑誌に書かれていた「先生」と「お母さん」の会話をそのようなコトバに書き直して伝えているのか、そのあたりは、その雑誌を読んだわけではないのでワタシにはよくわからないのだけれども。

◆ ところで、この「先生」というのは河合隼雄ではないだろうか。どうもそんな気がしてきた。

◆ 「おサルさん」の写真を探してみたら、何枚も出てきた。なぜだか、みんな檻の中。

◆ 前に「おサルさん」のことを書いたから、というわけでもないのだけれど、

◇ 途中下車の切符を大事にしまうと、楠公(なんこう)さんの方へブラブラ歩いて行ってみた。
林芙美子 『新版 放浪記』(青空文庫

◇ 「あたし、お伊勢さんへお詣りして、良うござんしたわ。鶏もいるんですのね。あそこには。」
横光利一 『旅愁』(青空文庫

◆ 「楠公さん」(湊川神社)とか「お伊勢さん」(伊勢神宮)とか、「さん」づけで呼ばれる神社は多い。お寺の場合はどうだろうと考えてみると、なに、寺院には山号というものがあって、みな「山(さん)」がついているじゃないかと、いう声がどこからかしたが、それは無視して、たとえば、「御坊さん」。

◇ 御坊さんは少時(しばらく)無住(むじう)であつたが、
與謝野寛 『蓬生』(青空文庫

◆ 「無住」というのは住職がいない状態を指すが、「御坊さん」を「おぼうさん」と読むと、意味が通らない。「お坊さん」ではなく「ご坊さん」。「御坊」とは浄土真宗の用語で、現在は「別院」と称する本山の支院のこと。上記の引用の「御坊さん」は東本願寺の岡崎別院のことで、通称が岡崎御坊。御坊を別院と言い換えてみても、ただコトバが変っただけで、なにも理解は深まらない。そもそも宗派の制度を詳しくしらない。コンビニなどの制度でいえば、フランチャイズ店ではなくて直営店、というようなことではないかと思っているのだが、どうなのだろう。とにかく「~御坊」と呼ばれる浄土真宗の寺院は、全国にあって、和歌山県には御坊市がある。

◇ 市名は、浄土真宗本願寺(現在では西本願寺)の日高御坊(現本願寺日高別院)が約400年前に建立され、地元民がそれを御坊様と呼び親しんだことに由来する。
ja.wikipedia.org/wiki/御坊市

◆ ワタシの地元、京都山科にも「御坊さん」がある。ふたつもある。東御坊と西御坊。この東と西は本山である東本願寺と西本願寺の東と西で、山科の西御坊は東御坊よりも東に位置する。

〔京都市立音羽小学校〕 「御坊道」というのは,東西本願寺山科別院を「御坊さん」と呼ぶところから来た名前で、
cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?id=109703&date=20090317

◇ 山科の東御坊さんでおもちつきや、工作などをして楽しく過ごします
i-ten-labo.info/vola-box.php?detail=1548

◇ 西御坊さんの四ノ宮川沿いが比較的マシですが、
yamasina.okoshi-yasu.net/Log_49_d.html

◆ 「東御坊さん」に「西御坊さん」、ああ、なつかしい響き。

◆ お稲荷さん。これは稲荷の神あるいは稲荷の神を祭った稲荷神社のことであるが、また、稲荷の神の使いの狐のことであったり、また、稲荷の神の使いの狐の好物の油揚げにご飯をつめた料理のことであったりもするので、まったく油断がならない。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。

◇ 嫁が使う言葉は、いなり寿司を「おいなりさん」と言うんだが、人じゃあるまいしキモチ悪くって嫌な気持ちになるんだけどこの「おいなりさん」って何の意味なんでしょうか?
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1313683

◆ 関西人にけんかを売ってるとしか思えない質問だが、回答のひとつ。

◇ 大阪在住です。「お稲荷さん」や「飴ちゃん」どころか「お芋さん」「おかいさん」(お粥の意)などとも言います。思い出せばもっと他にもありそうです。祖母は不浄な物にも「さん」をつけていました。

◆ 不浄な物に「さん」をつけると、どうなるか?

〔東京ウォーカー〕 関西のローカル番組から火が付き、関西の女子高生に人気だというゆるキャラ“うんこさん”。一瞬ひるみそうな名前のこいつは、そう、“うんこ”のキャラクターだ。CD、DVDを立て続けに発売し、秋には大手玩具メーカーからグッズも登場。目下、よしもと芸人バリの東京進出をもくろんでいる売り出し中のキャラなのだ。
news.walkerplus.com/2009/0725/6/

◆ そう、「うんこさん」になる。この「うんこさん」、キャラクターは新しいものだが、コトバ自体はむかしからある。

〔発言小町〕 私も長年京都市民なので”さん付け”使いますが、子供のころ、近所のおばあさんが、家の前にあった犬のフンをみつけて、「こんなところに、”うんこさん”が・・ブツブツ・・」と言いながらそうじをしているのを見て、子供心に「そんなものにまで”さん付け”かよ」と思ってしまいました。私は子供のウンチには「うんこさんしやはった」もアリですが、家の前で犬のフンを見つけたら絶対に「うわあ、犬のフンや!」と言うと思います。
komachi.yomiuri.co.jp/t/2007/0912/147105.htm

◇ 京都のことばは、とても丁寧だ。例えば「○○さん」という言い方。人間だけでなく物にもつける。豆→「お豆さん」、寺→「お寺さん」、油揚げ→「おあげさん」という風に。京都に住みはじめて、年配の女性から「うんこさん」というのを初めて聞いたとき、いわゆる排泄物のそれではなく、別の物体か、はたまたまじめな顔で冗談を言ってるのかと思った。その女性は「○○ちゃん、うんこさん行ったはるえ」と言ったのだが、一瞬どう反応すればいいのかわからず「はぁ」とか何とか笑ってやりすごしたのだが、今から思うと冗談でもウケを狙ったわけでもなかったので、大げさなリアクションをしなくてよかった・・・。
www.hers-kyoto.jp/fumis/fumis.html

◆ 「うんこさん」、おそるべし。あっという間に「お稲荷さん」がかすんでしまった。おいなりさんみたいなうんこさん。うんこさんみたいなおいなりさん。どうも失礼しました。

◆ 東御坊(真宗大谷派山科別院長福寺)の住所は、京都市山科区竹鼻サイカシ町。このサイカシ町のサイカシとはなんだろう? 近くに住んでいたのに、カタカナ書きの不思議な地名だと思うだけで、その意味をこれまで考えてみたことはなかった。

◇ 竹鼻の「サイカシ」町について言えば、成長すれば高さが10メートルにもなる「サイカシ」あるいは「サイカチ」と言われるマメ科の落葉高木があったので、そういう名前がついたのではいかと言われている。
homepage2.nifty.com/jiro/kagamiyama/2000nen/2000neni06.htm

◆ ああ、サイカチか。石鹸の木だ。

〔ゑれきてる:シリーズ自然を読む 樹木の個性を知る、生活を知る〕 サイカチの莢やムクロジの果皮にはサポニンを約20%含むため、水を浸してもむことにより石鹸のような作用をなし、汚れを落とすので、昔から、莢の煎汁は石鹸の代用として洗濯に常用された。
www.toshiba.co.jp/elekitel/nature/2006/nt_49_saika.htm

◇ 高価な絹織物などを洗うには、今でも昔風にサイカチやムクロジを煮出した汁を用いるほうが、石鹸などよりもはるかに優れているといわれます。つまり天然産の中性洗剤としての利用です。
山崎昶 『家庭の化学』(平凡社新書,p.64)

◆ ああ、ムクロジか。

◆ 先日、久しぶりに豪徳寺を訪れたら、三重塔が建っていた。

♪ 去年のあなたの想い出が
  テープレコーダーから こぼれています

  グレープ「精霊流し」(作詞・作曲:さだまさし,1974)

♪ そして 二年の月日が流れ去り
  街で ベージュのコートを見かけると

  寺尾聰「ルビーの指環」(作詞:松本隆,作曲:寺尾聰,1981)

♪ あれは三年前 止めるあなた駅に残し
  動きはじめた汽車に ひとり飛び乗った

  ちあきなおみ「喝采」(作詞:吉田旺,作曲:中村泰士,1972)

◆ 1年が経ち、2年が経ち、3年が経ち、それからまた、4年、5年、6年が経って、豪徳寺にはすごく立派な三重塔が建っていた。前回訪れたのは、2004年2月15日。いや、驚いた。知らぬ間に、もう6年もの歳月が流れていたのだった。「喝采」を二度歌わねばならない。招き猫たちはあいかわらずのんきに右手(右前足)を上げていたけれど。

◆ 三重塔が落成したのは、2006(平成18)年のことらしい。二層目軒下に目を凝らすと、たまたま聞いたガイドの方の話によれば、「日光東照宮の眠り猫より可愛いと評判」の子猫の姿が見える。こりゃホントに可愛い。画像はこの子猫を制作した《勢山社》のサイトから、「塔上珠猫児」(あるいは「塔上の玉猫児」)。ほかにも塔上には猫があちこちにいて楽しい。

  周年

〔神戸新聞:2010/01/23 12:00〕  17日に兵庫県などが主催した「1・17のつどい-阪神・淡路大震災15周年追悼式典」で、祝い事に使われる印象もある「周年」という言葉について、一部の参加者から「遺族感情にそぐわない」との疑問の声が出ている。これまでも毎年「周年」を使っている県は「周忌と同じ意味で、ほかの災害での式典にも使われている」と説明している。(森本尚樹、井関徹)
 震災の翌年から、県は式典や関連事業の名前などに「周年」を使ってきた。広辞苑によると、周年は「(1)まる1年、転じて一周忌のこと(2)ある時から数えて過ぎた年数」の意。県防災企画課は「追悼の場に相いれない言葉ではない」とする。また、雲仙・普賢岳噴火災害や新潟県中越地震の追悼式、北海道南西沖地震の鎮魂行事でも「周年」が使われている。
 だが、一般的には「創業50周年」「結婚10周年」など祝い事に使う印象が強い。尼崎JR脱線事故では、追悼式典の名称に「周年」や「慰霊祭」を使うことに、一部の遺族が抵抗感を示し、JR西日本は年数の付かない「追悼慰霊式」とした。
 17日の県の式典に参加した医師(68)=神戸市=も「遺族に『お子さんを亡くして15周年ですね』とは間違っても言わないはずだ」と批判する。
 遺族の意見はどうか。今年の式典で遺族代表としてあいさつした松浦潔さん(56)=神戸市=は「周り巡る、という意味に受け取っており、違和感はない」と話す。
 一方で、2003年の式典であいさつした会社員(49)=さいたま市=は「記念行事を表しているようで、とても違和感がある」と指摘する。
 神戸市の式典は「震災15年追悼の集い」の名称で「周年」は使わない。04年に市の集いで遺族代表となった中島喜一さん(62)=同市=は「めでたいときの言葉の周年を使うのは『あり得ない』と、ずっと思っていた。遺族は言葉ひとつでも傷を深めることがある。私たちの目線では使わない言葉」と語った。

www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0002661081.shtml

◆ 辞書を引いてもわからないことはたくさんある、ということの例として。それでも、辞書をひかないよりは引いたほうがいいとは思う。

♪ ひとりで見るのが はかない夢なら
  ふたりで見るのは たいくつテレビ

  井上陽水 「青空、ひとりきり」(作詞・作曲:井上陽水,1975)

◆ 正月に実家でごろごろしながら、テレビ。1月1日、「相棒」の元日スペシャル。「特命係、西へ!死体が握っていた数字と、消えた幻の茶器の謎…東京~京都・連続殺人と420年前の千利休の死の秘密が繋がる!?」。「元日スペシャル」だけあって、21世紀の殺人事件の謎を解くだけでなく、16世紀の千利休の死の謎をも解くという欲張った趣向で、時代劇風のシーンも多かった。年末に、本屋で『正座と日本人』(丁宗鐵著)という本を立ち読みしていたら、「千利休は胡座をしていた」というようなことが書いてあったので、利休はアグラをかくかな、と楽しみにしていたら、やっぱり正座していて残念だった。

◆ 1月5日、「タイムショック」。いまは「超タイムショック」というのか。その「最強クイズ王決定戦7」。茶の間でごろごろしてる身分からは問題が簡単すぎてつまらない。辰巳琢郎さん(京都大学卒)が回答者のときに、「~した衛星は?」という問題。辰巳琢郎さん(京都大学卒)は「月」と回答。正解は「かぐや」だった。「~した」の「~」の部分を覚えてないのでハナシにならないが、あるいは、「地球の出を撮影した衛星は?」というような問題だったかも。それならば、正解は「月周回衛星かぐや」であるほかないだろうが、「~した衛星は?」の「~」の部分をすっとばして(耳がすっとばして)、「衛星は?」と聞かれると、反射的に「月」と答えてしまう。ワタシもそうだった。問題が悪い。「~した人工衛星は?」という出題にしてほしかった。そう思ったが、考えてみると、いまでは「衛星」というコトバの第一義は「人工衛星」であるような気もしてきて(「衛星放送」など)、「衛星」と聞かれて「月」と答えるほうが時代遅れななのかとも思った。ちなみに、衛星の周りを回る衛星は「孫衛星」というらしい。

◇ 人間が作った人工天体の場合には、天然の衛星(自然衛星)と区別するために「人工衛星」(Artificial Satellite)と呼ぶ。
ja.wikipedia.org/wiki/衛星

◆ 自然衛星! なんだか、ジャイアントパンダに「パンダ」の名を奪われた「レッサーパンダ」みたいだ。

◆ おまけ。1月10日、「欽ちゃんの仮装大賞」。これは見てないが、ふだんは開店休業状態のワタシのサイトのアクセス数が急に増えて、なにがあったのかと「検索ワード」をチェックすると、「仮装大賞 バニーガール」といった語句からの訪問が激増していた。わかったようでわからない。たしかに以前「バニーガール」という記事を書いた覚えはあるけれど、「欽ちゃんの仮装大賞」を見て、バニーガールのことが調べたくなるというひとが数多くいるというのが(といっても50人くらい)、わかったようでわからない。いや、ひじょうによくわかるような気もするが、実際にアクセスが急増する(というほどでもないが)という状況を引き起こすほどのことなのかと思うと、やっぱり不思議な気がする。さらには、ワタシの記事にたいしたことはまったく書いてないので、ちょっと恐縮。

◆ たまにテレビを見ると、ぜんぜん退屈しない。

◆ 海の色はいろいろ。黄色の海がある。

◇ 彼は従来海の色を青いものと信じていた。両国の「大平」に売っている月耕や年方の錦絵をはじめ、当時流行の石版画の海はいずれも同じようにまっ青だった。殊に縁日の「からくり」の見せる黄海の海戦の光景などは黄海と云うのにも関らず、毒々しいほど青い浪に白い浪がしらを躍らせていた。しかし目前の海の色は――なるほど目前の海の色も沖だけは青あおと煙っている。が、渚に近い海は少しも青い色を帯びていない。正にぬかるみのたまり水と選ぶ所のない泥色をしている。いや、ぬかるみのたまり水よりも一層鮮かな代赭色をしている。彼はこの代赭色の海に予期を裏切られた寂しさを感じた。
芥川龍之介 『少年』(青空文庫

◆ 黄海(Yellow Sea)は、

◇ 黄河から運ばれる黄土により黄濁している部分があることから命名された。
ja.wikipedia.org/wiki/黄海

◆ 赤色の海がある。

◇ 紅海 ―― といっても、その海はむろん青い。古代ヘブル人が「葦の海」と呼んでいたのをギリシャ人があやまって「赤い海」と訳してしまったのである ―― に入ると、この辺は航路が定まっているため、しきりといろんな船に行きあう。
北杜夫 『どくとるマンボウ航海記』(新潮文庫,p.63)

◆ 紅海(Red Sea)がなぜ「赤い海」と呼ばれるかについては諸説あるようで、赤潮でときおり海水が赤くなるから赤い海、沿岸の砂漠が赤いので転じて赤い海、方位と色を対応させる文化があって、南を赤で示したから赤い海、などなど。

◆ 北杜夫が、古代ヘブル人が「葦の海」、云々と書いているのは、少し誤解があるようだ。これは旧約聖書の翻訳にかんするハナシで、ヘブライ語の「葦の海」がギリシャ語の「赤い海(紅海)」に誤訳されたというのは事実なのだが、誤訳された結果として紅海が「赤い海(紅海)」と呼ばれるようになったのではない。「葦の海」というのは、現在「紅海」と呼ばれている海とは別のずっと小さな湖のことで(はないかと推定されていて)、「紅海」は旧約聖書の翻訳以前からすでに「赤い海」と呼ばれていたのである。この誤訳のせいで、つまり、小さな湖が大海である「紅海」に化けることによって、海をふたつに割ったという「モーゼの奇跡」がとてつもなくスケールアップしてイメージされてしまい、その極めつけが映画『十戒』の有名なシーンである。

◆ あと、黒海(Black Sea)も白海(White Sea)もあるが、書くことがみつからない。

◇ 好きな本は何かと考えはじめて、好きということがわからなくなった。
川上弘美 『あるようなないような』(中公文庫,p.163)

◆ そんなこともあるだろう。あるいは、好きな本は何かと考えはじめて、本というものがわからなくなった、ということもあるかもしれない。けれど、好きな本は何かと考えはじめて、好きということも本というものも同時に両方わからなくなってしまったら、考えようにも考えるすべがなにもなくて、あとは、もう寝るしかない。

◆ 考える、考える、と考えていたら、どこからともなくカンガルーが現れて、すぐ消えた。

◆ 「お稲荷さん」であれこれ検索していたら、狐ではなく猫が出た。

◇ 三光稲荷は失走人の足止の願がけと、鼠をとる猫の行衛(ゆくえ)不明の訴(うったえ)をきく不思議な商業(あきない)のお稲荷さんで、猫の絵馬が沢山かかっていた。霊験(れいげん)いやちこであったと見え、たま、五郎、白、ゆき、なぞの年月や、失走時や、猫姿を白紙に書いて張りつけてあった。
長谷川時雨 「木魚の顔」(『旧聞日本橋』所収,青空文庫

◆ たま、五郎、白、ゆき、列挙された猫の名が楽しい。「霊験いやちこ」というコトバがわからないので調べる。「霊験あらたか」と同じ意味らしい。作者の長谷川時雨(しぐれ)も知らなかったので、これも調べる。

〔青空文庫:作家データ〕 1879(明治12)年10月1日、日本橋通油町に生まれる。源泉小学校という代用小学校に通う。十九歳で結婚するも、十年の後協議離婚する。その後作家として自立し、当初は女流劇作家の第一人者となる。大正期には「美人伝」の著者として有名となり、昭和期に入り「女人藝術」を創刊主宰し、女流作家の発掘につとめる。三上於菟吉の内縁の妻として、彼を支えたことも有名である。1941(昭和16)年8月22日死去。代表作に「美人伝」「旧聞日本橋」がある。
www.aozora.gr.jp/cards/000726/card4535.html

◆ 『美人伝』を書いたからというわけではないだろうが、なかなかの美人。

〔朝日新聞〕  石川県七尾市・和倉温泉の癒やし系イメージキャラクター「わくたまくん」の人気が高まっている。携帯ストラップが売り切れ、着ぐるみは記念撮影の希望者が続出、宿泊客向けに「わくたまくん湯たんぽ」の貸し出しも準備中だ。
 「わくたまくん」は、和倉温泉にゆかりのあるシラサギが産んだと言われる「温泉をこよなく愛すエッグ」。ひよこ色のずんぐり体形で、頭にてぬぐい、腰に三つの卵を抱えている。
 デビューは、2008年秋の「温玉グルメ博」だ。和倉温泉名物の温泉卵をモチーフに和倉温泉商店連盟がイメージを考え、七尾市内の印刷会社のデザイナーが作った。

www.asahi.com/national/update/0113/OSK201001130134.html

◆ わくたまくんは温泉卵であるそうだ。温泉だから、わくたまくんの「わく」は「湧く」かとふと思ったけど、温泉は湧いても、卵が湧いたりはしないだろうな。「沸く」ではないかとも思ったけど、湯は沸いても、卵が沸いたりはしないだろうな。そうすると、わくたまくんの「わく」はなんなのかということになるわけだけど、なんのことはない、和倉の「わく」だった。ぼんやりしてた。

◇ 地名の和倉とは「湧く浦」、つまり湯の湧く浦(入り江)であり、海の中から発見された。そのため、潮が退いている時でないと湯を利用することができなかったが、近世には七尾城主の畠山氏、加賀藩の前田氏によって温泉が整備され、共同浴場が置かれた。
ja.wikipedia.org/wiki/和倉温泉

◆ わくたまくんはシラサギの卵であるそうだ。どうしてシラサギかというと、こんな言い伝えが残されているそうで、

〔「月刊おあしす」No.437:白鷺伝説〕 能登の国司・大伴家持が領内を巡行し、和倉の地を訪れてから60年後の大同年間に、薬師嶽の西、円山の湯の谷に温泉が湧き出したのが、和倉温泉のはじまりです。古来、湯の谷では不浄な物を洗ってはいけないという言い伝えがありましたが、漁師の妻が腰巻を洗ったところ、湯の谷に祀られていた少名彦名命の怒りをかい、湯がかれてしまいました。そこで夫婦は毎朝、ほこらに雁をかけると願いが叶い、神様は海に湯を沸せましたが、海面の泡立ちを見て、村びとは不吉なことの現われだと騒ぎ出しました。ところが、白鷺がその海で身を癒しているではありませんか。お湯が再び湧き出したことを知ったのです。これが白鷺伝説です。また、湯が湧きでる浦、ということで地名が「涌浦」とされたのです。
www6.nsk.ne.jp/asuwataxi/wakura1.htm

◆ わくたまくんはシラサギ伝説のご先祖さまの血を受け継いでいるから、温泉が好きなんだな。だけど、わくたまくんはまだ卵だから、のんびり湯につかっているうちに、温泉卵になっちゃったんだな、きっと。

◆ 和倉温泉観光協会・和倉温泉旅館協同組合のサイト《和倉温泉~わくらづくし~》には、「わくたまくん壁紙ダウンロード」なんてページもある。なかなかかわいい。〔でも、1024×768サイズのは、画像のリンク先が間違ってる。「1024-600.jpg」を「1024-768.jpg」に修正しないといけないからご注意。〕

  ゆめ

〔堺市立南八下小学校学校だより〕 今日、子どもたちの現状は、自分への自信のなさや自らの将来への関心の薄さ・社会の人との人間関係を築く弱さなどさまざまな問題があります。子どもが夢を描きにくい時代ですが、私たち大人が子どもに語れる夢をもち、その姿を見せていきたいものです。
www2.sakai.ed.jp/weblog/data/sakai060/41604/41604.pdf

◆ 「ゆめ」を描くのもむずかしいが、書くのもむずかしい。「ゆめ」が「カめ」になったり「わめ」になったりする。「めめ」になったりもするかもしれない。「夢」と漢字で書くのもむずかしい。ともするとバランスがくずれて、ムカデが這ったみたいになる。

◆ 1月27日、川崎競馬場に川崎記念を見に行った。

〔ラジオNIKKEI〕 川崎競馬場で行われた2010年最初のGI(JpnI)競走・第59回川崎記念(JpnI・2100m・1着賞金6000万円・11頭)は、逃げた3番人気フリオーソを2番手で終始マークしていた1番人気ヴァーミリアン(武豊騎乗)が粘るフリオーソをゴール前でクビ差捉え、自身の記録をさらに塗り替える史上最多のGI(JpnI)9勝目を挙げた。勝ちタイム2分12秒7は、2004年のこのレースでエスプリシーズがマークした従来のレコードをコンマ1秒上回るものだった。
keiba.radionikkei.jp/keiba/diary/entry-179296.html

◆ 川崎記念を見に行ったのは、エスプリシーズが勝った2004年以来のことで、もう6年も前になる。

◆ 6年前にも、同じような写真を撮っているのがおかしい(上が今年、下が6年前)。誘導馬を撮り、勝利騎手を撮り、カツマルくんを撮った。誘導馬は2頭から3頭に増え、さらにはずいぶんとおしゃれになってはいたが。6年前の勝利騎手は地元川崎所属の森下博、今年は中央の武豊と異なってはいても、どちらも前のひとがじゃまでうまく写真が撮れなかった。カツマルくんはあいかわらず観客に手を振っていた。そして、空は同じように晴れていた。

◆ 川崎記念を見た帰り、堀之内のソープ街を抜けて、京急川崎駅までのんびり歩いた。駅のすぐわきにお寺の屋根が見えたので、寄ってみた。曹洞宗宗三寺。川崎市による説明板を読むと、その末尾に、

◇ 〔……〕 今、墓地には大阪方の牢人で、元和元年(1615)川崎に土着した波多野伝右衛門一族の墓や、川崎宿貸座敷組合の建立した遊女の供養碑がある。

◆ とあって、波多野伝右衛門はとりあえずどうでもいいが、「遊女の供養碑」というのが気になって、墓地のなかを歩きまわってやっと見つけた。墓地の片隅に、寺の本堂からもっとも離れた角っこに、ひっそりと建っていた。台座には、「川崎貸座敷組合」の文字。目を上げると、塀越しにラブホテルが見えた。

〔川崎市川崎区ホームページ:かわさき区の宝物〕 江戸時代、旅籠には「平旅籠」と「飯盛旅籠」があった。飯盛旅籠は、旅人に給仕をしたり床を共にしたりする飯盛女(めしもりおんな)を置く旅籠のこと。飯盛女とは年季奉公で近郷から売られてきた女性たちで、一般旅行者の増えた江戸後期には旅人を留めて宿場の財政を支える大きな役割を果たしていたが、多くは体を壊し、墓にも入れずに打ち捨てられた。供養塔はそんな女性たちの冥福を祈って、大正初期に川崎貸座敷組合によって建てられたものである。台座には、吉田楼、三浦屋、高塚楼など当時の遊郭楼の名前が刻まれ、また江戸時代の川崎宿の人口が男1080人、女1353人とも記されている。昭和63年(1988)に川崎今昔会によって建てられた供養塔も左側に寄り添っている。
www.city.kawasaki.jp/61/61kusei/kigyoshimin/pdf/01-08.pdf

◆ 宗三寺の遊女供養塔を見た帰り、電車のなかのなか。ケイタイで「飯盛女」のことをちょっと調べようかと思って、「めしもり」と打ち込むと、ワタシのケイタイは、変換「予測候補」一覧に、なぜだか「飯盛」ではなく「SEX」と表示してくれた。???、なんなんだ、このケイタイは? 飯盛女だからセックス? いくらなんでも悪フザケが過ぎないか? プログラマーのいたずらなのか? 待てよ、もしかして、以前にワタシが「SEX」と入力したことがあって、それをケイタイが勝手に学習したのだろうか? (これを他人を見られるとマズイな、だれにも貸さないようにしよう) いや、「エロ」と入力したことはあったかもしれないが、「SEX」と打ったことは断じてない(と思う)。そういえば、さいきん、便所や壁の落書きに「SEX」の文字をあまり見ない。もう時代遅れなのだろうか? (こどものころは、この3文字を目にするだけで、どんなに緊張したことだろう) なのに、このケイタイときたら! こりゃ、セックス中毒の治療を受けさせなきゃいかんかな、などと、ワタシの思考は千々に乱れ、念のため、もう一度「めしもり」と入力してみようかと、「めし」まで打って、つぎに「めしま」になったときに、画面をふと見ると、予測候補に「SEP」、「めしみ」で「SEQ」、「めしむ」で「SER」、「めしめ」で「SES」、とここまできて、ようやく気がついた。かなとアルファベットの入力キーが見事に対応していたのだった。「7」のキーを4回押すと、かなでは「め」になり、アルファベットでは「S」になる。同様に、「3」を2回で「し」または「E」。「7」のキーには、かなの「まみむめも」の5文字が割り当てられているが、アルファベットの割り当ては「PQRS」の4文字しかなくて、5回押すと対応する文字がなくなって、アルファベットは一回休み。最後に「9」を2回押せば「り」または「X」となって、めでたく「めしもり」あるいは「SEX」がめでたく完成するという寸法。なるほど。気がついてよかった。はたして、これは他の機種ではどうなのか、さっぱりわからないのではあるが。

◆ 川崎競馬のマスコットのカツマルくんが「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出たら、だれに電話をするだろうか。本命はやっぱり大井競馬の「うまたせ」くんだろうか。でも、うまたせくんの方が有名だから、先に出演してるかもしれない。大穴で似た名前の「たら丸」くんはどうだらう(思わず、「だらう」になってしまった)。

◆ 「たら丸」くんの本籍は北海道岩内郡岩内町。《岩内町公式HP》にプロフィールが載っている。

〔岩内町公式HP〕 北海道のスケトウダラ延縄漁業発祥の地の岩内町! 前浜に揚がったばかりのスケトウダラからその日のうちに取り出れたタマゴは鮮度抜群!! そこに岩内秘伝の加工技術が加わり岩内産タラコが生まれます。~~~味も、品質の良さも天下一品。~~~ そんなスケトウダラから生まれたキャラクターが「たら丸」。
www.town.iwanai.hokkaido.jp/iwanaikanko/play/other/taramaru/index.shtml

◆ 特徴は、ねじりハチマキ・黒い長靴・タラコ唇。グリーンアスパラを手にしていることも。タラコ唇というのがいい。

◆ この「たら丸」くん、あまり知られていないかと思って、紹介がてら、この記事を書き始めたんだけど、思いのほか有名でなっているようで、

〔北海道新聞:2009/09/08〕 【岩内】後志管内岩内町のマスコットキャラクター「たら丸」が、3年前のテレビ出演をきっかけに、全国的な人気者になっている。各種イベントに招かれ活躍するほか、テレビや雑誌の「出演」依頼も年間30件を超える。愛嬌(あいきょう)のあるたらこ唇と丸い目、赤い鉢巻きに長靴姿が印象的な「ゆるキャラ」。
www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/187493.html

◆ 「3年前のテレビ出演」とは、これだろうか。

〔北海道雑学百科ぷっちがいど〕 2006年4月20日19:30~放送された、テレビ東京系列(テレビ北海道)の番組「TVチャンピオンゆるキャラ日本一決定戦」に、全国各地から、ユニークな着ぐるみのご当地キャラが参加しました。道内からは15キャラクターが北海道予選に参戦し(全国総計161キャラ)、その中で、後志管内岩内町出身の「たら丸」が、見事準優勝に輝きました!
pucchi.net/hokkaido/newstopics/200604tv_champion.php

◆ 2008年9月11日放映の「TVチャンピオン2ゆるキャラ王選手権」にも出場し、たましても準優勝だったとか。