MEMORANDUM

  人と人の間

◆ もういちど同じ文章を引用する。

◇ 人間というのは「人と人の間」と書くごとく、その「あいだ」にことの真(まこと)はある。決して己の内にのみあるわけでもなければ、相手の内にのみあるわけでもなく、たがいの「あいだ」にある。
車谷長吉 『錢金について』(朝日文庫,p.51)

◆ くわえて、似たような文章を引用する。

〔わらじ医者よろず診療所所長 早川一光〕 「人間」という字を考えてみてください。人と人の「間」。人と人との間には、何もみえませんが、実は、この「間」が大切なのです。ある人がいくら学問ができようと、ある人がいかに教養があろうと、その二人の間がうまくいかなければ人間としてどうでしょうか?間合いがうまくいくというのが人間のできた人なんです。
www.sut-tv.com/terakoya/kougi/no1475/kougi.htm

〔国平寺住職 尹碧巌〕 人と人の間があるということで人間とも言います。この「間」こそが大事なのです。親子の間、兄弟の間、師弟の間、上司と部下の間、隣人との間など、66億人との間があります。人と人との間を理解する者が人間なのです。
www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/06/0906j1104-00001.htm

◇ 人間と言う字は“ひとのあいだ”と書きます。〔中略〕 本当の人間というものは「人と人の間」にあるのですね。〔中略〕 人と人の関係、親と子、夫と妻、或いは兄弟、親類関係も、また、国家と国家の関係にしても、この関係の「間」にこそ、本当の人間の美しさというものが現れてこないと全てが幸せな道へと歩めないのですね。
huurosounokaze.blog54.fc2.com/blog-entry-120.html

◆ なにが似ているのか。まず「人間」を「人と人の間」と解釈していることが共通している。「人間」という文字を見て、これらふたつの漢字のつながりを考えたときに、多くのひとにとっていちばん自然に出てくるのが、この「人と人の間」であるのかもしれないが、その理由がワタシにはよくわからない。ワタシには「人の間」で十分に思えるからで、複数であることを強調したいのであれば、「人々の間」(among people)と書く手もあるはずだが、あまり用例を見かけない。なぜだろう。

◆ 「人と人の間」と書かれた場合のこの「人と人」というのはいったいだれなのか。不特定多数を表すためにとりあえず「1+1」式に表現したのだろうか。この場合、「人と人と人の間」とか「人と人と人と人の間」と書くときりがないから、複数の最小値である2にとどめて簡潔な表現にしたということになろう。

◆ しかし、引用した文章においては、どうやらそういうことではなさそうだ。「人と人の間」の「人と人」が意味しているのは、不特定多数としての「人と人」ではなくて、「一人(ひとり)と一人(ひとり)」(between someone and someone)の「二人」のことであるように思える。さらに、この二人のうちの一人はかならず「ほかならぬ私」であって、「人と人の間」というのは、「私とだれかの間」(between someone and me)、自己と他者という二者の関係としてのみ理解されている、とそのようにワタシには思える。

◆ これは、たとえば、「人間(対人)関係に悩む」というときの「人間」に近いかもしれない。第三者同士の「人間関係」に「私」が悩むことも可能なはずだが、たいていは「私とだれか」の関係に「私」が悩んでいる。《教えて!goo》にこんな質問。

◇ 私は正直言って人間ということばは好きではありません。なぜ「人間」ということばが好きではないのかというと、「人間」は「『人』の『間』」と書きます。つまり、「『人』と『人』との『間』でもまれて暮らす『人』」という響きがあるような気がするのです。(というより、私が個人的にそう感じるんですが・・・) だから「人間」ということばはあまり好きではないのです。「ホモ・サピエンス」や「人」や「人類」はまあまあいいんですが、「人間」はどうも好きではありません。人はどういう場面で「人類」「人間」「人」ということばを使い分けるのでしょうか。
oshiete1.goo.ne.jp/qa1585044.html

◆ この「質問」の動機を、質問者が明かしている。

◇ 私は対人関係があまり得意でなく、あちこちで人と人とのあいだでぶつかりあいがおき、嫌われ者になってきました。だから、もう対人関係をしたくなくて、対人関係に疲れてしまってそういうことを書きました。

◆ なんだか、新年早々、暗いハナシになってしまったが、ついでだから、もうひとつ。

〔牧師 鈴木栄一〕 人間とはよく言ったものである。読んで字のごとく、人は人との間(関係)に生きている。生まれてから死ぬまで、誰の世話にもならず、自分だけで生きることのできる者はひとりとしていない。人は「関係」の中に存在しているからだ。故に生きる最大の苦しみは「人間関係」にある、ということになる。
d.hatena.ne.jp/suzuki_bokushi/20090614/p1

◆ 書きながら考えているので、まとまりのない文章になってしまった。ワタシも「人間関係」というものが得意ではないが、あまり苦しみはしない。苦手なことを克服しようとはあまり思わない。無駄な努力はしない。ワタシも人間であるはずだが、世界は「人間関係」ばかりじゃないよ、と言いたい気分だ。今日、空はとっても青かった。

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