MEMORANDUM

  ミシマの弟

◆ 年末、図書館で『「ゲテ食」大全』といっしょに、うしろの書架にあった四方田犬彦の『モロッコ流謫』をいう本も借りてきた。そのなかに、モロッコで三島由紀夫の弟(平岡千之)に出会ったハナシが出てくる。

◇ NYを立つ直前に、知り合いになった美術商から、もしラバトに立ち寄ることがあれば、ヒラオカに合うといいわ。彼はあの有名なミシマの弟で、モロッコに長く住んでいるからと、電話番号を教えてもらったことがあった。いかにも謎めいた情報だった。これはなにかの聞き違いではないか。日本人、しかも三島由紀夫の弟がいったいどのような理由で日本を長く離れ、モロッコに住んでいるというのか。
四方田犬彦 『モロッコ流謫』(新潮社,p.109)

◆ モロッコに着いた著者は、ラバトのホテルから教えられた番号に電話をかけてみる。電話に出たのは女性で、「ただいま大使に交替いたします」と言った。なんのことはない、いや、驚いたことに、と書くべきかもしれないが、その当時、ミシマの弟は大使としてモロッコに赴任していたのだった。

◆ そもそも三島由紀夫の弟のことなど考えたこともなかった。いや、それをいうなら、兄や姉や妹のことも考えたことはないし、いるのかどうかもしらない。それは当然のことだろう。そもそも三島由紀夫本人のことも書物を通じてしか知らないのだから。

◆ そういえば、由紀夫といえば、鳩山由紀夫にも弟がいて、こちらは弟も有名だが、こういう例はむしろ少数ではないか。

◇ 兄弟の間の関係というのは微妙なもので、カインとアベルの往古から、余人には窺いしれない複雑な感情が長い時間のうちに双方に蓄積されているものである。プルーストはかの長大な自伝的小説のなかに、一度たりとも実在した弟のことを書きこんではいないし、中上健次は死ぬまで兄の自殺に拘り続けた。まして平岡千之の場合にはと、わたしは同情した。おそらく日本に留まっているかぎり、彼は生涯を通して彼そのものとして紹介されず、どこまでも三島由紀夫の弟といわれ続けるのではないだろうか。
Ibid. p.110-111

◆ 兄弟、あるいは姉妹。ことに同性の「きょうだい」の場合には、それこそ「余人には窺いしれない複雑な感情」があるのだろうと思う。

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