◆ 海の色はいろいろ。黄色の海がある。 ◇ 彼は従来海の色を青いものと信じていた。両国の「大平」に売っている月耕や年方の錦絵をはじめ、当時流行の石版画の海はいずれも同じようにまっ青だった。殊に縁日の「からくり」の見せる黄海の海戦の光景などは黄海と云うのにも関らず、毒々しいほど青い浪に白い浪がしらを躍らせていた。しかし目前の海の色は――なるほど目前の海の色も沖だけは青あおと煙っている。が、渚に近い海は少しも青い色を帯びていない。正にぬかるみのたまり水と選ぶ所のない泥色をしている。いや、ぬかるみのたまり水よりも一層鮮かな代赭色をしている。彼はこの代赭色の海に予期を裏切られた寂しさを感じた。 ◆ 黄海(Yellow Sea)は、 ◇ 黄河から運ばれる黄土により黄濁している部分があることから命名された。 ◆ 赤色の海がある。 ◇ 紅海 ―― といっても、その海はむろん青い。古代ヘブル人が「葦の海」と呼んでいたのをギリシャ人があやまって「赤い海」と訳してしまったのである ―― に入ると、この辺は航路が定まっているため、しきりといろんな船に行きあう。 ◆ 紅海(Red Sea)がなぜ「赤い海」と呼ばれるかについては諸説あるようで、赤潮でときおり海水が赤くなるから赤い海、沿岸の砂漠が赤いので転じて赤い海、方位と色を対応させる文化があって、南を赤で示したから赤い海、などなど。 ◆ 北杜夫が、古代ヘブル人が「葦の海」、云々と書いているのは、少し誤解があるようだ。これは旧約聖書の翻訳にかんするハナシで、ヘブライ語の「葦の海」がギリシャ語の「赤い海(紅海)」に誤訳されたというのは事実なのだが、誤訳された結果として紅海が「赤い海(紅海)」と呼ばれるようになったのではない。「葦の海」というのは、現在「紅海」と呼ばれている海とは別のずっと小さな湖のことで(はないかと推定されていて)、「紅海」は旧約聖書の翻訳以前からすでに「赤い海」と呼ばれていたのである。この誤訳のせいで、つまり、小さな湖が大海である「紅海」に化けることによって、海をふたつに割ったという「モーゼの奇跡」がとてつもなくスケールアップしてイメージされてしまい、その極めつけが映画『十戒』の有名なシーンである。 ◆ あと、黒海(Black Sea)も白海(White Sea)もあるが、書くことがみつからない。 |
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