MEMORANDUM

  ファンネルマーク

◆ 辻仁成の『海峡の光』という小説を、函館が舞台だというので、読んでみた。元青函連絡船の客室係の主人公が、大門(柳小路)の船員バーで、かつての同僚たちと酒を飲んでいる。ひとりがしみじみとつぶやく。

◇ 「いよいよ明日っから俺はJRの人間さ。ファンネルマークもJRだ」
 客室係のかつての朋輩が告げた。
「来年には連絡船は廃航。そして俺たちゃみんなお払い箱だもんな」

辻仁成 『海峡の光』(新潮文庫,p.15-16)

◆ 連絡船の廃止は、1988(昭和63)年3月13日。国鉄が分割民営化されたのは、1987(昭和62)年4月1日。

◆ ファンネルマークというコトバは知らなかったが、先日、お台場に羊蹄丸を見に行ったときに、となりに保存展示されていた南極観測船「宗谷」も見学して、その意味を知った。

◇ エンジンやボイラーからの煙を排出するのが煙突(ファンネル)です。ブルーの帯とコンパス・マークは、海上保安庁の所属船であったことを示すファンネル・マークです。

◆ なるほど。もちろん、ネットで調べれば、より手軽に詳細に判明したことではあるが。

◇ 青函連絡船の最後の1年間はJR北海道の管轄となり、ファンネルマーク(煙突マーク)も「JNR」から「JR」に変わりました。
www.mashumaru.com/?補助汽船の錨とファンネルマーク,52

◇ ファンネルマークとは煙突につけられている所有者を識別するためのマークのことである。明治時代には、鉄道が所属していた「工部省」の「工」を赤色で掲げ、1965年(昭和40年)の津軽丸(2代目)から日本国有鉄道の「JNR」(Japanese National Railways)となる。色は赤で表示された。そして、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によって青函連絡船はJR北海道が継承する事となり,船籍が国鉄本社のある東京から青函連絡船の母港の函館に、ファンネルマークもJR北海道のシンボルマーク「JR (コーポレートカラーはライトグリーン)」に変更された。なお船の科学館に係留されている現在、船籍は東京に変更されている。
ja.wikipedia.org/wiki/羊蹄丸

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