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◆ 本を読んでいて、たとえば、 ◇ 人間というのは「人と人の間」と書くごとく、その「あいだ」にことの真(まこと)はある。決して己の内にのみあるわけでもなければ、相手の内にのみあるわけでもなく、たがいの「あいだ」にある。 ◆ というような文章に出くわすと、もういけない。ぎょっとして、読みすごせない。人間というのは「人と人の間」と書く? 「人間」というのは、「人の間」と書くのであって、「人と人の間」とは書かないだろう。そうではないのか? たんなる話の枕だとは承知しつつも、あれこれ考えてしまって、先に進めない。なんとも難儀な性分である。 ◆ 後ろに「間」がつくコトバをいくつか思い出してみる。雲間、波間、谷間、昼間、山間。雲間は「雲と雲の間」の意味で、波間は「波と波の間」の意味かもしれないが、谷間は「谷と谷の間」の意味じゃあないだろう。昼間は「昼と昼の間」の意味じゃあないだろう。山間は「山と山の間」のことなのかどうか、よくわからない。 ◆ 風間というコトバは、辞書(『大辞林』)を引くと、ふたつの意味があるようで、ひとつは「風の絶え間」、もうひとつは「風の吹いている間」。風が吹こうが、風が止もうが、どちらも「風間」であるらしい。なんとも難儀なコトバである。 ◆ 難儀なコトバといえば、食間もまた同じ。辞書(『大辞林』)には、 (1) 食事と食事の間。 ◆ とあって、これでは食間に服用と指示された薬をいつ飲んでいいのか迷ってしまうひとがいるのも当然だろう。たとえば、《Yahoo!知恵袋》に、 ◇ 大正漢方胃腸薬に書いてある、「食間」を「食べている最中」という意味だと思っていませんでしたか?? これは私の愛用の薬ですけど、ついこの間まで食間の意味を知りませんでした。。m(_ _)m 食間って食事と食事の間なんですね! ◆ そして、この「質問」にたいする「ベストアンサー」は、 ◇ 実は・・・私が それを知ったのは ほんの数年前で、それまでは 食事中に飲んでました。運良く?元薬剤師のママ友ができて 彼女から教えてもらうまでは。その彼女に聞いた話しでは、座薬を座って飲む人もいたとか。なので、私達は まだいい方ですよね♪ ◆ きりがないので、冒頭の引用の「人間」にもどる。人間の場合、意味としては、「人と人の間」ということになるのかもしれないが、表記としては、「人の間」であって、それをわざわざ、 ◇ 人間というのは「人と人の間」と書くごとく、 ◆ と敷衍して冗長に書く理由が、よくわからない。もしかすると、「~間」という表現には、自然に「**と**の間」という、ふたつのものを想定した形式を強制するような力があるのかもしれなくて、あくまで想像ではあるが、「人の間」では、どうも「すわりが悪い」と感じて、「人と人の間」に落ち着いたのかもしれない。とはいえ、ワタシとしては、「人の間」で十分である気がする。「日本人の間では」という表現をいちいち「日本人と日本人の間では」と翻訳して理解するひとは少ないだろう。それと同じではないか? ◆ そういえば、行間というコトバもあった。「行間を読む」などという。「行と行の間」の何も書かれていないところに何かを読むというのは、かなり高度な技能だろう。ワタシなど、ご覧のとおり、本の一行を読むだけで四苦八苦していて、いつまでたっても行間など読めそうにない。 |
◆ もういちど同じ文章を引用する。 ◇ 人間というのは「人と人の間」と書くごとく、その「あいだ」にことの真(まこと)はある。決して己の内にのみあるわけでもなければ、相手の内にのみあるわけでもなく、たがいの「あいだ」にある。 ◆ くわえて、似たような文章を引用する。 ◇ 〔わらじ医者よろず診療所所長 早川一光〕 「人間」という字を考えてみてください。人と人の「間」。人と人との間には、何もみえませんが、実は、この「間」が大切なのです。ある人がいくら学問ができようと、ある人がいかに教養があろうと、その二人の間がうまくいかなければ人間としてどうでしょうか?間合いがうまくいくというのが人間のできた人なんです。 ◇ 〔国平寺住職 尹碧巌〕 人と人の間があるということで人間とも言います。この「間」こそが大事なのです。親子の間、兄弟の間、師弟の間、上司と部下の間、隣人との間など、66億人との間があります。人と人との間を理解する者が人間なのです。 ◇ 人間と言う字は“ひとのあいだ”と書きます。〔中略〕 本当の人間というものは「人と人の間」にあるのですね。〔中略〕 人と人の関係、親と子、夫と妻、或いは兄弟、親類関係も、また、国家と国家の関係にしても、この関係の「間」にこそ、本当の人間の美しさというものが現れてこないと全てが幸せな道へと歩めないのですね。 ◆ なにが似ているのか。まず「人間」を「人と人の間」と解釈していることが共通している。「人間」という文字を見て、これらふたつの漢字のつながりを考えたときに、多くのひとにとっていちばん自然に出てくるのが、この「人と人の間」であるのかもしれないが、その理由がワタシにはよくわからない。ワタシには「人の間」で十分に思えるからで、複数であることを強調したいのであれば、「人々の間」(among people)と書く手もあるはずだが、あまり用例を見かけない。なぜだろう。 ◆ 「人と人の間」と書かれた場合のこの「人と人」というのはいったいだれなのか。不特定多数を表すためにとりあえず「1+1」式に表現したのだろうか。この場合、「人と人と人の間」とか「人と人と人と人の間」と書くときりがないから、複数の最小値である2にとどめて簡潔な表現にしたということになろう。 ◆ しかし、引用した文章においては、どうやらそういうことではなさそうだ。「人と人の間」の「人と人」が意味しているのは、不特定多数としての「人と人」ではなくて、「一人(ひとり)と一人(ひとり)」(between someone and someone)の「二人」のことであるように思える。さらに、この二人のうちの一人はかならず「ほかならぬ私」であって、「人と人の間」というのは、「私とだれかの間」(between someone and me)、自己と他者という二者の関係としてのみ理解されている、とそのようにワタシには思える。 ◆ これは、たとえば、「人間(対人)関係に悩む」というときの「人間」に近いかもしれない。第三者同士の「人間関係」に「私」が悩むことも可能なはずだが、たいていは「私とだれか」の関係に「私」が悩んでいる。《教えて!goo》にこんな質問。 ◇ 私は正直言って人間ということばは好きではありません。なぜ「人間」ということばが好きではないのかというと、「人間」は「『人』の『間』」と書きます。つまり、「『人』と『人』との『間』でもまれて暮らす『人』」という響きがあるような気がするのです。(というより、私が個人的にそう感じるんですが・・・) だから「人間」ということばはあまり好きではないのです。「ホモ・サピエンス」や「人」や「人類」はまあまあいいんですが、「人間」はどうも好きではありません。人はどういう場面で「人類」「人間」「人」ということばを使い分けるのでしょうか。 ◆ この「質問」の動機を、質問者が明かしている。 ◇ 私は対人関係があまり得意でなく、あちこちで人と人とのあいだでぶつかりあいがおき、嫌われ者になってきました。だから、もう対人関係をしたくなくて、対人関係に疲れてしまってそういうことを書きました。 ◆ なんだか、新年早々、暗いハナシになってしまったが、ついでだから、もうひとつ。 ◇ 〔牧師 鈴木栄一〕 人間とはよく言ったものである。読んで字のごとく、人は人との間(関係)に生きている。生まれてから死ぬまで、誰の世話にもならず、自分だけで生きることのできる者はひとりとしていない。人は「関係」の中に存在しているからだ。故に生きる最大の苦しみは「人間関係」にある、ということになる。 ◆ 書きながら考えているので、まとまりのない文章になってしまった。ワタシも「人間関係」というものが得意ではないが、あまり苦しみはしない。苦手なことを克服しようとはあまり思わない。無駄な努力はしない。ワタシも人間であるはずだが、世界は「人間関係」ばかりじゃないよ、と言いたい気分だ。今日、空はとっても青かった。 |
◆ かつて「自由自在」という参考書のシリーズがあった。いまもあるらしい。 ◇ 「人間」という字は「人の間」と書く。これは、「人の間にあってこそ、人のためになってこそ人間と呼べる」のだと私は理解している。「人」という字も、人は支えあわなければ生きていけないことを示している。つまり、「他人があってこその自分」という謙虚な気持ちを持てということだと思う。 ◇ 〔ウリグリース千賀子のPure・Heart〕 私達は人間としてこの世に生まれました。3年B組金八先生の訓話ではありませんが、人間とは『人の間』と表現されるように、私達は多くの人の縁の中で生き、そして多くの人と人との間で自己を磨き、意識の成長とつなげる旅を続ける旅人です。そしてこの旅のことを、時の先人は『人生』と名付けました。この言葉の示す通り、まさに人生とは『人を生きる』ことに他なりません。 ◇ 〔織田誠康運命相談室〕 「人間 にんげん」を、訓読みすると「ひとま」である。「ま」は、「真」や「魔」に通じ、「人間」という存在は、「人真」や「人魔」の「間」を、しょっちゅう行ったり来たりしている。悪いことをやってしまった場合、よく「魔が差してしまった」と言うが、それは、「人間」の「間」に「魔」が差して、「人間」が、「人魔」になってしまったということである。 ◆ 三者三様ながら、なんというコトバの自由自在。こんな風にコトバを操れたら、さぞ気持ちのいいことだろう。 |
◆ 「鳩を食べる」という記事を書いたあと、ちょっとだけ鳩を味見したくなったが、鳩を食べさせてくれる店を探すのも面倒なので、近くの図書館で鳩料理について書かれた本はないかと探してみたら、『「ゲテ食」大全』という本に記載があった。そのタイトルが示すとおり、いかもの食いについての本であるから、ミミズ、フナムシ、ムカデ、ゴキブリ、シロアリ、金魚、セキセイインコ、ハムスター、イヌ、ネコなど、目次をみるだけで、ヨダレのかわりにヘドが出る。かと思ったら、そうでもなく、いろいろとタメになった。 ◇ 虚ろな目をして、前後に首を振り歩き、エサだと見れば寄り集まり、少しでも身の危険を感じれば大慌てでバタバタと飛びすさるのに、数秒後には驚いたことすら忘れてしまい、虚ろな目をして、また首を振る。 ◆ と書かれているのが、ドバト。 ◇ 生き物を外見や頭脳程度で差別したくはないのだが、それにしても、全国の神社仏閣、公園などで、ドバトが受けている好待遇には、少々首をひねらざるをえない。人畜無害だというならまだしも、ダニやホコリを撒き散らしながら飛び回り、所かまわず脱糞し、しかも糞には、髄膜炎などを引き起こす真菌・クリプトコックスが含まれる。エサまで与えて保護しなければいけない理由など全くない生き物なのである。 ◆ と散々な書かれよう。「虚ろな目」をしているかどうかの判断は留保するとして、まあほとんど事実であるから仕方がない。ただ味の評価は抜群で、◎(二重丸)。ドバトは、 ◇ 神社仏閣などに住み着いたことから「だうばと(堂鳩)」「たうばと(塔鳩)」などと呼ばれていたのがドバト(土鳩)の語源ではないかと言われている。
♪ 豆が欲しいか そらやるぞ ◆ というわけにもいかない。鳩にとっては世知辛い世の中になりつつあるが、食べられないだけまだましだというべきか。 |
◆ 年末、図書館で『「ゲテ食」大全』といっしょに、うしろの書架にあった四方田犬彦の『モロッコ流謫』をいう本も借りてきた。そのなかに、モロッコで三島由紀夫の弟(平岡千之)に出会ったハナシが出てくる。 ◇ NYを立つ直前に、知り合いになった美術商から、もしラバトに立ち寄ることがあれば、ヒラオカに合うといいわ。彼はあの有名なミシマの弟で、モロッコに長く住んでいるからと、電話番号を教えてもらったことがあった。いかにも謎めいた情報だった。これはなにかの聞き違いではないか。日本人、しかも三島由紀夫の弟がいったいどのような理由で日本を長く離れ、モロッコに住んでいるというのか。 ◆ モロッコに着いた著者は、ラバトのホテルから教えられた番号に電話をかけてみる。電話に出たのは女性で、「ただいま大使に交替いたします」と言った。なんのことはない、いや、驚いたことに、と書くべきかもしれないが、その当時、ミシマの弟は大使としてモロッコに赴任していたのだった。 ◆ そもそも三島由紀夫の弟のことなど考えたこともなかった。いや、それをいうなら、兄や姉や妹のことも考えたことはないし、いるのかどうかもしらない。それは当然のことだろう。そもそも三島由紀夫本人のことも書物を通じてしか知らないのだから。 ◆ そういえば、由紀夫といえば、鳩山由紀夫にも弟がいて、こちらは弟も有名だが、こういう例はむしろ少数ではないか。 ◇ 兄弟の間の関係というのは微妙なもので、カインとアベルの往古から、余人には窺いしれない複雑な感情が長い時間のうちに双方に蓄積されているものである。プルーストはかの長大な自伝的小説のなかに、一度たりとも実在した弟のことを書きこんではいないし、中上健次は死ぬまで兄の自殺に拘り続けた。まして平岡千之の場合にはと、わたしは同情した。おそらく日本に留まっているかぎり、彼は生涯を通して彼そのものとして紹介されず、どこまでも三島由紀夫の弟といわれ続けるのではないだろうか。 ◆ 兄弟、あるいは姉妹。ことに同性の「きょうだい」の場合には、それこそ「余人には窺いしれない複雑な感情」があるのだろうと思う。 |
◇ 人生鳩に生れるべし。 ◆ 林芙美子の『放浪記』には、鳩があちこちに出てくる。というより、彼女が鳩のいるところに出むいているといった方が正確かもしれない。放浪の身を休めるのに最適な場所といえば、公園や神社仏閣。そして、そこには鳩がいる。たとえば、神戸の楠公さん(湊川神社)。鳩だけではなく、鳩豆売りのおばあさんもいて、 ◇ 「もし、あんたはん! 暑うおまっしゃろ、こっちゃいおはいりな……」噴水の横の鳩の豆を売るお婆さんが、豚小屋のような店から声をかけてくれた。私は人なつっこい笑顔で、お婆さんの親切に報いるべく、頭のつかえそうな、アンペラ張りの店へはいって行った。文字通り、それは小屋のような処で、バスケットに腰をかけると、豆くさいけれども、それでも涼しかった。ふやけた大豆が石油鑵の中につけてあった。ガラスの蓋をした二ツの箱には、おみくじや、固い昆布がはいっていて、それらの品物がいっぱいほこりをかぶっている。 ◆ 「アンペラ張り」「五銭の白銅」、それから「東京はもう地震はなおりましたかいな」という老婆のせりふが時代をしのばせる。「虫の食ったおヒナ様」のようなおばあさん、もしかしたら、あの世でも、鳩豆を売っているやもしれぬ。天国には、鳩がたくさんいそうだから。 |
◆ 姜尚中の熊本での少年時代。「おじさん」のタバコ。 ◇ わずかな酒でも酔ってしまう「おじさん」の唯一の嗜好品は、煙草だった。ピースの箱がいつも「おじさん」の後ろのポケットに押し込まれていた。わたしは、煙草をふかしている「おじさん」が好きだった。とりわけ広々とした大学のグラウンドの隅でゆっくりと腰掛けて目の前の立田山を漫然と眺めながら、煙草をふかしている「おじさん」の姿が好きだった。 ◆ 1950(昭和25)年生まれの姜尚中は、6歳のときに「熊本大学のキャンパスを見下ろすことのできる立田山のすぐふもと」に引っ越したそうだから、これは昭和30年代前半の思い出。この「情景」はワタシの目にも浮かびそうで、他人のワタシでさえ「無邪気に幸せ」になれそうな気がする。 ◆ 「だが今思えば」と文章は続いていくのだが、とりあえずそれは置いておくことにして、つぎは、さくらももこのおとうさん(ヒロシ)のタバコ。さくらももこは、1965(昭和40)年生まれ(年下だったのか!)。 ◇ ヒロシはハイライトを吸っていた。いつも彼のそばには必ずハイライトの水色の箱がおいてあり、ハイライトの水色は私にとっておとうさんの色だった。ハイライトを吸っているおとうさんはちょっとだけカッコ良く見えることもあった。 ◆ それから、最後に、内匠宏幸(元日刊スポーツ阪神担当、現フリーライター)が書いたコバへの追悼文。 ◇ 1952年(昭和27)生まれで同い年。コバよ、なんで急いで逝っちゃうんだよ。僕らの世代の反骨のヒーローが死んだ。〔中略〕 コロンの香りが流れ、ラークのキングサイズをくゆらせた小林の姿は決して忘れない。 ◆ ピースにハイライトにラーク。ワタシが死んだとき、ワタシの吸っていたタバコの銘柄をだれかなつかしく思い出してくれるだろうか? |
◆ 前に「おサルさん」のことを書いたから、というわけでもないのだけれど、 ◇ 途中下車の切符を大事にしまうと、楠公(なんこう)さんの方へブラブラ歩いて行ってみた。 ◇ 「あたし、お伊勢さんへお詣りして、良うござんしたわ。鶏もいるんですのね。あそこには。」 ◆ 「楠公さん」(湊川神社)とか「お伊勢さん」(伊勢神宮)とか、「さん」づけで呼ばれる神社は多い。お寺の場合はどうだろうと考えてみると、なに、寺院には山号というものがあって、みな「山(さん)」がついているじゃないかと、いう声がどこからかしたが、それは無視して、たとえば、「御坊さん」。 ◇ 御坊さんは少時(しばらく)無住(むじう)であつたが、 ◆ 「無住」というのは住職がいない状態を指すが、「御坊さん」を「おぼうさん」と読むと、意味が通らない。「お坊さん」ではなく「ご坊さん」。「御坊」とは浄土真宗の用語で、現在は「別院」と称する本山の支院のこと。上記の引用の「御坊さん」は東本願寺の岡崎別院のことで、通称が岡崎御坊。御坊を別院と言い換えてみても、ただコトバが変っただけで、なにも理解は深まらない。そもそも宗派の制度を詳しくしらない。コンビニなどの制度でいえば、フランチャイズ店ではなくて直営店、というようなことではないかと思っているのだが、どうなのだろう。とにかく「~御坊」と呼ばれる浄土真宗の寺院は、全国にあって、和歌山県には御坊市がある。 ◇ 市名は、浄土真宗本願寺(現在では西本願寺)の日高御坊(現本願寺日高別院)が約400年前に建立され、地元民がそれを御坊様と呼び親しんだことに由来する。 ![]() ![]() ◆ ワタシの地元、京都山科にも「御坊さん」がある。ふたつもある。東御坊と西御坊。この東と西は本山である東本願寺と西本願寺の東と西で、山科の西御坊は東御坊よりも東に位置する。 ◇ 〔京都市立音羽小学校〕 「御坊道」というのは,東西本願寺山科別院を「御坊さん」と呼ぶところから来た名前で、 ◇ 山科の東御坊さんでおもちつきや、工作などをして楽しく過ごします ◇ 西御坊さんの四ノ宮川沿いが比較的マシですが、 ◆ 「東御坊さん」に「西御坊さん」、ああ、なつかしい響き。 |
♪ 去年のあなたの想い出が ♪ そして 二年の月日が流れ去り ♪ あれは三年前 止めるあなた駅に残し
◆ 三重塔が落成したのは、2006(平成18)年のことらしい。二層目軒下に目を凝らすと、たまたま聞いたガイドの方の話によれば、「日光東照宮の眠り猫より可愛いと評判」の子猫の姿が見える。こりゃホントに可愛い。画像はこの子猫を制作した《勢山社》のサイトから、「塔上珠猫児」(あるいは「塔上の玉猫児」)。ほかにも塔上には猫があちこちにいて楽しい。 ![]() ![]() |
♪ ひとりで見るのが はかない夢なら ◆ 正月に実家でごろごろしながら、テレビ。1月1日、「相棒」の元日スペシャル。「特命係、西へ!死体が握っていた数字と、消えた幻の茶器の謎…東京~京都・連続殺人と420年前の千利休の死の秘密が繋がる!?」。「元日スペシャル」だけあって、21世紀の殺人事件の謎を解くだけでなく、16世紀の千利休の死の謎をも解くという欲張った趣向で、時代劇風のシーンも多かった。年末に、本屋で『正座と日本人』(丁宗鐵著)という本を立ち読みしていたら、「千利休は胡座をしていた」というようなことが書いてあったので、利休はアグラをかくかな、と楽しみにしていたら、やっぱり正座していて残念だった。 ◆ 1月5日、「タイムショック」。いまは「超タイムショック」というのか。その「最強クイズ王決定戦7」。茶の間でごろごろしてる身分からは問題が簡単すぎてつまらない。辰巳琢郎さん(京都大学卒)が回答者のときに、「~した衛星は?」という問題。辰巳琢郎さん(京都大学卒)は「月」と回答。正解は「かぐや」だった。「~した」の「~」の部分を覚えてないのでハナシにならないが、あるいは、「地球の出を撮影した衛星は?」というような問題だったかも。それならば、正解は「月周回衛星かぐや」であるほかないだろうが、「~した衛星は?」の「~」の部分をすっとばして(耳がすっとばして)、「衛星は?」と聞かれると、反射的に「月」と答えてしまう。ワタシもそうだった。問題が悪い。「~した人工衛星は?」という出題にしてほしかった。そう思ったが、考えてみると、いまでは「衛星」というコトバの第一義は「人工衛星」であるような気もしてきて(「衛星放送」など)、「衛星」と聞かれて「月」と答えるほうが時代遅れななのかとも思った。ちなみに、衛星の周りを回る衛星は「孫衛星」というらしい。 ◇ 人間が作った人工天体の場合には、天然の衛星(自然衛星)と区別するために「人工衛星」(Artificial Satellite)と呼ぶ。 ◆ 自然衛星! なんだか、ジャイアントパンダに「パンダ」の名を奪われた「レッサーパンダ」みたいだ。 ◆ おまけ。1月10日、「欽ちゃんの仮装大賞」。これは見てないが、ふだんは開店休業状態のワタシのサイトのアクセス数が急に増えて、なにがあったのかと「検索ワード」をチェックすると、「仮装大賞 バニーガール」といった語句からの訪問が激増していた。わかったようでわからない。たしかに以前「バニーガール」という記事を書いた覚えはあるけれど、「欽ちゃんの仮装大賞」を見て、バニーガールのことが調べたくなるというひとが数多くいるというのが(といっても50人くらい)、わかったようでわからない。いや、ひじょうによくわかるような気もするが、実際にアクセスが急増する(というほどでもないが)という状況を引き起こすほどのことなのかと思うと、やっぱり不思議な気がする。さらには、ワタシの記事にたいしたことはまったく書いてないので、ちょっと恐縮。 ◆ たまにテレビを見ると、ぜんぜん退屈しない。 |
◆ 海の色はいろいろ。黄色の海がある。 ◇ 彼は従来海の色を青いものと信じていた。両国の「大平」に売っている月耕や年方の錦絵をはじめ、当時流行の石版画の海はいずれも同じようにまっ青だった。殊に縁日の「からくり」の見せる黄海の海戦の光景などは黄海と云うのにも関らず、毒々しいほど青い浪に白い浪がしらを躍らせていた。しかし目前の海の色は――なるほど目前の海の色も沖だけは青あおと煙っている。が、渚に近い海は少しも青い色を帯びていない。正にぬかるみのたまり水と選ぶ所のない泥色をしている。いや、ぬかるみのたまり水よりも一層鮮かな代赭色をしている。彼はこの代赭色の海に予期を裏切られた寂しさを感じた。 ◆ 黄海(Yellow Sea)は、 ◇ 黄河から運ばれる黄土により黄濁している部分があることから命名された。 ◆ 赤色の海がある。 ◇ 紅海 ―― といっても、その海はむろん青い。古代ヘブル人が「葦の海」と呼んでいたのをギリシャ人があやまって「赤い海」と訳してしまったのである ―― に入ると、この辺は航路が定まっているため、しきりといろんな船に行きあう。 ◆ 紅海(Red Sea)がなぜ「赤い海」と呼ばれるかについては諸説あるようで、赤潮でときおり海水が赤くなるから赤い海、沿岸の砂漠が赤いので転じて赤い海、方位と色を対応させる文化があって、南を赤で示したから赤い海、などなど。 ◆ 北杜夫が、古代ヘブル人が「葦の海」、云々と書いているのは、少し誤解があるようだ。これは旧約聖書の翻訳にかんするハナシで、ヘブライ語の「葦の海」がギリシャ語の「赤い海(紅海)」に誤訳されたというのは事実なのだが、誤訳された結果として紅海が「赤い海(紅海)」と呼ばれるようになったのではない。「葦の海」というのは、現在「紅海」と呼ばれている海とは別のずっと小さな湖のことで(はないかと推定されていて)、「紅海」は旧約聖書の翻訳以前からすでに「赤い海」と呼ばれていたのである。この誤訳のせいで、つまり、小さな湖が大海である「紅海」に化けることによって、海をふたつに割ったという「モーゼの奇跡」がとてつもなくスケールアップしてイメージされてしまい、その極めつけが映画『十戒』の有名なシーンである。 ◆ あと、黒海(Black Sea)も白海(White Sea)もあるが、書くことがみつからない。 |
◇ 好きな本は何かと考えはじめて、好きということがわからなくなった。 ◆ そんなこともあるだろう。あるいは、好きな本は何かと考えはじめて、本というものがわからなくなった、ということもあるかもしれない。けれど、好きな本は何かと考えはじめて、好きということも本というものも同時に両方わからなくなってしまったら、考えようにも考えるすべがなにもなくて、あとは、もう寝るしかない。 ◆ 考える、考える、と考えていたら、どこからともなくカンガルーが現れて、すぐ消えた。 |
◆ 「お稲荷さん」であれこれ検索していたら、狐ではなく猫が出た。 ◇ 三光稲荷は失走人の足止の願がけと、鼠をとる猫の行衛(ゆくえ)不明の訴(うったえ)をきく不思議な商業(あきない)のお稲荷さんで、猫の絵馬が沢山かかっていた。霊験(れいげん)いやちこであったと見え、たま、五郎、白、ゆき、なぞの年月や、失走時や、猫姿を白紙に書いて張りつけてあった。 ◆ たま、五郎、白、ゆき、列挙された猫の名が楽しい。「霊験いやちこ」というコトバがわからないので調べる。「霊験あらたか」と同じ意味らしい。作者の長谷川時雨(しぐれ)も知らなかったので、これも調べる。
◆ 『美人伝』を書いたからというわけではないだろうが、なかなかの美人。 |
◆ わくたまくんは温泉卵であるそうだ。温泉だから、わくたまくんの「わく」は「湧く」かとふと思ったけど、温泉は湧いても、卵が湧いたりはしないだろうな。「沸く」ではないかとも思ったけど、湯は沸いても、卵が沸いたりはしないだろうな。そうすると、わくたまくんの「わく」はなんなのかということになるわけだけど、なんのことはない、和倉の「わく」だった。ぼんやりしてた。 ◇ 地名の和倉とは「湧く浦」、つまり湯の湧く浦(入り江)であり、海の中から発見された。そのため、潮が退いている時でないと湯を利用することができなかったが、近世には七尾城主の畠山氏、加賀藩の前田氏によって温泉が整備され、共同浴場が置かれた。 ◆ わくたまくんはシラサギの卵であるそうだ。どうしてシラサギかというと、こんな言い伝えが残されているそうで、 ◇ 〔「月刊おあしす」No.437:白鷺伝説〕 能登の国司・大伴家持が領内を巡行し、和倉の地を訪れてから60年後の大同年間に、薬師嶽の西、円山の湯の谷に温泉が湧き出したのが、和倉温泉のはじまりです。古来、湯の谷では不浄な物を洗ってはいけないという言い伝えがありましたが、漁師の妻が腰巻を洗ったところ、湯の谷に祀られていた少名彦名命の怒りをかい、湯がかれてしまいました。そこで夫婦は毎朝、ほこらに雁をかけると願いが叶い、神様は海に湯を沸せましたが、海面の泡立ちを見て、村びとは不吉なことの現われだと騒ぎ出しました。ところが、白鷺がその海で身を癒しているではありませんか。お湯が再び湧き出したことを知ったのです。これが白鷺伝説です。また、湯が湧きでる浦、ということで地名が「涌浦」とされたのです。 ◆ わくたまくんはシラサギ伝説のご先祖さまの血を受け継いでいるから、温泉が好きなんだな。だけど、わくたまくんはまだ卵だから、のんびり湯につかっているうちに、温泉卵になっちゃったんだな、きっと。 ◆ 和倉温泉観光協会・和倉温泉旅館協同組合のサイト《和倉温泉~わくらづくし~》には、「わくたまくん壁紙ダウンロード」なんてページもある。なかなかかわいい。〔でも、1024×768サイズのは、画像のリンク先が間違ってる。「1024-600.jpg」を「1024-768.jpg」に修正しないといけないからご注意。〕 |
◇ 〔岩内町公式HP〕 北海道のスケトウダラ延縄漁業発祥の地の岩内町! 前浜に揚がったばかりのスケトウダラからその日のうちに取り出れたタマゴは鮮度抜群!! そこに岩内秘伝の加工技術が加わり岩内産タラコが生まれます。~~~味も、品質の良さも天下一品。~~~ そんなスケトウダラから生まれたキャラクターが「たら丸」。 ◆ 特徴は、ねじりハチマキ・黒い長靴・タラコ唇。グリーンアスパラを手にしていることも。タラコ唇というのがいい。 ![]() ![]() ![]() ◆ この「たら丸」くん、あまり知られていないかと思って、紹介がてら、この記事を書き始めたんだけど、思いのほか有名でなっているようで、 ◇ 〔北海道新聞:2009/09/08〕 【岩内】後志管内岩内町のマスコットキャラクター「たら丸」が、3年前のテレビ出演をきっかけに、全国的な人気者になっている。各種イベントに招かれ活躍するほか、テレビや雑誌の「出演」依頼も年間30件を超える。愛嬌(あいきょう)のあるたらこ唇と丸い目、赤い鉢巻きに長靴姿が印象的な「ゆるキャラ」。 ◆ 「3年前のテレビ出演」とは、これだろうか。 ◇ 〔北海道雑学百科ぷっちがいど〕 2006年4月20日19:30~放送された、テレビ東京系列(テレビ北海道)の番組「TVチャンピオンゆるキャラ日本一決定戦」に、全国各地から、ユニークな着ぐるみのご当地キャラが参加しました。道内からは15キャラクターが北海道予選に参戦し(全国総計161キャラ)、その中で、後志管内岩内町出身の「たら丸」が、見事準優勝に輝きました! ◆ 2008年9月11日放映の「TVチャンピオン2ゆるキャラ王選手権」にも出場し、たましても準優勝だったとか。 |