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◇ とくに嫌いなのはカマキリだった。北海道ではあまり見かけないのだが、のちに大学院生になって神奈川県の横須賀で研究生活を送っていたころ、研究室の窓からカマキリが入ってくるのが怖くて仕方がなかった。窓ぎわに液体窒素をばらまいて殺していたほどだ。 ◆ 嫌いなことはよくわかったが、その理由についてはやはりよくわからない。とはいえ、その理由をとくに知りたい理由もないので、つづきを読む。宇宙飛行士の候補に選ばれて、札幌から松戸に引越してきた毛利さん。 ◇ いちばんのカルチャーショックは、常磐線の殺人的なラッシュだった。最初のうちは、すでに超満員でホームに入ってくる電車にどうやって乗ったらいいのかわからず、何本も列車を見送っていた。あの混雑にはいまだに慣れることができない。いや、あれに慣れてしまったら、人間の根源的な活力とでもいおうか、とても大切なものが失われてしまうような気がする。 ◆ ワタシもほぼ同感。むかしはそんなことをよく考えた。いまでも「あれに慣れてしまったら、とても大切なものが失われてしまうような気が」どこかでしている。とはいえ、失われてしまうだろう「とても大切なもの」が「人間の根源的な活力」といったものであるのかどうか。少なくとも、「人間の」という限定は大げさに過ぎるだろう。せいぜい「日本人の」か、あるいは「北海道人の」ぐらいが適当ではないだろうか。たとえば、「乗車率300パーセント」の満員列車を作り出すインドの人々が「人間の根源的な活力」に欠けているとは、とてもじゃないけど、思えない(「電車はディーゼル車」)。ところで、インドの満員列車に痴漢はいるのだろうか? |
![]() ![]() ◆ 「うみのこ」という船の前に、カモメが二羽。ああ、なるほど、ウミネコにウミネコか、と思われた方は早合点。船の名は「うみねこ」ではないし、カモメはユリカモメでウミネコではない。念のため。 ◆ さらには、ここは琵琶湖で、「うみのこ」は「海の子」ではなく「湖の子」。歌でいえば、「♪ われは海の子 白浪の」(文部省唱歌)ではなく「♪ われは湖(うみ)の子 さすらいの」(琵琶湖周航の歌)の方。かさねて念のため。 ◆ この「うみねこ」号、《滋賀県立びわ湖フローティングスクール》の学習船だそうだ。 |
◆ 先日の「メメメにハハハ」という記事で、 ◇ 薬師へめめめ戸隠へはははは ◆ という古川柳を紹介したが、念のために『誹風柳多留全集』(岡田甫校訂,三省堂)で確認してみると、あれあれあれ、「は」がひとつ多かった。つまり、「はははは」ではなく「ははははは」。 ◇ 薬師へめめめ戸隠へははははは ◆ 歯の四本が五本になったところでたいした違いはないのかもしれないが、これを単純に「ハハハハハ」と読んでもいいものやら、よくわからない。もしかしたら、 ◇ 子子子子子子子子子子子子 ◆ のように、特別な読み方があるのかもしれない。ちなみに、上の十二の「子」は、 ◇ 〔Wikipedia〕 「ねこのここねこ、ししのここじし(猫の子子猫、獅子の子子獅子)」と読む。この問題を考え出したのは嵯峨天皇、解いたのは小野篁であると伝えられている。 |
◇ 「私ねえ、本は読まないようにしているの」 ◆ なるほど。それもひとつの見識だろう。「敢えて~しない」という決断は目に見えないから、傍目からは「~しない」と見分けがつかない。でも、注意深いひとなら、どこかの筋肉に微妙な強ばりを見出してしまうかもしれない。「敢えて~しない」を続けていると、そのうち「~しない」と完全に区別がつかなくなって、そのころにはかつて「敢えて」という決断をしたことも忘れてしまっているだろう。そうなればいい。 |
◆ 丹那トンネル工事を描いた吉村昭の小説、『闇を裂く道』を読んだら、丹那盆地に行きたくなった。 ◇ 子供づれの女が通り、老いた男がすぎた。かれらは例外なく挨拶してすぎ、子供も頭をさげた。 ◇ 曾我は、川口の家を出ると畦道を進んだ。小川に膝まで水につかった子供たちが、大きな笊(ざる)を突き立て、そこへ魚を追いこんでいる。あげた笊の中には、川魚が何尾もはねていた。 ◆ 「別天地」あるいは「砂漠の中のオアシス」という表現でもいいが、まるで桃源郷のようなところ。かつては。 ◇ 〔Wikipedia:丹那トンネル〕 トンネルの真上に当たる丹那盆地は、工事の進捗につれて地下水が抜け水不足となり、灌漑用水が確保できず深刻な飢饉になった。住民の抗議運動も過激化したため鉄道省は丹那盆地の渇水対策(貯水池や水道等の新設、金銭や代替農地による補償等)にも追われることとなった。現在でも、完成した丹那トンネルからは大量の地下水が抜け続けており、かつて存在した豊富な湧水は丹那盆地から失われてしまった。例えば、湿田が乾田となり、底なし田の後が宅地となり、7カ所あったワサビ沢が消失している。 ◆ 正月休みの帰りに、かつては桃源郷であった丹那盆地を訪ねてみようかと思ったが、車がないときびしそうだったので、あっさりヤメにした。寒いし。暖かくなったら、また考えよう。 |
◆ 吉村昭『闇を裂く道』に参考文献として挙げられているもののうち、鉄道省熱海建設事務所編『丹那トンネルの話』が、《土木学会附属土木図書館 デジタルアーカイブス》の「戦前土木名著100書」に選ばれており、うれしいことにネット上でも読める(PDFファイル)。読み物として、おもしろい。たとえば、こんなハナシはどうだろうか(「十一 馬頭観世音の由来」)。 ◇ トンネルを掘るには、崩した土砂や岩石――之を碿(ズリ)と謂ひます――を坑外に運び出さねばなりません。此の運び出す作業、即ち碿出は、勞働者がウンサウンサとトロを押してもやれます。併しトンネルの長さがだんだん長くなつて碿の量がふへ、捨場の距離が遠くなると、人間の力でやつたのでは、間に合はなくなります。金も餘計掛ります。だから何か人間より力のあるものを使はなければばりません。これには馬か牛の生物をつれて來て、手傳はせるのが一番簡單です。牛や馬なら人間よりは力が強く丈夫で、しかも文句を言ひませんから、餘計に仕事をさせられます。 ◆ ズリ(碿)を積んだトロ(ッコ)を牽く馬や牛。『闇を裂く道』では、こうなっている。 ◇ 切端で崩された土石(ズリ)は、労務者がトロッコを押して坑口の外に運び出す。それは、途中で何度も休まねばならぬほどの重労働で、導坑が裾り進められるにつれて運ぶ距離も長くなり、労働は一層きびしさを増した。熱海ロ、三島ロともに一キロメートル近くまで掘り進んでいたので、ズリをトロッコで運び出すにはかなりの時間を要した。 ◆ 同じ文章を再読するより、似たような文章を複数読んだほうが愉しいし、記憶に残るように思う。間違いも少なくなるだろう。 |
◆ 似たような写真が3枚あると、並べたくなる。2枚では少なすぎ、4枚では多すぎる。3枚がちょうどいい。ちょっと前にも、「3つの講堂」を並べてみたが、今回は高校の校門の写真を3枚。 ![]() ![]() ![]() ◆ これらがみな高校の門だというのだから、驚く。 ◆ 門といえば、小諸城大手門にふれて、「愛がなくちゃね」という記事を書いたが、歴史的建造物として観光名所であるだけの門よりも、じっさいに使用されている門のほうが好きだ。門だって、門として建てられたからには、できることならいつまでも門として仕事をしていたいだろう。博物館に保存された「きかんしゃやえもん」が幸せだとは思えない。
◇ 本校正門は、上田藩主居館表御門を継承したものである。 ◆ なにがすばらしいといって、この歴史のある門が、いまなお「生きている」のがすばらしい。訪れたのは土曜日で門は閉ざされていたが、右端のポストには新聞が配達されていた。 ◇ この門は大多喜城内建造物唯一の遺構である。本柱が中心より前方にあり、控柱を付けた薬医門形で、天保十三年の火災後に建築された二の丸御殿の門である。明治四年の廃藩の際に、城山水道の開鑿により、功績のあった小高半左衛門に払い下げられた、大正十五年、曾孫にあたる県立大多喜中学校第一回卒業生小高達也氏により、同校の校門として寄贈された。 ◆ とある。たしかにかつては校門として使用されていたらしいのだが、いまでは校舎へと直接つながるスロープが門のすぐわきにあるので、門としての役割はあまり果たしていないのが残念といえば残念。ネット上であれこれ検索してみても、卒業生の思い出話にこの門のハナシは見つからない。城門としても小ぶりで、だから、城めぐりが好きなひとが、 ◇ 〔K.Yamagishi's 城めぐり〕 裏門だったので大したものではない。水戸一高内にある水戸城本丸正門だった薬医門のほうが立派である。 ◆ と思うのも仕方がないだろうが(ちなみに、上記のサイト管理人は水戸一高卒業生だそうだ)、創立4年目の新しい高校に通ったワタシとしては(そんなことはどうでもいいが)、それでもこんな門のある高校がうらやましい。 |
◆ 独り言はあまり言わないほうだと自分では思っているが、それはふだん耳が働いていないだけのことかもしれない。そんな気もする。つい今しがた、「あれっ!」という自分の声が自分の耳にはっきりと聞こえた。銭湯の帰りに立ち寄ったいつものスーパーで、いつものように、1パック6缶入りの缶ビールを買って帰った。部屋に戻って、さっそくそのうちの1缶を取り出したところが、「あれっ!」。いつものように、500mlのものを買ったつもりだったのに、手にしているのは、なぜだか350ml。「あれっ!」。このあと何本飲んでいいのやら、微妙に判断に迷いつつ、とりあえず、いま2缶目に手をつけたところ。 |
◇ き-の-こ (名) 菌〔木ノ子ノ義カ〕 ◆ キノコは「木の子」。だったら、キノコの子は「木の子の子」になって、ということは、「きのこのこ」は木の孫になるのかな? でも、「木の孫」っていったいなにかな? ![]() ![]() ◆ ケヤキにキノコが生えていた。「けや木」に「木の子」が生えていた。「けや木」に生えた「木の子」は「けや木の子」? このケヤキの子はなんという名前かな?
◇ けや-き (名) 欅〔良材ナレバ、貴(ケヤ)ケキ木ノ意カト云〕 ◆ 「やな木」というレストランはまだ見たことがないけど、やな木の「やな」ってなにかな? 大槻さんに聞いてみよう。 ◇ やな-ぎ (名) 欅〔彌長木ノ意カト云、或云、梁木ノ義、水邊ニ多ケレバイフト、或云、矢之木ノ轉、(又矢木(ヤギ))古ヘ、矢ニ作レバイフト、共ニイカガ〕 ◆ あはは、「共ニイカガ」だって。なんだか政治家みたいだな。語源というのは、いつでも、とってもむずかしい。
◇ 〔毎日jp(新潟):「ボトナムは知っている」 北朝鮮帰還事業50年(1) 植樹の日に生まれて(2009年12月09日)〕 新潟市中央区のショッピングエリア・万代シテイから新潟港へと続く国道113号沿いに、柳の木が約2キロにわたって立ち並ぶ。 ◆ 以前、この新聞記事を引用したとき(「ボトナム通り」)に、そのことがちょっとだけ気になったのを思い出した。 ◆ ヤナギが樹木の名前だということを知らないひとは少ないだろうから、「柳の木」の「木」は余分だろうと思う。でも、ケヤキは知らないひともいるだろうから、「ケヤキの木」と書くのが親切である場合もあるかもしれない。葉の落ちた冬のケヤキの樹影はとてもキレイだ。そのシルエットを模して「欅」という漢字が作られたというハナシもある。 ![]() ![]() ![]() |
◆ まだ11月だというのに、街ははやクリスマスの装いだ、というような書き出しでこのハナシを書こうと思っているうちに、気がついたら、クリスマスをとうに過ぎ、年も明け、もう一月も終わろうとしている。というわけで、時期はずれの「きよしこの夜」。 ◇ ――星の光る夜、きよしこは我が家にやってくる。すくい飲みをする子は、「みはは」という笑い声で胸をいっぱいにして、もう眠ってしまった。糸が安いから―― ◆ 重松清の小説にしたがって、「きよしこの夜」の歌詞を書きだせば、 ♪ きよしこの夜 星は光り ◆ ということになるが、「御母の胸に」が「馬槽(まぶね)の中に」、「いと易く」が「夢やすく」になっているヴァージョンもある。 ◆ これは小説のなかのハナシだからいいとしても、こんなカン違いをするひとは実際には少ないのではないか。そう思った。メロディー通りに歌えば、自然に「きよし、この夜」になるだろう。それをわざわざ「きよしこ、の夜」なんて変な区切り方にしなくてもいいんじゃないか。そう思ったのだが、けっこういるようなのだ。「きよしこ、の夜」派が。 ◇ 〔教えて!goo〕 「きよしこの夜」を「きよしこ」の「夜」だと思っていました・・・幼少の頃「こ」がつけばなんでも名前だと思っていました ◇ 〔コトノハ:「清し、この夜」を「きよしこの、夜」だと勘違いしててキヨシコってなんや?と疑問だった〕 「さらに勘違いして、『キヨヒコの夜』だと思ってました。」「『きよしこ』って何だよ、って思ってた」「中学生頃まで思ってた」「きよしこさんて誰だろうと思ってました」「今の今までそう思ってたのにそのキヨシコの意味まで疑問に思わなかったアタシって(…)」「キリストの兄弟かなんかだと思ってた」「思ってた思ってた。つい最近知った。」「漢字で見るまで勘違いしてた」「思ってた!!小学校で楽譜配られてタイトル見るまで知らなかった」「NEW HORIZONで初めて知った。ずっと間違えてた。」「辞書で『きよしこ』を探した」「キヨシコって変な名前だよなとか思ってた」「歌詞を読む方から入ったから。きよし子」「はい。知ったのは結構大きくなってからw」 ◆ 1925(大正14)年生まれの阪田寛夫も、「きよしこの夜」の歌詞をカン違いしていたハナシを書いている。ただし、阪田がこの歌を覚えた昭和のはじめごろは、歌詞がいまとは異なっていて、 ◇ 「また逢う日まで」の繰返しの入る別れの歌や、クリスマスに歌われる「清しこの夜」は、キリスト教徒以外にも知られるようになっていたが、どの歌も大体は明治にできた漢語まじりの堅い訳詩であった。 ◆ 「きのしこ、の夜」より「光りて、りきぬ」のほうが、カン違いの可能性としては高そうに思える。また、「しりけり」で「尻を蹴る」というのも、子どもならいかにもやりそうなことだろう。 ◆ カン違いの多いクリスマス・キャロルに、もうひとつ「もろびとこぞりて」を挙げることができるだろう。 ♪ 諸人(もろびと)こぞりて 迎えまつれ ◆ 出だしからして難しい。「もろびと」に「こぞりて」、コトバの区切りは間違えないにしても、子どものアタマにはなんのことやら、さっぱりわからない。きわめつけが「主は来ませり」の部分。 ◇ 私はこの『主は来ませり』の部分をカタカナで『シュワキ マセリ』と歌っておりました。切るところも全然違う…。で、私はこの言葉をいったい何と勘違いしていたかというと、「エコエコアザラク」とか、「コノウラミハラサデオクベキカ」とか、「マハールターマラ フーランパ」などの、呪文と勘違いしていたのです。あ、別に悪い意味で考えていたわけではなく、ただ単に何か意味のある呪文なのかな~と。 ◇ その歌わされた歌の中に「もろびとこぞりき」というものがありました。この歌を当時かなり不思議だと思った覚えがあります。だいたいこの題名からしてさっぱり意味が分からない。しかも歌詞のサビの部分が「シュワキマセリ~、シュワキマセリ~、シュワァ、シュワァキマセリ♪」というものでシュワキマセリって何だ?と、さらにわからない。これは間違いなく日本語ではなく、この部分だけは向こうの方の言葉で、合いの手というかかけ声の一種だと最近まで思っていました。 ◇ 諸人(もろびと)こぞりて~♪の賛美歌の「シュワキマセリ」が「主は来ませり」だったとはじめて知りました。「シュワキマセリ」というのはなんというか「ビビデバビテブー」みたいなおまじないというかそんなものかと思っていたですの。 ◇ 私は昔『諸人こぞりて』の歌で『主は来ませり、主は来ませり』と言う歌詞を『シュワッキマセリ、シュワッキマセリ』と神様を呼ぶ時の呪文だと思っていた。会社に入って友達とその話をしていたら、横で聞いてた後輩が『え!それって神様が出てくる時の音じゃなかったんですか!?』と驚いていた。ウルトラマンじゃあるまいし・・・ ◇ 歌は「主はきませり」で練習のとき「シュワキマーセリ シュワキマセリ シュワーシュワーキマセリ」とサイダーのような歌だと話したものです。 ◇ あー、でも「主は来ませり」はヘブライ語だとずっと思ってました。それこそ、般若心経の「羯諦羯諦波羅羯諦」みたいなもんだと。 ◆ カン違いとしては、こちらのほうがわかりやすくておもしろい気がする。 |
◆ 「風呂桶」のハナシを書いた次の日に、こんな文章に出くわすのは、とってもウレシイことだ。 ◇ おひろお婆さんはひどくおっとりした老婆であった。自分の夫がおかのお婆さんという二号さんと同じ村の同じ宇に住んでいるのを黙って許していたくらいであるから、おっとりしていない筈はなかった。従って、このおひろお婆さんは、血は通っていないが、私にとっては正式の曽祖母であった。私が小学校へ上がって間もなく六十七歳で他界したが、本家でも、親戚でも、それから村の人たちも、何となくこのおひろお婆さんという女性を特別な眼で見ていた。沼津藩の家老であった五十川(いかがわ)という家の娘に生れ、十何歳かの時潔のもとに嫁いで来たが、嫁入支度の中に朱塗りの風呂桶と薙刀(なぎなた)がはいっていたことが、最初に村人を驚かせた。風呂桶は納屋に仕舞われ、薙刀は本家の二階の座敷の長押(なげし)に掛けられ、そしてそのまま、おひろお婆さんの長い生涯を通じて、この二つの物はその位置を移動することはなかった。 ◆「 おひろお婆さん」の嫁入支度のなかにあったという「朱塗りの風呂桶」。さて、この風呂桶は、 ◇ ふろおけ【風呂桶】 [1] 木を桶状に組んで作った湯舟。浴槽。[2] 浴場などで用いる小さな桶。 ◆ どちらの意味? ◆ たとえば、銭湯でよくみるケロリンの桶。
◆ このケロリンの桶も風呂桶であるなら、「朱塗り」の桶は、「朱塗り」であることによって、いまではかなりの高級品であると判断されるだろうから、いまなら驚く村人もなかにはいるだろう。この朱塗りの桶が小さな湯桶ではなく、そこでひとが入浴する大きな桶のことであるなら、当時の村人が驚くのも無理はない。 |