◆ 丹那トンネル熱海口坑門の真上には殉職碑があり、その背後には丹那神社がある。《丹那神社》のサイト(URL上は、来宮神社のサイトに間借りしている)によると、
◇ 〔丹那神社〕 丹那神社は、このトンネル工事の犠牲者の英霊の鎮魂の意味を込めて、工事の守り神として坑口上に建立、当初「隧道神社」と命名されて現在地に祀られましたが、後に「丹那神社」と改称されて今日に至っています。
www.kinomiya.or.jp/tanna/yurai-keidai.htm
◆ この「丹那神社の右斜め上に」小さな祠がある。この祠について、《丹那神社》のサイトはつぎのような説明をくわえている。
◇ 〔丹那神社〕 トンネル工事を担った坑夫は、金、銀、銅などの鉱山で活躍した坑夫の系譜に連なる人たちです。
固有の歴史と伝統、規律を持つこの人たちには、様々な習俗・習慣がありましたが、その一つに工事を起こす際に、山を鎮め、工事の安全を祈って坑口に山の神様(山神宮)を祀るというものがあります。
丹那トンネルの工事に際しても、着工前に山の神が祭られました。丹那神社の右斜め上にある小さな祠がそれで、石を刻んだだけの素朴な社です。
祭神は大山祗命(おおやまずみのみこと)が祀られ、坑夫たちは坑内への出入りの際には参拝したと言われています。
www.kinomiya.or.jp/tanna/yurai-keidai.htm
◆ この「山の神様」を祀っている小さな祠が、山神社(さんじんじゃ)。坑夫、炭鉱夫、トンネル坑夫。ああ、そうか、トンネルで働くひともやはり坑夫なのだった、と当たり前といえば当たり前のことに、いまさらながらに気がついて、なるほどなるほど、と合点がいった。山の神。
◇ 妻が出産した折りには一週間坑内に入らぬ習わしがあり、女が坑内に入るのをかたく禁じる現場もある。それは、山の神――女神の嫉妬を買い、山が荒れるからだという。迷信だと言って笑うのは容易だが、それほど神経を使わねばならぬ危険な職場だ。
吉村昭『闇を裂く道』(文春文庫,p.94)
◆ トンネルにかぎらず、全国各地の鉱山、炭鉱には、きまって「山神社」がある。友人の住む万字にも山神社はあった(近年移築され、その賽銭箱を友人が作った)。
◆ べつな本を読んでいたら、こんな記述。
◇ 宿を出て渓谷沿いに下って行くと、巨大な男根状の岩(男石明神)を過ぎ、やがて狭い谷からすこし開けた里に出た。谷の出口から下に棚田が見えている。その出口というか、里のほうから来れば狭い谷への入口に、小さな神社があった。
風雪にくろずんだ白本の鳥居に、「山神宮」と書いた板額が上がっている。
――なんと素朴な名前だろう。
角間神宮といった名があってもよさそうだが、たんに山神宮だった。鳥居の奥の社殿も祠といったほうがいいくらいに素朴で小さなものだ。この神社が、固有名詞をもたず、ただ山の神社であるところに、ここがまさに山国であることを思わせられる。
高田宏『信州すみずみ紀行』(中公文庫,p.113)
◆ 「なんと素朴な名前だろう」、ワタシも友人に万字の神社の名が「山神社」であることを聞いたとき、そういう気がした。上の引用文で触れられている角間渓谷の山神宮も、もしかしたら近くに鉱山があったのでは、とつい思ってしまったが、山の神を祀るのは、なにも鉱山だけではない。マタギ、キコリ、炭焼き、山にはいろんな仕事がある。