MEMORANDUM

  3つの校門

◆ 似たような写真が3枚あると、並べたくなる。2枚では少なすぎ、4枚では多すぎる。3枚がちょうどいい。ちょっと前にも、「3つの講堂」を並べてみたが、今回は高校の校門の写真を3枚。

◆ これらがみな高校の門だというのだから、驚く。
(左)長野県立上田高校正門(旧上田藩主居館表御門)。上田市文化財。
(中)千葉県立大多喜高校〔かつては〕正門(旧大多喜城二の丸御殿薬医門)。千葉県文化財。
(右)京都府立園部高校正門(旧園部城本丸櫓門)。文化財指定なし。

◆ 門といえば、小諸城大手門にふれて、「愛がなくちゃね」という記事を書いたが、歴史的建造物として観光名所であるだけの門よりも、じっさいに使用されている門のほうが好きだ。門だって、門として建てられたからには、できることならいつまでも門として仕事をしていたいだろう。博物館に保存された「きかんしゃやえもん」が幸せだとは思えない。

◆ 3つのなかでは、この上田高校の門が一番すばらしい。《長野県上田高等学校公式ホームページ》の、「校門と堀・濠」というページの写真の数々(卒業式や入学式)がこれまたすばらしいのでぜひ一度。

◇  本校正門は、上田藩主居館表御門を継承したものである。
 寛政2(1790)年、上田藩主が松平忠済(ただまさ)の時代に再建され、形式上薬医門と呼ばれる。中世以降の武家、禅宗寺院に多く用いられた様式である。
〔中略〕
 門標の「長野縣上田高等学校」は昭和38年秋、当時、新潟大学教授石橋犀水先生に揮亳していただいたものである。門標が盗難に遭う前に籠字にしておいたものを80周年の記念事業の中で刻して復活した。

ueda-h.ddo.jp/koumon.htm

◆ なにがすばらしいといって、この歴史のある門が、いまなお「生きている」のがすばらしい。訪れたのは土曜日で門は閉ざされていたが、右端のポストには新聞が配達されていた。

◆ 大多喜高校のこの門、説明板によると、

◇ この門は大多喜城内建造物唯一の遺構である。本柱が中心より前方にあり、控柱を付けた薬医門形で、天保十三年の火災後に建築された二の丸御殿の門である。明治四年の廃藩の際に、城山水道の開鑿により、功績のあった小高半左衛門に払い下げられた、大正十五年、曾孫にあたる県立大多喜中学校第一回卒業生小高達也氏により、同校の校門として寄贈された。

◆ とある。たしかにかつては校門として使用されていたらしいのだが、いまでは校舎へと直接つながるスロープが門のすぐわきにあるので、門としての役割はあまり果たしていないのが残念といえば残念。ネット上であれこれ検索してみても、卒業生の思い出話にこの門のハナシは見つからない。城門としても小ぶりで、だから、城めぐりが好きなひとが、

〔K.Yamagishi's 城めぐり〕 裏門だったので大したものではない。水戸一高内にある水戸城本丸正門だった薬医門のほうが立派である。
shiro.travel.coocan.jp/02kanto/otaki/index.htm

◆ と思うのも仕方がないだろうが(ちなみに、上記のサイト管理人は水戸一高卒業生だそうだ)、創立4年目の新しい高校に通ったワタシとしては(そんなことはどうでもいいが)、それでもこんな門のある高校がうらやましい。

◆ 園部高校正門。この門もいまなお生きている。(あれこれ調べて補足の予定)

関連記事:

このページの URL : 
Trackback URL : 

POST A COMMENT




ログイン情報を記憶しますか?

(スタイル用のHTMLタグが使えます)