◆ 吉村昭『闇を裂く道』に参考文献として挙げられているもののうち、鉄道省熱海建設事務所編『丹那トンネルの話』が、《土木学会附属土木図書館 デジタルアーカイブス》の「戦前土木名著100書」に選ばれており、うれしいことにネット上でも読める(PDFファイル)。読み物として、おもしろい。たとえば、こんなハナシはどうだろうか(「十一 馬頭観世音の由来」)。
◇ トンネルを掘るには、崩した土砂や岩石――之を碿(ズリ)と謂ひます――を坑外に運び出さねばなりません。此の運び出す作業、即ち碿出は、勞働者がウンサウンサとトロを押してもやれます。併しトンネルの長さがだんだん長くなつて碿の量がふへ、捨場の距離が遠くなると、人間の力でやつたのでは、間に合はなくなります。金も餘計掛ります。だから何か人間より力のあるものを使はなければばりません。これには馬か牛の生物をつれて來て、手傳はせるのが一番簡單です。牛や馬なら人間よりは力が強く丈夫で、しかも文句を言ひませんから、餘計に仕事をさせられます。
丹那トンネルでも、初めの口付け時代には、人力でトロを押して、やりましたが、間もなく馬に代へることにしました。併し馬を使つて一番困ることは、馬が臆病な點です。殊に坑内の暗い處になると、馴れた奴でも、兎角物事に驚き勝で暴れ易く、その爲に能く足を折る奴が出來ます。馬も足を折つては商賣になりませんから、此奴はトロに積んで坑外に運び出して殺してしまひます。已むを得ませんが、如何にも不憫です。いくら畜生でも一掬の涙なしにはと謂ひたくたります。三島口の鹿島組では、可なり長い期間、馬を使ひましたから、此の間に澤山の馬を犠牲にしました。碿出しの下請をやつて居つた川上氏はこれを見て、仕事の爲とは謂へ、餘りに可哀相だ、何とか馬の靈を慰めてやり度いと、考へた末、馬頭觀世音を建立して、供養をしてやりました。今の火藥庫のある山の下にあるのが、それです。近頃は大分お詣りする人が多勢あります。それは家族が病氣のとき病氣が樂になり早く癒る樣に祈るのですが、效驗があらたかの爲か、お供物を供へて、線香の煙のゆらゆらしてゐる日の方が多いやうです。三島口に停車場でも出來ましたら、もつと適當の場所に移す計畫も出來てゐるやうです。
馬はこんなエ合で、兩ロとも餘り、成績が思はしくないので、次は牛を使ふことにしました。牛は馬よりもカが強く、それに臆病でありませんから、其の點は好都合です。此の馬や牛を使つた時代は、未だ坑内の明りはカンテラですから、手元以外は眞黒です。此の闇の中で圖體の大きい牛や馬と一緒に働くのですから時々間違ひが起ります。牛はトロを引いても、悠々と餘り音を立てず、暗闇から、のそりと出て來ますが、其の眼玉が異樣に光つて、氣味の悪いものです。或る人夫などカンテラの燈だと思つて居ると兩眼を光らした大きな牛の頭が暗闇から突然眼前に浮び出たので、びつくりして、あわてゝ逃げて、大怪俄をした事もありました。そんなことから、牛の首に鈴をつけて見ましたが、牛が歩くとカランカランと鳴り、坑内から鈴音勇しく出て來る樣は、一寸活氣もあり、乙な處もあつて、いゝものでした。牛馬との暗闇生活で、一番困るのは、先生達の糞尿です。所きらはずやるので坑内は臭くなり、足元がともすると辷つて危険です。此の時分の笑話です。三島口の組員の一人が、眞暗な中を、或る時切り擴げの上段から、手捜で降りて來て、大體此の邊が、支保エの「大引」だと思つて、ぐつと、つかまつて見ますと、何だか柔かで暖い、おかしいなと氣がつくと、馬の尻にしつかりつかまつて居たと謂ふナンセンスもありました。熱海ロの鐵道工業會社では、朝鮮牛の赤い奴でトロ三臺を引くのを使ひましたが、三島ロの鹿島組では、丹波牛のトテツモなく大きい奴で、トロ十臺も引くのを使ひました。面白いことに、兩請負人の仕事のやりつぷりの違ふのが、こんな點にも表はれて居ます。
こんな工合で、牛馬の御厄介には大分なりましたが、結局技術的な動力の力を借りなければ、充分な仕事は出來ません。愈々牛や馬を免職して、電車運搬にしたのは、大正十年夏頃からでした。今日なら電氣工業も發達し、トンネル技術も進歩しましたから、こんな人から馬、馬から牛、牛から電氣と、まだるいことをやらずに、いきなり電氣を使ふでせう。併し當時としては已むを得なかつたのです。暗い地中のトンネル作業では、味もなく、臭もなく、形もない電氣の御厄介になるのが一番です。之れで碿出し作業も、本格的になつたのですが、馴れると云ふものは、おかしなもので、電車にした當時には、坑夫達のなかに、電車は早くていかんとか、トロの連結があぶないとか、不平を謂ふものがありました。こんな連中でも、まさか今日では牛や馬を使つて見る勇氣もありますまい。人間は兎角舊慣に惰して、新しきにつかないものです。しかし一旦移ると又すぐ馴染んでしまひます。新調の靴が一寸はき悪いと謂つた工合なのでせう。
鉄道省熱海建設事務所編『丹那トンネルの話』(鉄道省熱海建設事務所,p.59-61,1934)
◆ ズリ(碿)を積んだトロ(ッコ)を牽く馬や牛。『闇を裂く道』では、こうなっている。
◇ 切端で崩された土石(ズリ)は、労務者がトロッコを押して坑口の外に運び出す。それは、途中で何度も休まねばならぬほどの重労働で、導坑が裾り進められるにつれて運ぶ距離も長くなり、労働は一層きびしさを増した。熱海ロ、三島ロともに一キロメートル近くまで掘り進んでいたので、ズリをトロッコで運び出すにはかなりの時間を要した。
そのため馬と牛を使用することになり、熱海口では六頭の牛が集められ、三島口では馬が調達された。
牛馬は、それぞれ空のトロッコ三台をひいて坑口から切端にむかった。坑内は電燈がなく真の闇で、牛、馬は、手綱をとる者の持つカンテラの明かりをたよりに進み、切端にたどりつく。そこでトロッコにズリが積まれ、牛、馬は、それをひいて坑口に引き返して土捨て場にゆく。これによって能率が上がり、人件費の節約にも役立った。
ズリ出しを終えた牛や馬は、坑口の外で飼料をあたえられて休息をとる。係りの者は馬を近くの川に連れて行って体を洗ったり、牛の体を藁で拭いたりしていた。
半月ほど過ぎた頃、三島口で馬の事故が起った。
その日、ズリを積んだトロッコをひいて坑口に進んでいた馬が、突然、暴れ出した。手綱をもつ男の手にしたカンテラの淡い灯だけの闇に、馬が恐怖を感じたのである。
男は驚いて制止しようとしたが、馬はたけり狂い、足を曳き綱にからめて骨折してしまった。馬の甲高いいななきをきいて集まってきた労務者たちは、倒れた馬の足を綱でしばってトロッコにのせ、坑口の外に運び出した。足を骨折した馬は殺す以外になく、処理業者に渡され、運び去られた。
馬の事故は、その後もつづいた。臆病な性格の馬は闇を恐れ、不意の音に驚いて暴れ、足を骨折する。その度に、馬は、大ハ車で処理場に運ばれた。三島ロのズリ出しを請け負っていた親方は相つぐ馬の死をあわれみ、霊を慰めるため自費で馬頭観世音の像を建立し、香華をそなえた。
熱海口で使っていた牛には、事故はなかった。牛は馬より力が強く、歩く速度はおそいが闇も恐れずトロッコをひく。そのため、三島口でも馬の使用をやめて牛に切りかえることになった。
三島ロでは丹波牛を集めた。それは、体が大きく力もあって、熱海口で使っていた牛がトロッコ三台をひくのに、丹波牛は十台もひく。落ち着いた動きでズリを満載したトロッコをひいて、坑外に運び出し、能率が向上した。
しかし、牛そのものに事故はなかったが、熱海ロの坑道で、坑内夫が重傷を負う出来事が起った。牛は物音も立てずに歩く。その坑内夫は、闇の中から突然、姿をあらわした牛に驚き、あわてて逃げたため支保工の丸太に体を打ちつけて顔を強打し、腕も骨折したのである。
この事故は、今後も起ることが予想された。それを防ぐため牛の首に鈴をつけさせることにしたので坑道には悠長な鈴の音が往き来するようになった。
そのうちに、坑内労務者の間から牛の排泄物に対する苦情が建設事務所派出所に持ち込まれるようになった。坑内に悪臭がただよい、糞に足をすべらせて倒れる者もいる。派出所では、専門の処理係をもうけ、糞をスコップですくってトロッコで坑外に出させる処置をとった。
吉村昭『闇を裂く道』(文春文庫,p.64-66)
◆ 同じ文章を再読するより、似たような文章を複数読んだほうが愉しいし、記憶に残るように思う。間違いも少なくなるだろう。