MEMORANDUM

  丹那トンネル

◆ 丹那盆地に行くのはやめたが、丹那トンネルだけは見ておこうと思って、新幹線を熱海で降り、伊東線に乗り換え、来宮(きのみや)駅に着いた。改札口でトンネルへの道順を尋ねると、わからないから、となりの交番で聞け、と言う。鉄道員なのに。

◇  丹那山トンネルの工事は、熱海口から開始されることになった。
 大正七年三月二十一日朝、熱海町の梅園近くにある坑口予定地の山肌の前で起工式がもよおされた。

吉村昭『闇を裂く道』(文春文庫,p.46-47)

◆ たしかに「梅園近く」に丹那トンネル熱海口はあった。

〔Wikipedia:丹那トンネル〕 熱海側の坑門上部には、開通時の鉄道大臣内田信也揮毫の銅製「丹那隧道」扁額が中央にあり、左に2578、右に2594という数字も掲げられている(2つの数字は着工と開通の年の皇紀を表す)。
ja.wikipedia.org/wiki/丹那トンネル

◆ 2594-2578=16。トンネル工事は、1918年(大正7)年から1934年(昭和9)年、完成までにじつに16年もの歳月を要した。殉職者67名。熱海口坑門の真上に「殉職碑」があり、殉職者名簿がある。三澤徳一、長田要一、織田龍一、永井誠一郎、石原森一、横山松太郎、松本源太郎、高橋吉太郎、福本伯太郎、三上清太郎、小林金一、兒玉長太郎、安藤一郎、藤田金一、田口一男。長男っぽい名が多い(なんてことはどうでもいいのだけど)。それから、女性がふたり。岩田エイ、金子安。それから、朝鮮名のもの7名。季春伊、李且鳳、金炳泰、明東善、李賢梓、孫壽日、金芳彦。合掌。

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