◆ 「落石注意」の標識のつづき。この標識に描かれた石(岩)は何個だろうか。だれがどう見たって4個だろう、と思うひとがほとんどだろうが、1個だと思うひともいる。
◇ 第二印象は、法隆寺にある玉虫厨子への連想である。その台座の部分に、自らの肉体を与えることで餓えた虎の命を救ったという、釈尊前世の有名な物語「捨身飼虎(しゃしんしこ)」が描かれている。
崖の上に衣を脱ぐ男、身を投じてまっさかさまに落下する男、崖下には、虎にまさに今食べられんとする男の姿がある。
それを、三人の男が次々と飛び降りる様子だと受け取れば、画家は、あまりに張り合いがないと嘆くに違いない。
画家は、一人の男の三つの場面を苦心して描いたのである。同様に、岩もまた、四個ではなく一個でなければならない。
玉虫厨子の画家と交通標識の画家との間には、なんと千三百年余りの時間が横だわっているのだ。画家にとって、運動をどのように絵にするかということが、永遠の課題であり、標識のこの表現が古くて新しい方法であることがよくわかる。おそらくもっと早く、絵を描き始めた時から、人類はこの難問とともにあったのだろう。
なんとか絵を動かしたいという願いは昂じて、とうとう映画を生んでしまう。映画ではなく活動写真と呼べば、動く絵に初めてふれた人々の感動かよみがえってくる。
木下直之『ハリボテの町 通勤篇』(朝日文庫,p.205-206)