MEMORANDUM
2004年08月


  quote

◆ アメリカの女性シンガー、ジョーン・オズボーンはこう言った。

◇ "Singing is a f***ing blast. When it's really good, it's as good as the best sex. I get nipple erections all the time on stage, I do!"
-- Joan Osborne

www.askmen.com/women/singer_150/188_joan_osborne.html

◆ 歌手って職業は、まったくステキなものだ。

◆ 公園で、4才の男の子が、「おいおい泣」きながら、お母さんにこう言った。

◇ 「ちいちゃいおにいちゃんに、くちにボールぶつかった~」
Cream in my Coffee

◆ コトバを覚え始め、それが安定してしまうまでのわずかな期間に語られるコトバのなかには、チャーミングなものが多くて、ワタシには、3才の男の子も5才の女の子もいないけれども、一日ぐらいは、そんな子どもの相手をしてみるのも悪くはない、と思ってみたりもする。上記の「コトバ」は、お母さんによると、こういう意味だそうだ。

◇ (訳・自分より年下の男の子に口にボールをぶつけられた)

◆ なるほど。でもね、「ちいちゃいおにいちゃん」にボールをぶつけられて、泣いてちゃダメだぞ。男の子ってのは、泣かないんだ。

[08/03/2004 22:35] 追記

◆ 「ちいちゃいおにいちゃん」と言ったのは、4才の男の子ではなく、女の子でした。お母さんならびにご本人に、ごめんなさい。どうして男の子だと思ってしまったのかなあ?

◇ 父には憧れの職業が2つあった。ひとつは宅急便の運転手でもうひとつは駐車場の誘導係(父の表現では「旗振り」)。彼がこの2つの職業のどこにどのように魅かれているのか家族の誰にも不明だったし今でもわからない。
01.members.goo.ne.jp/www/goo/c/m/ckmtn/profile.html

◆ ワタシは、40代になった今でも、将来はなにになろうかなと考えたりしていているオトナコドモなので、こういった文章を読むと、胸がわくわくする。

◆ ワタシのサイトの「PhotoDiary」のページは《Diaryland》というアメリカのレンタル日記サイトで作っているのだが、ずいぶん以前にここでこんな日記を読んだことがある。

◇ 大きくなったら、ウェディング・プランナーになりたい。ジェニファー・ロペスの映画はみてないけれど。

◆ たしかこんな内容で、「保存」しておかなかったのが悔やまれるくらいに(いま検索してみたが、見当たらない)、すてきな文章を書く女の子の日記だった。名前も憶えていないが、14才ぐらいの女の子で、両親が離婚していて・・・

◆ ワタシも、ジェニファー・ロペスの映画はみてないけれど、ワタシのパソコンの壁紙がなぜだがジェニファー・ロペスで・・・

◆ ハナシが逸れたので、強引に戻すと、以前このページで、ある小学3年生の「ぼくはなりたい」と題された作文を紹介したことがある( [09/19/03 11:05] )。再掲すると、

◇ 僕は、ごく普通のサラリーマンになりたい、というのは、建設業みたいな、力を使うのは、つかれるので、いやだ、電気せい品を作る仕事もややこしいので、いやだ、となると、やっぱり、サラリーマンみたいな書類を毎日書いていた方が楽でいい、朝は、電車で会社へ行って、昼休みには、昼食を食べて、夕方になると、また電車に乗って、今度は、家に、というサラリーマンに僕はなりたい。
『日刊スポーツ』9月18日付

◆ ひとそれぞれ、こどももそれぞれ、という以外にコメントの書きようもないが、好みとしては、宅急便の運転手に憧れるこどもの方が数十倍も好きである。などということを考えていたら、冒頭に引用した文章の続きには、こうあった。

◇ 55歳でさっさと早期定年退職を選び失業保険を満期もらうとその間に自分で車の届出書をつくって申請をし、念願の宅急便の運転手をはじめた。体力的にきつく収入もよくはないと思うのだが憧れの職業にとうとう従事することができて毎日うれしそうだ。

◆ 「大きくなったら」ではなく「大きくなっても」であったのか! いやはや参りました。

◆ 「When I grow up I want to be」で検索したら、こんなアイリッシュ・ジョークがヒットしたので、載せておく。

◇ アイルランドの小学校での授業中のこと。先生(sister)が生徒たちに、「大きくなったらなにになりたい?」と聞いて回った。すると、ひとりの女の子がこう答えた。「When I grow up I want to be a prostitute.」 その答えを聞いて先生はショックのあまりに失神。しばらくして意識を取り戻した先生、先の女の子に「さっきは、大きくなったらなにになりたいって言ったの?」。女の子は「prostitute(娼婦)よ」とおんなじ答え。なのに、先生は「ああ、よかった」とほっと一息。「Protestant って言ったのかと思ったわ」。

◆ 原文はコチラ。このジョークを理解するには、アイルランドが敬虔なカトリックの国であることを知っていれば事足りる。

◆ 黒沢年男の『時には娼婦のように』という歌が流行ったことがあった(1978)。

◇ 私は、歌詞の出だしを聞いてゾッとした。それは大人社会、いや『中年男社会』に対する生理的な嫌悪感だった。私は十にも満たなかったが、娼婦は職業上の必要に迫られて淫らな格好をしているものであり、好き好んでそんな仕事をしているわけではないことを知っていたからだ。そんな歌を嬉々として歌う大人を見るたび、暗鬱たる心持ちになり、大人になったらそんな連中のウヨウヨいる中に出てゆかねばならぬのかと、身の毛もよだつ思いだった。
www.dab.hi-ho.ne.jp/umed/forum/forum23.htm

◆ 作詞は、なかにし礼。そのゾッとする歌詞はというと、

♪ 時には娼婦のように 淫らな女になりな
  真赤な口紅つけて 黒い靴下をはいて

◆ このジョークを理解するには、なにを知っていれば事足りるのだろう。

◆ そうめんのハナシを書こうと思う。

◇ 男もつらいけど 女もつらいのよ 友達になれたらいいのに

◆ と歌っていたのは、「ラーメン食べたい」の矢野顕子で、この歌は数あるラーメンソングのなかでも出色の出来だと思う。夜更けにふとラーメンが食べたくなるのは、あるいはこの歌のせいであるかもしれない。

◆ しかし、書こうとしていたのは、ラーメンではなく、ソーメンのことだった。

◇ 我が家ではそうめんを食べる時に錦糸玉子を添えるけど、相方に不思議がられてしまった。 / そうめんに錦糸玉子と言うのはマイナーなんだろうか?
plaza.rakuten.co.jp/yurari/diary/200407180000/

◆ いいんじゃないのか、錦糸玉子くらいトッピングしても! 薬味のネギとショウガだけで十分だって? 冷やし中華じゃないって?

◇ 冷やし中華にマヨネーズはかけますか?名古屋では定番というのは有名なのですが、冷やし中華にマヨネーズをかける習慣は名古屋だけなのでしょうか?
home.att.ne.jp/zeta/sano/mayo/mayohiya.htm

◆ 冷やし中華もワケがわからんじゃないか! (そうめんのハナシ、つづく)

◆ 日曜日、蕎麦屋でソバを食べていたんである。ソバを食べながら、ソーメンのハナシになっちゃったんである。夏といえば、ソーメンだな。そういえば、流しそうめんなんてのもあるけど、ワタシはしたことないな。キミはあるかい? あれ最後まで行ったら、そのあとどうなるのかな? また上から流すのかな? 人がいっぱいいるから、そんな心配しなくていいよ。下流にいたら、なんにも流れて来ないんだから。上流にいなきゃダメなんだから。ポジションが重要なのよ。なるほど、それもそうだな。

◆ 月曜日、午前の仕事が終わって、昼飯を食べて、まだ時間があったので、どこかで昼寝でもしようということになって、近くの公園沿いの道路にトラックを止めたんである。そこには木陰があったから。そしたら、その公園で、子ども会かなにかで、流しそうめんをやっていたんである! 昼寝はやめにして、見に行った(あくまで見るだけである)。見ながらも、だれにもキャッチされずに流れていったソーメンの行方が、やはり気になる。子どもは不器用だから、手にした箸にはちっともひっかからない、そんなヤツばっかりだ。見てるほうがイライラする。なんなら、代わってやってもいいのだが。そんなわけだから、ソーメンは流れ流れて、つぎつぎと終点のザルのなかへとたどりつく。ザルにたまったソーメンの運命は? ああ、また上から流してるや! やっぱりな。もったいないからな。なんだか回転寿司のスシみたいに悲しいな。

◆ そんな感想を抱きつつ、トラックに戻り、相方と「流しそうめん」談義を始めたんだが、そいつは「流しそうめん」のことを「そうめん流し」と言うんである。

◇ 先日、ニュースで“そうめん流し”をしている風景がでていました。がっ!ニュースでは、“流しそうめん”って言っています。広島では、そうめん流しなのにどこから逆の言い方になったの?
weekly.freeml.com/chousa/soumen.html

◆ 《ウィふり調査団》というサイトに、『そうめん流しと流しそうめんの境界線は?』って調査の結果が載ってた。そうそう、ワタシの相方は鹿児島出身だった。

◇ 僕は鹿児島の人間ですが、こちらでは「そうめん流し」です。逆に「流しそうめん」て言われると違和感ありますね。鹿児島の人も夏場はよくそうめんを食べます。鹿児島では唐船峡などそうめん流しの店がたくさんあるので、そのことも影響しているのかもしれません。
weekly.freeml.com/chousa/soumen02.html

◆ なるほど、そうだったのか。そして、火曜日・・・(つづく

◆ マンホールの蓋には、たいてい「うすい」か「おすい」の文字が書いてある。

◇ 散歩していたら、マンホールが気になってしまった。「おすい」と「うすい」がある。「うすい」ってなに。
www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary9905.htm

◇ 「臼井」かな?臼井さんの私物か?まさかな。じゃぁ「薄い」か? ということは「濃い」があるのか? 薄い下水、濃い下水、というのも怖いなぁ。「濃い下水」……絵を想像したくない。「薄い」も有望だけど、でも、とりあえず形容詞ってことはないだろう。「すい」は「水」だろうから「う水」なんだろうけど。「おすい」の間違いか?とも思ったけど、こんなこと間違えないしなぁ。それに「おすい」は別にちゃんとある。でもなんか「うすい」って汚そうですよね。僕の見当もつかない「う」という汚らしい字があるのかもしれない。ひょっとすると「う●●水」の略かもしれない。
www.satonao.com/diary/97/0724.html

◆ 「うすい」が「う●●水」とは、おそろしいまでの想像力だが、ひらがなで書かれると意外に難しいようで、

◇ 小学3年生の娘が社会科の勉強でマンホールの質問をしてきました。「消火栓」「おすい」までは私も説明できたのですが、どうしても「うすい」がわかりません。「薄い?」「臼井?」「碓氷?」としばらく考えて、はじめて「雨水」用のマンホールがあることを知りました。
www.zeirishi-net.gr.jp/staff/200405.html

◆ 「おすい」は汚水で、生活廃水のこと。「うすい」は雨水で、あまみずのこと。では、「しすい」は? これは夏休みの宿題です。それから、マンホールって何語か知ってます?

◇ 「マンホール」とは、英語(えいご)で「マン(人)」と「ホール(あな)」を組み合わせた言葉(ことば)で、文字(もじ)(どお)り「人が出入りするあな」という意味です。
www.gesui.metro.tokyo.jp/kids/tanken/tan_5.htm

◆ だから「マンホールの蓋」は manhole cover で、《manhole-covers.net》 なんてサイト(フランス語・英語)も。

◆ (そうめんのハナシのつづき) そして、火曜日。火曜日は、車椅子の方の介助に行く日で、ワタシが食事をつくる唯一の曜日である。入浴と食事が主な仕事。その日は、すこし遅くに到着し、ゴハンを炊いてると時間がかかるというので、冷蔵庫になにかないかなと見てみると、あるではないの、ソーメンが! シイタケもあるし。今晩はこれしかないって感じ。あとは錦糸玉子つくって、薬味にネギとショウガ。梅干もあったんで、梅肉ってのもいいな、とこれも追加。まあ、こんなもんでいいか、と思ったんだけど(介助しているのは60過ぎの男性なので、あんまり食べない)、もう少し、具になりそうなものはないかな、と探すと、冷凍室にウナギの蒲焼があった。これも、刻んで・・・と。そしたら、

◇ 「鰻と梅干は一緒に食べるもんじゃないよ」

◆ おおお! そういえば、そんなハナシを聞いたことが。

◇ 古くから「ウナギと梅干し」は食い合わせが悪く、下痢を起こすといわれてきた。なるほど、現在でも、うな丼やうな重のツケには、奈良漬や白菜漬があるが、梅干しはない。
www5.ocn.ne.jp/~fishing1/zatsugaku_file/zatsugaku004.htm

◆ そうだった、「食い合わせ」。あるいはすこし上品に「食べ合わせ」。「goo 辞書」によれば、

◇ 【食い合(わ)せ】 一緒に食べると有害であると考えられている食べ物の組み合わせ。ウナギと梅干し、スイカと天ぷらなど。また、それを同時に食べること。食べ合わせ。

◆ ほかにどんな「食い合わせ」があるかと思って、調べてみると、

◇ 飛魚と南瓜とを食つて悶死す(大正十二年七月十四日中國新聞記事)
www.eisai.co.jp/museum/curator/advertisement/knowledge20.html

◆ なんてのが。この記事は 《くすりの博物館》 というサイトのなかの「もうひとつの学芸員室」というページの「見てみて! くすり広告」というコーナーのなかの「あけてなるほど豆知識」というところの「あかねさん」担当の箇所にある「キンビシ薬行」のチラシに引用されていたもので、「廣島市田中町バケツ修繕業」の48歳の男性が「近隣の大工職岡崎友太郎方へ家事の手傳いに赴き中食に飛魚とかぼちやを食し」たところ腹痛を覚え同町の「醫師その他に診て貰ったが同夜十二時頃悶死した」ということである。この「キンビシ」という薬のチラシには、「食い合わせ」の数々が絵入りで載っていておもしろい。「かにと氷」とか「かきとえび」とか「ふなとからし」とか「どぜうとかぼちや」とか・・・。

◆ ウナギとウメボシで悶死してはかなわないな。でも、もう解凍しちゃったもんね。ソーメンにのっけるのは、やっぱり気がひけたので、やめたけど、もったいないから、両方(別々に?)食べました、ワタシだけ。でもでも、なあんともなかったよ!

◇ 昔からいわれているうなぎと梅干し! この食い合わせは実は迷信だったのです。食欲を増進する効果が梅干しにはあるので実は相性は良かったのです。
www.ctv.co.jp/kusukusu/2001/0707/gimon.html

◆ ほらね! ところで、ワタシが介助しているKさん、二日前もソーメンだったんだって。それを先に言ってくれなきゃ! (ソーメンのハナシ、おわり)

◇ たとえば、Raumpflegerin という職業がある。俗には Putzfrau と呼ばれている。いわゆる掃除婦である。
多和田葉子『エクソフォニー』(岩波書店,p.144)

◆ この Raumpflegerin はドイツ語で、Raum が「空間」で、pflegen は英語の care に対応するから、

◇ 直訳すれば、「空間の世話をする人」。「空間の看護婦」と言ってしまってもいいかもしれない。すると、部屋が汚れていたり、散らかっているということは、部屋が病気だということになる。
Ibid.

◆ とりあえず、引用のみ。

◆ 湯本香樹実『夏の庭―The Friends―』(新潮文庫)という小説を読んだ。どんなハナシかというと、

◇ “人が死ぬところを見たい”、ぼくと河辺と山下の6年生3人組は今にも死にそうと思われた一人暮らしのおじいさんを見張り始める。孤独で人との接触を断絶していたかに思われ、人生も半分捨てたかに見えたおじいさんもいつしか張り込む少年達と、いつしか縁側ですいかを食べながら自然と会話を交わすようになり、少年達の心にも変化が現れる。
www.lcv.ne.jp/~asagao/book/list/yumotok.html

◆ と、ざっとこんな風で、相米慎二が映画化もしたそうだが(おじいさん役に三國連太郎)、ワタシは知らない。どうしてこの本を読んだのかというと、あるサイトでこの本からの引用があり、それが気になってしかたがなかったから。その文章はというと、

◇ 「わからないことばっかりだから、どこかに仕組みが隠れているんじゃないかって、考えるんだろ」
(p.105)

◆ これは、探してみると、6年生の河辺くんのセリフだった。両親が離婚してしまった彼は、この世界が彼にとってワケのわからないものではなく、理解可能なものになるようにと、彼なりに努力していたのだった。小説の文脈から離れて、ワタシも、いつもわからないことがあると(いや、正確にいえば、河辺くんのセリフそのままに、「わからないことばっかり」なのだが)、きっとどこかに「仕組み」があるんだろう、と考える。そして、その「仕組み」をワタシだけが知らされていないんだ、とも。

◇ ええ、そうなんです。私がまだ小学校へ通ってた頃のことです。その日、教室の扉を開けると、誰もいないんです。
別役実『台詞の風景』(白水Uブックス,p.128)

◆ これは、また別な本。別役実の『街と飛行船』という戯曲のなかでの「男」のセリフ。

◇ 私は一人で教室の中に立っていました。何か変わったことが起って、私だけがそれを知らされていないのだと・・・・・・私はそう考えました。その変ったことというのが何なのか、また、みんなが現れた時に私自身をどうとり繕うか・・・・・・そのことを考えて、私は気が狂うほどでした。あの時ほど怖かったことはありません。私はそのまま気を失って、夕方小使いのおじさんが起してくれるまでそのままでした。
(Ibid.)

◆ だれもいない教室のわけは、それが日曜日だったから、という単純なことであったが、小学生だった「男」はなおも考えてしまう。でも、と。

◇ それは私が日曜日だということを知らなかったから起きた事件でした。でも、これと同じことがいつか月曜日に起きやしないだろうかって・・・・・・。もしかしたら、火曜日に・・・・・・
(Ibid.)

◆ ほんとは、夏休みだから、読書感想文でも書いてみようかと思ったんだけど、うまくはいかないな、いつものことだけど。まともな感想文なんて、一度だって書けたためしがない、むかしもいまも。どうしてだろう? 脱線ついでに、《淀川長治の銀幕旅行》 から、相米監督『夏の庭』の映画評を少々。

◇ さて文句をいっぱい申したが、近ごろの気持ちいい映画。けれどこの監督さん、どっかおかしいよ。あの子たちの児童劇めいたおしゃべりと三国さんの老いぼれジジイ。おかしいよ。やっぱりこの映画に正直に、このやさしいソウマイという監督の顔が画面外からのぞいていて、そうコセコセと見なさんなと言っているみたい。
www.sankei.co.jp/mov/yodogawa/940329ydg.html

◆ 変った文章を書くひとである、と思う。

◆ 今日8月8日は「パチパチ」という音から「そろばん」の日であるらしいが、それはどうでもいい。ハナシは突然7月10日にさかのぼる。この日は「納豆の日」(これはたんなる語呂合わせ)で、どこの局かは忘れたが、ラジオを聴いていたら、ねばつく納豆にちなんで、never のつく曲ベスト10なんて特集をやっていた。そのなかにミスチル(Mr.Children)の「Tomorrow Never Knows」が選ばれていて、ふとこのタイトルはどういう意味なのかが気になった。

◇ この Tomorrow never knows には「明日すら見えない」という意味があるらしい。
mememori.cool.ne.jp/misuchiru/impression/06bolero/11.htm

◆ ほんとうに、そんな意味があるのかな? 歌詞にも、

◇ oh oh Tomorrow never knows / 心のまま僕はゆくのさ 誰も知る事のない明日へ

◆ といった箇所があるけれど、それなら、Nobody Knows Tomorrow とでもすべきじゃないのかな? 似たようなのに、007の映画『トゥモロー・ネバー・ダイ』がある。

◇ 原題『Tomorrow never dies』。いつもしゃれた題名だ。『You only live twice』(007は二度死ぬ)というのがあった。これは『You only live once』(一九三七年のアメリカ映画『暗黒街の弾痕』)をもじった題名だった。今回は「明日、死んじゃいねえよ」。私のほうは、もう「トゥモロー・ダイ」というところ。
www.sankei.co.jp/mov/yodogawa/98/980217ydg.html

◆ これまた《淀川長治の銀幕旅行》から引いた。あいかわらず変な文章であるけれど、Tomorrow never dies が、どうして「明日、死んじゃいねえよ」なんて意味になるのかな? ちょっと考えてみよう。

◆ だれかがなにかのお祝いにと買ってくれた万年筆。けれど、ボクは左利きで、うまく使えなかった。それっきりになってしまった万年筆。ボクはその人に謝るべきだったろうか?

◇ 右利きの人は引いて書くけど、左利きの人は押して書きます。だもんで、左利きは万年筆が非常に使いにくいです。
umeizumi.p-dns.net/lefthand.html

◇ 左手で普通の万年筆を持って字を書く時どうなるか? 分かり易く説明すると彫刻刀で掘る時と似た角度で紙面に対して鋭角に当たるのね。そうなるとペン先が紙面に引っかかってしまうんで、どうしても万年筆だと綺麗に書けなかったり、ペン先が引っかかった時にインクが細かく飛んでしまったりするのだが、[・・・・・・]
www.linkclub.or.jp/~jundo/essay/es-0022.html

◆ ちなみに習字は右で書いてたなあ。

◆ 川崎のマンションに住む家族の引越で、さほど広くもないベランダに、物干し竿が三本あるお宅があった。たいていは一本か、多くても二本である(ところで、物干し竿の数え方は一本二本でよかっただろうか? それとも一竿二竿?)。そのウチは、子どもが二人で四人家族で、そこまで洗濯物が出るとも思えない。別に何本あっても、仕事に支障があるわけでなし、一向にかまわないのだけれど、ちょっと気になったので、奥さんに尋ねてみたら、

◇ 洗濯が好きなのよ。

◆ という、なんともわかりやすい答え。きっとキレイ好きなひとなんだろう。

◇ ううん、そうじゃなくって、洗濯物が物干し竿に並んでゆらゆら揺れてるのを見るのが好きなだけ。だから、洗濯するものが少ないときには、子どもの着ているものを無理やり脱がせるの。

◆ 転居先は山形の上山で、一軒家だそうだから、おそらくは庭があって、いまごろ毎日、思う存分洗濯物を広げては、その揺らめきを心ゆくまで眺めているに違いない。

◆ 職業に貴賤はない。ということになっているので、べつに引越屋に憧れる子どもがいたとしても、なんの不思議はないけれど、実際にそういう子どもに出会ったときには、ことのほかうれしい。

◆ ちょうど小学校の下校時間に仕事をしていた。たくさんの小学生がトラックの傍らを通り過ぎていく。けれど、ひとりの男の子だけは通り過ぎない。立ち止まって積み込み作業をじっと見ている。まるでわれわれの一挙手一投足を一瞬たりとも見逃すまいといった感じの、こちらがびっくりするほどの視線でもって。5分たっても10分たっても、じっと見ている。そのうち、われわれのだれかが(ワタシであったかもしれない)、その子に「ちょっとやってみるか?」と声をかけた。おそらくはとってもシャイなその子は、一瞬驚きの表情を見せるが、恥ずかしそうにトラックへと歩み寄る。「そこのダンボールをこっちまで持ってきてくれ」と言うと、一生懸命に持ってくる。「次はそれ、ちょっと重いぞ」。大丈夫なようだ。そんな風にして、われわれの一員として「働いてる」その子の傍らを友達が通り過ぎていく。クラスメイトが彼を見つけて、はやしたてる。

◇ おまえ、引越屋になりたいのか?!

◆ その子は答えない。ただ、だまってうなずく。そのときのかれの満足そうな顔!

◆ どこかで「堂々巡り」というコトバに出会って、ふと「どうどうめぐり」とはどういうことだろうか、と思った。なにげなく使っていたけれど(いや、ワタシはこのコトバを使ったことがあったろうか? ないような気もするが、確かな記憶はない)、この「どうどうめぐり」のイメージはいったいどんなだろう?

堂々巡り(どうどうめぐり) 1.祈願のため、または儀式として、仏や仏堂の周りを巡ること。 2.遊戯の一つ。手を繋(つな)ぎ輪を作って歌いながらぐるぐる回る遊び。3.同じことをいつまでも繰り返して進展しないこと。 例:「議論が堂々巡りしている」 4.国会の本会議で、案件を投票によって決定する場合、議員が青票(反対)・白票(賛成)を各自持参して演壇上においた箱に入れ採決する方法の俗称。
www.geocities.jp/tomomi965/ko-jien04/ta17.html

◆ いまでは「3」の意味以外で用いられることはマレだと思うけれど、それにしたところで、このコトバの歴史的変遷をたとえ知らなくても、なんからのイメージを伴うことは避けられなくて、

◇ いろいろ策を講じてもまた元のところに戻ってきてしまったり、いっこうに話が進展しないことを堂々巡りといいますが、元来は文字通り祈願や儀式のために、仏様や仏堂の巡回して歩くことでした。やがて民衆の中ではぐるぐる回る意味が強くなって、現在のように使われるようになりました。
www.myououji.com/tayori17.htm

◆ この「ぐるぐる回る」ってのは、やっぱりイメージなわけで、じゃあ「イメージってなに?」って聞かれても困るんだけど、「ぐるぐる回る」回り方にもいろいろあって、

◇ 〔大道廻ノ轉カト云フ〕(一)小兒ノ戲。直(スグ)ニ立チナガラ、自ラ身ヲ回旋(メグラ)スコト。(東京) キリキリマヒ。又、多數ニテ手ヲトリ、輪ヲナシテ、唄ヒナガラメグル戲。[・・・・・・](二)轉ジテ、一ツ所ヲ廻リ廻リシテ、ハテシナキコト。(議論ナドニ)
『大言海』

◆ 自分自身がその場で「ぐるぐる回る」のと、なにかの周りを「ぐるぐる回る」のでは、そのイメージがだいぶ違うんじゃないか。

◆ ワタシが「堂々巡り」に抱いていたイメージはといえば、たとえば太陽の周りを回っている地球のようなもの。つまりは公転。自転じゃない。ほんとは、そんなおおげさなイメージじゃなくって、もっとシンプルに、なにか黒い点のようなものを中心にして、その周りを回っているワタシ。上から見ればぐるぐる回っているだけだが、実はそれは螺旋になっていて・・・ なんのハナシだったっけ?

◇ ああ、そうなのか そういうことなのか

◆ という歌詞がブルーハーツの曲にあるそうで、調べてみると、「ナビゲーター」 という曲だった。その直前の歌詞が、

◇ ああ、この旅は気楽な帰り道 のたれ死んだところがほんとうのふるさと

◆ で、これはいまひとつピンとこないが、とにかく 「そういうことなのか」 というコトバで思い出した本の一節がある。

◇ 「なあんだ、こんなことだったのか」 路地の暗がりにはロープを張りめぐらし、逃げ込む学生を自警団と称する一団が角材で袋だたきにしていた。昨日まで表通りの商店で学生を相手ににこやかに商売をしていた商店会の男どもである。その日いちはやく店を閉じ灯を消した連中である。見事な変身であった。「そうか、こういうことだったんだな」
森山大道 『犬の記憶』 (河出文庫,p.67)

◆ 写真家・森山大道が、1968年10月21日、新宿で見た光景の記憶である。

◇ 10月21日、国際反戦デー。新宿ではデモ隊が駅構内に突入、新宿駅を中心に機動隊との大規模な衝突が起こる。(新宿騒乱)
www.artandcritic.net/tca_morioka/chronicle/chronicle_1961-1970j.html

◆ 「そういうことだったのか」 という納得の仕方には、いつでも深い諦念が畳み込まれているようで、切ない。

◆ 東京の大手町で39.5℃を記録した夜に、頭のなかで鳴っていたのは、井上陽水の「かんかん照り」(『センチメンタル』,1972)という曲だった。これはなんの不思議もなくて、

♪ 動かないことが一番いいと ねころんでいても 汗ばむ季節
  恋人はやさしくよりそってくるけど 心も動かない
  いやな夏が 夏が走る あつい夏が 夏が走る

  井上陽水 「かんかん照り」(作詞:井上陽水)

◆ このとおり、そのまんまの歌詞で、これほど体温とシンクロしている歌もあるまいと思わせるほどの暑苦しい歌で・・・

◆ といったことを書こうと思って、いろいろ調べているうちに、暑いことには変わりはないけれど、いくぶん過ごしやすくなってきたので(連日39℃では、たまらない)、続きを書きそびれてしまった。というわけで、陽水のことを少々。

◇ あっというまに受験浪人から歌手として芸能界に入ってしまった陽水。 / 上京後、中野区南台の小さなアパートにやってきた。
members9.tsukaeru.net/jugem/memo20011111.htm

◆ これが1969年のこと。ワタシが現在住んでいるのも南台の小さなアパートで、築30年以上は経っていそうだから、もしかするとこのワタシの部屋にかつて井上陽水が暮らしていたかもしれぬ。と想像するのは勝手だが、陽水のアパートは4畳半だったというハナシなので、そうしてワタシの部屋は6畳(も)あるので、たんなる妄想にすぎない。

◆ 陽水のセカンドアルバム『センチメンタル』には、「かんかん照り」とともに「夜のバス」という曲も収録されていて、これもまた時おり頭のなかで鳴り響いていることがあるのだが、なかなか盛り上がる曲である。歌詞もなかなか。

♪ バスの中は 僕ひとり どこにも止まらないで 矢のように走る
  井上陽水 「夜のバス」(作詞:井上陽水)

◆ 深夜の長距離バスのイメージだな。と思っていたのだが、本人いわく、

◇ 渋谷の「ジャンジャン」や「青い森」(ともにライブハウス)が終わって、その頃中野か何かに僕は住んでたから、終わるとバスで帰ってた…なんかそのへんのことを曲にしたんですね。
www.garakuta-net.com/~yosui/albums/02yosui2.htm

◆ (「中野か何か」という言い方にも惹かれるけれど、それはさておき) ということは、この「夜のバス」とは、ワタシがほぼ毎日乗っている渋谷駅発(幡ヶ谷経由)中野駅行、京王バスのことではないか?

◇ このアルバム6曲目の『夜のバス』も名曲です、当時、陽水が渋谷のライブハウス「ジャンジャン」を終えた後、中野のアパートまで帰るバスの様子を描いています。このバスは東急バスか? それとも関東バスか?
www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/3366/diary.99.6.html

◆ と書いている人もいるけれど、これは京王バスでしょう(当時のことを調べたわけではもちろんない)。渋63系統中野駅行。それにしても、あんなバスに乗って、あんな曲を作るとは、さすが。

◆ バスのことを書いていたら、別のことを思い出した。あるとき、渋谷のバスターミナルで、中野駅行のバス(「夜のバス」)を待っていたら、だれかがだれかにこう言っているのが聞こえた。「あの新宿行のバス。あれが新宿西口のバス放火事件のバスだよ」。これにはちょっと驚いた。渋谷からは新宿行のバスも出ているけれど、あの系統のバスが「新宿西口バス放火事件」のバスだったのか! あのバスには乗ったことはないけれど、気になったので、ウチに帰って早速ネットで検索してみると、

◇ 1980年(昭和55年)8月19日午後9時過ぎ、勤め帰りのOLや、ナイターを見た親子ら30人が、西口のバスターミナルの京王帝都バス、新宿発・中野行きバスに乗車して発車するのを待っている間の出来事だった。
www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/sinjuku.htm

◆ 「だれか」の発言は間違いだった。新宿駅西口発中野駅行(渋谷駅行ではなく)の京王バスだった。この事実を知って、さらに驚いた。これまたよく利用している系統のバスではないか! ついさっきまで、となりのバス停のハナシかと思っていたら、自分のよく乗るバスのことだった。もちろん、事件当時の1980年にワタシは東京にいたわけではないから、なんの関係もないといってしまえば、それまでなのだが。

◇ 新宿駅西口で停車中の京王帝都バスに、中年男が後部乗降口から火のついた新聞紙と、ガソリンが入ったバケツを放り込んだ。炎の回りは早く、乗客6人が焼死、22人重軽傷。
www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/1901/non/non7680.html

◆ この事件で大やけどを負った被害者・杉原美津子さんのことは、その手記『生きてみたい、もう一度』(文春文庫)が映画にもなったので、ご存知の方も多いと思うが、その杉原さんは犯人(丸山)の出所を心待ちにしていたという。

◇ 「夫とともに出迎えてあげて、とりあえず一緒に食事でもしようと思っています」
www.nishinippon.co.jp/media/news/9803/kazoku/page4/page4.html

◆ しかし、

◇ 1997年(平成9年)10月7日、千葉刑務所で丸山は昼食後に「メガネを仕事場に置き忘れた」と言って、作業場に向かったが、戻らず、職員が捜したところ、作業場の配管にビニールひもをかけ首吊り自殺していた。遺書はなかった。
www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/sinjuku.htm

◆ まず、北園克衛の詩「田舎の食卓」(『夏の手紙』)全文。

◇ 朝の食卓で寝坊の僕を待つてゐる
  この固いアンベロップには宛名がない
  封を切ると
  いきなり昨日の太陽が出てきた

www.kitasonokatsue.com/contents/koumoku07.html

◆ これを読んで、どのようにして「封を切」ったのかが気になる、そんなひとはいませんか?(つづく、と思う)

◆ 今日たまたま歌舞伎座の前を通りかかった。「八月納涼歌舞伎」とかで、演目に通し狂言「東海道四谷怪談」などあり、浴衣の女性も多数見受けられて、思わず入っちゃおうかなと思ったが、仕事中なのだった。ところで、歌舞伎座では興行の最終日のことを「千穐楽」と書く慣わしである。

◇ 普通「センシュウラク」といえば「千秋楽」と書きますが、芝居の世界では「秋」ではなく「穐」の字が使われています。その昔、江戸の町はしばしば大火に見舞われ、そのたびに芝居小屋も焼失を繰り返したため、「火」の字を嫌って、めでたい「亀」の字の入った「穐」が使われるようになったといわれています。
www.kabuki-za.co.jp/info/koborebanashi/no_9.html

◆ この見慣れない「穐」の字は「秋」の異体字で、大学教授の穐田(あきた)さんが自身のサイトに《「穐」の字について》という一文を書いておられるので、そこから引くと、

◇ この字は、私の「穐」の下に点四つ(れっかという部首)がついた字が本来の字でした。この「れっか」は「火」を意味しています。つまりこの字は、亀の甲羅を火であぶって作物の出来・不出来を占う行為を表しており、そのような行為をする季節である「あき」を示すものとして、用いられてきたわけです。ここまで来るともうおわかりでしょう。「秋」の字は「亀」の部分が除かれて「のぎへん」と「れっか」が残ってできた字ですし、一方「穐」の字は「れっか」が除かれて「のぎへん」と「亀」が残ってできた字です。
www.res.titech.ac.jp/~smart/akita/aki.html

◆ ワタシも、引越のお客さんとして、一度「穐田さん」に出会ったことがあるが、ふりがながなければ、おそらく読めなかったと思う。「穐山さん」でも、それは同じこと。

◇ ぼくの苗字は「穐山」と書いて「あきやま」と読みます。〔中略〕 でも、はじめて会った人はふつう読み間違えます。それが国語の先生で、「い」ではじまる人より出席番号がはやいのが一目瞭然でも、 なんの躊躇もせず「かめやまー」と呼びます。これまでの人生のなかで、はじめてでも間違えなかった人をぼくは2人しか知りません。
web.sfc.keio.ac.jp/~t95014ha/Hiyorin/name.html

◆ とにかく、漢字は難しい。穐田さんも難しいが、渡辺(渡邊・渡邉)さんも難しい。『徒然草』136段の「塩(鹽)」のハナシも難しい。

◆ こどものころに一度、右利きになろうとしたことがある。だが、失敗におわった。ワタシの右手は左手以上に不器用だった。それ以来、左利きのままである (箸を右手で持つのを除いては)。左利きだからといって、極端な不利益を被ったことはない。ないけれども・・・

◇ 左ききであるとはつまり、ずれた身体を持つことだ。 // ほんのわずか、ほとんど気づかないほどの差異で左ききはずれる。 // 左ききの者はいつもその微細なずれに苦しめられる。
兼子正勝 「批評と身体」 (『現代詩手帖』1985年12月臨時増刊:「ロラン・バルト」,p.160)

◇ 右ききの者たちは何も考えない。彼らにとって世界は平和そのものだ。 // しかし、左ききの者はいたるところで不自然さにつきあたる。はさみを手にしたときの奇妙な感覚。それが自分の指にはしっくりこないこと。たとえうまく握れても、自分の指の使い方では紙がよく切れないこと。// 誰がこんなはさみをつくったのか。はさみを右で使うなどと誰がいったい決めたのか。彼の眼には、世界のいたるところでに邪悪な意志が働いているのが見えてくる。「右」 という単一の方向が理由もなく世界を独占しているのが見えてくる。それが彼にとっての 〈社会〉 である。 // 確かに彼は社会から排除されることはない。しかし社会は彼を正常化し、何とかして彼を右ききに変えようと試みる。彼の左手が思わず動いてしまうとき、社会はうまく握れないはさみとなって彼を処罰する。彼が左手でナイフを取ってしまうとき、社会は会席者の当惑したような微笑みとなって彼を恥ずかしめる。社会とはそうした無言の命令の総体であり、いたるところでずれにぶつかる彼の左手は、その見えない権力があらゆる場面を支配していることに気づいてしまうのだ。
Ibid. p.160-161

◆ そんな大げさな、と言われるかもしれない。そんなことはわかっている。ずっと前からわかっている。

◇ 六つのとき、原始林のことを書いた「ほんとうにあった話」という、本の中で、すばらしい絵を見たことがあります。それは、一匹のけものを、のみこもうとしている、ウワバミの絵でした。

◆ ご存知、『星の王子さま』(岩波少年文庫) の冒頭である。ご存知、内藤濯(あろう)訳である。さて話は、ウワバミである。このウワバミなることば、どうもワタシはこの『星の王子さま』以外で出くわしたことがないような気がする。いつ読んだのか忘れたが、ウワバミとは一種の化け物かと思っていた。最近、『古事記伝』を読んでいたら、「ヤマタノオロチ」の段で、本居宣長が、

◇ 今(イマ)(ヨ)には、小(チヒサ)く尋常(ヨノツネ)なるを、久知奈波(クチナハ)と云、やや大なるを幣毘(ヘビ)と云、なほ大なるを宇波婆美(ウハバミ)と云、きはめて大なるを蛇(ヂヤ)と云なり。遠呂智(ヲロチ)とは、俗(ヨ)に蛇(ヂヤ)と云ばかりなるをぞ云けむ。
『古事記伝(三)』(岩波文庫,p.24)

◆ と注記しているのに気がついた。小さい順に、クチナワ、ヘビ、ウワバミ、ジャ=オロチ。なんだ、ウワバミってのは、大きめのヘビのことだったのね。はじめて知ったよ。あの本には、この物語の語り手である「わたし」が描いたヘタクソな挿絵がたくさん載っていて、どうみても帽子にしか見えない絵を「ゾウを飲み込んだウワバミ」の絵だなんて言い張ったりしてるから、ワタシがウワバミをヘビだとわからなかったのも、仕方がないか。あんあ絵じゃ、ヘビに見えないよ! (ちと、言い訳がましいか?)

◆ それでは、みなさん、ハンザキってなんのことかわかりますか? ムジナは?

◇ 「あの橋を歩いていけばいい」
  「すると?」
  「そこがギリシャだ」

沢木耕太郎 『深夜特急(5)』(新潮文庫)

◆ ギリシャに行ったことはないが、ギリシャコーヒーを飲んだことはある。おそろしく不味かった。まるで泥を飲み込んでいるようだった。(つづく)

◆ 『週刊文春』の8月12・19日号に、「日本人メダリストたち、栄光の軌跡」と題されたグラビア特集があって、パラパラ見ていたら、円谷幸吉の記事が目に留まった。

◇ 国立競技場へは2位で帰ってきたが、「後ろを振り返るな」という父親の教えを守っているうちに、ヒートリー(英国)に抜かれてしまい3位。ゴール直後、精魂尽き果て倒れこむ円谷をよそに、仰向けの姿勢で足をグルグル回転させてストレッチする王者・アベベ(エチオピア)の姿が対照的だった。68年1月、衝撃的な遺書を残し自ら命を絶った

◆ 円谷幸吉という選手がいて、東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲ったことも、つぎのメキシコオリンピックの直前に「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と書き記して自殺したことも、知っていたけれど、もう少しで銀メダルだったというハナシは知らなかった。もし後ろを振り向いていたら・・・、などと考えてみても仕方のないことだが、父幸七の心中はいかばかりだったろう。

◇ 「わたしの教育が間違っていたのかもしれない」。円谷幸七は、皺だらけの顔で、短くなった煙草の灰も落とさずに、遠くの安達太良山を見詰めたままそう呟いた。
www3.plala.or.jp/koudai/umi7-9.htm

◆ 東京オリンピックの年の5月にワタシは生まれた。マラソンの日、まだよくは見えない目でワタシはテレビを見たのだろうか? いや、テレビなどあったはずもないだろう。あるいは、ラジオは聴いただろうか? そもそもそんなことを親が憶えているかどうか。

◆ 円谷幸吉の遺書の写真を掲載しているサイトがあったので、句読点を適宜補ったうえで、引き写すと、

◇ 父上様、母上様、三日とろゝ美味しうございました。干し柿、もちも美味しうございました。/ 敏雄兄、姉上様、おすし美味しうございました。/ 勝美兄、姉上様、ブドウ酒、リンゴ美味しうございました。/ 巌兄、姉上様、しそめし、南蛮づけ美味しうございました。/ 喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。/ 幸造兄、姉上様、往復車に便乗さして戴き有難うございました。モンゴいか美味しうございました。/ 正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申し訳 〔ここまで一枚目、以下省略〕
www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/tsumuraya.html

◆ みごとな食べ物づくしで、だから、

◇ 一体この遺書は何だ、と思った。食い物のことだけじゃないのか。それとも、死ぬ時は、他のことは全て忘れて、食い物のことだけが鮮やかに思い出されるのか。自分だったらどうだろう、と思った。
www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2002/shuchou0826.html

◆ といった感想も当然ありうる。なかでも気になるのが「三日とろろ」で、思わず食べてみたくなる。

◇ 幸吉はウルトラマン・シリーズの円谷英二と同じ、福島県須賀川市の出身。須賀川では正月三日にとろろを食べる風習があり、食べると風邪をひかないと言われているそうだ。幸吉が両親のもとで食べた人生最後のとろろ、本当に美味しかったのだろう。
www.myprofile.ne.jp/blog/archive/thewho515/172

◆ また、後年自らも自死の道を選択することになる川端康成は、この遺書を「千万言もつくせぬ哀切である」と評したという。

◇ 「美味しゅうございました」といふ、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐる。そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ。
出典調査中

◆ 「美味しうございました」という言葉が「全文の韻律」をなすためには、感謝を捧げる対象が多数である必要がある。その対象が多ければ多いほど、繰り返しの効果が生きてくる。事実、幸吉は六男一女、七人兄弟の末っ子であった。

◇ もし円谷幸吉の兄弟が、パラサイトシングルの兄ひとりだけだったら、〔中略〕 遺書のせつなく美しいリフレインも、生まれようがなかったのだ。
www.din.or.jp/~showray/diary4.htm

◆ ところで、円谷は「つぶらや」と読むものとばかり思っていたら、圓谷正和さんという方がこんなことを書いていた。

◇ 圓谷という私の名前について一言述べたい。この名前は福島県の南部地方、すなわち郡山、須賀川、白河に多く、円谷とも書かれる。ゴジラやウルトラマンなどで有名な円谷プロダクションの創始者、円谷英ニや東京オリンピックのマラソンで銅メダルに輝いた円谷幸吉は須賀川市出身である。それぞれ、私の遠い親戚の他人に当たる。圓谷の名前としての正式な読み方は「つむらや」である。「つぶらや」と呼ばれるようになったのは、有名になった時に、「つぶらや」と呼ばれることを訂正しなかった英二氏の怠慢のせいであるという話を、以前英二の甥に当たる方から伺った。
www.icompass.ne.jp/careerup/headhunter/column003.html

◆ 東京オリンピックのことをあれこれ考えていたら、小学校の国語の教科書に、カルナナンダという選手のハナシがあったのを思い出した。題名まで憶えているのがわれながら不思議な気もするけれど、「ゼッケン67」というのである。それで《光村図書》のウェブサイトにあたってみると、この「ゼッケン67」が掲載されていた教科書は4年生用で、1971(昭和46)年から1976(昭和51)年まで使われており、「当時の編集委員による執筆」。どんなハナシかというと、

◇ 1964年、東京オリンピックの陸上1万メートルレース。トップを争う選手たちが、次々とゴールしていく。レースは終わった。しかし、「ゼッケン67」を付けたランナーは、まだ、走るのをやめない。「周回遅れか」「がんばれよ」……やじを含んだ声が、観客席からあがる。それでもランナーは走り続ける。だれもいないトラックを、1周、2周、さらに3周……。彼のゴールは、まだ終わっていなかったのだ。勝利のためでも記録のためでもなく、自分自身のゴールに向けて走るこのセイロンのランナーに、やがて観衆は大きな声援を送り始めるのだった。
www.mitsumura-tosho.co.jp/Kyoka/Kokugo/S_tantei/kyo_kokugo_tantei.asp

◆ カルナナンダという名前はおもしろくて記憶に残っていたけれど、それがセイロンの選手だということまでは憶えていなかった。ああ、こんなところにもスリランカが! ついでに、「小さい白いにわとり」というのもあった。これは一年生。

◆ 「七つで一つのものなあに?」ってなぞなぞがあったなら、どんな答えになるだろう? 虹かな、やっぱり。

◆ 「Zazpiak Bat」というコトバがある。バスク語である。「サスピアク・バト」と読むらしい(渡辺哲郎 『バスクとバスク人』 平凡社新書)

Zazpiak bat, from the Basque words zazpi meaning seven and bat meaning one, translates as seven in one and refers to the seven historical Basque territories.
www.nationmaster.com/encyclopedia/Zazpiak-Bat

◇ Literally "the seven are one," Zazpiak Bat is the traditional motto that refers to the cultural unity of the seven Basque provinces.
www.soccer24-7.com/forum/archive/index.php/t-20624

◆ 七つで一つ、これはバスク統一のスローガン。では、もうひとつ。

◇ 幕末の安政六年(一八九五年)部落民のひとりが山谷の真崎稲荷の縁日に参詣したところ、土地の者が「けがれる」としてふくろだたきにしてしまった。これにつき弾左衛門が加害者の処分方を北町奉行池田播磨守に訴え出た。原田伴彦氏の 『被差別部落の歴史』 によると、町奉行はこれを却下し、その理由として、「およそえたの身分は平人の七分の一にあたる」と言い、であるから七人が殺されたのでなければ平人一人を処罰できない、とした。
司馬遼太郎 『胡蝶の夢(四)』 (新潮文庫,p.31)

◆ 七つで一つ、これは被差別部落民の命の重さ(軽さ)。

◆ ネットでなにかを調べようとすると、いつでも別のことに気をひかれて、なにを調べようとしていたのかわからなくなる。いまも、どうしてコンナトコロにいるのだろうと思いながら、《茶木みやこ オフィシャルサイト》 というのを見ているのだが、そのプロフィールに、

◇ 1977年 MBS-TV横溝正史シリーズ第一弾テーマソングとしてEP「まぼろしの人」リリース。
web.digitalway.ne.jp/users/chakichaki/profile.htm

◆ 「横溝正史シリーズ」、金田一耕助役に古谷一行。あれはよかった。中学生だったワタシにはかなりおどろおどろしかったドラマのあとで、エンディングとして流れていた曲も、なんだか不気味な感じで印象に残る曲だった。そののち、カラオケやなんかで探してみたりもしたけれど、曲名も憶えてないし歌手もわからないので、お手上げだったのだが、なぜかしら、見つけてしまった。茶木みやこ「まぼろしの人」。

◇ あの人はまぼろし だったのでしょうか

◆ ってな歌詞。そういえば(とまた思い出したが)、中学の美術の授業で、あるとき近くの寺(京都市山科区)に「写生」に行ったことがあった。そしたら、その寺の境内にいたんだな、古谷一行が。なんのハナシかは忘れたけど、「横溝正史シリーズ」のロケをしてたんだな。あれには、びっくりした。もちろん、みんな写生どころではなかった。

◆ オリンピックだというので、ちょっと前に円谷幸吉のことに触れた。それから、これはなんの脈絡もなしに、茶木みやこの「まぼろしの人」という曲のことを書いた。

◇ 私達の年代はオリンピックマラソンといえば円谷幸吉氏を思い浮かべざるをえない。彼の死は思春期の私に衝撃的でラジオの深夜放送から流れてきたピンクピクルスの『一人の道』という歌を聴いた時には号泣してしまったものだ。
www.urban.ne.jp/home/festa/column-38.htm

◇ フォークソングとマラソン、と言えば、高石ともやさんが真っ先に浮かびますが、僕と同年代以上の方なら、ピンク・ピクルスの「一人の道」を思い出す人もいるでしょう。
www005.upp.so-net.ne.jp/folk/keiji-log0106.htm

◆ 「一人の道」という歌をワタシは知らない。歌っているピンク・ピクルスのことも知らなかったのだが・・・

◇ ピンク・ピクルスは茶木みやこがソロになる前に組んでいた女性二人のフォークグループです。
geocities.jp/papillon4006/music/chaki/chaki_pinkpickles_album.htm

◆ あれあれ、そうだったのですか。ピンク・ピクルスのアルバム「FOLK FLAVOR」の解説(毎日放送ディレクター・松田宏)によれば、

日本のフォーク界のメッカ,京都が生んだユニークなグループである。二人とも同志社中学,同志社高校を卒業した仲良しで現在は同志社女子大学3回生,英文学専攻中という文字通りの同志社育ちのコンビ。グループ結成は昭和45年5月,グループ名はラジオに出演した折り名なしだったので司会者がその場であれこれ考えて,甘ずっぱい味…「ピクルス」の名が浮かびついで語呂合わせで「ピンク・ピクルス」が出来上がったというわけで,特にピンクには意味はないそうである。
geocities.jp/papillon4006/music/chaki/chaki_pinkpickles_album.htm

◆ ちなみに、「一人の道」の歌詞はこんなふう。

◇ 雨の降る日も風の日も 一人の世界を突っ走る
何のために進むのか 痛い足をがまんして

◆ 失楽園といえば、黒木瞳で役所広司で、「クロキヒトミ」と入力すれば「黒き瞳」と変換されてしまって、なるほど「黒木瞳」という芸名は「黒き瞳」という意味だったのかと妙に納得し、では「青木瞳」といったハーフの芸能人がいてもおかしくはないかと思ってみたりしているうちに、実はそうではなくて、

◇ 彼女の芸名は、福岡の黒木町出身ということで同郷の五木寛之氏が命名したそうです。
www.geocities.co.jp/Playtown-Bingo/5730/qma3.htm

◆ などという、どうでもいい知識が目に留まって、「失楽園といえば、あるいは川島なお美と古谷一行かもしれないが」という次のくだりを書くのにとんでもなく手間取ってしまって、なかなか先に進めないでいるのだが、

◇ ただ裸が見たい人は、両方みればなお楽しめるわけですから、問題ありません。いろいろな裸を見たいでしょうし、二人の女優の裸を見ればさらに眼福、おじいちゃんも回春のはこびとなります。 / しかし、『失楽園』といえば、もはやミルトンではなく渡辺淳一になってしまったようですね。もっともミルトンのそれなど、誰が読むんだろう、という思いもありますが。
www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/cane12.html

◆ というお手軽な文章に出会って、ようやく、というか渡辺淳一のことを書かずにすむだけこちらとしてはむしろ好都合なわけだが、というわけで、いきなり、ミルトンの『失楽園』のハナシになる。ジョン・ミルトン(John Milton)という17世紀イギリスの詩人に『失楽園』という壮大な叙事詩があって、その原題が「Paradise Lost」。書きたかったのは、そのことだけで、この Paradise Lost をもじって、太宰治が「Human Lost」という作品を書き、さらには『人間失格』という小説を書いた。で、以前、その Human Lost というタイトルを読んだときに、ワタシの目はなぜだが、Human をそのままローマ字読みして、フマン(不満)、さらには Lost を、寝ぼけて List と間違えて、「不満リスト」という表題なのだと思い込んでしまった。そうそう、そういえば、ワタシにも不満リストに記すべきことがたくさんある。まず・・・・・・。と、あれこれ個人的にフマンをリストアップしたのち、誤読に気がついた。やれやれ。