◆ バスのことを書いていたら、別のことを思い出した。あるとき、渋谷のバスターミナルで、中野駅行のバス(「夜のバス」)を待っていたら、だれかがだれかにこう言っているのが聞こえた。「あの新宿行のバス。あれが新宿西口のバス放火事件のバスだよ」。これにはちょっと驚いた。渋谷からは新宿行のバスも出ているけれど、あの系統のバスが「新宿西口バス放火事件」のバスだったのか! あのバスには乗ったことはないけれど、気になったので、ウチに帰って早速ネットで検索してみると、 ◇ 1980年(昭和55年)8月19日午後9時過ぎ、勤め帰りのOLや、ナイターを見た親子ら30人が、西口のバスターミナルの京王帝都バス、新宿発・中野行きバスに乗車して発車するのを待っている間の出来事だった。 ◆ 「だれか」の発言は間違いだった。新宿駅西口発中野駅行(渋谷駅行ではなく)の京王バスだった。この事実を知って、さらに驚いた。これまたよく利用している系統のバスではないか! ついさっきまで、となりのバス停のハナシかと思っていたら、自分のよく乗るバスのことだった。もちろん、事件当時の1980年にワタシは東京にいたわけではないから、なんの関係もないといってしまえば、それまでなのだが。 ◇ 新宿駅西口で停車中の京王帝都バスに、中年男が後部乗降口から火のついた新聞紙と、ガソリンが入ったバケツを放り込んだ。炎の回りは早く、乗客6人が焼死、22人重軽傷。 ◆ この事件で大やけどを負った被害者・杉原美津子さんのことは、その手記『生きてみたい、もう一度』(文春文庫)が映画にもなったので、ご存知の方も多いと思うが、その杉原さんは犯人(丸山)の出所を心待ちにしていたという。 ◇ 「夫とともに出迎えてあげて、とりあえず一緒に食事でもしようと思っています」 ◆ しかし、 ◇ 1997年(平成9年)10月7日、千葉刑務所で丸山は昼食後に「メガネを仕事場に置き忘れた」と言って、作業場に向かったが、戻らず、職員が捜したところ、作業場の配管にビニールひもをかけ首吊り自殺していた。遺書はなかった。 |