MEMORANDUM

  円谷幸吉のこと

◆ 『週刊文春』の8月12・19日号に、「日本人メダリストたち、栄光の軌跡」と題されたグラビア特集があって、パラパラ見ていたら、円谷幸吉の記事が目に留まった。

◇ 国立競技場へは2位で帰ってきたが、「後ろを振り返るな」という父親の教えを守っているうちに、ヒートリー(英国)に抜かれてしまい3位。ゴール直後、精魂尽き果て倒れこむ円谷をよそに、仰向けの姿勢で足をグルグル回転させてストレッチする王者・アベベ(エチオピア)の姿が対照的だった。68年1月、衝撃的な遺書を残し自ら命を絶った

◆ 円谷幸吉という選手がいて、東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲ったことも、つぎのメキシコオリンピックの直前に「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と書き記して自殺したことも、知っていたけれど、もう少しで銀メダルだったというハナシは知らなかった。もし後ろを振り向いていたら・・・、などと考えてみても仕方のないことだが、父幸七の心中はいかばかりだったろう。

◇ 「わたしの教育が間違っていたのかもしれない」。円谷幸七は、皺だらけの顔で、短くなった煙草の灰も落とさずに、遠くの安達太良山を見詰めたままそう呟いた。
www3.plala.or.jp/koudai/umi7-9.htm

◆ 東京オリンピックの年の5月にワタシは生まれた。マラソンの日、まだよくは見えない目でワタシはテレビを見たのだろうか? いや、テレビなどあったはずもないだろう。あるいは、ラジオは聴いただろうか? そもそもそんなことを親が憶えているかどうか。

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