◆ 湯本香樹実『夏の庭―The Friends―』(新潮文庫)という小説を読んだ。どんなハナシかというと、 ◇ “人が死ぬところを見たい”、ぼくと河辺と山下の6年生3人組は今にも死にそうと思われた一人暮らしのおじいさんを見張り始める。孤独で人との接触を断絶していたかに思われ、人生も半分捨てたかに見えたおじいさんもいつしか張り込む少年達と、いつしか縁側ですいかを食べながら自然と会話を交わすようになり、少年達の心にも変化が現れる。 ◆ と、ざっとこんな風で、相米慎二が映画化もしたそうだが(おじいさん役に三國連太郎)、ワタシは知らない。どうしてこの本を読んだのかというと、あるサイトでこの本からの引用があり、それが気になってしかたがなかったから。その文章はというと、 ◇ 「わからないことばっかりだから、どこかに仕組みが隠れているんじゃないかって、考えるんだろ」 ◆ これは、探してみると、6年生の河辺くんのセリフだった。両親が離婚してしまった彼は、この世界が彼にとってワケのわからないものではなく、理解可能なものになるようにと、彼なりに努力していたのだった。小説の文脈から離れて、ワタシも、いつもわからないことがあると(いや、正確にいえば、河辺くんのセリフそのままに、「わからないことばっかり」なのだが)、きっとどこかに「仕組み」があるんだろう、と考える。そして、その「仕組み」をワタシだけが知らされていないんだ、とも。 ◇ ええ、そうなんです。私がまだ小学校へ通ってた頃のことです。その日、教室の扉を開けると、誰もいないんです。 ◆ これは、また別な本。別役実の『街と飛行船』という戯曲のなかでの「男」のセリフ。 ◇ 私は一人で教室の中に立っていました。何か変わったことが起って、私だけがそれを知らされていないのだと・・・・・・私はそう考えました。その変ったことというのが何なのか、また、みんなが現れた時に私自身をどうとり繕うか・・・・・・そのことを考えて、私は気が狂うほどでした。あの時ほど怖かったことはありません。私はそのまま気を失って、夕方小使いのおじさんが起してくれるまでそのままでした。 ◆ だれもいない教室のわけは、それが日曜日だったから、という単純なことであったが、小学生だった「男」はなおも考えてしまう。でも、と。 ◇ それは私が日曜日だということを知らなかったから起きた事件でした。でも、これと同じことがいつか月曜日に起きやしないだろうかって・・・・・・。もしかしたら、火曜日に・・・・・・ ◆ ほんとは、夏休みだから、読書感想文でも書いてみようかと思ったんだけど、うまくはいかないな、いつものことだけど。まともな感想文なんて、一度だって書けたためしがない、むかしもいまも。どうしてだろう? 脱線ついでに、《淀川長治の銀幕旅行》 から、相米監督『夏の庭』の映画評を少々。 ◇ さて文句をいっぱい申したが、近ごろの気持ちいい映画。けれどこの監督さん、どっかおかしいよ。あの子たちの児童劇めいたおしゃべりと三国さんの老いぼれジジイ。おかしいよ。やっぱりこの映画に正直に、このやさしいソウマイという監督の顔が画面外からのぞいていて、そうコセコセと見なさんなと言っているみたい。 ◆ 変った文章を書くひとである、と思う。 |