◆ 同居していた彼と別れることになって引越をする。キャンディーズの「微笑がえし」は引越の歌だ。日通の引越のCMにも使われていたこともある(らしい)。 ♪ 春一番が掃除したてのサッシの窓に ほこりの渦を踊らせてます ◆ 引越屋としても、あじわい深い。机に本箱、タンスがないのは若いカップルだからだろう。そして、おそらく正式には結婚していなかったのだろう。家具が軽やかだ。離婚の引越は重い。気分も重いが、荷物も重い。「婚礼ダンス」はでかくて重いが、捨てるわけにはいかないので、ひとり暮らしの狭いアパートに無理やりいれる。その後は知らない。そういえば、離婚の引越の場合、家財道具をあらかた持っていくのは、(経験上)きまって女性のほうだ。 ◆ さいきんはクローゼット付きのマンション・アパートも増えてきたので、さいしょから婚礼ダンスを買わない(買ってもらわない)ひとも多い。引越屋としては、大助かりだ。でも、ちょっと物足りない気もする。戸建の建て替えのときには、ずいぶんと長くその場に鎮座していた婚礼ダンスを動かすと、うしろにはみごとに積み重なった綿ボコリ! 思わず、「これ、何年ものですか?」と尋ねてしまう。奥さんが笑う。黒い綿ボコリの家もあるが、白い綿ボコリの家もあって、それが数センチもの厚みになっているのを見ると、ちょっとした芸術品のようにきれいだ。つまむと、壊れずにつながったまま取れる。 ◆ ほとんど窓を閉め切ったままで暮らしているひとがいる。若いひとり暮らしの男に多い。狭い部屋で荷物が多いから、しかたがないのかもしれない。引越に行っても、薄暗く空気がよどんでいる。そんなときには、いのいちばんに、カーテンを開き、窓を開ける。風がさっと吹き込んで、「ほこりの渦」が踊る。気持ちがいい。 ◆ 「畳の色がそこだけ若いわ」というフレーズがいい。和室のある家もずいぶんと減った。この意味のわからない若いひとも増えているだろう。「畳の色がそこだけ青いわ」ならわかるだろうか? 《ガッツとトラ吉》という猫好きな方のブログに、「25年もの」のタンスの跡のついた畳の写真があった。そこだけ若くて青い。 ◆ 歌詞に戻って、「お引っ越しのお祝い返し」をする間もないくらいの短い期間で、畳ははたして変色するものだろうか? ◇ お引っ越しのお祝い返しも済まないうちに・・・なのに、机 本箱 運び出された荷物のあとは畳の色がそこだけ若いわ・・・って、ありえないでしょ? 何年も住んでいなくっちゃ、畳は変色しないですよね? それとも、お祝い返しを何年も忘れていたのかなぁ・・・?? ◆ 疑問に思うのも当然な気がするが、 ◇ ベッドとタンスを移動したら、畳にしっかりと日焼けの跡がついていました。引っ越して2ヶ月ちょっとでこんなにも跡が残るもんなんだなぁと、変に感心するやら驚くやら。 ◆ まあ、日当たりの問題なんだろう。 |
◆ こんなことがあってもいいのだろうか? というほどのことでもないのだけども・・・。今日の引越の相棒が佐藤で、午前のお客さんが佐藤さんで、午後のお客さんも佐藤さん。今日はなぜだかみんな佐藤さんなんですよ、というハナシを午後のお客さんの佐藤さんにしたら、エアコンを外しに来たひとも佐藤さんだったそうな。いやはや日本で一番多い姓だとはいえ、ちょっとびっくり。ちなみにワタシは佐藤ではない。 |
◇ 彼等はすべて著しく無智であったが、親切で鷹揚で、狡猾懶惰(らんだ)な我々中年の兵士をかばってよく働いてくれた。彼等は体力を調節して使うことを知らず、病に遇うとすぐ斃(たお)れた。 ◆ 引越屋はもちろん兵士ではなく生命の危機にさらされることがあるわけでもないので、深刻さにおいてかなりの程度の差があるけれども、この文章にはまったく頷かされる。 ◆ ワタシの働くのはトラックが十台にも満たない小さな引越屋だが、最近は作業員の募集をすると、集まるのはきまって四十代で、それはそれで昨今の景気を反映していたりもするのだろうが、いかんせんみな体が動かない。四十を過ぎて慣れない力仕事に応募してきたそれぞれのさまざまな事情についてはいろいろと同情しないわけではないし、作業にしても手を抜こうとしているわけではないと信じもするが、彼等はすでに 「体力を調節して使うこと」 を全身で身につけており、ややもするとそれが 「狡猾懶惰」 に見えもするのだ。気がつくと姿が見えないことがある。探すと自主的に休憩をとっている。もう少しで休憩にしようと思っていたのに。ふだんは休憩を入れないところだが、彼の体力を考慮して、もう少しで休憩にしようと思っていたのに。 ◆ それにしても若者はどこにいるのだろう。「体力を調節して使うことを知らず」、われわれのいうがままに体力の限界まで作業をして 「すぐ斃れた」 若者たちは。そんな彼らには、「ちょっと休んでていいよ」 と優しく言ってやることもできたのだが・・・。 ◆ かくいうワタシも四十代で、「狡猾懶惰」 になる日もそう遠くないだろうと思う。 |
◆ たぶん 「ひっこし」 の 「し」 は師ではないと思うので、師走だから走っているというわけでもなくて、走るのが仕事だから走っている。走ると12月でも汗をかく。汗をかくと12月でも気持ちがいい。休むと汗がすぐ冷えて、やっぱり12月の空気は身にしみる。だから、また走って体を温める。そんなことを繰り返して、今年もまた暮れてゆく。 ◆ 25日、クリスマス。お母さんがひとり。娘は彼氏とスキーに行っちゃった。「クリスマスに引越するほうが悪い」 と言い残して。それもそうだな。引越先はエレベーターなしの階段5階。ワタシもスキーに行けばよかった。 ◆ 部屋のなかはストーブで暖かい。でも、作業をしている側からすると、暑い。かなり暑い。だから、ときどきイジワルをして、「危ないので、ストーブ消しますよ」 と言って、消してしまう。風邪をひいたら、ゴメンナサイ。 |
◆ 引越先に荷物を搬入していると、ダンボール箱を自分で運ぼうとした妻に、すかさず夫がこう言った。 ◇ 金払ってんだから、手伝わなくていいよ。 ◆ その通り、まったくその通り。でも、こんなコトを言う夫を妻はイヤにならないのだろうか? それが気がかり。それにね、まだお金はもらっていないよ、お客さん! |
◆ 肉体のスキル。引越屋の肉体のスキルとしてまず思い浮かぶのは、重たいものを持ち上げるということで、そのスキルを目の当たりにしたときのお客さんの反応がおもしろい。自分には持てそうにないものを持ち上げているという単純な事実にシンプルに反応するのは女性に多く、 ◇ わあ、すごい。 ◆ とシンプルに驚かれると、こちらも単純にうれしい。それに対して、男性はえてして、 ◇ やっぱり、コツですか? ◆ と言うのである。これはちょっとシンプルではないと思う。うがった見方かもしれないが、このコトバには、そのコツさえ習得すれば自分にもできるはずだという主張がこめられているような気がする。もちろんコツもあるにはあるが、基本的には体力がないとどうしようもない。その単純な事実を認めたくはないひとには、コツというのは便利なコトバだろう。 |
◆ 山田詠美が作家生活20周年を迎え、その記念に『風味絶佳』という短編集を出版したとか。その内容はというと、 ◇ 阿川 〔・・・〕 鳶職、ごみ収集車の作業員、ガソリンスタンドの店員、引っ越し業者、汚水槽の清掃員、葬儀場の職員と、敬遠されがちな職業に就いている六人にライトを当てて、彼らが全身全霊で愛したり愛されたりするラブストーリーで。 ◆ だそうだ。ワタシは引越屋であるので、すこし複雑な気分になる。「敬遠されがちな職業」 か。これはどういう意味だろう? その職業に就くことが敬遠されがちであるということなのか、それとも、その職業に就いているひとが敬遠されがちであるこということなのか。たぶん、その両方なんだろう。ここで 「敬遠されがちな職業」 という表現を使っているのは、作者自身ではないけれども、さきの引用部分に続けて、 ◇ 山田 前から肉体のスキルを持った人たちにすごく心惹かれていたんで、書きたかったんですよ。 ◆ と言っているから、べつに否定するつもりもないのだろう。「肉体のスキル」 とは、これまた、なんだかよくわからない表現ではあるが、気になるコトバではある。ヒマなときに、あれこれ考えてみることにしよう。 |
◆ 今日のお客さん。20代半ばくらいの娘さんがいるということは、おかあさんは50過ぎかな。わかりやすくいえば、庶民的なおばさん。よくしゃべる。おばあちゃんは入院中だからいまはいない。二日も徹夜したんだけど、それでも片付かない荷物と悪戦苦闘中に、ポツリとひとこと。 ◇ おとうさん、引越の時にはいつもいないねえ。この前は**さんのお葬式だったし、今回は、自分であの世へ行っちゃって。 ◆ そうだよ、おとうさん。おかあさんが苦労するから、引越のときぐらいちゃんといないとダメだよ。でも、考えてみれば (考えてみるまでもなく)、おとうさんが今いてくれたら、引越す必要もなかったんだ! |
◆ 図書館で、『日本の名随筆 別巻24 引越』(中村武志編,作品社) を借りて読んだ。なかでも津島祐子の文章に惹かれた。 ◇ 赤ん坊だった頃の記憶はないから、この十歳の時の引越しが事実上、私にとってはじめての引越し体験だった。私の家の引越しのためにわざわざ細い路地の奥まで入ってきてくれた、長い間憧れの的だった引越しトラック、がらんどうになった家のなか、引越し前に取り払われてしまった板塀、ダンボール箱二個にまとまってしまった私の荷物、台所の食器を片づける前に母親が大量に作っておいたいなり寿司の包み、積み上げた荷物のなかで窮屈に寝たその家最後の晩、こうした光景に加えて、引越しの当日、最後に家族が移る時、走り出したタクシーに怯えて、私の膝から窓を越えて外に飛び出しトラックに轢き殺された犬、更に半年後、その家で病死した兄のことまで、引越しの体験に加わるのだ。 |
◆ 高層マンションの引越を階段でやるわけにはいかないから、エレベーターを使う。オフィースビルではないから、専用のエレベーターなどあるはずもない。居住者のひとたちに遠慮しながら、作業を進めるのが鉄則である。だから、人の出入りが激しい時刻にかかると、何回もエレベーターの昇降をむなしく見送ることにもなって、イライラがつのる。そんなときにきまって登場するのが、コドモのくせに偉そうな小学生のガキどもで、われわれにはお構いなしにエレベーターに乗り込み、さっさと上へと行ってしまう。そうして、その行先は、たいてい2階か3階なのである。「階段使えつうの、まったく」というコトバをひとりごち・・・。 |
◆ 名人の引越をしたこともある。いま日本に何人の名人がいるのかしらないが、すくなくとも将棋の世界にはひとりしかいないはずである。若い名人は学生が住むようなワンルームマンションに住んでいて、身なりも家財道具も学生のそれと変わるところはなかった。ただ将棋盤があったので、将棋が趣味なのかと思い、ほかにもいろいろと将棋関係のものが出てくると、趣味ではなくて、将棋関係の仕事をしているとかと思い直し、日本将棋連盟の書類を見つけるにおよんで、もしかするとプロの棋士かもしれぬと考えた。 ◇ -- お客さん、将棋やってるんですか? ◆ そのあと、実家に立ち寄り、荷物の一部を運んだ。お母さんがおられたので、「息子さんは将棋をやっておられるのですか?」 と訊くと、「ええ、このあいだ名人になったんです」 と極めて明解な答え。ああ、名人に「将棋やってるんですか?」 はないよな、と深く反省したしだい。 |
◆ いつだったか、読んだ本のなかから引越にかんする記述を抜き出してアンソロジーでも作ればおもしかろうと思ったことがあった。このようにアイデアだけはいろいろ思いつくのだが、最近は本を読むこともめっきり少なくなったので、実現には永遠に近い時間がかかる。とはいえ、ひとつだけ見つけたので、将来のための資料として記録しておくことにする。 ◇ なにしろ移動距離はわずか二キロ。そうなれば人海戦術だと心に決める。わたしの家から運び出す物といっても、本が数千冊と、アフリカなどの各地の仮面や彫刻、壺などの小物が少々、それでほぼ終わりである。家具らしいものがない家庭だ。ただ大型の冷蔵庫と、愛用の特大オーブン、このふたつだけは小型トラックで運ばなければならない。近所のデンキ屋さんと豆屋の息子さんが、「仕事の後には車が空くので手伝いましょう」 とこの分は受け持ってくれることとなる。日頃から親しくしている近所の美容院のすてきなおねえさん達が、やはり仕事の後に家に来て、台所や食器などをすっかり洗い清め、部屋を掃除してくれる。 / 運転の腕の確かな友人がトラックを借りて来て、一度に大量の本を運んでくれた。しかし、その残りは、親しい友人が数人で、二週間ほど毎日ひまを見つけては小物を風呂敷などに包み、戦後の街を往来したカツギ屋風に次々と新居に運び入れてくれる。その作業姿は日没の後ならば、まさに夜逃げと変わるところがない。 ◆ ところで、いま思い出したのだが、大学の図書館で受付のバイトをしていたころに、『日本の名随筆』 というシリーズ本をよく借りては読んでいた。「旅」 やら 「珈琲」 やらのテーマ別に編まれたアンソロジーは全部で200巻にもおよぶから、ひょっとすると、「引越」 の巻もあったやもしれぬと調べてみると、案の定ありました。『日本の名随筆 別巻24 引越』(中村武志編,作品社,1993)。出版社のサイトにその目次があったので参考までに。 ◇ 【目次】 ◆ もしかしたら読んだことがあるかもしれないが、記憶がない。当時は引越屋になろうとは思いもしなかったから。 |
◆ 職業に貴賤はない。ということになっているので、べつに引越屋に憧れる子どもがいたとしても、なんの不思議はないけれど、実際にそういう子どもに出会ったときには、ことのほかうれしい。 ◆ ちょうど小学校の下校時間に仕事をしていた。たくさんの小学生がトラックの傍らを通り過ぎていく。けれど、ひとりの男の子だけは通り過ぎない。立ち止まって積み込み作業をじっと見ている。まるでわれわれの一挙手一投足を一瞬たりとも見逃すまいといった感じの、こちらがびっくりするほどの視線でもって。5分たっても10分たっても、じっと見ている。そのうち、われわれのだれかが(ワタシであったかもしれない)、その子に「ちょっとやってみるか?」と声をかけた。おそらくはとってもシャイなその子は、一瞬驚きの表情を見せるが、恥ずかしそうにトラックへと歩み寄る。「そこのダンボールをこっちまで持ってきてくれ」と言うと、一生懸命に持ってくる。「次はそれ、ちょっと重いぞ」。大丈夫なようだ。そんな風にして、われわれの一員として「働いてる」その子の傍らを友達が通り過ぎていく。クラスメイトが彼を見つけて、はやしたてる。 ◇ おまえ、引越屋になりたいのか?! ◆ その子は答えない。ただ、だまってうなずく。そのときのかれの満足そうな顔! |
◆ 川崎のマンションに住む家族の引越で、さほど広くもないベランダに、物干し竿が三本あるお宅があった。たいていは一本か、多くても二本である(ところで、物干し竿の数え方は一本二本でよかっただろうか? それとも一竿二竿?)。そのウチは、子どもが二人で四人家族で、そこまで洗濯物が出るとも思えない。別に何本あっても、仕事に支障があるわけでなし、一向にかまわないのだけれど、ちょっと気になったので、奥さんに尋ねてみたら、 ◇ 洗濯が好きなのよ。 ◆ という、なんともわかりやすい答え。きっとキレイ好きなひとなんだろう。 ◇ ううん、そうじゃなくって、洗濯物が物干し竿に並んでゆらゆら揺れてるのを見るのが好きなだけ。だから、洗濯するものが少ないときには、子どもの着ているものを無理やり脱がせるの。 ◆ 転居先は山形の上山で、一軒家だそうだから、おそらくは庭があって、いまごろ毎日、思う存分洗濯物を広げては、その揺らめきを心ゆくまで眺めているに違いない。 |
◆ 引越当日、引越屋が来て、作業中に、こう言ったとする。どうやら、タンスかなにかを運び出そうとしているらしい。 ◇ ぞうきん、ありますか? ◆ あなたなら、なんと答えるか。「ありません」? これは問題外だ。生活そのものを見直したほうがいい。とはいえ、こういうひとも案外多いようで、「ふつう」なら雑巾を使うべきところも掃除機を使ってしまっているので、雑巾がそもそもないのである(これは女性に多い)。もちろん、掃除をまったくしないから、雑巾が必要ないというひともいるが(これは男性に多い)。 ◆ 「ありません」と答えられた日には、仕事をやる気も失せてしまう。そこらへんに落ちている(見つけるのに造作はない)布切れ(Tシャツでも可)を拾って、ホコリを適当に払って(もちろん自分が汚れないためである)、運ぶ。 ◆ 「ぞうきん、ありますか?」にたいする対応でいちばん多いのが、雑巾を持ってきて、「はい、どうぞ」というパターンである。とくに問題はない。これまた、適当にホコリを払って(やはり、自分が汚れないためである)、運ぶ。 ◆ しかし、引越屋(すくなくともワタシが)が「ぞうきん、ありますか?」と聞くときには、まったく違う答えを期待しているのである。お気づきでいらっしゃらない方も多いだろうから、お教えしよう。 ◇ あっ、すいません。汚れてましたか? いま拭きますから。 ◆ これである。こういう対応のできるひとも少なからずいる(いや、少ないかな)。そう言われた場合には、 ◇ いやいや、こちらで拭きますから。 ◆ という流れになって、はじめて、自分のためだけでなく、そのお客さんのためにも、いくぶん念入りに、ホコリを拭き、汚れを落として、運び出す。 ◆ げに日本語は難しくもあり。 |
◆ 引越屋をしていると、ときどき自分がチャップリンにでもなった気がするときがある。たとえば。太った客が、美容あるいは健康のためにと、安くはない額で購入したが、三日坊主で止めてしまって、ホコリが雪のように堆積している、重い健康器具を持ち上げて運んでいるとき。ワタシが健康になってどうする。しかも本来の用途とは違ったかたちで。 ◆ フィットネスクラブといった類の空間はなぜだかガラス張りになっているところが多いが、外からエアロバイクを漕いでいるひとやウォーキングマシンで歩いているひとを見ると、単純に滑稽な気がする。動物園でサル山のサルを見ている感じがする。そんなことに高い金を払うぐらいなら、引越屋でバイトをしたほうがいい。健康になって、金までもらえる。ただし、プールはない。 |
◆ 一年に一度くらい、とんでもない客に遭遇し、とんでもない徒労感に包まれる日がある。そんな日は酔っ払って忘れることにしているが、ふたたびそんな客に出会ったときにまとめて思い出してしまって、イヤな気分になる。 ◆ 先日、客の衣類を収納したハンガーボックスを開けると、ハンガー (薄いプラスチック製) が3本、柄の部分から折れていて、そこにかかっていたスーツが底に落ちていた。すぐさま、シワになったのでクリーニング代よこせ、とこうである。放っておいてもすぐ折れそうな安物ハンガーにスーツなんか掛けるもんじゃないぞ。そもそも、シワなんてどこにあるんだい? とは口に出せないまま、「では当方でクリーニングいたします」 と云うと、不満そうである。要は現金がほしいということなんだろう。しかもこの客、転勤なので、引越代は会社持ち。いったい何を考えているのか? ◆ 一年前、スーツの客と同じ会社の転勤引越の客もそうだった。もともとキズだらけのタンスを指差して、こんなキズはなかった、新しいのに買い替えるから、代金よこせ、とヒステリックにどなった奥さん。修理します、と云っても聞く耳をもたない。もともと要らないタンスだったんだろう。粗大ゴミで儲けてどうする? ◆ この会社は大手の電気メーカーだ。偏見といえば偏見だろうが、大きな会社の客ほどタチが悪い。互いに引越で儲ける方法など、伝授し合っているのかもしれぬ。いつもそんなことを仕事にしてるんだろう。だが、われわれはあなたの奴隷ではない。 ◆ 三年前、電子ピアノの電源コードが見つからないと文句をつけてきた客がいた。それを梱包したのは自分たちなのに。娘が毎日弾いているものだから、なきゃ困る。即刻持って来い、と云うわりには、その電子ピアノはホコリだらけだった。しようがないので、自腹でコードを購入して、届けると、留守だったので、ポストに入れておいたら、また電話。電源をいれても音が出ないという。またしても出向いて確認すると、おいおい VOLUME がゼロじゃないか! ◆ これ以上書くのも疲れるので止めておく。世の中にはいろんな人がいるものだ。くれぐれもあんまり深入りしないよう。 |
◆ できることなら、ダンボール箱の作り方を小学校で教えてほしい。大人になってもダンボール箱ひとつ満足に組み立てることのできない人が意外にいるのである。とにかく、テープも貼らずに、底を「井桁」に組むのだけはやめてもらいたい。底が抜け、中身が落ちる。角が引っかかって、積みづらい。テープ代を惜しんでいるとは思えない。ダンボールはそう組み立てるものだと信じてきたのだろう。いったいだれが教えたのだ? ◆ 以下は天下の「日本通運」が教える「ダンボールの作り方」。これでいい。
www.nittsu.co.jp/hikkoshi/guide/61_3-1.html ◆ ついでに、ほかの引越会社のもふたつ。ただテープは十字に貼ることはないと思う。あまり意味がない。一本で十分だ。
b) www.88888.co.jp/start_f.html |
◇ 洗濯物を干すとき、私なりのルールがあって同じハンガーの向きじゃないと気持ち悪い。ダンナに干してもらった時はこっそりあとで直したりしてます。 ◇ 私の心の掟の一つが、「どんなに貧しい暮らしをしても、冷蔵庫は部屋の中には置かない。」というのがある。(この他にも、代表的なものは、服を壁にかけない。ハンガーは、同じ向きにかける。ふとんはボーイスカウトたたみをする。などが揚げられる・・・・。) ◆ 世の中にはいろんな人がいる。「ボーイスカウトたたみ」というのにも興味をひかれるけれど、それはさておき、あなたの洋服ダンスあるいはクローゼットを確かめてほしい。ハンガーの向きは揃ってますか? ハンガーの向きといっても、引越屋にとって問題になるのは、ハンガーのフックの向きで、これが揃っていないと作業がたいへん面倒になる。ハンガーにかかっている洋服を運ぶには、ハンガーボックスというものに移し変えるのだけれど、ことときフックの向きが揃っていると、一度に何着もの服をバーからはずすことができるわけ。でも、ごくまれに(いやまれでもないか)、フックの向きが、これでもかというくらいデタラメな人がいて、そんなときにはバーからハンガーを一着一着外すはめになる。フックは手前から奥にかけるのが楽だし自然だと思ってたけど、そうでもないのかな。なにはともあれ、ハンガーのフックの向きは統一しておいてもらえると、引越屋にとっては、ひじょうにありがたい。まあ、この作業はたいていお客さんにやってもらうことにしているから、あんまり実害はないんだけどね。 ◆ いろいろ言い分もあるのかもしれない。フックの向きが変えられるハンガーはいいとして、クリーニング屋のワイヤーハンガーなんかは向きが変えにくいから、服の向きを合わせると、フックの向きが逆になってしまうとか。服をハンガーにかけるときの向きは、クリーニング屋さんによってバラバラなんだろうか? 世の中にはまだまだわからないことでいっぱいだ。 |
◆ “April is the cruelest month”(四月は一年で一番残酷な月)で始まるエリオットの詩は、もしかしたら引越屋のハナシかもしれないと、そんな馬鹿げたことを考えさせるほどに、引越屋の4月は忙しい(いや、一番忙しいのは3月だった)。しかし、1月はかなりヒマである。移動の季節にはまだ早いし、この時期に引越す必要があるとしても、たいていの人は、新年を新居で迎えたいと考えるから、少々無理してでも年末のうちに終わらせてしまう。そんなわけで、こんな時期に引越すなんて人は、すこし注意が必要である。本当は年内に引越すつもりだったんだけど、準備が間に合わなくて・・・。こういう人は、えてして、荷造りも間に合わなくって・・・、ということになりがちで、徹夜したんだけどね、エヘヘ、と笑って済ませられてはかなわない! ◆ ずいぶん以前に、引越にまつわるハナシを「引越閻魔帳」と題して書こうと思って、そう予告もしたことがあったけれど、それっきりになってしまっていた。エヘヘ。年も改まったことだし、ムカシのことは忘れて、心機一転、タイトルも新しくして、引越のことを書いてみようと思う。題して「注文の多い引越屋」。なかなかよくできたタイトルだ、と自画自賛。あいかわらず中身はまだない。 |