MEMORANDUM

  左利きであること

◆ こどものころに一度、右利きになろうとしたことがある。だが、失敗におわった。ワタシの右手は左手以上に不器用だった。それ以来、左利きのままである (箸を右手で持つのを除いては)。左利きだからといって、極端な不利益を被ったことはない。ないけれども・・・

◇ 左ききであるとはつまり、ずれた身体を持つことだ。 // ほんのわずか、ほとんど気づかないほどの差異で左ききはずれる。 // 左ききの者はいつもその微細なずれに苦しめられる。
兼子正勝 「批評と身体」 (『現代詩手帖』1985年12月臨時増刊:「ロラン・バルト」,p.160)

◇ 右ききの者たちは何も考えない。彼らにとって世界は平和そのものだ。 // しかし、左ききの者はいたるところで不自然さにつきあたる。はさみを手にしたときの奇妙な感覚。それが自分の指にはしっくりこないこと。たとえうまく握れても、自分の指の使い方では紙がよく切れないこと。// 誰がこんなはさみをつくったのか。はさみを右で使うなどと誰がいったい決めたのか。彼の眼には、世界のいたるところでに邪悪な意志が働いているのが見えてくる。「右」 という単一の方向が理由もなく世界を独占しているのが見えてくる。それが彼にとっての 〈社会〉 である。 // 確かに彼は社会から排除されることはない。しかし社会は彼を正常化し、何とかして彼を右ききに変えようと試みる。彼の左手が思わず動いてしまうとき、社会はうまく握れないはさみとなって彼を処罰する。彼が左手でナイフを取ってしまうとき、社会は会席者の当惑したような微笑みとなって彼を恥ずかしめる。社会とはそうした無言の命令の総体であり、いたるところでずれにぶつかる彼の左手は、その見えない権力があらゆる場面を支配していることに気づいてしまうのだ。
Ibid. p.160-161

◆ そんな大げさな、と言われるかもしれない。そんなことはわかっている。ずっと前からわかっている。

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レフティ : angle cafe* - 2005/07/27 09:39
私は左利きなのだが食事をするときだけお箸を右で使う 「あたしって右を使う様に矯正されたのね かわいそうだわ〜」なんてづーっと思ってた これがレフティ...

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