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◇ 博多より極上の明太子を当店オリジナルソースにて作り上げた一品です。850円。 ◆ だそうだが、ワタシには量が多すぎた。刻み海苔がのせてあるほかはうどんと明太子ソースだけだから、ちょっと飽きる。半分の量で、半分の値段なら喜んで、といったところ。ところで、この「博多より極上の明太子」という部分、「明太子といえば、博多」というのが通り相場になっているけれど、明太子の「生みの親」であるスケトウダラ(スケソウダラ)自体は北方の魚で、 ◇ 〔水産総合研究センター 北海道区水産研究所〕 スケトウダラは、北太平洋に分布しており、日本海(韓半島~サハリン)、太平洋(常磐地方~ベーリング海~カナダ)、オホーツク海(北海道~サハリン~カムチャッカ半島)で漁獲されています。日本近海では、北海道の周辺と三陸地方の沿岸が、主な漁場となっています。 ◆ 日本でスケトウダラといえば、近年、漁獲量が激減しているとはいえ、北海道が本場であることには変わりがなくて、博多の辛子明太子屋でも、北海道産にこだわり続ける店は数多い。 ◇ 〔しまもと〕 辛子明太子の命。それは素材である「たらこの鮮度」です。明太子の原料となる「スケソウダラ」は北の海でしか獲れません。通常出回っている辛子明太子の、実に9割以上がアラスカやロシアで獲れた冷凍卵と言われる輸入された卵(たらこ)を使用している中、しまもとでは抜群の鮮度を誇る「北海道たらこ」にこだわり続けています。 ◇ 〔ひろしょう〕 現在、ほとんどの明太子は、アメリカやロシア産の卵で作られています。それは、北海道で水揚げされるスケソウ鱈の卵(真子)の数が減ってきているため、相場の変動が激しくとてもあつかいにくい原料だからです。しかしひろしょうでは、あえて北海道産しか使用していません。その理由は、卵本来の持つ風味と粒子感がひろしょうの明太子に最も適しているからです。 ◇ 〔椒房庵〕 椒房庵の辛子明太子の原料は、北海道産のたらこです。その大きな理由は、なんといっても濃厚なうまみにあります。生のまま塩漬けし、魚卵のうまみをしっかり閉じ込めることができるからです。 ◇ 〔いとや〕 「いとやの味の明太子」は北海道のスケソウウダラの真子のみを厳選使用しておりますので、お口の中で、はじける北海の幸の旨さを存分に堪能いただけます。 ◇ 〔幸村英商店〕 北海道産の素材にこだわった明太子を作り続けて四十余年。今や、その味わいは博多だけにとどまらず全国の皆様に親しまれるようになりました。 ◆ 続ければキリがないが、こうして引用していると、北海道ファンのワタシとしては、たいへん気持ちがいい。「明太子といえば、博多の名産」ということになっていて、それはそうなのだから仕方がないが、スケトウダラがいなくては明太子も作れないわけで、そのスケトウダラが実は北海道の特産であることを知らないひとに、そのことを知ってもらうためにも、博多の明太子屋がことさら北海道産にこだわってくれているのは、たいへんありがたい。 ◆ 北海道のなかでも、岩内はスケトウダラの延縄漁で有名で、 ◇ 〔朝日新聞〕 さかのぼれば明治30年代。福井県出身の漁師・増田庄吉が岩内に伝えた漁法が、北海道のスケトウダラはえ縄漁の始まりだとされる。同じスケトウダラ漁でも、えさで釣り上げるはえ縄漁は、底引き網や刺し網、定置網を使う漁より魚体の傷みが少なく鮮度がいい。 ◇ ぼくはたらこの親スケトウダラです。岩内のたらこは前浜で一本一本釣った魚をすぐ製品にするので日本一の味になるのです。 ◆ とはいえ、この岩内の「日本一」のたらこが博多で辛子明太子になっているかどうかは、よくしらない。でも、博多に「辛子たら丸」はいないと思う。もしいたら、たらこ唇がひりひりして、ほんのり赤く腫れ上がって、明太子唇になってるはずだろう。 |
◆ 先に、鉄道の廃線跡でトンネルを見て、小学生のころに聴いた南こうせつとかぐや姫の「ひとりきり」を思い出した、と書いたが、これは正確ではない。そのとき思い出した(というより、脳内で自動再生された)のは、「ひとりきり」であることには変わりはないが、その歌声は南こうせつではなくて、本田路津子だった。どうやら、この歌は、ワタシのなかで、彼女の声とともに定着してしまったらしい。第一印象というのはとても大切なものだ。その後、南こうせつの「ひとりきり」を聴いても、癖のある歌い方が耳について、どうも落ち着かない。 ◇ 〔goo 音楽〕 70年のデビュー時には、その透明感あるヴォーカルから"第二の森山良子"と絶賛を受けた本田路津子。「風がはこぶもの」「ひとりの手」などのヒットを放ち、NHK朝の連続テレビ小説『藍より青く』の主題歌「耳をすましてごらん」(72年)の大ヒットで広く知られるようになった。結婚後に渡米するが、現在は全国の教会を中心に賛美歌シンガーとして活躍。賛美歌のアルバムも発表している。ちなみに「耳をすましてごらん」は、90年に南野陽子によってカヴァーされ大ヒットした。 ◆ 本田路津子は父親が好きでよく聴いていた。「ひとりきり」は『本田路津子 ニューミュージックを歌う』というアルバムに収録されていたようだ。実家にはまだあるだろうか。 ◇ 【SIDE A】 01. 雨が空から降れば(小室等) 02. 結婚しようよ(吉田拓郎) 03. もみの木(麻田浩) 04. インドの街を象にのって(六文銭) 05. 赤色エレジー(あがた森魚) 06. 私の家(六文銭) 【SIDE B】 07. 春夏秋冬(泉谷しげる) 08. 私の小さな人生(チューリップ) 09. マリエ(ブレッド&バター) 10. ひとりきり(南こうせつ) 11. タンポポ(GARO) 12. どうしてこんなに悲しいんだろう(吉田拓郎) ◆ そういえば、「春夏秋冬」も、先に彼女の声で知ったので、泉谷しげるヴァージョンを聴いたときには、かなり面食らった。 ◆ 《いのちのことば社》(プロテスタント系の出版社)のサイトで、「本田路津子・特別インタビュー」を発見。聞き手は松田一広(朝日新聞社勤務)。 ◇ 松田 〔……〕 「本田路津子」というお名前は本名(旧姓)ですよね。ある人が「本田さんが信仰をお持ちか、ご両親が信仰をお持ちでは」と言うんですよ。「ルツ」という名前が聖書に出てくるって…。 ◆ こども心に「変った名前だな」と思っていたので、ちょっとすっきり。ついでに、《Wikisource》で、「ルツ記」まで読んでしまった。ナオミ・キャンベルの「ナオミ」も登場する。 |
◆ 最近、ある本で「赫」という漢字を知った。新しい漢字を覚えたきっかけなど、すぐに忘れてしまうだろうから、メモしておく。 ◇ 「赤」より「赫(あか)」という字に惹かれてならない。 ◆ 「ぱちぱち音たてて眼底に焼き付いているような」鮮やかなアカ。いまのところ、ほかに情報がないから、これがワタシの「赫」と表記されたアカの定義である。今後、どこかでまた「赫」に出会うことがあれば変更されるかもしれないが、そうそう目にするとも思えないので、しばらくはそのままだろう。 |
![]() ![]() ◆ 家に帰って、撮った写真の整理をして「PhotoDiary」にアップし、「Memorandum」になんとなく関連した記事を書いて、そのときに、とりあえず「トロッコの線路跡」と書いてみたが、ちょっと気になっていた。というのも、線路はまだそこにあったのだから、それを「線路跡」と書いていいものかどうか、よくわからなかったのだ。「廃線跡」というコトバも浮かんだが、「廃線+跡」というのは、なんだか冗長な表現なような気もし、「鉄道跡」のほうがいいのだろうか、とか。しかし、それよりもなによりも、トロッコとはなんなのか? ◇ 小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、唯トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。 ◆ トロッコといえば、この短編を思い出すひとも多いだろう。このトロッコは手押しの車両だったが、奥多摩のトロッコとはどんなものだったのだろう。気になって、調べてみると、この線路跡は、東京都水道局の専用線で小河内線と呼ばれていたもののようで、 ◇ 小河内ダム建設の際に氷川駅(現・奥多摩駅)からダムサイト近くの水根まで、東京都水道局による専用鉄道が敷設された。観光開発のために旅客線化も一部で構想されたが、工事終了以来休止のまま(事実上廃止状態)となっている。 ◆ 小河内線は、1952(昭和27)年に開通。路線距離、6.7km。軌間は国鉄と同じ1067mm。ダムが完成する1957(昭和32)年にその役目を終え、運休(実質上、廃線)。 ◇ この小河内線は建設当初より、将来を見越して高規格で設計されたのが特徴だ。工事用軌道にありがちな簡素な鉄道ではなく、ダム完成後には旅客線として転用できるように、電化可能な仕様としたもので、トンネル断面も大きく勾配も曲線もなるべく緩やかなものになっている。 ◇ 非電化の小河内線は、国鉄五日市機関支区所属のタンク蒸気機関車C10やC11を乗務員も含めて東京都が借受けて運行していたもので、 ◆ というようなことらしい。つまりダム建設のための東京都水道局小河内線は、ダムの完成後には、国鉄小河内線になってもおかしくはなかったくらい、「ちゃんとした」鉄道路線だったのだ。ちなみに、C11とはこんな機関車で、 ![]() ![]() ![]() ◆ こんなのが走っていた鉄道路線を「トロッコの線路」と呼ぶのはちょっと気がひける。というわけで、「トロッコ」の文字をそっと削除した。 |
◇ 【トロッコ】 〔truck の転〕レールの上を走らせる土木工事用の手押し車。また、軽便鉄道の上を土砂などを載せて運搬する車。トロ。 ◇ 【トロッコ】 ずりや土砂の運搬に用いられる建設工事用車両。 トロッコの語は trolley,truck のなまったものと思われる。 ◆ 「truck」(トラック)はいいとして、「trolley」(トロリー)をどう訛ればトロッコになるのかがわからない。ネットで「トロッコ」を調べていたら、「トロッコ問題」というものに出くわした。 ◇ 【トロッコ問題】 trolley problem 少数を犠牲にして多数を助ける行為の是非を問う思考実験。暴走トロッコの前方線路上に動けない5名がおり,待避可能な支線にも動けない1名がいる。この時トロッコをどう誘導するのかを倫理的に問う。哲学者フィリッパ=フット(Philippa Foot)が提起。 ◇ A trolley is running out of control down a track. In its path are 5 people who have been tied to the track by the mad philosopher. Fortunately, you can flip a switch, which will lead the trolley down a different track to safety. Unfortunately, there is a single person tied to that track. Should you flip the switch?
◆ どうも、「trolley」という語は、アメリカ英語とイギリス英語で、意味が異なっているだようだ。「trolley problem」を提起したフィリッパ・フット(女性)はイギリスの哲学者ということだから、やはり「トロッコ問題」と訳すのが正解になるのだろう。
◇ こんな問題を子どもに尋ねられたらあなたはどう教えますか? |
◆ 「赫」という漢字のことを書いたら、ともだちがメールで、『赫い髪の女』という映画があるよ、と教えてくれた。 ◇ 中上健次原作の官能小説「赫髪」を、宮下順子主演で見事に映像化したポルノ映画。 ◆ また、おともだちの rororo さんが、「赫々たる大戦果」という表現を教えてくれた。字のヘタなひとが「々」を使わずに書いたら、「赤赤赤赤」になるだろうな。真っ赤っ赤だな。 ◇ 〔自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・熊本〕 1945年4月末に生まれた私に付けられた名前は「赫子(かくこ)」でした。男の子の誕生が期待されていたのに、そうではなかったので、急遽、当時の新聞やラジオの報道で使われていた「赫々たる戦果」にちなんで名付けられたということを物心ついた頃から幾度となく聞かされました。 |
◆ 画家・斎藤真一の「赫」が気になるので、先に引用した文章をもう一度引く。 ◇ 「赤」より「赫(あか)」という字に惹かれてならない。 ◆ この「眼底に焼き付いているような」赫は、画家が知り合った瞽女(ごぜ)の記憶の色と重なりあっている。 ◇ かつて私が、赤に取り付かれ、あらゆる色彩の中で何故か赤が根源の色のように思えたのは、ふとしたことで瞽女さんという盲目の女旅芸人を知ってからである。 ◆ 「眼底に焼き付く」というのは、なんともインパクトのある表現であると思ったが、より「ふつうの」言い方であるだろう「まぶたの中に焼き付く」も、考えてみれば、身体的な感覚を伴った強烈な表現であることには変わりがない。陽の光を直視すれば、どのような機構によるのかは知らないが、だれだって、その残像がしばらくは眼に「焼き付く」。ただ、それが「しばらく」ではない場合があって、どうしたわけだか、越後平野に沈みゆく「真っ赤な太陽」は、六歳の少女のまぶたの中に(あるいは眼底に)、永遠に「焼き付」いてしまった。
◇ 同じ赤にしても目で見える外観上の行き詰まった色ではけっしてなく、実に鮮やかで、純度の高い、むしろこの世ではもう見ることの出来ない、透明度のある「赫」のようにも思えたからである。そしてその赫は得体の知れない生きもののような、ねっとりとした魂の色の塊りにも思えた。 ◆ 時機を逃すのが得意なワタシにしては珍しく、武蔵野市立吉祥寺美術館で《斎藤真一展:瞽女と哀愁の旅路》が開催中であるのを、タイミングよく、いま知った。2月21日まで。ネットもたまには役に立つ。 |
◆ 「そうそう目にするとも思えない」と書いたばかりの「赫」という漢字を、はや、また目にしてしまった。いや、目にしたのは、正確には、「火」+「赫」の「爀」という漢字で、バンクーバー五輪で日本が銀銅の2つのメダルを獲得したスピードスケート男子500メートルに、李奎爀(イ・ギュヒョク)という韓国の選手が出場していた。世界ランキング2位の実力者だそうだが、本番では15位。「爀」、火が赤赤と燃える。よくは知らないが、そのような意味なのだろう。日本語の音読みでは「カク」。「火」のない「赫」も「カク」と読む。 ◆ 「赫赫」(かくかく、かっかく)を辞書でひくと、 1 赤赤と照り輝くさま。「―たる日輪」 ◆ とある。「赫赫たる日輪」。赤赤赤赤と照り輝いた太陽。「赫く」で「かがやく」とも読むらしい。この「赫赫たる日輪」を、もっと日常的なコトバに訳せば、「真っ赤に燃えた太陽」になるだろう。ところで、これは真昼の太陽だろうか? それとも、朝日だろうか? 夕日だろうか? ♪ まっかに燃えた太陽だから ◆ 真っ赤なんだから、夕日(あるいは朝日?)だろう、という連想が当たり前のことなのかどうか、そんなことを考えてしまったのは、 ◇ 『万葉集』によく出て来る有名な枕詞に「あかねさす」があります。「茜さす」なんだから「赤くなる」のはずなんですが、この枕詞は、「日」「昼」「照る」にかかる枕詞です。「紫」にもかかりますし、「光って美しい」という意味で「君」にもかかります。なににかけてもいいようなもんですが、「茜さす」が光に関係あるんだったら、まず「夕焼け」じゃないでしょうか? 子供が太陽の絵を描くと、「真っ赤」にしますが、太陽が真っ赤になるシチュエイションは、やっぱり夕方でしょう。太陽=赤が夕方にあって、でも「あかねさす」はいつの間にか「昼の光に輝く」になってしまう。「あかねさす」という表現を作り出した人は当然夕焼けを見ていたと思われるのに、いつの間にか「夕焼け」がない。 ◆ という文章を読んでしまったからで、橋本治によれば、日本には古来、王朝文学にも北斎や広重の浮世絵にも、夕焼けを愛でる文化はほとんど存在せず、「夕焼けの美」といったものが認識されるようになったのは近代以降のことだそうだ。 ◆ 美空ひばりの「真赤な太陽」は、個人的には真夏の真昼の太陽のような気がしているのだが、これは夕陽をイメージしているひとのほうが多いかもしれない。 ◆ 「赫赫たる日輪」はどうかというと、「赫赫たる」は「あかねさす」と同じく枕詞のようなもので、日の光であれば、朝日から夕日まで、幅広く使われるようだが、真昼の太陽の場合が多いようにも思う。以下、《青空文庫》から、「赫々」の使用例を、(分かる範囲で)時間順に列挙してみると、 ◇ 朝のうちに富之助は客を送つて海岸傳ひに半里ほどの小村落へ行つた。〔中略〕 昨日と違つて日は赫々(かくかく)と海、波、岸の草原を照射した。 ◇ 翌朝、眼の覚めたときは、もう十時過ぎでしたろう。枕もとの障子一面に、赫々(あかあか)と陽がさしています。 ◇ 今朝山を下りて來る時分には、どうかと氣遣つた天氣は次第に晴れて大空の大半を掩(おほ)つてゐた雲は追々に散らけ、梅雨上りの夏の來たことを思はせる暑い日が赫々と前甲板の上を蔽ふたテントの上に照りつけた。 ◇ しかも盛夏の赫々(かっかく)たる烈日のもとに、他の草花の凋(しお)れ返っているのをよそに見て、悠然とその大きい花輪をひろげているのを眺めると、暑い暑いなどと弱ってはいられないような気がする。 ◇ 強烈な日光の直射程痛快なものは無い。日蔭(ひかげ)幽(ゆう)に笑む白い花もあわれ、曇り日に見る花の和(やわら)かに落ちついた色も好いが、真夏の赫々(かくかく)たる烈日を存分受けて精一ぱい照りかえす花の色彩の美は何とも云えぬ。 ◇ 時正に未後(びご)。西方の秩父山にはかに陰(くもり)て、暗雲蔽掩(へいえん)し疾電いるがごとし。しかれども北方日光の山辺は炎日赫々なり。 ◇ 空はもうからりと晴れ上ってすばらしいお天気になり、暖かい太陽が斜め上に赫々と輝いていた。 ◇ それから夕陽が赫々(かくかく)と赤耀館の西側の壁体に照り映えるころを迎えましたが、 ◇ おもひ出せば、或時は夕暮の夏の、赫々たる入日に、鋼線(はりがね)が焼き切れるやうな、輝やきと光沢を帯びて、燃え栄つてゐたのも、是等の山々であつた、 ◇ 夕日はまだ消えやらず芝生を赫々(あかあか)とはでに染めていた。そしてごい鷺もまたしきりにボコポンボコポンと啼いていた。 |
◆ 橋本治の夕焼けの思い出。小学校4年ぐらいまで、友達があまりいなかった彼は、母親に「外へ行って遊べ」と言われても、特にすることがない。仕方がないので、ひとりで近所の庭の花を見たりして、ぼんやりと時間をつぶして家に帰ってくる。 ◇ 家に帰ってもまだまだ日は高く、そして辺りが生活の慌しさを宿し始めた頃、夕焼けが現れます。夕焼けの美しさはわかっています。でもそれは、「一日を充実して終えることが出来た者を祝福するための美しさ」のような気がします。だとすると、自分にはその祝福を受ける資格がないのです。「また一日、なんとなくごまかして昼間を終わらせてしまった」と思う私は、夕焼けを「美しい」と思って、でもその美しさとは一つになれません。夕焼けは、まだなんとなく遠かったのです。 ◆ そんな彼にも、いつしか友達ができ、 ◇ その内に友達と外で遊ぶことが多くなって、早く訪れた冬の夕方、友達と一緒に「空一面の夕焼け」の下にいました。 ◆ ワタシは外で仕事をしているので、いまでも夕焼けの下にいることができて、とびきりキレイな夕焼けの日には、それだけで「今日もいい一日だった」と単純に思ってしまい、ときには、ひとにそのことを伝えたくもなるのだけれど、そんなことを聞いてくれそうなヒマなひとはあまりいそうにないので、あきらめる。 ◇ 子供が夕焼けの中で喚声を上げていられる時代が終わって、人間の暮らしから夕焼けが遠くなりました。日本中のあちこちに高いビルが建てられ、町というところは、密集した建物で埋め尽くされるようになりました。犇(ひし)めくビルを繁栄の指標とするような「経済」の自己顕示欲が、人の暮らしから夕焼けを遠ざけました。それは、以前と同じように人の上に現れ、でも、ビルを仰ぐことを日常としてしまった人間達は、もう夕焼けを目で追わなくなりました。夕焼けは、もう人の上に現れなくなったのです。 |
◇ 庭とは反対側の、私の家の裏側には「見捨てられた空間」がありました。建物と垣根にはさまれた日の当たらないところで、水洗式に至る前の「便所の汲み取り口」があるようなところでした。そんなところへは誰も行きません。放置された廃材の他には、苔とシダとドクダミしか生えていません。つまりは、「美しくないところ」なのです。梅雨の少し前の頃、私は探検気分でそこへ行って、びっくりしました。そこには一面に白い花が咲いているのです。ドクダミの花でした。 ◆ ワタシはドクダミの花がきれいでないとは思わないが、あの白はなにか漂白された白さであるように思われて、あまり好きではない。白すぎるのだ。 |
![]() ![]() ![]() ◆ 《教えて!goo》に、こんな質問。 ◇ 観光地などにある、等身大の人の絵看板で、顔の部分が抜けていて、そこから顔を出して写真を撮るための物・・・の名前を教えてください。うまく説明できません。写真があればいいのですが・・・ ◆ これで、じゅうぶん「うまく説明」できている。ああ、あれか。この質問にたいする回答は、「顔出し看板」「顔ハメ看板」など。さらに短くして、 ◇ 「顔ハメ」、「顔出し」、「顔抜き」、「顔パネ」と、いろいろな呼び方があるようですが、 ◆ まあ、どれでもいいのだろう。こんなことが気になったのは、さきほど写真の整理をしているときに、この「観光地などにある、等身大の人の絵看板で、顔の部分が抜けていて、そこから顔を出して写真を撮るための物」の写真があって、それにつける適当なタイトルが浮かばなかったから。以前の写真にも、この「記念写真用顔抜き人物パネル」が何枚もあったはずだけれど、どこにあるのかほとんど憶えていない。これからは、検索しやすいように、「顔出し看板」と書いておくことにしよう。 ◆ 似たようなことで、以前、「しわくちゃの花」という記事も書いた。 〔追記:2010/03/06 02:04〕 ![]() ![]() |
◇ 〔神戸新聞:2010/02/20 16:23(宮本万里子)〕 元暴走族の加古川市の男性らが、防犯活動などに取り組むNPO法人を設立し、地域の安全確保に一役買っている。かつては暴走やけんかに明け暮れたが、結束の固さを武器に「地域のために」と奮起。ひったくりなどの犯罪を警戒したり、遅くまで遊ぶ若者に帰宅を促したりしながら、夜の町で目を光らせる。〔中略〕 昨年12月、兵庫県からNPO法人の認証を受けた「自警団昌道(しょうどう)会」。2007年9月にボランティア団体として発足、現在は加古川や高砂、姫路市などの10~40代の男性約120人が所属する。〔中略〕 代表の石井昌彦さん(35)は中学卒業後の15歳の時、仲間と暴走族「十夢走夜(トムソーヤ)」を結成。派手な刺しゅう入りの服を身にまとい、国道250号などを毎夜、改造した単車で暴走した。けんかも繰り返し、数え切れないほど警察に補導された。 ◆ このニュース記事で思わず反応してしまう箇所は、やはり「十夢走夜(トムソーヤ)」だろうか。 ◇ 「なにこの、来夢来人みたいなセンス」 ◆ と馬鹿にするひともいるが、 ◇ 「なかなか趣のある当て字だな」「名前のセンスあるじゃねぇか」「やべえこのネーミングは嫌いじゃない」「地味に当て字のセンスもいいな」「当て字はなかなかだな」「暴走族にしてはネーミングのセンスいい方かと」「暴走族にしてはまれに見るネーミングセンスの良さだな」「ちょっと上手いと思ってしまった」「当て字が意味を成してるし、結構うまいのではないだろうか?」 ◆ など、この「暴走族風当て字」(ここでは「風」は必要ないが)にセンスのよさを見るひとも多い。
◇ 〔十勝支庁〕 トマム 道内にも各地に同じ地名があり、漢字は旧釧路国側は「苫務」、十勝国では「斗満」と当てたが、この地名は、関又一が漢字を当てたとの記録がある。水多く湧き出るところ・水の多く集まる所の意であり、土地改良以前は湿地帯であった。 ◇ 〔宗谷支庁〕 宗谷岬の北にある弁天島はアイヌ語で「ソーヤシュマ」と呼ばれていた。また、「岸の海中に岩の多い所」をアイヌ語で「ソ(ショともいう)・ヤ」と呼んでおり、これらが「ソーヤ」の由来とされている。 |
◆ 正月休みに、なんとなくカバが見たくなったから、大阪の天王寺動物園に行った。カバがいるのかどうかを確かめもしなかったが、パンダじゃあるまいし、まあ、カバぐらいどこの動物園でもいるだろう。カバを見たくなった「なんとなく」な理由は、「象や河馬」という記事で引用した吉田健一の、 ◇ 一体に旨い魚や鳥というのは飼って見たらさぞ可愛いだろうという気がして、これは例えば石川県金沢のごりがそうであり、獣の中では象や河馬が可愛いが、その両方とも非常に旨いそうである。
◆ 以上のような内容をうまくまとめて、また新しい記事を書こうと思っているうちに、だらだらと時間が過ぎて、待ちきれずに、くだんのカバがなんと往生を遂げてしまった。 ◇ 〔スポニチ:2010年02月01日 16:25〕 大阪市天王寺区の天王寺動物園は1日、飼育していた37歳の雌のカバ「ナツコ」が死んだと発表した。人間なら80歳前後といい、同園で飼育されたカバの中で最も長寿だった。 ◆ 動物園のカバには名札がついていなかったし、またカバを区別できるほどカバになじみがあるわけでもないので、ワタシの見たカバが新聞記事のナツコだったのかどうか、はっきり言うことはできない。でも、カバ好きの京都の小学校の先生の《ぼちぼちいこか》というサイトの「天王寺動物園のカバ」というページに、 ◇ カバは池の中にいます。池はつながっているのですが、大きな池と小さな池に分かれています。大きな池にテツオとティーナ夫婦。小さな池にテツオの母であるナツコがいます。名前は動物園の人に確かめました。 ◆ と書いてあって、あのカバは「小さな池」にいたのだから、その後入れ替えたりしてなければ、あれはやっぱりナツコだったんだろう。 ◆ その「小さな池」の前で、ほとんどの時間を水の中にいて、たまにしか水面に顔を出さないカバの影を見ていたら、となりにいた中学生ぐらいの3人組の女の子のひとりが、たまたま顔を出したカバを見て、 ◇ 「カバって、ブタみたいやなあ」 ◆ と言った。それが聞こえて気分を害したのだろうか、カバはもう水中に潜ることはせずに、池から上って寝床のある方へ帰ろうとし始めた。それを見て、また別な女の子が、 ◇ 「あんたが、ブタゆうたからやん。カバ怒ってるで。謝っとき」
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◆ カバのナツコで、ゾウのウメ子を思い出した。 ◇ 〔神奈川新聞:2009年9月17日〕 小田原城址(じょうし)公園(小田原市城内)にある小田原動物園で60年にわたって暮らしてきた雌のアジアゾウ「ウメ子」が17日、死んだ。推定62歳、人間なら約100歳。国内最高齢の一頭だった。ゾウ舎の前には早速、献花台と記帳簿が設けられ、ウメ子ファンの観光客らが足を止めていた。〔中略〕 ゾウ舎の回りに掘られた溝に落下してもけがひとつしなかったウメ子。大病知らず、歯も抜けず、不機嫌なときは長い鼻で来園者に水をかける癖も最近まで健在だった。〔中略〕 同動物園を含む小田原城跡は国指定史跡のため、市はゾウ舎を撤去する方針。小田原動物園の動物は14匹のニホンザルだけとなった。1950年にタイから同動物園に来園したウメ子の死で、井の頭自然文化園(東京都武蔵野市)で飼育されている同い年の雌のアジアゾウ「はな子」が単独で国内最高齢となる。
◇ 〔神奈川新聞:2009年12月31日〕 ゾウの「ウメ子」がこの9月、人間なら約100歳の大往生を遂げた小田原動物園(小田原市城内)。唯一の動物となったニホンザル14頭が、小田原城の天守閣を仰ぎながら寂しい年の瀬を迎えている。市は国指定史跡内にある動物園の撤去を計画しているため、サルの引き取り手を5年ほど前から探してきたが、まだ見つかっていない。「頭数制限のための去勢が裏目に出た」とする見方があるものの、市は「なんとか一群の安住の地を見つけたい」と話している。 ◆ さらについでながら、城跡にある動物園ということで思い出したのが、懐古園(小諸城址)のなかの小諸市動物園。ずいぶん以前に「だれもいない動物園」という記事を書いた。 |
◇ 〔吉祥寺経済新聞:2010年01月29日〕 井の頭自然文化園は2月6日、イベント「アジアゾウ はな子 63歳のお祝会」を開催する。
好きな人が出来たら、必ずここへ連れてくる。 ◆ というキャッチコピーが微笑ましい。 ◆ こんな記事はどうだろう。《伊勢丹吉祥寺店で「象のはな子パン」販売-閉店の3月14日まで》
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◆ 善光寺の鳩豆売りのおばあさんを見て、メリー・ポピンズ(または、メアリー・ポピンズ)の鳩のエサ売りのおばあさんを思い出した、というひとがいる。 ◇ そういえばメリーポピンズに豆売りのおばあさんがでていた。 ◇ お二人を見ているとメアリー・ポピンズに出てくるウエストミンスター寺院の豆売りのおばあさんを思いだしてしまう。 ◆ Mary Poppins は、日本では、ジュリー・アンドリュース主演のミュージカル映画の場合は「メリー・ポピンズ」で、その原作であるパメラ・トラバースの小説の場合は、「メアリー・ポピンズ」と表記されるようで、その違いの理由は、 ◇ 日本では、Maryの英国式発音と米国式発音を区別するために、英国式発音は「メアリー」、米国式発音は「メリー」と書くことが習慣になっています。 ◆ ということにあるのだろう。だから、 ◇ 映画のタイトルは『メリー・ポピンズ』だが原作の翻訳本だと『メアリー・ポピンズ』となっている。これはやはりMARYの発音がイギリス式とアメリカ式で違ったりするのだろうか。わたしは子供の頃に本の『メアリー・ポピンズ』を読んでいたのでどうも『メリー・ポピンズ』という呼び方には違和感があってしょうがない。 ◆ というひとが出てくるのはしょうがないし、映画を先に観たひとが本の「メアリー・ポピンズ」という表記に違和感を覚えるのはしょうがない。以下、面倒なので(ワタシは映画も観てないし、本も読んでないから、どちらにも思い入れがないので)、すべて Mary Poppins と書くことにする。で、この Mary Poppins に、「鳩おばあさん」が登場するらしい。 ◇ セントポール大聖堂といえば、メリーポピンズ。1ペンスで、鳩のエサを売っているおばあさんのシーンが浮かびます。 ◆ このひとは「メリーポピンズ」と書いているので、これは映画のハナシだろうか。ところで、セントポール大聖堂? その前には「ウエストミンスター寺院の豆売りのおばあさん」と書いているひとがいて、このひとは「メアリー・ポピンズ」と書いていたから、本では「ウエストミンスター寺院」で、映画では「セントポール大聖堂」ということになっているのだろうか。それとも、たんにどちらかが間違っているのか。ちょっと調べてみると、映画の「鳩あばあさん」は、ウエストミンスターではなくセントポールにいるらしい。それから、鳩のエサは1ペンスではなく、2ペンスらしい。 ◇ ハトおばさんって言ったら『メリーポピンズ』にも出てましたねぇ・・・ あの部分は何回見ても涙が出るんです「2ペンスの歌」(涙) ◇ 私が1番好きな場面、あのセント・ポール寺院の鳩の餌売りのおばあさんの歌が素晴らしい。トゥーペンス(2ペンス)をタペンスと発音する、いや殆どタプンと聞こえるあの歌・・・白いドームの上に鳩の群れが舞い上がる。石段に腰掛けて、鳩の餌を与えるおばあさん・・・彼女は鳥の言葉を話し、夜には大きく広がったスカートの中に鳩を入れて眠らせる・・・ ◆ 「2ペンスを鳩に」(Feed the Birds)。 ◆ 調べがつかなかったが、はたしてウエストミンスター寺院に鳩おばあさんはいるのだろうか。 |