MEMORANDUM
2010年03月


  ビデ

◆ イタリアの鳩事情を調べていたら、こんなブログ記事に出くわした。「AVA JALコレクション よくばりイタリア夢紀行 10日間」という団体旅行に参加したひとが、ローマで「僕ら夫婦が3泊した部屋」を写真入りで紹介していて、絵文字だらけの文章なので、それは全部省略し、句読点を打ち直して採録すると、

◇ 左側のトイレの写真ですが…。なんとトイレの横に良く分からないトイレ。2日目の朝、添乗員のOさんに聞いたところ、なんと「お尻洗い」らしい。早速2日目夜から使用開始。使い方がイマイチ分からず使いましたが…。日本のウォシュレットの方が断然良い←正直な意見(゚3゚)
blog.livedoor.jp/mame_momo/archives/53155787.html

◆ 思わず笑ってしまったが、ビデを知らなかったからといって、なにも笑うことはない。

◇ わたしが初めてビデを見たのは、10年前、イタリアのホテルで。ビデとはつゆ知らず、「イタリアには大用と小用の便器があるのか!?」と軽くパニックになったことを思い出す。一緒にいた友人もビデを知らず、ちょうどいいからと、果物をビデの中で冷やしていた。その後、友人はひんやり冷えたリンゴを皮ごと食べていたが、わたしは本能的に「それは違う。それはあかん」と、しっかり皮をむき、食べたのだった。
www.excite.co.jp/News/bit/00091133255208.html

◆ ビデにまつわるハナシは、ちょっと調べただけでもいろいろとおもしろいエピソードが出てきて、きりがない。

◆ ビデで思い出したが、こんなハナシがある。トイレのことを、フランスのフランス語では、たとえ便器がひとつであっても、「les toilettes」と複数形で表現する。だから「トイレに行く」は、フランスでは「aller aux toilettes」となるが、ベルギーのフランス語では、トイレを単数形にして、「aller à la toilette」となる。なぜか?

◇ On en trouve en France, pas en Belgique. Il est vrai qu'en France, on va 'aux toilettes', tandis qu'en Belgique, on va 'à la toilette'. La différence doit venir de la :-)
〔(ビデは)フランスにはあるけど、ベルギーにはない。たしかに、フランスでは「(複数形で)トイレに」行くと言い、ベルギーでは「(単数形で)トイレに」行くと言う。違いはそこからでしょうね。〕

fr.answers.yahoo.com/question/index?qid=20080321152238AARLeZK

◆ 別な答え。

◇Réponse : parce qu'en France il faut en visiter plusieurs pour en trouver une qui est propre.
〔答え。フランスでは、きれいなトイレを見つけるのに、いくつも探しまわらないといけないから。〕

forum.aufeminin.com/forum/societe2/__f18134_societe2-Pourquoi-dit-on-en-belgique-je-vais-a-la-toilette-et-en-france-je-vais-aux-toilettes.html

◆ ほんとうの答えは知らない。単数形では直接的すぎるから、という説もある。

◆ 「めぐる」をめぐる。「めぐる」は、巡る、回る、廻る。

◆ 子どものころ、「お城めぐり」が好きだった。お城のまわりをぐるぐる回るのが好きだった、というわけではもちろんない。全国(というほどではないが)のあちこちにあるお城を訪ねて回るのが好きだった。天守閣がある城なら、鉄筋コンクリートでできていても、喜んで行った。まだ子どもだった。今は、すこし大人になったので、石垣だけが残されたような城跡も好きだ。でも、城跡には、石垣も土塁も残されていないようなものの多くあって、そこまではちょっとなあ。まだまだ子どもなのか? たとえば鎌倉市にある玉縄城がそんな城で、北条早雲が築いたそうだが、現在その跡地には女子高が建っているばかりで、城の遺構といえるようなものはほとんどなにも残されていない。ただ、「城廻(しろめぐり)」という町名が残っている。

◆ 「お城めぐり」と「城廻」、同じようなコトバだが、「めぐる」の意味がやや違う。ワタシの「お城めぐり」は複数の城を訪ねて回るのに対し、地名の「城廻」は、城の回りということで、もちろん城はひとつしかない。

◆ 「岬めぐり」という歌がある。1974年にヒットした山本コウタローとウィークエンドのフォークソング。

♪ 岬めぐりのバスは走る
  窓に広がる青い海よ
  悲しみ深く胸に沈めたら
  この旅終えて街に帰ろう

  山本コウタローとウィークエンド 「岬めぐり」
  (作詞:山上路夫,作曲:山本厚太郎)

◆ 歌詞を読むかぎり、「あなたがいつか話してくれた/岬を僕はたずねて来た」あたりからして、この「岬めぐり」の岬はどうやらひとつのようだ。けれど、この歌を聞いてワタシが思い浮かべるイメージは、どうも複数の岬を回っているようなのだ。「岬めぐりのバス」は少なくとも1時間は走っていてほしいような気がする。好きだった「あなた」を失った「悲しみ」を「深く胸に沈め」るには、それくらいの時間が必要だろうと思う。ひとつの岬を回るのに1時間もかかるバスはないだろう。というか、そんなに大きな岬はないだろう。そもそも「岬めぐり」ならバスより遊覧船のほうが向いているのではないか。そんなことを考えたのは、去年の夏の終わりに北海道の積丹半島をドライブしたときに、神威岬で見かけた観光バスに「岬めぐり」とかなんとか書いてあったからで、たしかに積丹半島の海岸沿いの道路は「岬めぐり」の歌のワタシのイメージに近かった。で、この「岬めぐり」の岬とは「積丹半島」のことだったのかどうか。それとも積丹半島にある神威岬そのほかの岬をまわるという意味だったのか。

◆ 「岬めぐり」の歌詞は、三浦半島が舞台だというハナシもあるそうだ。その場合、「三浦半島=岬」なのか、半島の複数の岬を回るという意味なのか? それとも三浦半島の特定の岬のことなのか? 疑問はめぐりめぐる。

◆ 以前「三浦岬」という記事を書いて、ユーミンの「海を見ていた午後」の歌詞に出てくる三浦岬のことを話題にしたが、これも「岬めぐり」と同じく1974年の歌だった。岬がちょっとしたブームだったのだろうか。さらには、その記事で、ついでに「知床旅情」の「知床の岬」についても触れたが、そういえば森繁久弥がさいきん亡くなった。亡くなったといえば、「岬めぐり」の歌詞に出てくる「あなたがいつか話してくれた」の「あなた」は死んでしまったのかどうか? さらに疑問はめぐりめぐる。

◆ 画家・斎藤真一、1922(大正11)年、岡山県児島郡味野町に生まれる。味野町はその後、1948(昭和23)年、児玉市味野に、さらに、1967(昭和42)年、倉敷市児島味野に。

◇  山陽線の岡山駅で宇野線に乗り換えると、急に車中の人の言葉が変ってくる。まったくの岡山弁である。岡山に二十年住んで、岡山を離れてまた二十年、故里を離れるたびにも帰郷のたびにも、その懐かしさは言葉では言いあらわせない。宇野線沿いの、広々とした藤田新田を車窓に眺め、岡山から四つめの駅、茶屋町で下車、陸橋を渡って下津井線のコッペルに乗り換える。この鉄道がまた懐かしい。線路は本線よりもずっと狭く、車輌は二つか三つ繋がったマッチ箱のようで、長い煙突のついた蒸気機関車がそれをひっぱる。茶屋町から下津井まで片道六里、私の生ま故郷は下津井の一つ手前、味野というところである。
 汽車の腰掛はベンチ式で、前の人と膝がくっつくように狭い。

斎藤真一 「故里の汽車」(『一寸昔(ちょっとむかし)』所収,朱雀院,p.49)

◇ 汽車は猫のひたいのような盆地の間を縫うように走って、線路の音が座席のうす板をとうしてカタカタと頭にひびく。機関車は古くて小さいがクラウスと言って、馬力だけはあった。大正の初年開通当時ドイツから買ったもので当時は自慢の一つであったが、私の中学時代、暴風雨の或る日、山の登りカーブで煙突が落ちて、車中の通学生がみんなで谷を探しまわったことがあった。登り坂では焼玉のようになって火の粉を吹き上げるこの煙突もついにこと切れた感じであった。
Ibid., p.54

◆ 下津井線とは、下津井軽便鉄道(のちに下津井鉄道、さらに下津井電鉄に社名変更)のこと。《Wikipedia》によると、

  • 1911年(明治44年)8月15日 - 下津井軽便鉄道として設立。
  • 1913年(大正2年)11月11日 - 茶屋町~味野町(後の児島)間14.5kmが開業。軌間762mm。
  • 1914年(大正3年)3月15日 - 味野町~下津井間6.5kmが開業。
  • 1922年(大正11年)11月28日 - 下津井鉄道に社名変更。
  • 1949年(昭和24年)8月20日 - 下津井電鉄に社名変更。
  • 1972年(昭和47年)4月1日 - 茶屋町~児島間を廃止。線路跡は倉敷市へ売却、自転車道となる。
  • 1991年(平成3年)1月1日 - 児島~下津井間を廃止、鉄道から撤退してバス会社となる。
ja.wikipedia.org/wiki/下津井電鉄

◆ 上記引用中の「陸橋を渡って下津井線のコッペルに乗り換える」と「機関車は古くて小さいがクラウスと言って」の、コッペルとクラウス。どちらもドイツの機関車製造メーカーだが、下津井鉄道にコッペル製蒸気機関車が在籍していたという記録は見当たらない。軽便鉄道のことを「コッペル」と呼ぶ習慣があったのかもしれない。クラウス製蒸気機関車は、《下津井電鉄株式会社:歴史資料館》に、写真があった。

◇ 混合列車を引っ張る12号機関車(昭和13年5月21日・下津井駅)
※大正2年9月ドイツ・クラウス社製。六輪連結炭水機関車。

www.shimoden.co.jp/hisory/index02.html

◆ 細長い煙突の蒸気機関車にマッチ箱のような客車。いかにも「汽車ポッポ」という感じだ(一瞬、鳩ポッポが頭をよぎる)。機関車の煙突がとれてしまって、乗客みんなで探しまわったというエピソードが微笑ましい。マッチ箱のような客車はもうない。マッチ箱そのものもあまり見かけなくなった。

◆ ちょっと前に、ブックオフで、司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズの文庫本を10冊買ったときのこと。そのうちの9冊は100円の特価本だったが、のこりの1冊は定価の半額に近い250円だった。まとめて10冊をレジに出すと、ごく自然にすべて100円になった。店員が250円の値札を見落としたわけではない。店員はすべての値札をきちんと確かめたうえで、250円の値札が貼られた1冊を示し、

◇ 「これは、100円のシールがはがれてしまったみたいですね」

◆ とていねいに言った。ワタシはなにも言わなかった。それで、すべてが100円になった。

◆ 東京スポーツの 《「公衆便所」は女性蔑視?》という記事(一部省略)。

〔東京スポーツ:2010年03月04日〕  日本が誇る世界のアスリート北島康介の出身地として知られる東京・荒川区で、なんとも珍妙な「トイレ論争」が勃発、関係者は大マジで激論を戦わせている。「公衆便所」の4文字が不潔なイメージだとして、呼称を「公衆トイレ」に変更する条例案が提出されたのが事の発端。紛糾する区議会では、アングラな女性蔑視用語が飛び出すトンデモ事態にまで発展している。
 「便所は便という(不潔な)イメージで、語感も悪い。トイレの方が清潔感やキレイな状況が、イメージできるのではないか」と区側が公衆便所を公衆トイレに統一表記する条例の改正案を先ごろ提出した。
 区内の公園や道路わきなどにある看板や案内をすべてトイレへ書き換えるのはもちろん、条例の公文書でも「便所」の2文字を消すことで根本からイメージ脱却を図るというのだ。
 なるほど!と思えなくもない。だが、これに対し複数の区議からは「トイレと言い換えれば、カッコよくてハイカラというのは、自虐的だ。便所が便所で何が悪い!」との意見や「区が清掃を怠った罪を“便所”という日本語に押し付けている」と反対意見が続出したから、区側もさぞ驚いたに違いない。
 想定外の追及の嵐に、シドロモドロとなってしまった区側。なんと「公衆便所は女性蔑視の差別用語でもある。便所の“じょ”を女に変える隠語がある」と、何ともそぐわないとしか言いようのない例まで挙げたものだから、火に油。さらなる紛糾を招く結果になってしまった。
 貞操観念が低く“ヤリマン”などと言われてしまう女性や、性欲処理目的の環境に置かれた女性に対して、不特定多数の人が利用する公衆便所に引き合いに出し“公衆便女”とやゆするとんでもない差別言葉は、確かにある。とはいえ、区議会という公の場で、引っ張り出すのは“いかがなものか”と、糾弾したのは呼称変更反対派の浅川喜文区議だ。「(公衆便女だなんて)くだらないことを言うのはナンセンスを通り越して、恥の上塗りというか馬脚を現した」

www.tokyo-sports.co.jp/hamidashi.php?hid=7355

◆ 「東スポ」とはいえ、いろいろと(内容も文章も)おもしろい。まず、荒川区の「枕詞」として「日本が誇る世界のアスリート北島康介の出身地として知られる」か、なるほど。たしかに、

◇ 荒川区で真っ先に思い浮かぶものがありません。「荒川区といえば○○○」というものを作ることが大事なのでは
sangyo.city.arakawa.tokyo.jp/kankondankai/kankou/pdf3/k5.pdf

◆ という意見もあって、そういえばそうだな、と思え、「世界の北島」が生まれなかったら、冒頭の文章はどうなっていたのかが気になりもする。

◇ 荒川区の観光資源といえば、あらかわ遊園、都電、日暮里繊維街等である。
sangyo.city.arakawa.tokyo.jp/kankondankai/kankou/gijiroku2.htm

◆ ううん、なんとも地味である。ということであれば、やはりしばらくは「世界の北島」に頼っておくのが無難というものだろうか(有効期限はいつまでだろう)。架空の人物でよければ、「巨人の星」の星一家が住んでいた長屋は荒川区内という設定らしい。永遠に生き続けることを宿命づけられた星一徹・飛雄馬親子のほうが、生身の人間よりは評価が安定しているように思えるけれども、これもどうだかわからない。すでに有効期限が切れているかもしれない。

◇ アニメ版において星一徹宛ての郵便物に「荒川区町屋9-16」という宛て先が示されていた。ただし、町屋は8丁目までしかなく、9-16は架空の地。泪橋も飛雄馬親子のランニングシーンに登場する。
ja.wikipedia.org/wiki/荒川区

◆ 町屋からは都電荒川線に乗って終点の三ノ輪橋電停で降り、浄閑寺あたりを抜けてぶらぶら歩けば、15分ほどで、泪橋交差点に着く。泪橋といえば、「あしたのジョー」にも登場するが(というか、こちらのほうが有名だが)、とうの昔に橋はなく、明治通りの交差点名としてのみその名を残す。岡林信康の「山谷ブルース」で知られる日雇い労働者の街、山谷はこの辺り。

◇ 泪橋(台東区・荒川区境)はかつて江戸の境界で、近くに小塚原刑場や遊女の投込み寺(浄閑寺)があった。また、山谷地域西南部の近隣には、ソープランド街である吉原(ここも1966年の住居表示制度の実施により、正式地名としては消滅。現在は台東区千束の一部)がある。
ja.wikipedia.org/wiki/山谷 (東京都)

◆ 荒川区から泪橋を渡って台東区に入り、しばらく歩くと吉原遊郭の入口である大門(おおもん)に出る。こちらも、とうの昔に門はない。荒川区の公衆便所のハナシのはずだったが、なぜか台東区に来てしまった。おっと、こんなところに公衆便所が! ついでながら、この「新吉原大門前公衆便所」の「新」というのは、この台東区千束の吉原遊郭が「新吉原」とも呼ばれるからで(江戸時代に日本橋人形町の旧吉原から移転)、なにも吉原大門前のどこかに旧い公衆便所があったわけではない(と思う)。

◆ 去年の12月13日、東大駒場キャンパスを散歩していたときのこと。イチョウ並木のイチョウの葉はほとんど落ちてしまっていたが、その落ちたイチョウの葉を拾っている若いカップルがいて、たまたまその横を通り過ぎるとき、そのカップルの男性が女性にこんなハナシをしているのが聞こえた。

◇ 「イチョウの葉には、男と女があるんだよ。知ってた?」

◆ ワタシはアカの他人なので、そのまま通り過ぎたが、そんなハナシは初めて聞いた。イチョウは雌雄異株ということで、オスの木とメスの木があるのはもちろんだが、葉っぱにまでオスメスがあるとは?

◇ この歳になって初めて知りました、イチョウの葉にオスとメスがあること。葉っぱに切れ目のようなものがあるのがオスでないのがメス。スボンみたいなのがオスで、スカートみたいなのがメスってことですね。世の中のこと、知らないことがたくさんあることは承知しているし、あらゆる変化にも対応していってないのも自覚してるけど、ふとしたことで、学ぶこともあるものです。
blog.goo.ne.jp/relajante/e/82ca3e89f376322c47ce6fb8ed2ec999

◇ イチョウにはオスとメスがあり、メスに銀杏が実るというのは聞いたことがありましたが、オスとメスでイチョウの葉の形が違うことを初めて知りました。ひとつ勉強になりました。メス=女の子は扇型(スカート)で、オス=男の子は真ん中が大きく割れている(半ズボン)。ほんとだ~。
jwweekly.blog77.fc2.com/blog-entry-490.html

◆ たしかにイチョウの葉の形は多様で、大まかに分類すれば、切れ込みがあるものとないものに二分することができて、そのそれぞれの特徴をスボン(男)とスカート(女)に見立てることにはなんの問題もないし、おもしろい見立てだとは思うけれど、葉っぱの「男女」と木のオスメスとのあいだにはなんの関係もない(と思う)。オスの木にスカートをはいた葉がついていることもあるし、メスの木にスボンをはいた葉っぱがついていることもある。イチョウの木などそれこそどこにでもあるのだから、自分の目で確かめればいいと思うのだけど、どうもそういうひとは少ないようだ。

◇ 先日、植物に詳しい人から聞いたのです。イチョウの葉っぱはパンタロンのがオスで、スカートがメスだと思っていたのですが、全然違っているというのです。一本のイチョウの樹の葉から、パンタロンあり、スカートあり、また違った形ありで、色んな葉っぱがあるというのです。
www.kamakuratoday.com/suki/mokuren/35.html

◆ 東大駒場キャンパスのイチョウ並木にハナシを戻すと、イチョウの葉の男女の違いについてのハナシをしていた若いカップルは、イチョウの木の根元に落ちた葉っぱを拾い上げて入念に観察してはいたけれど、すぐそばにあるイチョウの木のまだ落ちずに残っていた葉っぱをけっして見ようとはしなかった。ちょっと頭を上げれば、そのイチョウの木に、パンタロンをはいた葉っぱとスカートをはいた葉っぱが仲良く(あなたたちのように)寄り添っているのを目にすることもできただろうに。いや、頭を上げなくてよかったのかもしれない。もしワタシがその若いカップルの女性だったとしたら、

◇ 「イチョウの葉には、男と女があるんだよ。知ってた? こんな風にスカートをはいているのが女のイチョウで、こんな風にズボンをはいているのが男のイチョウなんだ。葉っぱの形でイチョウの木のオスメスが見分けられるんだよ」
「へえ、ぜんぜん知らなかった。ほんとね、男の子の葉っぱと女の子の葉っぱがあるわ。でも、ここに落ちてる葉っぱは全部、ここにある一本のイチョウの木から落ちてきたんじゃないの?」

◆ そうして、ふたりは視線を上に向け、まだ多少は葉っぱの残っているそのイチョウの木を見ることになる。女性はこう言うだろう。

◇ 「このイチョウの木には、女の子の葉っぱも男の子の葉っぱも両方あるみたいね。じゃあ、このイチョウの木は、オスなの? メスなの? それとも両性具有ってわけ?」

◆ 男性は苦し紛れにこう言うかもしれない。

◇ 「こ、これは、このイチョウの木は、突然変異かもしれないぞ! ノーベル賞ものの大発見かも!」

◆ 女性は冷ややかに言うだろう。

◇ 「あなた、ほんとに東大生?」

◆ いや、東大構内を歩いていたからといって、この若いカップルが東大生とはかぎるまい。もしかしたら、東大生だったのかもしれないが、少なくとも男性のほうは東大生ではなかったと思いたい。しかし、こんなハナシはどこからでてきたんだろう。

◆ 焼き芋を食いながら、本を読んでいると、芋が出た。歌人・塚本邦雄は幼少のころ、自分で架空の地図を作って遊んでいたという。

◇ 平凡なシルーエットは大嫌いだ。たとえば世界地図を展げるなら、ボルネオ、スマトラ、ジャワ、マダガスカル等、芋を転がしたような単純で鈍重な形象には全く興味を持たず、鼠に噛まれる窮猫の形のセレベス、毒を吐く蜥蜴の形のパプア、毀れたギヤマンの瓶と甕をばら撒いたかのフィリッピン群島各島、日本でなら乾鱏の北海道など面白いものに属し、自分の地図にも大いに採り入れた。〔原文は旧字旧仮名〕
塚本邦雄『半島』(白水社,p.70)

◆ 「芋を転がしたような単純で鈍重な形象」をした島々。ボルネオ芋、スマトラ芋、ジャワ芋、マダガスカル芋。これらの芋はどんな芋だろう? ジャワ芋は、やはりジャガタラ芋だろうか? また、別な本に、

◇ 廓では分娩は御法度だった。遊女の産んだ子は「芋が子」と呼ばれ、山谷や三輪あたりから吉原に芋などを売りにくる農家の人に里子に出してしまう、と鴇手(やりて)のおかちさんが言っていた。
斎藤真一 『吉原炎上』(文春文庫,p.102)

◆ この芋はなんだろう。「里子だから、里芋?」と誰かが言った。うまく笑えない。

〔MSN産経ニュース:2010.3.7 18:00〕 島根県隠岐諸島のひとつ、中ノ島にある海士町が平成19年度から3年間、総務省から受託した地域ICT(情報通信技術)事業を軌道に乗せ、注目を集めている。〔中略〕 ディスプレーを設置している東京都千代田区の島根郷土料理店「主水(もんど)」では岩ガキの旬ではない時期に、瞬間凍結技術で解凍後も鮮度の保たれる映像を流した結果、通年で岩ガキの注文が入るようになった。
sankei.jp.msn.com/region/chugoku/shimane/100307/smn1003071839000-n1.htm

◆ とまあ、こんなニュース記事を読んだんですがね。ニュースの中身の「地域ICT(情報通信技術)事業」とやらは、俺には難しいので省略するとして、ただ、隠岐にも「海士町(あままち)」があるんだな、とそう思っただけで。それから、「主水(もんど)」って店の名も気になりました。なんでも最近、中村主水という方がお亡くなりになったそうですが、いやなに、俺の名前が水守昭三っていうもんだから。そう、昭三だから、昭和三年生まれ。若い頃は、トラック野郎をやったりもしましたが、今では、御覧の通りの雲助、今風にいうと、タクシードライバーってわけなんで。八十をとっくに過ぎてますが、元気なもんです。

◇ 俺はね、お客さん、舳倉島(へくらじま)の生まれなんです。水守ってのは輪島の町名にもありますが、例の「主水(もんど)」とほぼ同じ仕事を先祖がしていたってことじゃありませんか。親仁(おやじ)は船主でね、漁船と貨物船を併せて十隻ばかり持って、一時は良い暮しをしていたようです。俺の母親は舳倉島の海人(あま)の娘でしたよ。親仁が若い頃、夏休みに遊びに行って、一目惚れして、たった一晩寝ただけでできたんだそうな。〔原文は旧字旧仮名〕
塚本邦雄 「続・能登半島」(『半島』所収,白水社,p.28)

◇ 輪島には海士町(あままち)という海人の本拠になる一群の町並がありましてね。元来は六月に入るとすぐ舳倉島の家へ移って行って漁を始めるんです。輪島の家は留守番子守だけ。十月の下旬、霜が降る頃、島の家を閉じて輪島の方へ引き上げて来ますよ。いやあ、昔は、六月になると巡査も坊主も奇特な医者も、海士と一緒に、進んで舳倉へ渡ってくれました。〔原文は旧字旧仮名〕
Ibid., p.32

◇お客さん、もう一日暇があったら、是非案内してあげたいな。海上十三里、船で二時間一寸、一日一往復だけだが、それも凪の日だけでね。六、七、八の三月(みつき)は素晴しい眺めさ。島の真中は広い野原で、苦竹(まだけ)や茅(かや)の中に、笹百合と鬼百合が咲き乱れるんだから。周囲が一里半、南の岸は岩礁と入江ばかりで若布(わかめ)、荒布(あらめ)が茂ってる。北岸は怒涛断崖を噛むってっところですな。晩秋から真冬は哭きたいくらい淋しくて怖ろしい眺めですよ。金沢を松江にたとえるなら、舳倉は隠岐に当りましょうな。〔原文は旧字旧仮名〕
Ibid., p.30

「芋は哀し」で引用した塚本邦雄の文章をもう一度引用すると、

◇ 平凡なシルーエットは大嫌いだ。たとえば世界地図を展げるなら、ボルネオ、スマトラ、ジャワ、マダガスカル等、芋を転がしたような単純で鈍重な形象には全く興味を持たず、鼠に噛まれる窮猫の形のセレベス、毒を吐く蜥蜴の形のパプア、毀れたギヤマンの瓶と甕をばら撒いたかのフィリッピン群島各島、日本でなら乾鱏の北海道など面白いものに属し、自分の地図にも大いに採り入れた。〔原文は旧字旧仮名〕
塚本邦雄『半島』(白水社,p.70)

◆ 北海道は乾鱏か。「鱏」はエイ。あのひらひらした軟骨魚のエイの干物。これはよくわかる。たしかにエイの形に見えなくはない。画像のエイは《ユーラシア大陸果ての定置網:カスベ》から拝借。ポルトガルの Raia teiroga というガンギエイ科のエイらしい。で、このガンギエイ、北海道ではカスベと呼び、煮つけなどにする。

〔ウェブシティさっぽろ:カスベ(ガンギエイ)〕 カスベというのは一般的にガンギエイの地方名とされています。北海道では、ほぼ一年中漁獲されています。漁獲量が増えるのは冬で、春の産卵期を前に脂がのります。札幌に住む私たちにとって、カスベはなじみの深い魚で、人によっていろいろいな食べ方や思い出があります。
web.city.sapporo.jp/season/044kasube.html

◇ カスベと聞いて北海道の人でも知らない人がいる。カスベはガンギエイ科のエイの一種で、北海道ではメガネカスベ(本カスベ又は真カスベ)とドブカスベ(水カスベ)が食用とされている。食用とは言ってもヒレ部分だけが水揚げされ、他の部分は海上で投棄されている。そのエイのヒレ部分を砂糖醤油で煮たものが「カスベの煮付け」である。
take5555.exblog.jp/5361015/

◆ 札幌に5年もいたのに、ワタシもカスベのことはまったく知らなかった。でも、逆に、道産子でカスベを日常食していても、それがエイだとは知らないひとも多いとか。以前、テレビの「噂のケンミンSHOW」というバラエティ番組でカスベが取り上げられたそうで、

◇ まずは北海道ではエイ(魚)を食すとの事。地元では「カスベ」と呼ばれている、ガンギエイというエイらしい。バラエティ故、仕方がないのであるが、エイを食べると聞いたときの出演者の反応が異常ってか、騒ぎ過ぎ。(笑) 〔中略〕 面白かったのは、エイを食べることよりも、カスベを食べている人たちが、エイだとは知らなかった事。魚そのものを見せられても、それが何の魚なのかわからないという人がニュースになった時代から数年が経ちますが、高齢者と言われる年齢の人までが、それがエイだと知らなかったのには驚き。逆に言えば、それだけ昔から「カスベ」として食べられているということでしょう。テレビでは魚屋さんの店頭にエイが一匹まるまま並んでいるのが映ってましたが、エイだと知らないということは昔から切り身で売っていたのでしょうか?
udaryu.blog13.fc2.com/blog-entry-431.html

◆ カスベのヒレだけしか目にしないひとは、残念ながら、北海道の形に似ていると思うことはできない。

◇ ”かすべ”とは、”えいひれ”のことです。えいひれとは言っても、居酒屋さんにある、アタリメのような炙って食べるおつまみではありません。最近は、スーパーでもたまに見かけるようになりましたよね。
lainacuisine.blog86.fc2.com/blog-entry-96.html

◆ カスベ=エイヒレだと思っているひとも多いようだ。まあ、食べるだけなら問題はないが、カスベはエイだがヒレではない。正確には、カスベヒレと言うべきだろう。いずれにしても、食べているひとには、その部分が宗谷岬か襟裳岬の区別はつかない。大雪山はそこにはない。カスベと北海道の形の類似に言及しているひとがいないわけではない。

〔丸鮮千代水産(札幌二条市場)〕 北方のガンギエイ科に属するエイをカスベと呼びます。ちょっと北海道にも似たひし形のひらぺったい体で、口の先にはとんがった吻がついています。成長すると1mにもなるそうです。
http://www.rakuten.ne.jp/gold/chiyo/contents/dict/kasube.htm

◇ 北海道の形してる魚。カスベ。
twitter.com/TokikoKato/status/9458516429

◆ そのひとりが、なんと加藤登紀子だった。

◆ 北海道の地図にカスベ(ガンギエイ)の姿を重ねながら、知床半島と根室半島の部分が、同じエイの仲間でもイトマキエイの頭部に見えてきたので、これも重ねてみた。どうだろう? 同じことを考えたひともいる。

〔珍獣の食卓〕 カスベといえば、何かの本で北海道を「カスベの形をした土地」だと表現しているのを見たことがあります。前々から、北海道は生き物っぽい形をしていると思っていたのでやっぱりねーと感心しまくり。函館があるあたりが尾ヒレで積丹と室蘭のあたりが尻ビレ。ガンギエイにはないけど、イトマキエイだと頭に小さなヒレがあって角みたいに突き出してるから、これが羅臼と根室のあたりでしょ。もうピッタリ、エイの形そっくり。
homepage1.nifty.com/TAP-T/kuirejo/kuir0091.htm

◆ イトマキエイの画像は長崎大学附属図書館が電子化した《グラバー図譜》から。萩原魚仙画。腹面からの図もある。

〔グラバー図譜〕 グラバー図譜は通称で、正式な名称は「Fishes of Southern and Western Japan 日本西部及び南部魚類図譜」と言います。これらの図譜は、明治末から昭和初期の約25年間の間に、倉場富三郎(Thomas Albert Glover)により編纂されたもので、中村三郎などの手による主として海産の魚介類約800図、全32集から構成されています。
oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/GloverAtlas/05.php

◆ グラバー邸で有名なトーマス・ブレーク・グラバー(Thomas Blake Glover)の息子が、倉場富三郎。母親は日本人。イトマキエイ(Mobula japanica)に戻って、知床半島と根室半島のふたつの突起は、耳ではなくてヒレで、頭鰭(とうき・あたまびれ)という。

◇ 頭部前端の左右にコウモリの耳のような形のひれ(頭鰭(とうき))があり,これが糸巻を連想させることに由来した名称。胸びれを広げたときの形から英名は devil fish または devil ray という。南日本の沿岸や沖合に生息し,南はハワイまで分布する。頭鰭をもつこと以外に,尾部がむち状でたいへんに長く,体板の3倍以上あるのが特徴。尾部には毒針があるが小さい。体板長2.5mに達する。〔中略〕 イトマキエイは食用とされず,せいぜい肥料に利用されるくらいである。(谷内透)
平凡社『世界大百科事典』「イトマキエイ」

〔グラバー図譜〕 長崎魚市には東シナ海で操業する大型巻網でアジ、サバ類にまじってとれたものがときどき入荷し、クロエイ、バンゾエなどの方言で呼ばれている。肉は食用になるが不味で、かまぼこ材料として用いられている。
oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/GloverAtlas/target.php?id=72

◆ 不味いのか。でも、知らずにかまぼことして食べているかも。

◆ 大リーグに、タンパベイ・デビルレイズ(Tampa Bay Devil Rays)という弱小球団があった。

◇ 球団創設は1998年。アリゾナ・ダイヤモンドバックスと共に、球団拡張(エクスパンション)の一環として「タンパベイ・デビルレイズ」として誕生した。この「デビルレイズ」という愛称は、フロリダ湾に多く棲息するイトマキエイに由来する。〔中略〕 デビルレイズ時代の10年間の通算成績は645勝972敗(勝率.399)で、2004年の地区4位以外は球団創設からすべてのシーズンで地区最下位だった。勝ち越したシーズンすら一度もなく、シーズン70勝に達したのも2004年のみだった(同時期に創設されたダイヤモンドバックスは創設翌年に地区優勝を果たし、2001年にはワールドチャンピオンにも輝いている)。
ja.wikipedia.org/wiki/タンパベイ・レイズ

◆ 悪魔に呪われているせいだと思ったのかどうか、2008年、

◇ 愛称から「Devil」の文字を取り、「タンパベイ・レイズ」と改称された。球団シンボルは、同じく「Ray」だが、これまで同様エイとともに光線も意味するものに変わった。
Ibid.

◆ すると、同年、悪魔祓いが功を奏したのか、

◇ 球団創設11年目で初の地区優勝・リーグ優勝を達成し、ワールドシリーズにまで進出。アメリカ全土に「レイズ旋風」を巻き起こす大躍進を遂げた。
Ibid.

◆ なんともできすぎたハナシではある。イトマキエイといえば、近縁種に、ダイバーに人気の「マンタ」ことオニイトマキエイがいる。いずれにしても、イトマキエイは南方の魚だから、北海道にはあまり似合わないか。シッポもあまりに長くて細すぎる。

「芋は哀し」で引用した塚本邦雄の文章を、さらにもう一度引用すると、

◇ 平凡なシルーエットは大嫌いだ。たとえば世界地図を展げるなら、ボルネオ、スマトラ、ジャワ、マダガスカル等、芋を転がしたような単純で鈍重な形象には全く興味を持たず、鼠に噛まれる窮猫の形のセレベス、毒を吐く蜥蜴の形のパプア、毀れたギヤマンの瓶と甕をばら撒いたかのフィリッピン群島各島、日本でなら乾鱏の北海道など面白いものに属し、自分の地図にも大いに採り入れた。〔原文は旧字旧仮名〕
塚本邦雄『半島』(白水社,p.70)

◆ ここに挙げられた島の名前は、北海道をのぞいてワタシにはなじみがなく、その形をはっきりとイメージすることができないものばかりだけれど、「鼠に噛まれる窮猫の形」とか「毒を吐く蜥蜴の形」と書いてあるのを読むと、どうにもその形を確かめたくなる。こんなことをしていると、時間がいくらあっても足りなくなって、図書館の返却期限に遅れてしまう。

◆ とりあえず、セレベス島(現在はスラウェシ島)だけ、ちょっと。「鼠に噛まれる窮猫の形」か。ううん、この見立てはちょっと上級者向けのようだ。どこにネコがいてネズミがいるのか、よくわからない。北部の「ー」はシッポだろうけど、これはネズミのものなのか、ネコのものなのか? こんなに長いシッポはやはりネズミのものだろうか。だとすると、ネコが3匹いることになるのか? いや、3匹のネズミが1匹のネコに噛みついているようにもみえる。それとも、まったく別な見立てだろうか?

◆ 見立ての初心者は、この島の形を「K」に例える。これならわかりやすい。

◇ インドネシア中部に位置するK字形の島。
小学館『大辞泉』「スラウェシ島」

◆ また、シバ神が手にする「三叉戟」(trident)にも例えられる。これは中級だろうか。フランス語版の Wikipédia によると、

◇ Ce nom est généralement interprété comme signifiant "trident de fer" (sula, du sanscrit trisula, "trident", l'un des attributs du dieu Shiva, et wesi ou besi, "fer"), à cause de la forme caractéristique de l'île, sorte de "K" dont la branche supérieure s'incurve vers l'est.
〔このスラウェシ(Sulawesi)という名は、一般的には、その特徴的な島の形、Iの棒の上部が東に曲がっている「K」のような島の形から、「鉄の三叉戟」を意味するものとして解釈される(「sula」は、サンスクリット語の「trisula」から、シバ神の持物のひとつである「三叉戟」の意、「wesi」または「besi」は鉄の意)。〕

fr.wikipedia.org/wiki/Sulawesi

◆ この三叉戟(さんさげき)というのも、調べるとおもしろそうだが、ハナシを元に戻すと、いや、もう戻りそうにないが、今度は、セレベスの形がプジョーのライオンに見えてきた。このライオンのロゴデザインも、時代とともにさまざまに形を変えてきて、今年からまた新しいものになったようだが、これは島のディテールを連想させるにはあまりに直線的すぎるので、ひとつ前の「青ライオン」の画像を載せる。左右を反転すれば少しはセレベスに似るだろう。ろくろ首のライオン。そういえば、ライオンもネコの仲間だったのではないか。

◆ セレベス、セレベスと書いてきたが、現在はスラウェシと書くのが「政治的に正しい」行為である。とはいえ、スラウェシという名をいままで知らなかったのだから仕方がない。いま日本でセレベスといえば、芋のことだろうか?

〔野菜図鑑〕 セレベス(Celebes)は、サトイモ(里芋)の仲間のサトイモ目サトイモ科サトイモ属(コロカシア属)の非耐寒性イモ類です。インドネシアのセレベス島(現スラウェシ島)から伝来したサトイモの一種で、千葉が主要な産地となっており早生栽培されます。
www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/hana-celebes_large.html

◆ セレベス芋! ああ、今度は島の形が、芋に見えてきた。親芋に小芋が4つ!

♪ はるかな はるかな見知らぬ国へ
  ひとりでゆく時は船の旅がいい

  井上陽水 「つめたい部屋の世界地図」(作詞・作曲:井上陽水)

◆ 殺風景な部屋の壁に世界地図でも貼ってみようか。

◇ そもそも島は地図に描きやすいし、その意欲を強く掻き立てるものだろう。私の個人史を振り返っても、奥尻島、知夫里島、真鍋島などで、気が付いたら地図づくりに励んでいた。もっとも、島では、ほかに何もすることがなかったからだが……。
木下直之 『世の途中から隠されていること』(晶文社,p.302)

◆ 旅行の嫌いだった塚本邦雄は自室で空想の島の地図を描き、旅好きな木下直之は島に遊んで現地でその島の地図を描いた。ううん、ワタシの「個人史」に、島の地図を描いたというページは、残念ながら、ないなあ。ときに、おもしろいなと思う島の形にも出会うけれど、思うだけなので、すぐに忘れてしまう。ところで、奥尻島が北海道にあるのは知っているけど、知夫里島、それから真鍋島というのは、いったいどこにあるのだろう。

  ゴメ

  ゴメゴメと声高らかに歌う子も
  歌わるるゴメも共に可愛や

  違星北斗 『北斗帖』(青空文庫

◆ 2007年9月7日、利尻島の鴛泊フェリーターミナルの売店で売られていた「ごめちゃん」のぬいぐるみ。1500円。

〔石狩市:市鳥《カモメ(ゴメ)》〕 カモメは、魚の群れを追って海上を優美な姿で群れ飛ぶ海鳥です。80キロメートルにも及ぶ美しい海岸線を持つ私たちのまちでは、一年中この白く輝きながら飛ぶ数種類のカモメの姿を目にすることができます。漁師達は、カモメ(類)のことを親しみを込めてゴメと呼びます。ニシン漁の盛んだった頃は、歌にあるように、ゴメが鳴き騒ぐ場所を目印にして網をかけたといわれています。
www.city.ishikari.hokkaido.jp/content/000003762.doc

◆ ゴメとは北海道の浜言葉でカモメのこと。そう書いても間違いではなさそうだが、カモメにもいろいろな種類がいるので、そこまで考え始めるとよくわからなくなる。

◇ 「鴎が凄いね」と私が言うと、
「鴎じゃないわ。海猫よ。猫みたいな鳴き声じゃないの」姉は高飛車に言う。
「あれはゴメって言うんだ」
 網元の息子が振り返って言った。
「ゴメ? 海猫じゃないの」と不服そうな姉。
「増毛では、海猫のことをゴメって言うんだ」
「ほら、やっぱり海猫じゃないの」
 姉は低い鼻を反り返らせて威張る。
 網元の息子は続ける。
「増毛という町の名前の由来は、アイヌ語のマシュケという言葉からきてるんだ。鴎の多いところ、という意味なんだと」
「ほら、鴎じゃないか」と私は姉を肘でつつく。姉の鼻がまた低くなる。
「ゴメも鴎の一種だから、二人とも間違ってないよ」と息子が笑う。

なかにし礼 『兄弟』(文春文庫,p.71-72)

◆ なかにし礼はゴメをウミネコのことだと考えているようで、「石狩挽歌」の出だしの「海猫」も「ごめ」と歌われる。

♪ 海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
  赤い筒袖(つっぽ)の ヤン衆がさわぐ

  北原ミレイ 「石狩挽歌」(作詞:なかにし礼,作曲・浜圭介)

◆ ネット上で「ゴメ(ウミネコ)」と書かれた紀行文も多く目にしたが、ほとんどが「石狩挽歌」の影響によるものではないかと思う。

〔アクティブレンジャー日記(北海道地区・賀勢朗子 )〕 稚内市周辺では夏の間では、ウミネコやオオセグロカモメが多く見られるのですが、冬期には主にオオセグロカモメ、ワシカモメ、シロカモメ、ミツユビカモメが見られるようになります。体の配色パターンが似通っていて識別しづらいからか、港周辺ではあまりに普通に見られるためか、一緒くたに「ゴメ」と呼ばれているカモメ類はちょっとかわいそうです。
hokkaido.env.go.jp/blog/article.php?blog_id=321

◆ ネット上で見たかぎりでは、ウミネコを含めたカモメの類はみな「一緒くたに」ゴメと呼ぶのが一般的であるような気がする。ゴメとはアイヌ語でカモメのことだと書いてあるサイトもあったが、アイヌ語ではなさそうだ。

◇ カモメが訛って「カゴメ」、さらに縮めて「ゴメ」。
hougen.atok.com/hokkaido/db/

◆ もっとも、

◇ 和名は幼鳥の斑紋が籠の目(かごめ→カモメ)のように見える事が由来とされる。
ja.wikipedia.org/wiki/カモメ

◆ という説もある。いずれにしても、カゴメ(カモメ)がゴメになったのだろう。

◆ 《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。

◇ 「かもめ」と「ウミネコ」の違いは何ですか? 松島を世界遺産にしようとの活動があるそうですが、松島の遊覧船に乗ると「ウミネコ」か「かもめ」が山ほど寄ってきます。
ところで、「ウミネコ」と「かもめ」の違いを教えて下さい。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213107912

◆ 「ウミネコ」と「かもめ」の違い? もしかして、「カタカナ」と「ひらがな」? これが小学校の理科のテストであったら、こう答えると何点もらえるか? やっぱり零点か? この質問者が「ウミネコ」と「かもめ」で「カタカナ」と「ひらがな」を使い分けている理由はなんだろう? おそらく本人に聞いてもわからないだろう。

◆ 「かもめ」あるいは「ウミネコ」を市町村の「鳥」に定めている自治体も多い。そのひとつに熊本県天草市。市の鳥は「ひらがな」で「かもめ」。

◇ 海岸などに生息する飛翔力の強い鳥で、体は白色、背・翼は青灰色。魚の水揚げをする港などで、よく見ることができます。海をイメージさせるため、海に囲まれた天草を象徴する鳥です。
www.city.amakusa.kumamoto.jp/one_html/pub/default.asp?c_id=7

◆ 以下は、「市の鳥」を決定するにあたって、「平成20年11月4日(金)」に「天草市役所庁議室」で開催された「第5回市民憲章等審議会」の会議録の一部。

◇ 【天草市の鳥「かもめ」の表示方法について】
(委員)○地中海の気候に似ている牛深に「かもめ」がおり、西洋的なイメージがあるためカタカナ表示が良い。
(委員)○荒波の海を飛んでいる「かもめ」は強いというイメージがあり、カタカナの方が強いというイメージに合うため、カタカナ表示が良い。
(委員)○その他のシンボルの「イルカ」はカタカナ表示が良いと思うので、バランスを考えて「かもめ」はひらがな表示が良い。
(会長及び委員)○最終的に、「かもめ」に賛成の委員が8人、「カモメ」に賛成の委員が6人。

www.city.amakusa.kumamoto.jp/kiji/upload/p6812565_1256_21第5回審議会_会議録(要約).pdf

◆ ちなみに、天草「市の魚」は「鯛」と漢字表記になっていて、これが、

◇ (委員)○「たい」は魚の王様であるため、格調の高さを感じさせる漢字表示が良い。
Ibid.

◆ といった理由によるものであるのだとすれば、「かもめ」はヘソを曲げるかもしれない。あ、鳥にヘソはないと思うので、……、ううん、なんだろ、怒って「鯛」を食べちゃうかもしれない。「オレらだって、海鳥の王様みたいなもんだ。バカでかいアホウドリは阿呆だし。ぜひ漢字で「鴎」にしてほしい、いや、この「鴎」という字体は気に入らないので、ぜひ「鷗」にしてもらいたい。さもなきゃ、魚をぜんぶ食っちゃうぞ」と言ったかどうか。

◆ もっと、ヘソを曲げているのは、ウミネコだろう。いや、猫にはヘソがあるはずだが見たことはない(見たことある?)。いやいや、海猫は猫ではなくて鳥なので、ヘソはない。「市の鳥が『かもめ』に決まったって? 『かもめ』といったって、いろいろいるわな。そんなかで一番めだっているのが、オレたちじゃないか。なんで市の鳥を『ウミネコ』にしないんだ。魚をぜんぶ食っちゃうぞ。ついでに、ほかの『かもめ』も食っちゃうぞ」と言ったかどうか。

◆ 天草市に行ったことはないので、どんな「かもめ」がいるのかホントはしらない。でも、「ウミネコ」が多いんじゃないの? ああ、猫のヘソが見たい。

◆ 岩手県大船渡市の市の鳥は、市のホームページの記載によると、ひらがなで「うみねこ」。ちなみに、市の花は「つばき」で、市の木は「まつ」。全部、ひらがな。制定時にどんな議論があったのかはしらない。市の鳥の「うみねこ」は、マンホールの蓋にもデザインされている。

◆ 大船渡の銘菓に、食べたことはないが、「かもめの玉子」がある。

〔はてなキーワード〕 岩手県のお菓子メーカー、さいとう製菓が販売しているお菓子。岩手土産として非常に美味だが、近年では全国のスーパーマーケットで販売されるため多くの人が知っている。全国的に類似品が多いお菓子の一つである。
d.hatena.ne.jp/keyword/かもめの玉子

〔Wikipedia〕 岩手のお土産の定番であったが、コンビニで売られるなど全国展開した結果、県内の売り上げは激減。現在は県内限定での季節商品が販売されている。季節によって限定の味がある。
ja.wikipedia.org/wiki/かもめの玉子

〔さいとう製菓〕 大船渡の小さな菓子店だった「齊藤菓子店」が昭和二十七年に開発を始め、いまや東北を代表する銘菓に成長した「かもめの玉子」。
www.saitoseika.co.jp/story.html

《さいとう製菓:銘菓誕生物語~かもめの玉子誕生秘話~》によると、

◇ 知恵をしぼり、そして思いついたのが、観光みやげとしてのお菓子でした。俊雄は三陸の美しい海をもつ観光地大船渡の魅力は何だろうかと思案しました。思い浮かんだのは、青い海原の上を颯爽(さっそう)と飛ぶカモメの姿でした。そしてすぐに、「鴎の玉子」「沖のかもめ」「五葉松」「うにの子」と、一挙に5つもの商品名を考えついたのです。俊雄はさっそく「鴎の玉子」(のち平成11年に「かもめの玉子」と改称)の商品化に取りかかりました。昭和26年のことです。
www.saitoseika.co.jp/story.html

◆ もし、このとき「俊雄」が思い浮かべたのが「うみねこの玉子」だったなら、どうなっていただろう?

◇ ちなみに、大船渡湾にはたくさんの「うみねこ」はいますが「かもめ」はほとんどいないそうですが、かもめはいなくても、三陸海岸らしさを表現するさいとう製菓の銘菓「かもめの玉子」の名前は「うみねこの玉子」よりも「かもめの玉子」がいいですね。
blog.goo.ne.jp/me-goo-tenberg21/e/1ea7457a6349167cf208087918f87711

◆ どうなんだろう、よくわからない。「全国的に類似品が多い」ということらしいから、おそらく「うみねこの玉子」もどこかにあるのだろう。

◆ 「ねこのたまご」ならご存知の方も多いだろう。「ねこたま」こと、北海道釧路市・松竹屋製菓の「ねこのたまご」。

〔All About〕 東京のとあるコンビニエンスストアで「ねこのたまご」という一風変わった商品が並んでいます。手にとってレジで精算を済ませ、中身を確認するとそれは大福のような生菓子。ひとくち口に運ぶと外のモチっとした食感の次にふんわりとしたレアチーズの甘みを抑えた上品な味が舌を楽しませてくれます。製造元である松竹屋製菓のサイトを訪れると「ねこのたまご」は今回購入したレアチーズだけでなく、十勝ワインや古川さんの馬鈴薯、苺みるくなど実に21種類。味もバラエティに富んでいます。そもそもなぜこのような商品に「ねこのたまご」という奇抜な名前をつけたのか?
allabout.co.jp/career/marketing/closeup/CU20060728A/

◆ ワタシもそのネーミングの由来が知りたくて、松竹屋製菓のサイトを訪れると……

◇ このプログラムではこの Web ページを表示できません

◆ どうやら、去年の7月に自己破産したらしい。

◇ さて、ねこたまで有名な「㈲松竹屋製菓」は7月6日に自己破産しました。つまり「ねこたま」は食べられなくなりました。地元で全国的に有名な企業が倒産するのは非常に寂しいものです。潰れる前にもう一度食べたかったです(>_<)
funkstaka.blog49.fc2.com/blog-entry-173.html

◆ 「ねこのたまご」の由来は、

◇ モデルになったのは猫の「パセリ」(女の子)。他界した「パセリ」が大好きなテニスボールを抱いている写真をみて、卵を抱いているように見え、ネーミングを思いつきました。「ねこのたまご」を親しみを込めて「ねこたま」と呼んでくださいね!
item.rakuten.co.jp/dosanko/c/0000000152/

◆ ということであったらしいのだが。「ねこたま」も「パセリ」と同じ天国へ行ってしまった。