◆ ユーミンの「海を見ていた午後」で有名なレストラン「ドルフィン」。左は、2004年5月8日。右は《YouTube》にアップされていたものの背景で、いつのものかはわからない。見比べると。営業時間が1時間ちがう。アップしたひとは、夫婦ともどもユーミンの大ファンだそうで、 ◇ 妻との思い出の曲です。大阪から6時間。ついに来ました。偶然か店内で「海を見ていた午後」がかかった時は妻は泣いてしまいました。 ◆ ワタシの場合は、仕事で店の前を通りかかっただけなので、とくに泣く理由はない。 ♪ 山手のドルフィンは 静かなレストラン ◆ 三浦といえば、しばらくまえに「三浦大根」のハナシも書いたが、今回は、三浦岬。さて、いきなりだが、 ◇ 海を見ていた午後の歌詞に「三浦岬」とありますが、三浦半島はあっても三浦岬はありませんね。 ◆ そう、地図に三浦岬という岬はない。岬はないが、三崎ならある。よくしらないが、語源的には同じものだろうか。 ◇ 大体「三浦岬」なんて言う岬はないので、北原白秋が如く「三浦三崎」としたかったのを間違って表記してしまったのだろうとずっと信じて疑わなかった。 ◆ けれど、三浦三崎は半島の西側南方にあって、ドルフィンのある横浜側からは、晴れていようが、山がじゃましてけっして見えない。 ◇ もし三浦三崎の間違いだとすると、三浦半島中央部には標高200m程度の山が連なっており、根岸の標高50m位のドルフィンから三崎は見えないハズ。 ◆ 三浦半島を三浦岬と表現したという可能性もあるだろう。 ◇ 岬の大規模なものを半島と称するが、その先端や側部に突出した部分が岬である。 ◆ 大きな池を湖と呼ぶようなものだが、岬と半島のあいだに絶対的な基準があるわけではなさそうだ。むかしは大陸と呼ばれていたヨーロッパも、いまではせいぜいが亜大陸で、ヨーロッパ半島と呼ぶひとも多いし、岬と呼ぶひとまでいるのだから、それほど大きくはない三浦半島を三浦岬と呼んでもなんらさしつかえはないだろう。けれど、ドルフィンからは三浦半島自体が見えないらしい。ほとんど半島の付け根に位置しているというのに、開いた窓の方角が違うらしい。 ◇ 手を上げて、ウェイターを呼び止めた。「三浦岬はどこですか?」「はあ?」 何だ、このウェイターは? 「ドルフィン」といえば、三浦岬を知ってるのが常識だろう。勉強不足だな! そう憤慨していると、「三浦岬ですか? 三浦半島のことだったら、横須賀があるのが三浦半島ですから、方角が全然違いますよ」とウェイターが答えてくれた。どうやら三浦岬というものはないらしい。 ◆ 三浦半島自体が見えないのだったら、これ以上なにを考えても無駄になるが、つづける。 ◇ 「晴れた午後には遠く三浦岬も見える♪」はずなんだが、なんと目の前にマンションが二軒あって、完全に景色を遮断している、いったいどこの不動産屋がこんなボンクラなことをやりやがったのか知らんが残念無念。この店に限らず、最近マンションが毒キノコのようにボコボコ生えてきているからせっかくの景色が見えねぇじゃねぇかという場所が多々あり、なんとかして欲しい。そうそう、なんども三浦半島に行っているけれど、三浦岬という岬はないです、三浦半島や観音崎じゃゴロがわるいから三浦岬にしたんでしょう。 ◇ あなたを思い出すレストラン「山手のドルフィン」から海を眺めていると、晴れた午後には遠く「三浦岬」も見える・・・と歌われているが、「三浦岬」なんていう岬はなく、彼女の説明ではこれは「観音崎」が正解であるものの、「観音崎」では響きが悪く、せっかくの歌詞も台無しになるとやらで「三浦岬」に変えたそうだ。なるほど、曲の流れからして、はるかかなたの水平線に「三浦岬」がそのまま思い浮かぶようだ。でも、「観音崎」さんには大変すまないことをしたと謝っており、このへんがユーミンらしくて、僕は好きなのだが。 ◆ 直前の情報にしたがえば、歌詞の三浦岬とは三浦半島の岬のひとつである観音崎のことであるらしい。この場合、三浦岬は「三浦(半島にあるひとつの)岬」ということになるのだろう。そういえば、とまた、べつなことを思い出した。「知床旅情」である。 ♪ 知床の岬に はまなすの咲くころ ◆ 「知床旅情」の歌詞にある「知床の岬」とは、いったいどこのことだろう? 知床半島を大きな岬に見立てたものだろうか? それとも、知床半島の先端にある知床岬のことだろうか? それとも、知床半島のとある岬という意味なのだろうか? ああ、白夜は明けないが、もう朝だ。こんなことばかり考えていると、きっと「ピリカが笑う」にちがいない。 |
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