MEMORANDUM

  ふたつの海士町

〔MSN産経ニュース:2010.3.7 18:00〕 島根県隠岐諸島のひとつ、中ノ島にある海士町が平成19年度から3年間、総務省から受託した地域ICT(情報通信技術)事業を軌道に乗せ、注目を集めている。〔中略〕 ディスプレーを設置している東京都千代田区の島根郷土料理店「主水(もんど)」では岩ガキの旬ではない時期に、瞬間凍結技術で解凍後も鮮度の保たれる映像を流した結果、通年で岩ガキの注文が入るようになった。
sankei.jp.msn.com/region/chugoku/shimane/100307/smn1003071839000-n1.htm

◆ とまあ、こんなニュース記事を読んだんですがね。ニュースの中身の「地域ICT(情報通信技術)事業」とやらは、俺には難しいので省略するとして、ただ、隠岐にも「海士町(あままち)」があるんだな、とそう思っただけで。それから、「主水(もんど)」って店の名も気になりました。なんでも最近、中村主水という方がお亡くなりになったそうですが、いやなに、俺の名前が水守昭三っていうもんだから。そう、昭三だから、昭和三年生まれ。若い頃は、トラック野郎をやったりもしましたが、今では、御覧の通りの雲助、今風にいうと、タクシードライバーってわけなんで。八十をとっくに過ぎてますが、元気なもんです。

◇ 俺はね、お客さん、舳倉島(へくらじま)の生まれなんです。水守ってのは輪島の町名にもありますが、例の「主水(もんど)」とほぼ同じ仕事を先祖がしていたってことじゃありませんか。親仁(おやじ)は船主でね、漁船と貨物船を併せて十隻ばかり持って、一時は良い暮しをしていたようです。俺の母親は舳倉島の海人(あま)の娘でしたよ。親仁が若い頃、夏休みに遊びに行って、一目惚れして、たった一晩寝ただけでできたんだそうな。〔原文は旧字旧仮名〕
塚本邦雄 「続・能登半島」(『半島』所収,白水社,p.28)

◇ 輪島には海士町(あままち)という海人の本拠になる一群の町並がありましてね。元来は六月に入るとすぐ舳倉島の家へ移って行って漁を始めるんです。輪島の家は留守番子守だけ。十月の下旬、霜が降る頃、島の家を閉じて輪島の方へ引き上げて来ますよ。いやあ、昔は、六月になると巡査も坊主も奇特な医者も、海士と一緒に、進んで舳倉へ渡ってくれました。〔原文は旧字旧仮名〕
Ibid., p.32

◇お客さん、もう一日暇があったら、是非案内してあげたいな。海上十三里、船で二時間一寸、一日一往復だけだが、それも凪の日だけでね。六、七、八の三月(みつき)は素晴しい眺めさ。島の真中は広い野原で、苦竹(まだけ)や茅(かや)の中に、笹百合と鬼百合が咲き乱れるんだから。周囲が一里半、南の岸は岩礁と入江ばかりで若布(わかめ)、荒布(あらめ)が茂ってる。北岸は怒涛断崖を噛むってっところですな。晩秋から真冬は哭きたいくらい淋しくて怖ろしい眺めですよ。金沢を松江にたとえるなら、舳倉は隠岐に当りましょうな。〔原文は旧字旧仮名〕
Ibid., p.30

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