MEMORANDUM
2010年04月


◆ 水上勉『停車場有情』の「篠ノ井線松本駅」から。昭和21年冬。

◇ 雪の降る一日、所在のないまま外へ出て、駅のぐるりを歩いた。西の方へ町通りを歩いていると、神明町とよぶ遊郭があった。遊郭というよりも淫売宿といった名称が似合う。貧相なトタン屋根の平屋がひしめいていて、赤い顔をした娼妓たちが、股火して外を見ていた。
水上勉 『停車場有情』(朝日学芸文庫,p.88)

◆ 「股火する」という表現を知らなかったので、辞書で調べると、「股火鉢」を経由して、「金玉火鉢」というコトバにたどり着いた。

◆ 金玉火鉢は金魚鉢には似てはいないが、先週、週刊文春の福岡ハカセの連載エッセーに目を落としたとたん、愕然とした。

◇ 先日、たまたま三軒茶屋の裏道を歩いていて愕然とした。細道の角にあった釣り堀が閉店していたのだ。
福岡伸一「パラレルターンパラドクス」(『週刊文春』2010年4月8日号,p.65)

◇ 釣り堀といっても大きな池でもなんでもなく、小屋の中にある。
Ibid.

◆ ワタシは外からガラス窓越しに覗いてみたことがあるだけで、残念ながら(興味はありながら)、中に入ったことはなかった。中はこんな風だったようだ。

◇ ガラス戸を引いて、薄暗い室内に入るとちょっと生臭い。部屋はそんなに広くなく、六、七メートル四方だろうか。中央に池があり(池というより銭湯の湯船のようなもの)、黒い水が張ってある。ここにいるのは、赤や白の小型の金魚。魚が見えないように、わざと水を黒くしているのである。そのぐるりが細い通路になっており、釣り人はそこに一定の間隔をおいて陣取る。いつも二、三人は先客がいる。
Ibid.

◆ 金魚だったのか、そう思って写真を見直すと、たしかに赤い魚が写っている。金魚か。

◇ 久しぶりに訪れた店はシャッターが閉まり、張り紙に、四十五年にわたる営業に終止符を打つことになりました、とあった。昭和四十年から。そんなに長いあいだここでがんばっていたのだ。かつて、まだ陽も高いのにほの暗い屋内の黒い水面を黙って見ていたおじさんたちはいったいどんな人たちだったのだろう。
Ibid.

◆ ワタシは金魚の行方が気にかかる。あるいは、赤井赤子と名乗って、室生犀星の『蜜のあわれ』に登場していたりもするか。

  引越

◇ 昔の東京人には引越好(ずき)の人が多かった。斜(ななめ)に貼った貸家札は町をあるけばいくらでも眼についた時分、家賃三月分の敷金さえ納めればいつでも越せる御時世だったからでもあったが、やはり時々固まった生活のしこりを解きほごして新しい空気を通わすのに格好な手段だった。
 それには貸家に限ることで、自分で建てた家となると動くにもそう手軽くは行かない。葛飾北斎の引越好は有名な話だけれど、北斎ほどでないまでも、東京人で庶民暮らしをして来たものは多少とも引越の経験を持たないことはないであろう。
 私にしてからも幼い時から今日までの長い間ではあるけれど、居を移すこと三十回に手が届く。
 十代までは勿論自分の意思ではないけれど、私の母が相当な引越好で他人の家を我が家のように手をかけて、人すぐれた綺麗好きだから拭き掃除も念入(ねんいり)にして、はいった時と見違えるようになった自分には、もうそろそろ家に厭きてくる、典型的な江戸庶民型だった。それほどではないまでも、私にも知らず識らずそうなる傾向があるらしい。

鏑木清方 「引越ばなし」(『明治の東京』所収,岩波文庫,p.20-21)

◆ 久しぶりに引越をした。他人のではなく自分の引越。とうのむかしに「家に厭きて」いたのに気がつかないふりをして過ごしてきたら、十四年がたっていた。がちがちに「固まった生活のしこり」も、すこしは解きほごれて、すこしは新しい空気が通うようになっただろうか? とりあえず日当たりはよくなった。

◆ 昨日の「天声人語」に、

◇ ホンダ、ソニーと紛らわしい「HONGDA」のオートバイや「SQNY」の乾電池が出回った国である。中国のコピー癖に今さら驚きはしないが、国の威信をかけたイベントまでとはニセモノ天国も半端じゃない。
 上海万博のPRソングが岡本真夜(まよ)さんのヒット曲にそっくりな件で、万博実行委が岡本さん側に「あの曲を使わせてほしい」と申し出た。

www.asahi.com/paper/column20100421.html

◆ 「HONGDA」のオートバイに「SQNY」の乾電池、思わず笑ってしまうこの種のネーミング。「パチもん」というコトバがすぐに浮かんだが、これは関西方言だったか? 標準的なコトバでは「コピー商品」?

〔日本語俗語辞書〕 パチモノは関西で盗むという意味の「ぱちる」と「品物」の合成語で、デザインや機能を盗んだ品物ということから、こう呼ぶようになったという説、また「うそっぱち」のパチからきたという説もある。「パチモン」と崩した言い回しのほうが広く浸透している。
zokugo-dict.com/26ha/pachimono.htm

◆ さらには、「コンパチブル(compatible)」のパチからという説もあるらしいが、これはどうだろう。関西出身のワタシとしては、「ぱちったモノ」を語源とするのがしっくりする。この「モノ」はたいていは「物」だろうが、「者」の場合もないとはいえない。「パチ者(もん)」の例を、先日9日に亡くなった井上ひさしの小説から。

◇ 「旦那さん方もずいぶん耄碌しているんだね。ビラの字がよく見えなかったんだろ。ビラには“ちあき おみ”“五ひろし”と書いてあったはずだよ」
 六人はあまり莫迦々々しくて笑う気にもなれず、黙々とコップを口に運んだ。
「うちにはね、ちあき おみや五ひろしのほかにも、美空ばりとか、三波春とか、施明とか、北三郎とか、前寺清子とか、由紀おりとか、朝丘路とか、んからトリオとか、凄いのがいるんだよ」
 金歯が、得意なのか自棄(やけ)なのか、どっちかわからないような口調で説明した。老ホステスが手酌でビールをぐい飲みしながら、
「司会者にも凄いのがいるんだよ。まず、置宏だろ、宮尾か志だろ、そいから高橋三だろう。こないだなんか田輝もやってたもの」

井上ひさし『浅草鳥越あずま床』(新潮文庫,p.65)

◆ いや、「パチ者」の入力は面倒だものだな。

引越後のかたづけもすまないうちに、パソコンが壊れてしまい、あたふたしています。