◇ 昔の東京人には引越好(ずき)の人が多かった。斜(ななめ)に貼った貸家札は町をあるけばいくらでも眼についた時分、家賃三月分の敷金さえ納めればいつでも越せる御時世だったからでもあったが、やはり時々固まった生活のしこりを解きほごして新しい空気を通わすのに格好な手段だった。
それには貸家に限ることで、自分で建てた家となると動くにもそう手軽くは行かない。葛飾北斎の引越好は有名な話だけれど、北斎ほどでないまでも、東京人で庶民暮らしをして来たものは多少とも引越の経験を持たないことはないであろう。
私にしてからも幼い時から今日までの長い間ではあるけれど、居を移すこと三十回に手が届く。
十代までは勿論自分の意思ではないけれど、私の母が相当な引越好で他人の家を我が家のように手をかけて、人すぐれた綺麗好きだから拭き掃除も念入(ねんいり)にして、はいった時と見違えるようになった自分には、もうそろそろ家に厭きてくる、典型的な江戸庶民型だった。それほどではないまでも、私にも知らず識らずそうなる傾向があるらしい。
鏑木清方 「引越ばなし」(『明治の東京』所収,岩波文庫,p.20-21)
◆ 久しぶりに引越をした。他人のではなく自分の引越。とうのむかしに「家に厭きて」いたのに気がつかないふりをして過ごしてきたら、十四年がたっていた。がちがちに「固まった生活のしこり」も、すこしは解きほごれて、すこしは新しい空気が通うようになっただろうか? とりあえず日当たりはよくなった。