MEMORANDUM

  トロッコの線路跡

◆ 2月7日。奥多摩駅周辺をぶらぶら歩いていると、「奥多摩むかしみち」と書かれた大きな案内図があるのが目にはいり、それによると、この道は奥多摩湖まで続いているそうだが、奥多摩湖までは10キロもあって、そこまで歩くと日が暮れてしまい、途方に暮れてしまうことになるだろうから、というか、そのときは、もう帰ろうと思っていたのだったから、もとより歩いてみようという気もなかったが、その案内図に「ダム建設に使用したトロッコの線路跡」と書かれている場所があって、すぐ近そうだったので、途方に暮れる心配もないかと思い、ふらふらとその古道に迷い込んだ。5分も歩くと、線路跡が見え、橋梁があり、トンネルがあった。そこからさらにサイカチギというところまで行って引き返し、帰りは線路跡を歩いて帰った。

◆ 家に帰って、撮った写真の整理をして「PhotoDiary」にアップし、「Memorandum」になんとなく関連した記事を書いて、そのときに、とりあえず「トロッコの線路跡」と書いてみたが、ちょっと気になっていた。というのも、線路はまだそこにあったのだから、それを「線路跡」と書いていいものかどうか、よくわからなかったのだ。「廃線跡」というコトバも浮かんだが、「廃線+跡」というのは、なんだか冗長な表現なような気もし、「鉄道跡」のほうがいいのだろうか、とか。しかし、それよりもなによりも、トロッコとはなんなのか?

◇ 小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、唯トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。
芥川龍之介 『トロッコ』(青空文庫

◆ トロッコといえば、この短編を思い出すひとも多いだろう。このトロッコは手押しの車両だったが、奥多摩のトロッコとはどんなものだったのだろう。気になって、調べてみると、この線路跡は、東京都水道局の専用線で小河内線と呼ばれていたもののようで、

◇ 小河内ダム建設の際に氷川駅(現・奥多摩駅)からダムサイト近くの水根まで、東京都水道局による専用鉄道が敷設された。観光開発のために旅客線化も一部で構想されたが、工事終了以来休止のまま(事実上廃止状態)となっている。
ja.wikipedia.org/wiki/奥多摩湖

◆ 小河内線は、1952(昭和27)年に開通。路線距離、6.7km。軌間は国鉄と同じ1067mm。ダムが完成する1957(昭和32)年にその役目を終え、運休(実質上、廃線)。

◇ この小河内線は建設当初より、将来を見越して高規格で設計されたのが特徴だ。工事用軌道にありがちな簡素な鉄道ではなく、ダム完成後には旅客線として転用できるように、電化可能な仕様としたもので、トンネル断面も大きく勾配も曲線もなるべく緩やかなものになっている。
宮脇俊三編 『鉄道廃線跡を歩く 3』(JTB,p.64)

◇ 非電化の小河内線は、国鉄五日市機関支区所属のタンク蒸気機関車C10やC11を乗務員も含めて東京都が借受けて運行していたもので、
Ibid.

◆ というようなことらしい。つまりダム建設のための東京都水道局小河内線は、ダムの完成後には、国鉄小河内線になってもおかしくはなかったくらい、「ちゃんとした」鉄道路線だったのだ。ちなみに、C11とはこんな機関車で、

◆ こんなのが走っていた鉄道路線を「トロッコの線路」と呼ぶのはちょっと気がひける。というわけで、「トロッコ」の文字をそっと削除した。

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