◆ 浅草寺の境内に「鳩ポッポの歌碑」というのがある。「鳩ポッポの歌」といっても、「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ、豆がほしいか、そらやるぞ」で始まる歌とは別もので、歌詞は、
♪ はとポッポ はとポッポ
ポッポポッポと とんでこい
御寺の屋根から下りてこい
豆をやるから皆たべよ
「鳩ポッポ」(作詞:東くめ,作曲:滝廉太郎)
◆ お寺の屋根に鳩はいたが、じっとして下りてこない。なぜって、だれも豆をやらないから。
♪ いろんな国から来た人で 浅草寺は今日もにぎやか
仲見世通り抜ければ 晴れ空と香炉の煙
いつもの様に鳩豆を 買う僕の目に飛び込んできた
鳩豆を自分で食べてる The tourist from somewhere
The Students 「ハトマメ~Say Hello To The World.~」(作詞・作曲:槇原敬之)
◆ 外国からの観光客は大勢いたが、「鳩豆を自分で食べてる」マヌケはひとりもいない。見たくても見られない。なぜって、鳩豆はもう売ってないから。浅草寺の鳩豆売りはいつのまにかいなくなってしまった。
◇ 〔書を捨てて街へ出よう:浅草寺(2006年5月10日)〕 浅草寺にはこれまでにも何度か来ている。この場所はハトがいっぱいいた記憶があるのだが、どうも今日は少ない。寒いせいだろうか? そう言えば、以前あった「はとまめ」の売店も無い。よく見ると、あちらこちらにハトに餌をあげるのを禁止する張り紙が貼ってある。何と、いまやこの場所でハトに豆をあげることはできないのである。なんとびっくり。そうすると、この場にある「鳩ポッポの歌碑」も今や過去の想い出になってしまっているようだ。
www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/POI/tokyo/sensouji.htm
◇ 〔360@旅行ナビ:浅草寺〕 昔、訪れたときは、ハト豆売り場があり、鳩がたくさんいたのに今回は見ることができませんでした。エサやり禁止となったようで、本堂近くに立っている「鳩ぽっぽの歌碑」が寂しく見えました。
www.360navi.com/photo/08tokyo/05asakusa/01sensoji/10index.htm
◇ 〔浅草たそがれ幻視行〕 「鳩ポッポ歌碑」のすぐそばには、つい最近まで鳩豆を売る小屋があった。それがいつのまにか撤去され、かわりに「鳩に餌を与えてはならない」と書いた真新しい看板が立つ。野鳥を介した健康障害を懸念してのことらしく、結果、境内の鳩は激減した。
www.ezoushi.com/genshikou/g-12/g.html
◆ 「いつのまにか」なくなってしまった鳩豆売りの小屋。その「いつのまにか」とは、いつだろう。
◇ 〔朝日新聞:2004/05/16 16:29〕 東京の下町名所、浅草寺からハトの豆売り小屋が消えた。ハトと遊ぶ光景は庶民の生活に溶け込んでいた。「愛鳥週間」のいま、境内にはエサやりを禁止する看板が立っている。
「観音様とハトのかかわりは古いんです」と寺の関係者。大正時代からすでに露天商が豆を売っていたという。
小屋は、雷門から仲見世を過ぎて左手の五重塔近くにあった。地元の人が敷地を借り、戦後間もないころに建てた。1袋100円。トウモロコシが混ざった配合粒餌だ。隣には「鳩ポッポの歌碑」も建てられた。
エサをやるとハトが来る。かわいいのでまたエサを。こんな繰り返しでハトは増えていった。
一方でハトの被害も広がった。屋根や門に糞(ふん)害防止の金網やネットが設けられたが、期待したほどの効果はなかった。
「ベランダが汚れ、洗濯物が干せない」「飛んできたハトに頭をはたかれた」。地元台東区への苦情は絶えず、皮膚炎やアレルギーを心配する声も多かった。糞や羽毛を吸い込まないようマスクをするお坊さんもいた。
「観音様の土地だけに殺生はできない。でも、数を減らす必要はある」と、区が広報誌などを通じてエサやり禁止を呼びかけたのは昨年夏だ。
「寂しいが、仕方ない」と寺も大みそかに小屋を撤去した。4カ月余りが過ぎた今、浅草寺のハトの数は以前より少なくなっている。
問題のハトは「ドバト(土鳩)」と呼ばれる。原種は、アフリカ北部から中国に分布するカワラバトだ。奈良時代に日本に持ち込まれた。通信用に改良された「伝書バト」の中から野良化したものもいる。1年に何度も卵を産む。
「食べ物を人間に依存するようになってしまい、生態系が狂ってしまった」と環境省鳥獣保護業務室。雨のあたらない建築物内に巣を作る。浅草寺には約3000羽が生息していたとみられる。
ハトの糞害は各地で問題になっている。広島の平和公園では、94年から売店でのエサの販売が中止された。同年から4年間で3分の1の約1800羽に減ったという。
上野公園では、噴水広場付近でポップコーンが売られている。台東区によると、売り上げの一部は管轄する都の収入になっているといい、既得権益を理由に売店はエサ売りを中止しそうにない。川崎大師(神奈川県)でも、1袋100円で豆が売られている。
靖国神社は昨年、豆の自販機を撤去した。代わりに神社が鳩舎(きゅうしゃ)で純白のハトを飼育している。音楽を流しながらエサを与え、管理する方法だ。「個体数を一定のレベルで維持できる」と野鳥の専門家も注目している。
「ハトにエサをあげないで」というパンフレットを環境省が全国の自治体に約10万部配ったのは01年。「エサを与えないと、雑草や樹木の種子、芽などを自分の力で食べる。これがハトの本来の姿」と呼びかけた。
都市に生息する鳥と人間の関係を調べている「都市鳥研究会」(埼玉県和光市)によると、ハトは都市の環境を最大限に利用して種の維持・繁栄を図っているという。
(1)電線に針金を植え込む(2)窓辺を急角度にし、休息地として利用できないようにする(3)カラスの声で脅すなど色々な対策が考えられたが、いずれも対症療法でしかない。
同研究会事務局長の川内博さんは「エサを与えればハトは増える。この相関関係ははっきりしている。エサやりを制限することは時代の流れだ。生命力が強いので絶滅の恐れはない」と話している。
www.asahi.com/national/update/0516/010.html
◆ この記事によれば、小屋が撤去されたのは、2003年12月31日のことらしい。それ以前から浅草寺には何度も足を運んでいたというのに、ワタシは鳩豆売りの小屋がなくなっていたことにまったく気がつかなかった。いや、そもそもそんな小屋があったことさえ気がついてはいなかったのだ。いったいなにを見ていたのだろう。そんな具合だから、残念ながら、鳩豆売りの小屋の写真を撮ってはいない。なにかが消え去るとあらかじめ知らされていれば、それを記録しておこうと多くのひとがそこを訪れるだろう。けれど、消え去るものは、たいていの場合、ひっそりとだれにも知られずに消え去ってしまい、消え去ったあとになって初めて、消え去ってしまったことに気がつくものだ。
◆ と、そんな言い訳を考えながら、念のため、2003年12月31日以前の浅草寺の写真を探してみたら、なんとまあ、あったのだ、「はと豆」と書かれた小屋の写真が。右隣には「鳩ポッポの歌碑」が写っている。日付けは、2003年10月21日。これには豆鉄砲をくらった鳩ぐらいに驚いた。いやはや、まったく記憶にない。そういうわけで、今度はまた別の言い訳を考えなければならなくなった。