◆ 善光寺にも鳩豆売りがいたらしい。
◇ 〔まちBBS:2007/11/23(金) 20:13:52〕 昔の善光寺は、それはすんごい暇な寺でした。朝、事務所の職員の仕事は、鳩のえさやりだ。だってえさやらないと、鳩飢え死にしちゃうんだよ。大豆をバケツ一杯か二杯ざーっとまく。これが冬。夏は観光客がくるから、鳩は生き延びるけど冬は人っ子ひとりいない。しかし今はご存知の通り鳩はじゃまもの。豆売りばーさんどこにいったのかなー。景色の一部だったのに。
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◇ 〔2007年12月08日〕 善光寺には鳩がつき物です。いつも境内には豆を売っているおばあちゃんが居られたのですが、最近は見かけません。豆売りは禁止になったのでしょうか。
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◇ 〔2008年01月17日〕 山門の辺りに、昔は、煮た豆を鳩の餌に販売しているおばあさんがいましたが、もう販売していないのかなあ?小皿に盛って販売していて、よく鳩にあげたものです。懐かしい思い出です。
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◇ 〔2008年05月27日〕 私が幼い時には、山門の横で鳩に豆をあげるための、豆を売るおばちゃんがいたのに、今はいなくなったのが寂しい感じもある。
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◇ 〔2009-05-08〕 善光寺は20年程前、信州に嫁入りした友人を訪ねたときに来て以来、今回は2度目。〔中略〕 境内では鳩豆を売っていて、買ったとたんに鳩に襲われた記憶は鮮明。今は鳩豆売りのおばあさんもいないし、鳩も数えるほどしかいなかった。フン害がひどかったんだろうな。
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◇ 〔2009-11-15〕 豆を貰えなくなり、少し減った鳩。子供達が小さいとき、豆を鳩にあげるのが楽しみだったが、フン害や鳥インフルエンザの影響で豆売りがいなくなった。文化財を守るためにはしかたないのだろうが少し寂しい。そういえばメリーポピンズに豆売りのおばあさんがでていた。鳩の豆売りは世界共通なのかな。豆を貰えなくなった鳩。どこで餌を食べているのだろう。
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◆ 善光寺の鳩豆売りの「おばあさん」は、「いつのまに」いなくなったのか。
◇ 〔信濃毎日新聞:2003年08月30日〕 長野市の善光寺境内で名物のハトの豆売りが、今月限りで姿を消す。軒下が売り場になっている三門(山門)が九月から解体修理工事に入り、善光寺が「これを機に営業を終わりにしてもらう」と決めたため。豆を売るおばあさんは「いい潮時」と話すが、明治から続くともいわれ、参拝客になじみの深い豆売りの終了を惜しむ声は多い。
善光寺事務局は昨秋、傷みが激しい三門大修理に着手。工事は九月から本格化し、門全体を作業の足場で覆うのに伴って、軒下の売り場スペースがなくなることになった。一七五〇(寛延三)年の建立以来、初の大規模修理で、足場が撤去されるのは五年も先。事務局は「境内にほかに雨風を避けられる場所がない」として、豆売りをやめてもらうことを決めた。「集まってくるハトのふんも門を傷めてきた原因の一つ」(善光寺関係者)との指摘もあった。
ハトの豆売りがいつから始まったかは定かでないが、善光寺大勧進敷地内にあった養育院が一九一二(明治四十五)年四月、三門下に亜鉛ぶきの売店を作った―との記録がある。「養育院のお年寄りが養育院の維持管理を賄うために始めたと類推される」と大勧進の柄沢滋執事。
近年は三門軒下の四隅に売り場があり、辞める人が次に始めたい人に売り場を引き継ぐ形で続いてきた。ここ数年は店主の高齢化などで売り場は二カ所に減っていた。
二十二年間売ってきた溝口キクさん(83)=同市往生地=は、常連客に「今月で終わりだよ」と声を掛けている。一九四五(昭和二十)年三月、東京にあった自宅が大空襲で焼かれ、夫の郷里の長野に疎開。行商などをした後、宿坊で働いていた縁で豆を売り始めた。
毎日座る木製の台は、代々の店主から受け継いできた。バケツの水で軟らかくした大豆は一盛り百円。始めたころから変わらない。「不況のせいか、ハトへの関心が薄らいだのか、年々売れなくなっていた。でもいろんな人と知り合いになれた。いい潮時」
ほぼ毎日、健康維持のため歩いて参拝に通う同市北石堂町の女性(66)も、境内で溝口さんと言葉を交わすのが日課。「善光寺にたどり着いて話す相手がいなくなるのは寂しい」。二十八日、神奈川県から子どもと参拝に訪れた男性(37)は「豆をまく子どもたちの楽しみが減りますね」と残念がっていた。
www.shinmai.co.jp/news/2003/08/30/016.htm
◆ 2003年08月31日か。浅草寺から鳩豆売りが消えたのが、やはり同じ年の12月31日。2003年は、鳩豆売りの歴史のなかで、どうやら重要な年だったようだ。
◆ ワタシが善光寺を訪れたのは、2005年2月2日。山門(三門)はまだ修理中だった。写真には鳩が写っているが、鳩豆売りのおばあさんはもういなかったので、写っていない。上に引用した新聞記事によると、かつては、この門の四隅に鳩豆売りがいたというから、まるで四天王のようだったろう。最後の「ここ数年」は、二カ所に減ったそうだから、まるで二天王のようだったろう。
◇ 〔気象予報士Kasayanのお天気放談:2009年11月25日〕 山門北側両脇には、内部を見学するための階段が設置されています。40年前・・・いや・・もっと最近まででしょうか・・・ この場所には、ハトにくれる(長野の方言ですね・・・「あげる」「やる」ことをこういうんですよね)豆を売っているオバさん・・・お婆さんだったかな?・・・がいました。小さなコタツにあたりながら、直径10センチほどの使いこんだ木製のお皿の上に、黄色い豆を十数粒並べていました。私の記憶の中では、この二人のお婆さんが山門の景色と一体化しています。
kasayan.naganoblog.jp/e355633.html
◇ 〔風待月の庵:2003年4月9日〕 私が子供の頃から山門前の左右に1対の鳩の豆売りのおばあさんがいた。〔中略〕 どういうものかいつもふたりとも「おばあさん」だった。子供の頃見たおばあさんが生きているとは思えないから、どこかで交代があるのだろうけれど、いつ見ても同じくらい年取ったふたり組。「70歳以上に限る」という就職条件があるんだろうか。〔中略〕 お二人を見ているとメアリー・ポピンズに出てくるウエストミンスター寺院の豆売りのおばあさんを思いだしてしまう。
www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/5898/b/zen04.htm
◆ もしかすると、おばあさんは「ここ数年」以上も前からずっと「二人」だったのかもしれない。