MEMORANDUM

  橋本治のドクダミ

◆ 橋本治のドクダミ。

◇  庭とは反対側の、私の家の裏側には「見捨てられた空間」がありました。建物と垣根にはさまれた日の当たらないところで、水洗式に至る前の「便所の汲み取り口」があるようなところでした。そんなところへは誰も行きません。放置された廃材の他には、苔とシダとドクダミしか生えていません。つまりは、「美しくないところ」なのです。梅雨の少し前の頃、私は探検気分でそこへ行って、びっくりしました。そこには一面に白い花が咲いているのです。ドクダミの花でした。
 ドクダミの葉はいい匂いがしません。日の当たらないところに生えます。名前だって「ドクダミ」です。誰も「美しいもの」とは思いません。「美しくないもの」の代表で、ドクダミの葉っぱにさわったら、「エンガチョ切った」を宣言しなければいけません。そんなものなのに、誰も足を踏み入れないところで黙って咲いている白いドクダミの花は、とてもきれいなのです。静けさは緑で、花は清楚でした。私は感動して、「申し訳ない」と思いました。なんにも知らずにドクダミを差別していたことを恥じたからです。
 だからと言って、「ドクダミの花ってきれいだよ」と、人に吹聴して回る気もありませんでした。そんなことを言って、人にへんな顔をされたくはなかったのです。それで私は、ドクダミと「秘密の友達」になりました。

橋本治 『人はなぜ「美しい」がわかるのか』(ちくま新書,p.225-226)

◆ ワタシはドクダミの花がきれいでないとは思わないが、あの白はなにか漂白された白さであるように思われて、あまり好きではない。白すぎるのだ。

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