◇ どうしてもペンなどが手もとにないときは、本の端を少し折り曲げておくだけでもずいぶんと違う。これは、英語では、ちょうど犬の耳が垂れているように見えることから、dog ear と言われている。表のページと裏のページとの双方が重要だというときは、ページの上の端と下の端とを折っておくとよいだろう。
平野啓一郎著 『本の読み方 スロー・リーディングの実践』(PHP新書,p.95)
◆ なるほど、と思ってページの上の端に「犬の耳」を作る、というようなことはしない。図書館で借りた本にそんなことをしてはいけない。《Wikipedia》(フランス語)にも、そう書いてある(ので笑ってしまった)。
◇ Cependant, même enlevée, la corne laisse une trace : elle ne doit pas être utilisée pour les livres des bibliothèques ou les livres précieux.
〔しかし、「犬の耳」は、もとに戻しても、跡が残るので、図書館の本や貴重な本にしてはいけない。〕
fr.wikipedia.org/wiki/Corne_(marquage)
◆ この「しかし」の前には、「犬の耳」の効用として、栞を買わなくてすむ、などと書かれており、これにも笑ってしまったが、考えてみればその通りで、なにも笑うことはない。《Wikipedia》(フランス語)から、ついでにもうひとつ。「犬の耳」といえば、ページの端を少し三角に折り曲げるのがふつうだろうが、
◇ Il existe une variante moins fréquente, selon laquelle la page entière est pliée en deux, parallèlement à la reliure. Selon ses partisans, cette variante permet de moins abîmer le papier.
〔やる人は少ないが、別なやり方もある。ページ全体を縦に半分に折り曲げるのである。その方が紙を傷めないと、ということらしい。〕
◆ いたいた、そういう折り方をしているひともたしかにいた。てっきり大ざっぱなひとかと思っていたら、逆だったのか。こりゃ失礼。反省、反省。もはや、なんのハナシを書こうとしているのかわからなくなっているが、別な本から、
◇ なぜこの事件〔東電OL殺人事件〕に関心をもったかとのお尋ねですが、少し難しくいえば、ありとあらゆる出来事が瞬時のうちに忘れ去られ、過去にとりこまれてしまういまという時代の異常な風潮に、私なりに抵抗したかったからです。すべてがあわただしく過ぎ去るという意味のドッグイヤーという言葉がありますが、この事件の発端から現在までを考えると、その意味がよくわかります。
佐野眞一 『東電OL症候群(シンドローム)』(新潮文庫,p.413-414)
◆ 「ドッグイヤー」とカタカナで書けば、「犬の耳(dog ear)」か 「犬の年(dog year)」かの区別がつかないが、
◇ 〔IT用語辞典バイナリ〕 ドッグイヤー〔dog year〕とは、俗に、IT業界の技術進化の早さを、犬の成長が人と比べて速いことに例えた俗語である。1990代後半頃から用いられていた。
犬の1年は、人間の7年に相当すると言われている。例えば、今までなら1年かかった技術の進歩が2ヶ月もあれば可能になっているようなことがIT業界では珍しくなく、犬の成長が速いことになぞらえられている。あるいは単に時間の流れが速いことを意味する場合もある。
後に、ドッグイヤーより輪を掛けて速い、人間の18倍で成長するネズミになぞらえた「マウスイヤー」という表現も登場した。
www.sophia-it.com/content/dog+year
◆ そういえば、ワタシのパソコンも「犬の年」ではもう老いぼれだ。そろそろ寿命かもしれない。壊れるまえに買いかえておかなくては、と思う。でも、天寿を全うさせ、その最期を看取ってやるのが飼い主の務めかとも思ってみたり。たんに資金が足りないだけだったり。