◆ なんでもいいのだけれど、たとえば、『人間の証明』 で有名になった西條八十の詩 「帽子」 の一節、 ◇ 母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね? ◆ で、この詩人がもし、帽子というコトバを知らなかったら、どうだろう? たぶん、 ◇ 母さん、僕のあの、えーと、頭に被る、夏は暑いから、なくてはならない、いろんな種類があるけど、僕のは麦わらを編んだやつで、母さんのはもっとおしゃれだけど、あれがあると涼しい、わかるかな? えっ、わからない? まあいいや、とにかく、あの、あれはどうしたでせうね? ◆ ということになって、詩にならなくなる。そんなこともあるかもしれない。と、そんなことを考えてしまったのは、ある本を読んでいて、 ◇ 昔、小学校で予餞会をしたとき、教室を飾るために薄いピンク色の薄紙を重ねてつくったしわくちゃの花を思い出した。 ◆ という一文に出くわしたからで、予餞会というなつかしいコトバに惹かれもするが、それはさておき、この 「しわくちゃの花」 にはそもそも名前がないのだろうか? ◇ 先生、わたしのあの、昔、小学校で予餞会をしたとき、教室を飾るために薄いピンク色の薄紙を重ねてつくったしわくちゃの花、あれはどうしたでせうね? ◆ としか言うことができないなら、あれは、あの 「しわくちゃの花」 は、永遠に詩になることもないだろう。そう思うと、すこし悲しくなる。 |
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