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◆ ナベツネもなべおさみ・やかん父子も、名字は渡辺。 ◆ 埼玉県のどこだったかに〔いま調べたら、東毛呂駅前に同名の店があるようなので、ここだったのかも〕、「Casserole」(フランス語で「鍋」の意)というレストランがあって、マスターに店名の由来を尋ねたことがあるが、こちらも渡辺さんだった(ような記憶がある)。料理店に「鍋」だから、連想の点では、「辺」よりもさらにしゃれていよう。 ◆ 「鍋」はさておき、ハナシを「辺」に戻すと、《コトノハ》に「渡辺は『わたな・べ』なのか『わた・なべ』なのか」という質問がある。回答は、圧倒的に「わた・なべ」が多い。どちらかと選べと言われれば、ワタシも、なんとなく「わた・なべ」と答えるだろう。こんな回答もあった。 ◇ そういや小宮山はどこまでがミヤでどこからがヤマでしょうか
◆ 「渡辺」は2字で「わたなべ」と読むわけで、「わたな・べ」でも「わた・なべ」でもないと言われれば、たしかにそうだが、この質問がおもしろいのは、「渡辺(わたなべ)」から「辺(べ)」を引いたら「わたな」が残るし、「渡(わた)」を引いたら「わた」が残るというような「漢字の引き算」にあるのだろう。「小宮山」はその上級編といった感じがする。「渡辺」は2字で「わたなべ」と読むのだ、と言うひとは、「小宮山」は3字で「こみやま」と読むのだ、と言うのだろうか、それとも、「小宮山」の「宮山」は2字で「みやま」と読むのだ、と言うのだろうか? ◆ 「漢字の引き算」というようなことを考えて、すぐに思いつくのは、川崎の溝口を「ノクチ」と呼ぶのもそうだろう。あるいは、全国各地にある「ガオカ」高校。札幌の旭丘高校や福岡の筑紫丘高校をはじめとして、ガオカと呼ばれる高校は多い。 ◆ 「ガオカ」高校の上級編は、春日丘高校。大阪の茨木市にあるのが「かすがおか」高校で、愛知の春日井市にあるのが「はるひがおか」高校。これらの両校はじっさいには「ガオカ」とは呼ばれていないようで、《Wikipedia》によれば、茨木のほうは「かすこう」、春日井のほうは「はるひ」と呼ばれているらしいが、それはともかく、「漢字の引き算」の問題として考えれば、いろいろとおもしろい。茨木の春日丘から「ガオカ」を引いたら「カス」が残って、だから「かすこう」というのか?、いやたんに語呂のせいだろうな、などと考えたあとに、ああ、この「春日丘」の場合は「かすががおか」ではなくて、春日だけで「かすが」と読むのだから、そもそも他の「ガオカ」高校とは種類が異なるのだった、ということにようやく気がついても、今度は「春日」はなぜ「かすが」と読むのだろう、とまたべつな問題が出てくる…… |
◆ 以前に書いた文章を読み返していて、 ◇ あちこちに幸町があって、そこではだれもが幸せになろうとしている。幸せなひとたちが住むところに、けっして幸町はない。(「幸」住むと人のいふ) ◆ という箇所を、これじゃあ、全国各地の幸町に住むひとに失礼かな、という気がして、書きなおそうかとも思ったが、書きなおすのはやめにして、さらに書き足すことにした。前回の記事でも引用したが、「SACHIKO」という歌に、 ♪ 幸せを話したら 五分あれば足りる ◆ という歌詞がある。しかし、幸子自身がそう感じるのはしかたがないとしても、幸子という名前に皮肉があるわけではない。そもそも幸子という名前は、幸せな女の子という意味ではないからだ。幸子という名前が意味するのは、幸せな女の子になってほしいという親の願望なのであり、じっさいの幸子が幸せかどうかにはまったく関係がない。 ◆ 同様に、優しい女の子が優子と呼ばれ、美しい女の語が美子と呼ばれるわけではない。優しい女の子になってほしいと願う親が優子と名づけ、美しい女の子になってほしいと願う親が美子と名づけるのだ。現実の優子が優しくなく、現実の美子が美しくなくても、それは名づけ親の責任ではない。 ◆ あたりまえのハナシだが、新しく生まれたものに対するこうした命名は、名づけが行われる時点での願望を表現することしかできない。もちろん、それはなにも人名にかぎったことではない。地名も同様である。住むひとが幸せになってほしいと思う気持ちから、新しい町の名を幸町と名づけるので、住むひとが幸せだから幸町と名づけるわけでは、けっしてない。願望ではなくて、現状にふさわしい名づけをせよという法律・条例ができれば、おそらく不幸町という町名が全国にあふれることになるだろう。アパートの名でも同じこと。ぼろアパートになってしまったからといって、「ボヌール」(幸せ)とか「エスポワール」(希望)とかいった新築当時の名前を律儀に改名する大家はいない。名が実態にそぐわないのは大家の責任ではない(名にふさわしいアパートにするのに必要な努力を怠ったというような意味での責任はあるかもしれないが)。実態に即したアパート名しか許されないとしたら、日本全国に無数の「貧乏荘」とか「お先真っ暗荘」が出現するだろうし、老人ホームの名称もなんかも、ほとんどが改称を余儀なくされることになるだろう。 ◆ そんなことを考えていると、すっかり陰鬱な気持ちになってしまうが、もうひとつだけ。元号などというのも、同じことだろう。
◆ これは首相に代わって小渕官房長官が読み上げた文章(だったっけな)。平成という名には「国の内外にも天地にも平和が達成される」という願望が込められているということだが、現在、国の内外に平和が達成されたと思っているひとがどれだけいるだろう。それから「天地」、とくに「地」に、平和が達成されたと思っているひとはひとりもいないだろう。 ◇ 元号が一世一元になる前なら、このような大きな災いがあれば改元がなされたはず。平成の世はじつは大乱の世であった。復興と人心の一新のため、法制変えてこのさい改元したらいいと思う。 ◆ ↑は《大震災復興への気分を変えるために「災異改元」はいかが?[絵文録ことのは]2011/03/25》というブログ記事に引用されていたもの。《Wikipedia》に、出典不詳ながら、こんなことも書いてあった。 ◇ 〔Wikipedia:平成〕 平治以来「平」で始まる元号がないのは、平治が戦役によって混乱した時代であったためであり、「平」で始まる元号はこれを避けるのが故実である。また、「平」「成」の文字の中に「干(=楯)」「戈(=鉾)」があり「干戈(戦争を意味する)」に通じる。 ◆ 干戈は「かんか」と読む。そういえば、NHKの大河ドラマ「平清盛」の視聴率が低調であるそうだが、平清盛にも「平成」の文字があるなあ。 |
◆ サイクリストの事故の英文ニュース記事をあれこれ読んでいて、英語の交通事故の記事では、乗用車の車種まで明記してあることが多いことに気がついた。色や年式まで記されていることもある。その理由はなんだろう。生活における車の重要度の違いだろうか。日本でそこまで報道しないのは、必要がないと判断されているからか、それとも、自動車メーカーにたいする遠慮があるからか。考えてみれば、いろいろおもしろそうだが、いまのところはよくわからない。とりあえず、新聞記事の見本だけ。たとえば、こんなふう。トヨタ・カローラ。 ◆ 米国オレゴン州ベンド(Bend)。現在、気温3℃。 ◇ 〔The Bulletin:2012/02/13〕 Cyclist injured in Highway 20 crash ◆ 米国モンタナ州ミズーラ(Missoula)。現在、気温12℃。 ◇ 〔Missoulian:2012/05/31〕 Missoula bicyclist injured in crash with car ◆ 米国ミネソタ州プライヤー・レイク(Prior Lake)。現在、気温21℃。 ◇ 〔KNUJ:2012/06/01〕 Scott County Fatal Crash ◆ 米国バーモント州ブラトルボロ(Brattleboro)。現在、気温10℃。 ◇ 〔Brattleboro Reformer:2012/05/17〕 Two-vehicle crash on Putney Road ◆ カナダ、ブリティッシュコロンビア州ダンカン(Duncan)。現在、気温9℃。Chevron はガソリンスタンド。 ◇ 〔Cowichan News Leader Pictorial:2012/05/29〕 Cyclist struck by vehicle near Duncan Chevron ◆ カナダ、アルバータ州セント・ポール(St. Paul)。現在、気温12℃。 ◇ 〔Edmonton Journa:2012/04/17〕 Woman, 89, survives car crash with semi-trailer near St. Paul ◆ 南アフリカ、ケープタウン(Cape Town)。現在、気温14℃。 ◇ 〔Cape Argus:2012/05/14〕 7 die as car, truck collide ◆ あまり車に関心がないので、トヨタ・カローラといってもピンとこないが、《Wikipedia》によると、 ◇ 〔Wikipedia:Toyota Corolla〕 The Toyota Corolla is one of a line of subcompact and compact cars manufactured by the Japanese automaker Toyota, which has become very popular throughout the world since the nameplate was first introduced in 1966. In 1997, the Corolla became the best selling nameplate in the world, surpassing the Volkswagen Beetle. Over 39 million Corollas have been sold as of 2012. The series has undergone several major redesigns. ◆ 1997年には、フォルクスワーゲンの「ビートル(カブトムシ)」を抜いて世界で一番売れたそうだから、数に比例して事故が多いのもあたりまえか。「カローラ」はラテン語で「小さな冠」のことだそう。それから、「カムリ」は日本語の「冠(かんむり)」を英語っぽくしたネーミングであるそう。ちょっと勉強になった。 |
◆ 櫻井寛『世界鉄道遺産』という新書版の本をぱらぱら読んでいると、オリエント・エクスプレスにかんして、 ◇ アガサ・クリスティの名作『オリエント急行の殺人』、そして映画「オリエント急行殺人事件」など、数多くの小説や映画の舞台にもなった。 ◆ と書いてあって、ここで読書がふきだまりに突っ込んでしまったかのように急停車した。小説の『オリエント急行の殺人』と映画の「オリエント急行殺人事件」って、ジャンルは違うけどおんなじハナシじゃないの? と思ったからだ。数多くあるというのなら、なにもわざわざ1つのものを2つにして挙げることはないだろうに。もしかしてアガサ・クリスティの小説に基づかない「オリエント急行殺人事件」という映画があるのかと思って調べてみたが、どうもないようである。↓のように書いてあれば、問題なく通過したと思う。 ◇ 〔西日本新聞:連載「新オリエント特急」(小野博人 2001/06/19)〕 アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」(一九三四年)、グレアム・グリーンの「スタンブール特急」(一九三二年)など、オリエント急行を利用した小説家たちによる作品が生まれ、映画化された。
◆ 「オリエント」ということで、たまたま読んだ本の引用をする(ほんとうは、こっちのことを書きたかったのだが、ハナシがまとまらなさそうだったので、「ついでに」ということにした)。フランスのブルターニュ地方にロリアンという町がある。 ◇ 旅行中、ロリアン Lorient という名を道路の標識で幾度となく眺めながら、言葉遊びのようにオリエント(l’Orient=発音は ″ロリアン" というイメージが浮かんできたことはよく覚えているが、本当にこの町の名がオリエントを意味しているのだということには気づかなかった。だからあとになって驚いたのだけれども、実はこの町は十七世紀にフランス東インド会社の基地としてつくられた港が発祥で、そのために ″東方″ という名をつけられたという歴史があったのだ。 ◆ 地味な身なりをしたこの町は、自分から過去の栄光をアピールなどしない。関心をもってくれたひとにだけ、「ああ、気づいてくれたんですか。それはどうもありがとう。べつにたいしたことじゃないんですけどね」と身の上話をし始める、そんな感じのする町だ。旅をして、目的地ではなく、途中で寄っただけの町になぜだか気が惹かれる。そういう、おまけの「たまたま」の部分がなければ、旅とはいえないだろう。などということを↑の文章から考え始めてしまうけれど、次の引用。 ◇ なるほどこの十年間の間に、日本のあちこちの都市にエスニック料理店といわれるものが増えた。〔中略〕 ◆ これは、ほんとにさっき読んだばかりの文章なので、これについては、考えるヒマもまだないが、せっかくだから、載せておく。
◆ と、もう1枚が、最初に載せた写真。東方町。こちらにはあとで驚くような史実などなにも隠されていないだろうけど、せっかくだから、調べないでおこう。そもそも「東方」を「とうほう」と読むのかどうか。違うような気もするけど、これもせっかくだから、調べないでおこう。 |
◆ 原田知世あるいはユーミンの歌「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」から。 ♪ 夕焼けに小さくなる くせのある歩き方 ◆ この俳句的味わいがある(とワタシには思われる)出だしの一行は意外と難しいのかもしれない。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。 ◇ ユーミンの歌「ダンデライオン」の歌い始めの歌詞で「夕焼けに小さくなる、くせのある歩き方」とありますが、なにが小さくなるのでしょう? 気になって仕方ありません。 ◆ この一行は日常的なコトバでは書かれていないから、そういう疑問をもつひとがいてもおかしくはない。ユーミンの歌詞の聞き間違いを集めたサイトによれば、 ◇ 〔空耳ホイッスル - All About Jukeman !〕 ■ダンデライオン ◆ 「夕焼けに小さくなる くせのある歩き方」の部分の勘違いは「定番」であるそうだ。ちょっと確かめてみよう。 ◇ 私は何を勘違いしていたのか、「夕暮れ時になると、歩幅が小さくなるような歩き方をする、というクセのある人を、ずっと手を振って見送っていた」――と受け取っていたのです。 ◇ 私はずっと、「夕焼けに小さくなる癖」のある歩き方~だと思っていて、「夕焼けに小さくなる癖」というのは、夕焼けの頃までずっと一緒にいた人と別れる時は、ちょっとしんみり寂しいけれど、それを表に出すのも恥ずかしいから、何となく照れ隠しに背を丸めて(小さくなって)歩いてしまう癖・・だと勝手に妄想解釈していました。 ◇ あのね。恥をさらすようなんだけどね ユーミンのダンデライオンっていう歌あるでしょ その中で 「夕焼けに小さくなるくせのある歩き方」・・・って歌詞あるでしょ~ 私ね。。。 実はね。。。 夕焼けに小さくなる「くせ」。。。がある人だと思ってのよ 夕焼けを見るとうつむいちゃって、なんか暗くなって肩を落として歩く そんな人の事だと思ってたのよ(爆) つい最近まで。 ◆ なるほどなるほど。いるんだな、やっぱり。この歌の歌詞を読み返してみたけど、この箇所にかぎらず、あちこちに多様なレトリックが多用されているので、ぜんぶを理解するのはなかなか難しい。ぜんぶを理解しようなどという気もあまりない(ワタシにはさいしょの一行で十分)。ただ、さいごにちょこっとだけ書きつけておくと、まだ若かったころに、遠くを歩いていたワタシに気がついてくれたひとがいて、そのひとが言った「歩き方でわかるもん」というセリフをときどき懐かしく思いだすことがある。 |
◆ 下の写真のモノは、何ですか? 綿毛? 綿帽子? あるいは……? ![]() ![]() ◆ タンポポつながりで、BLANKEY JET CITY の「ダンデライオン」というのも聴いてみた。 ♪ まるで僕たちはタンポポの胞子 ◆ この浅井健一というひとは、先日も「ロバの馬車」で引っかかったりして、どうも妙な具合に登場するが、ここでも「タンポポの胞子」である。これにはちょっとびっくりした。タンポポに胞子? タンポポは、シダ・コケ・キノコ・カビの仲間ではないので、胞子などあるはずもない(んじゃなかったっけ?)。 ◆ まあ、これは歌詞なので、めいめい自由に解釈すればよいとして(ワタシには、生物学的に特殊な進化をとげた妖怪タンポポといったイメージしか浮かばないが)、せっかくだから、「タンポポの胞子」で検索してみると、出てくるわ、出てくるわ(以下に例を示すが、出典は省略)。 ◇ タンポポはどんなところでも花を咲かせる。どんなところにも胞子を飛ばし、アスファルトの隙間にも花を咲かせる。 ◇ タンポポの胞子は実に美しいです。思い描く夢をゆっくりと遠くまで運ぶ優しいさまを思い描くことが出来ます。ご承知の通りにタンポポの胞子は風に乗って、遠くまで種を運びます。 ◇ タンポポの胞子ちゃんが どこからか飛んできて この綿帽子の上でひと休み? ◇ 例年よりも今年はタンポポの花が多く咲いたように思います。従って綿胞子も真っ盛りですね。 ◇ 私はどちらかと言えばその黄色い花よりも寧ろ、そばにあった胞子の方が懐かしく子供の頃にふーふーと息を吹きかけて飛ばして遊んだ記憶が蘇ります。 ◇ 9月後半には、綿毛のようなものがフワフワたくさん飛んでいます。タンポポの胞子とは異なり、ユキムシが飛んでいるのかと錯覚したほどたくさんあります。 ◇ 風花がよく舞うようになってきた・・・・・・。 と、思っていたらそれは風花ではなく、タンポポの胞子だった。タンポポはその分身をいっせいに大空に放ったのであった。 ◇ 昔、たんぽぽの種(白い胞子??のようなふわふわ)が耳の中に入ると耳が聞こえなくなると聞きました。これは本当なのでしょうか? ◇ タンポポは花のうちに刈り取らなければ、綿胞子が出来て種を飛ばしどんどん増えていきます。 ◇ 子供の頃、あの綿帽子摘んで、口で吹いて飛ばしたこと思い出すんだけど、あれがタンポポだったとは 綿帽子って綿胞子ってほんとは書くのかなぁ ◆ これらすべてが、BLANKEY JET CITY 経由だとも思えないから(多少は影響があるようだが)、以前からある程度定着している表現なのだろう(もしかして、ワタシが知らないだけで、むかしから一般的な表現だったりもするのか?)。大部分はたんなる勘違いによるものだろうとは思うけれども、それにしても多すぎる。なにか理由があるのかもしれない。 ◆ ひとつだけ思いついたのは、「綿帽子」との混同ということ。「綿胞子」という表記も見かけるから、知らないまにこんがらがってしまったのかもしれない。上に挙げた引用では、多くが「胞子」という語を「綿帽子(綿毛)」の意味で使っているようだが、 ◇ 〔……〕花が咲き終わると綿毛のついた胞子が、ふわふわと飛び交って〔……〕 ◆ のような例もあり、「種」の部分を「胞子」と呼んでいるひともいるひともいるようである。 ◆ 不思議なのは、「タンポポ」と「胞子」をキーワードにして検索していれば、「タンポポの胞子」という言い方はおかしい、と指摘する内容の文章にあちこちで出くわしそうなものだが、なぜだか一向に見つからない。その理由として考えられるのは、「タンポポの胞子」という言い方がそもそもおかしくはないから、ということだが、そうなると、これまで書いたことはすべて削除する必要があるなあ。あるいは、タンポポにかぎり誤用ではあるが慣用として認められているので、いちいち訂正するほどのことでもないからか。あるいは、「タンポポの胞子」という言い方をするひとの数が実際には気にするほど多くはないからか。 ◆ 以下の2例は、ワタシにとって標準的だと思える文章で、(カビなどの)「胞子」とタンポポの「種(子)」がはっきりと区別されている。このような使い方が一般的だと思っていたのだが、よくわからなくなってきた。 ◇ カビが生えているところは、1cm四方の中に約20億から40億の胞子がいると思ってください。ふつうは、そこに酸性の洗剤をかけて、ブラシでゴシゴシとこするわけですね。そうすると、どうなるかというと、ちょうどタンポポの種が風に乗って飛んで行くように胞子が飛んで行きます。 ◇ 〔損保ジャパン環境財団:環境公開講座 2001.11.20 生き物の動きの妙(講師:東昭)〕 タンポポの種子は、2~3mmの大きさである。花粉や胞子の約100倍の大きさなので、何の飛行用具もないと親元のすぐそばに落ちるだけで、拡散して子孫を増やすことができない。したがって、落下傘のような飛行用具を持ち、できるだけ広いところに拡散するようなしくみになっている。タンポポの落下傘は、冠毛という1本1本が数mm、直径が約10ミクロンの毛でできているものである。その毛が約120本位ついている。 〔◆ 英語ではどうか。英語で、胞子は「spore」、種子は「seed」だが、「dandelion spore(s)」などと書くひともなかにはいるようで、これは日本と同じだが、その割合は日本に比べると少ないように思われる(きちんと調べたわけではないのでなんとも言えない)。では、ふつうに「タンポポの綿毛(綿帽子)」のことをなんと言うかというと、飛ぶ前の球状のひとかたまりのものは「blowball」「dandelion clock」「dandelion puff」などいろいろな言い方があるようだが、飛んでいく個別の綿毛のことになるとどうだろう、「dandelion fluff」か。〕 |
♪ 乾いた空に続く坂道 後ろ姿が小さくなる ♪ 夕焼けに小さくなる くせのある歩き方 ◆ 似たような情景を歌ったこれらの歌詞の後者のほうを、先に「俳句的味わいがある」と書いて、じっさいに俳句にすれば、どのようなものになるだろうかと、散歩の途中に考えてみたが、俳句の作法も知らないし、才能もないようなので、 ◇ 夕焼けに 遠ざかるひとの 歩き方 ◆ ぐらいしか思いつかなかった。ちなみに「夕焼け」は夏の季語だそうだ。デキはともかく、俳句をひねっているうちに、「夕焼けに小さくなる くせのある歩き方」の一行が「俳句的」だなと感じた理由のひとつが、「体言止め」にあったのだと気がついた。気がついたが、「体言止め」とはなんなのかについてあまり理解していないことにも気がついた。ちょっと国語の復習をしてみよう。 (1)◇ 〔緑ブタ先生の高校受験国語の時間ですよ〕 体言止め・・文末を体言(名詞)で止めること。 ◆ さいごの文は、俳句ではいちいち「体言止め」だと指摘するのもバカらしくなるほど「体言止め」が多用されている、と理解する。 (2)◇ 【体言止め】 和歌・俳諧などで、句の最後を体言で終えること。言い切った形にしないために、余情・余韻をもたせることができる。「新古今集」に多く使われ、その特徴の一つとなっている。名詞止め。 ◆ なるほど、以下に例示される2つの和歌も(たまたまなのか)「新古今集」からだ。 (3)◇ 〔国語の散歩道〕 ○心なき身にもあわれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行法師) ◆ ↑の説明は、よくわかる。「絵や写真のように、そこにその景色がポンと置かれるような感じ」というのは、なるほどなと思う。それに対して、『大辞林』の「言い切った形にしないために、余情・余韻をもたせることができる」というのは、ワタシにはピンとこない。これら2つの説明は、正反対のことを言っているようにも思える。「体言止め」といっても、いくつか種類があるのではないか? それとも、観点が異なるからか? (4)◇ 〔くろねこ@国語塾〕 〔「体言止め」とは〕どんなんかと言うと、とにかく名詞・代名詞でぴたっと文が終わること。例えば、この例の『古池や 蛙飛び込む 水の音』は、普通の文やったらどうやって終わる?」 ◆ これなどは『大辞林』の説明に沿った文例だと思うが、ワタシは「古池や 蛙飛び込む 水の音」が中途半端である(言い切っていない)ようにはまったく感じないので、「古池や 蛙飛び込む 水の音がした」に変換する意味がよくわからない。そもそも、これは「『普通』の『文』」ではない(「普通」でもないし「文」でもない)と思う。 (5)◇ 〔マンガの修辞学:名詞止め(別名:体言止め)〕 〔「体言止め」は〕名詞が、文の最後に来る。それはつまり、名詞以降の「動詞・助動詞」が省略されるということです。そこで、省略された語が何なのかを探っていくうちに、省略部分の意味を埋め合わせる部分を想像していくことになります。これが「余情」ということです。 ◆ なんとなくわかってきた(書きながら考えているので、こういう書き方になる)。上に見られるような、「体言止め」には「余韻」とか「余情」があるといった説明は、「体言止め」が(述語などを欠いた)「不完全な文」だと考えることからくるのだろう。 (6)◇ 〔Wikipedia:文〕 文(ぶん)とは、一つの完結した言明を表す言語表現の単位である。基本的には主語と述語(一方が省略されることもある)からなる。 ◆ 「文」がそのようなものだとすれば、なるほど「体言止め」は「不完全な文」だということになるだろう。しかし、コトバがすべて「文」の形を取らなければならないということもない。なんでもいいが、たとえば「東京特許許可局」というコトバに対して、これは「なにかが省略されている不完全な文」であり、このコトバには「余韻」「余情」が感じられる、というようなひとがいたら、ちょっとどうかしているのではないか? ◆ 収拾がつかなくなってきたので、ハナシを、先に引用した「よくわかる」説明に戻すと、 (3)◇ ○光る海。 ◆ この「光る海」と「海が光る」の対比は、(すべてではないにしても)ある種の「体言止め」をうまく説明しているようにワタシには思われる。「夕焼けに小さくなる くせのある歩き方」の「歩き方」のあとになにか省略されていると考えることには無理があると思うが、「くせのある歩き方が夕焼けに小さくなる」へはスムーズに変換できるだろう。そうなると、これは一種の「倒置法」ではないかという気もして、《教えて!goo》の、 ◇ ちょっと今更この年で聞くのも恥ずかしいんですけど、倒置法と体言止めっていっしょなんですか?なんか見た感じ同じにみえるんですけど、どなたか、ここが違うってところを知っていたら教えてください。 ◆ という質問者と同じことを質問したくなるが、その回答は、予想通りに「全然違います」だったりするので、質問しないで、自分で考えることにする。 ◆ (しばらく考えた結果)要するに、ある種の「体言止め」には「倒置法」に基づくものもあるということなのだろう。「海が光る」を「倒置」した「光る、海が」から「が」を取れば、「体言止め」である「光る海」になる。 ◆ とはいえ、どうして「が」を取るのか?、と聞かれても答えられないので、「倒置法」に基づくと説明はあまり説得力がないかもしれない。この種の「体言止め」というのは、英語でいえば、(関係詞を用いた)「先行詞+形容詞節」という表現に近い感じがする(「The sea is sparkling.」→「the sea which is sparkling」)。 ◆ そうして、こうした「体言止め」が「絵や写真のように、そこにその景色がポンと置かれるような感じ」がするのは、さいごに置かれた「体言(名詞)」がそれにかかるすべてのコトバをまとめあげ、いわば「額縁」として機能するからだろうと思う。また、「体言止めは、写真芸術に似ています」というコトバにはたんなる比喩を越えた関連があるとも思うが、もう少しじっくり考えてみることにしよう。 ◆ ついでながら、岡村孝子の「夢をあきらめないで」の ♪ 心配なんてずっとしないで 似てる誰かを愛せるから ◆ という一行は、どうにも不気味で、かなり怖い。 〔補遺〕◆ (5)の《マンガの修辞学》には「体言止め」とはべつに「名詞提示」という分類項目もあった。 (7)◇ 〔マンガの修辞学:名詞提示〕 似たようなレトリックとして、「体言止め(名詞止め)」というものがあります。「名詞提示」も「体言止め(名詞止め)」も、ともに名詞だけがポツンと置かれることによって効果をしめすというところは似ています。しかし、この2つは異なります。「名詞提示」は、ただ名詞を置いて並べたもので、そのうしろに特に省略した言葉が見当たらないものです。その点で、「体言止め(名詞止め)」とは区別されます。 |
◇ 〔『週刊朝日』2012年6月22日号:大林宣彦〕 僕が尾道で撮った「尾道三部作」は大勢の人に愛してもらえて、多くの人が尾道を訪れてくれました。しかし地元の行政関係者の間では、「大林は尾道の発展を30年遅らせたアホ監督だ」と言われています。僕は町をこのまま残してほしいという気持ちで、崩れた土塀やひび割れた瓦屋根や、歩きにくい山道ばかりを撮った。行政にすれば、尾道の恥ばかりを、日本のみならず世界にもさらしたというわけです。 ◆ そういえば、尾道には行ったことがない。あれこれ考えるのは、行ってみてからにしたいが、とりあえず行く予定はないので、下調べがてらネットを見ていると、《尾道空き家再生プロジェクト》というのを見つけた。
◆ 山手地区の「不思議で個性的な」建築には、「ガウディハウス」なんてもあるらしい(画像も同サイトより)。 ◆ ついでに、思いつきで、ふたたび岡村孝子の「夢をあきらめないで」の一行。 ♪ 乾いた空に続く坂道 後ろ姿が小さくなる ◆ 尾道も坂の町である。ということで、この「坂道」の情景が尾道の山手地区であるとするなら、どうだろう。ここで歌われている「坂道」は「乾いた空に続」いているのであるから、上り坂ということになる。後ろ姿の「あなた」は、坂を上って遠ざかっていくわけだろう。駅に行くには坂を下らなければならない。坂を上ってどこへ行くのか? 坂の上に実家があるのかもしれないが、それでは夢をあきらめてしまったひとのハナシになりそうだ。あるいは、山を越えて、反対側の町に出るつもりか? 「熱く生きる瞳」の持ち主である「あなた」なら、それぐらいのことはやりかねないかもしれないが、情景設定としては特殊すぎるだろう。それに、尾道の山手地区の坂道は狭く曲がりくねっているのが多そうだから、「乾いた空に続」くような広々とした坂道自体がないような気もする。というわけで、この歌の「坂道」は尾道の山手地区には存在しないだろうな、と思った次第。いつか、じっさいに尾道に行って坂道を歩けば、そのときに、また思いだすだろうと思う。 |
◆ フランス語の「belle」(ベル)は「美しい」という意味の形容詞「beau」の女性形だが、名詞として用いると「美しい女性(美女)」の意味にもなる。「眠れる森の美女」は「La Belle au bois dormant」で、「美女と野獣」は「La Belle et la Bête」(英語では、「Sleeping Beauty」に「Beauty and the Beast」)。「belle」で、よく知られているのが、もうひとつ。ビートルズの「ミッシェル」 ♪ ミーシェル マー ベル ◆ で始まる、ビートルズの「ミッシェル」。英語のサイトでは、「ma belle」を「my belle」と書いてあるサイトも少なくない(「my bell」と書いてあるサイトもある)。じっさいに聴いてみても、ワタシの耳では「ma(マー)」だか「my(マイ)」だかよくわからない。2つの歌詞サイトから歌詞を引用すると、 ♪ Michelle, ma belle. ♪ Michelle, my belle. ◆ となっている。さいしょの3行が英語で、つづく3行がそのフランス語訳という構成なら、1行目の「ma belle」は「my belle」(あるいは「my bell」)であってもいいような気もする。歌詞の設定としては、歌い手である英語圏の男性が、ミッシェルというフランス女性を好きになったはいいものの、フランス語があまり得意ではない。ミッシェルも英語があまりできない。覚えたてのフランス語を使ってコミュニケーションをとろうとするが、やはりフランス語ではもどかしい。で、英語だけれど、このコトバならキミにもわかると思うから、「アイ・ラブ・ユー、アイ・ラブ・ユー、大好きだ」、ってな感じだろう。このフランス語初心者の男性にとっては、「ma belle」だろうが「my belle」だろうが「my bell」だろうが、たいした違いはないだろうと思う。以下、勝手にこの男性のアタマのなかをのぞいてみると、フランス語で「ぼくの愛しい人」ってのは「マー・ベル」っていうらしいぞ、「マー」は「My(マイ)」のことで、「べル」ってのはよくわからないけど、英語の「bell(鈴、鐘)」とおんなじ発音だ、つまり「ぼくの鈴ちゃん」って覚えておけばいいんだな。妄想しすぎたか? ◆ 引用した歌詞の5、6行目は明らかにフランス語。引用した2つの歌詞には1箇所、「les(レ)」と「des(デ)」の異同がある。これは、じっさいに聴くと、ワタシには「デ」と聞こえることが多いし、フランス語としてもそのほうが自然だろうと思うが、いろいろなヴァージョンを聴くと、「レ」に聞こえるのもあって、わけがわからなくなる(参考:《paulmccartney.com :: View topic - Michelle》)。カタカナで表記してみると、 ♪ ソン デ(orレ) モ キ ヴォン トレ ビヤン ナンサンブル ◆ ぐらいになるか。このフランス語の箇所は、当然のことながら、フランス語を解さないひとにはお経を聞いているのと変わりない。日本人だけでなく、英語圏のひとにとってもそうである。お経ではなく意味のあるコトバの連なりとして聞き取ろうとした場合には「空耳」になり、「ソン・デー・モー・キー(sont des mots qui)」の部分が「Sunday monkey(日曜日の猿?)」に聞こえたりするらしい。「ミッシェル」の空耳を集めた《The Beatles - Michelle Funny Misheard Lyrics》から、一部を見てみると(5行目のみ)、 ・Sunday monkeys bone Trey Brennan's son, ◆ などなど。 ◇ 〔Houston Press〕 I misheard the French-language section of "Michelle" -- "Michelle ma belle / sont les mots qui vont très bien ensemble / très bien ensemble" -- as "Michelle, my belle, Sunday monkey go play piano song, pi-a-no song," and I see from numerous Internet sites that I was far from alone. How are American five-year-olds supposed to know French? ◆ ミッシェルといえば、アメリカのオバマ大統領婦人の名が、ミッシェル。ポール・マッカトニーがホワイトハウスで大統領夫妻を前にしながら「ミッシェル」を歌った動画が《YouTube》にあった。ここに「日曜日の猿」がいるかどうかを一度確かめてみてほしい。 |
◆ 本をパラパラめくっていたら、 ◇ 「ダウン・バイ・ロー」というのは、どうだろう。一昔前のジャームッシュに同じ題名のフィルムがあったが、法律に叩かれて牢屋に入ったこともあるくらい、世の中を広く見ているくらいの意味である。ちょっと違うかな。まあいいや。(99・5・5/12) ◆ という箇所に目が止まったので書き写し、出典を明記したあとで、念のために確認しなおした。そしたら、書名を間違っていたので、訂正した。ワタシはなんと『けだものだもの』とタイプしていたのだった。それはさておき、ジャームッシュの「ダウン・バイ・ロー」。いや、さておいてはいけない。なぜなら、ワタシはこの映画のタイトルも「Down by Law」ではなく「Down by Low」だといまのいままで思っていたのだから。そんな「けだものの私」に「Down by Law」という英語の意味などわかろうはずもないので、他人の力を借りることにする。 ◇ 〔映画で英会話 Tango Tango!!:2009/07/17〕 タイトルの down by law には二つの違う意味があり、一つは、音楽(主にジャズ)のスラングで下積みを通して得た才能に対して「尊敬を得る」という意味。〔中略〕 もう一つは、刑務所で使われるスラングで、have someone's back 「誰かを支援する、応援する 支える」という意味があるそうだ。 ◇ 〔マガジンひとり:2009-09-21〕 「ダウン・バイ・ロー」とは、法にダウンさせられる、転じて “法や社会に縛られず自由に生きていける人間” なる意味のスラングで、頼りになる仲間という意味でも使われる。 ◇ 〔Mevrouwのブログ:2010/12/03〕 Down By Lawの意味を調べた。広い範囲で使われるのは、「Cool!」ということ。もうひとつはアメリカ南部のチンピラが言い出したスラングとかで、「ムショ仲間」のことらしい。ムショでダチになった同士は友情の証として、先に出たら服役中のダチの家族の面倒をみてやったりするのだとのこと。 ◇ 〔2012〕 『Down By Law』とは… 主に黒人のスラングで、下積みを通して得た才能に対して『尊敬を得る』という意味と、『誰かを支援する、応援する、支える』という意味を含む、『親しい兄弟のような間柄』を呼ぶ言葉。 ◇ down by law, as i understand it, is a hip-hop term. when an m.c. wants to declare his dopeness, and that everyone in the community agrees that he's dope, he'll say that he's "down by law". the movie title is obviously a play on words. ◇ 〔down by law - WordReference Forums:2004/11/04,〕 "down" dans ce sens veut dire (à mon avis) au bout du rouleau, abattu, vaincu, déprimé (comme dans "down and out in paris and london" - by george orwell) and "by law" veut dire "conformément à la loi". toutefois "down" peut aussi vouloir dire "southwards", et dans le film, les personnages s'enfuient vers le sud dans les bayou de la Louisianne. ◇ 〔flahute:2008/01/27〕 As slang, the phrase “down by law” carries a couple different meanings. In a musical sense (primarily jazz), “down by law” means having paid your dues, to have earned respect for your talent through hard work. In its other sense, that of prison slang, “down by law” means to have someone’s back. ◇ 〔DVDFile:2002/11/05〕 The interview [conducted in June of 2002] is interesting to listen to. In it, he discusses the meaning of the term "down by law" (originally prison slang, by the mid-80s, it came to mean you were close friends with someone). ◆ DVDの特典にジャームッシュのインタビューが収録されていて、そこで「Down by Law」の意味について自ら説明しているらしいので、これを聞けばこの問題は一件落着するのだろう。ネットでも文字に起こしたものが出まわっていたようだが、見つけられなかった。 ◆ 上のいろんな引用を読んだかぎりでは、なんとなく、「臭い飯を食った仲」という日本語が近いんではないかと思ったが、ちょっと違うかな。まあいいや。 |
―― 君は逃げるつもりか。
◇ 〔NHKニュース:台風の倒木でリス30匹逃げ出す(2012/06/20 18:26)〕 東京・武蔵野市の動物園では、台風4号の影響で、高さ22メートルの大きな木が倒れて、リスの展示施設を壊し、およそ30匹のリスが逃げ出しました。 ◆ さいごの部分は、どうせなら、「武蔵野市に住む××××ちゃん(8さい)」のように、事件の目撃者である「小学生の女の子」の住所と名前と年齢も書いてあれば完璧だったろう。さらには、捕獲された11匹のインタビューも読みたかった。パンに釣られたやつは、自分のあさましさに恥じ入っているだろうか。網で捕らえられたやつは、自らを犠牲に多くの仲間を救ったことを誇らしく思っているかもしれない。聞くところによると、「放射能を避けるため、西へ逃げるつもりだった」と理由を述べたものもいたらしい。写真のリスも逃げたかどうか。 ◆ 根元から折れたというアカマツも気になる。 ◆ 冒頭の2行の引用は、太宰治の『猿ヶ島』から。青空文庫で読める。 |
◆ 出会いというのは奇妙なもので(と書いてしまい、消すのも面倒なのでそのままにしておくが、なにもたいしたハナシではない)、静岡市駿河区小鹿にあるタミヤの第二物流センターの二つ星のロゴを見た数日後、ブックオフで『田宮模型の仕事』という文庫本を目にしたので、買って(105円)帰って読んだ。読んでから、すでに読んでいたことに気がついた(以前に同じくブックオフで同じく105円で買っていたのだった)。とはいえ、気がついたのは、読んだ記憶があるということだけで、内容はきれいさっぱり忘れていたのだが。この本の解説に、 ◇ 私は仕事がら世界中の都市を訪れるが、その世界の街で、あの星がふたつ並んだマークを眼にする。赤と青の四角の地に白く抜かれた二つの星。そのマークを見ると、その看板が掛けられた店が何を売っている店なのか一瞬にしてわかる。考えてみると、これはすごいことである。例えば、コカーコーラの看板も世界中で見掛ける。しかし、そこはコークを売っているキオスクかもしれないし、レストランかもしれない。看板はその店が何の店なのかまでは表しはしない。しかし、タミヤの星のマークが見えたら、そこはホビーショップ以外の何ものでもないのである。この星のマークは、もはやタミヤ一社のロゴでなく、プラモデルを含むホビー業界そのもののシンボルなのだ。知らない街でホビーショップをさがすときは、とにかくあの二つの星をさがせばよいのである。世界広しといえども、一社のロゴマークが業界そのもののシンボルになる、そんな会社はタミヤ以外ないのではなかろうか。
◆ 『田宮模型の仕事』は、講談社インターナショナルから英訳(Master Modeler: Creating the TamiyaStyle)も出版されているようで、その案内文には、こうあった。 ◇ The blue and red star logo of Tamiya is now recognized internationally as the mark of model kits of unrivalled quality and precision.
◇ 〔静岡ホビースクエア〕 静岡の模型の歴史は戦前の木製模型時代から遡れば半世紀以上の歴史があります。今や静岡の模型の出荷額は全国シェアの大半を占めるに至り、その歴史の長さと圧倒的なシェアから、静岡は「模型の世界首都」として世界中の模型ファンが集まる街へと成長しています。静岡が誇る模型の魅力と優れた地場産業をより多くの人に伝えたい。より多くの人に静岡のホビーを楽しんでほしい。そんな願いを込めて、2011年、新たなホビーの情報発信基地「静岡ホビースクエア」が誕生しました。 ◆ 写真は模型のタミヤの近くにあった「おちゃのタミヤ」。一族だろうか? |
◆ 『田宮模型の仕事』を読んでいると、こんな文章。 ◇ さて、いちばんの問題は金型屋です。木製模型を作っていたわが社にとっては、まったく付き合いのない分野でした。どこで金型を作っているのかを、調べることからはじめました。これまた付き合いのなかったプラスチックの材料屋さんに飛びこみ、業界のようすを訊(き)き、その人のコネで東京の金型工場を訪ねることにしました。工場といっても、いわゆる町工場(まちこうば)です。床は土間で、機械が置いてあるところだけコンクリートで固めていました。 ◆ 町工場に金型屋。さいきん読んだもう一冊にも、町工場に金型屋。 ◇ うちは小さな町工場だった。幼い私の遊び場は工場(こうば)だった。 ◆ 2冊の本から長々と引用したが、金型屋はさておいて、とりあえずは、以下の各1行だけでもよかった。 1) 工場といっても、いわゆる町工場(まちこうば)です。 ◆ それぞれ1箇所、原文にルビ(縦書きで漢字の右側に添えるふりがなのこと。引用文ではカッコで示した)がふってあるのが気になった。では、その前のルビのふってない「工場」「町工場」はなんと読めばいいのか? 1の「工場」は「こうじょう」と読むのだろう。2の「町工場」は「まちこうば」だろうと思うが、そうすると、どうしてこちらにはルビがないのか? 理由はわからないでもない。ルビをふったひと(いったいだれ?)が、「町工場」は「まちこうば」と読むのが一般的だが、「工場」は「こうじょう」と読むひとも多いだろうから、この場合は「こうじょう」ではなくて、「こうば」と読んでほしいと考え、わざわざルビをふったのだろう。 ◆ 出版業界のならわしに詳しくないので、よくわからないけれども、なんとなく、こうしたルビは原作者ではなくて、校正者が(読者の便宜をはかるために)ふっているような感じがする。こうしたルビには、校正者が原作者に「これはこの読み方でいいんですよね? だとすれば、この場合は、べつな読み方をする読者もいると考えられるので、念のため、ルビをふっておきますがいいですか?」といったやりとりの跡が、なんとなく(気のせいかもしれないが)感じられて、読んでいると(ちょっとだけ)違和感がすることがある。 ◆ この箇所にルビがなかった場合はどうなるだろう? まず確実に言えるのは、ルビがなければ、こんな記事を書いてはいないうことで、「工場」の読みが「こうじょう」か「こうば」のどちかなのかと考えもしないで、読み飛ばしていたことだろう。黙読の場合は、そのようなことが可能で、いまあらためて、音読ではない「黙読」の不思議さに思いいたったというわけなのだった。 ◆ 「牧場」は「ぼくじょう」あるいは「まきば」? 「市場」は「いちば」あるいは「しじょう」? 黙読の場合に、読者はいちいちその解答を要求されはしないけれども、いったん考え始めると、これはそれぞれなかなか難しい問題だろうと思う(ので、とりあえず、いちいち考えない)。 |
◇ 〔AFPBB News〕 【6月28日 AFP】東京都武蔵野市の「井の頭自然文化園(Inokashira Park Zoo)」は28日、台風で飼育施設が破損し逃げ出したリス30匹について、期待を上回る38匹を捕獲したことを明らかにした。 ◆ 原文はコチラ↓。 ◇ TOKYO, June 28, 2012 (AFP) — Japanese zookeepers who lost 30 squirrels after a typhoon damaged their enclosure said Thursday their recovery efforts had exceeded expectations — with 38 animals back in captivity. ◆ まだまだ増えそうな様子だ。脱走したリスにはマイクロチップが埋め込んであるらしいから、無辜のリスは無事に釈放されるのだろう(か?)。 |