◆ 今日の引越のお客さんがなんともいえず薄幸そうな女性で、といってもこちらの一方的な印象だから、もしかしたらたいへん幸せであるかもしれないのだが、とにかく薄幸そうに見えるひとというのはいるものだ。本人はなにも悪くないどころか、人並み以上に努力もし、にもかかわらず、あるいはそのせいで、他人からは疎まれてしまう、そんなタイプのひとが世の中にはいるものだ。いや、現実にはいないのかもしれないが、すくなくとも類型化されたイメージの世界には確固として存在している。たとえば流行歌のなかに。演歌には無数にいそうだから、これは除外して、たとえば、ばんばひろふみの「SACHIKO」はどうか。
♪ 幸せを話したら 五分あれば足りる
不幸せ話したら 一晩でも足りない
Sachiko という名は 皮肉だと
自分に宛てた手紙もやして
窓にひたいを押し当てて
家を出たいとつぶやいた
ばんばひろふみ 「SACHIKO」(作詞:小泉長一郎)
◆ 正直なところ、ワタシはこういった女性に優しく接する自信がない。たぶん敬遠してしまうだろうと思う。
◆ 写真は2005年2月4日、横浜市旭区東希望が丘。べつに自転車を押している女性が薄幸そうだというのではなくて(いや、よく見ると……?)、この日、この東希望が丘で引越作業をした女性客の名前が幸子だった。もう記憶も薄れているが(だから勝手なイメージが定着してしまっているが)、どんなに敏感なひとでも気がつかないほどの気配りをして、その気配りがもしかしたら相手を傷つけてしまったのではないかと、さらなる気配りをして疲れきってしまう、そんなタイプの女性だった(ように思う)。その幸子さんが引越をして希望が丘から出て行った。もちろん、住んでいた場所がたまたま「希望が丘」という住所だったにすぎないないけれど、もしかしたら、彼女がある日、ぼんやり見ていた地図で希望が丘という地名を見つけて、ここに住んだら今よりは幸せになれるかもしれない、というような淡い希望をふと抱いた、そんな空想をしてしまいもする。で、その結果はどうだったのだろう? もちろん、そんなことはだれにもわからない。引越先の住所も、さいわいなことに、憶えていない。おそらくふつうの地名だったのだろう。
◆ あちこちに幸町があって、そこではだれもが幸せになろうとしている。幸せなひとたちが住むところに、けっして幸町はない。
◆ 北海道から東京に移り住んで初めてバイクで遠出をした日に、交差点付近で進路変更をしたというので白バイに捕まって反則キップを切られた。国道1号線都町交差点、住所は今でも忘れない。神奈川県川崎市幸区南幸町。なにが「幸」なものか!