MEMORANDUM

  引き写し

◆ ワタシの 「書く」 ものには他人の文章の引用が多い。多いどころか、ほとんど全部が引用のこともままある。こうなるともはや、ワタシが 「書いた」 とは言いづらいかもしれない。それでも、引用とは引き写すことなのだから、「書いている」 のは、やはりワタシである。

◆ 引用が多いことの理由はいろいろあって、いちいち挙げるのも面倒だから、さしあたっては引用が好きだということにしておきたい。

◆ ネット上の文章を引用するのに、手間はない。コピー&ペースト。これで終わり。楽ではあるが、これは少々つまらない。こんなことばかりしていると、どんどんアタマが退化していきそうで、こわい。だから、たまには出版物から一字一字引き写してみる。記憶できるだけの分量をアタマに入力して、それをキーボードで再現(出力)する。間違いがあれば、訂正する。それをしばらく繰り返すと、その作者の文章のリズム(句読点の打ち方その他)や漢字とカナとの使い分けといった点にも慣れて、間違いが少なくなる。入力&出力の作業がはかどるようになる。そのうち、この文章を書いているのはワタシだ、という気にもなる。意外に楽しい。以下、その練習。テキストは松浦寿輝のエッセイ。携帯電話のハナシ。

◇ [……] この頃は音ではなく振動によって通話の着信を知らせることもできるようになっているんですよと教えられた。結構なことである。だが、人前で虚空に向かって話したり笑ったりお辞儀をしたりしている人の阿呆面を見物させられることの不快というものがあり、こればかりは、どんなデクノロジーをもってしても如何ともしようがあるまい。本来、こうした阿呆面をプライヴェート空間に隔離するための仕掛けとしてあったものが公衆電話ボックスだったのであり、現在起きているのは、こうした隔離による自他双方のための精神衛生よりも、いつでもどこでも他人と連絡が取れることの便利の方を優先するという合意が人々の間に形成されつつあるという出来事であるからだ。
松浦寿輝 『散歩のあいまにこんなことを考えていた』 (文藝春秋, p.215)

◇ 人前で、しかもその自分の回りの人々を傲然と無視しつつ、遠方の相手に向かって大声で話しかけているとき、たぶんあれら 「携帯電話の人々」 は、自分の 「社会的な重要性」 をひけらかしているのではあるまいか。それが意識的か無意識的かはともかくとして、あれは、必要に駆られてというより、半ば以上は演劇的パフォーマンスなのではないかとわたしは疑っている。きっと彼らは、恥ずかしいというよりはむしろ晴れがましいと思っているのだろう。
Ibid., p.215-216

◇ わたしは電話が嫌いである。そもそも他人と喋りたいと思うこと自体滅多になく、のみならずまた自分の 「忙しさ」 だの 「社会的な重要性」 だのを誇ろうという気持も皆無である。そうした偏屈な人間として言わせてもらうならば、携帯電話を四六時中持ち歩き、いつでもどこでもコミュニケーションに向かって開かれた態勢を保ちつづけている人々というのは、年がら年中世界に向かって発情しているようで何だか気持が悪い。
Ibid., p.216

◇ テクノロジーは人々のほんのささやかな欲望を、その当人すら気づいていないうちにめざとく発見し、先回りして満たしてくれようと待ち構えている。それは痒いところに手の届くように小まめに世話を焼いてくれる気の良い召使なのであり、その行き届いたケアに馴れていった挙句のはて、わたしたちは今や公衆電話のありかを捜すだけの時間すら、どうにももどかしくて待ちきれなくなってしまったのである。
Ibid., p.217

◇ 喋りたいという気持が起こったか起こらないかのうちに、たちどころに携帯電話を取り出して相手を呼び出せるということ。この 「安易さ」 ―― それは、手紙から電話へ、さらにポケベルやPHSへというコミュニケーション・ツールの進化によって増大する一方の 「安易さ」 だ ―― によって、コミュニケーションをめぐるわたしたちの欲望のボルテージはむしろ著しく下がってきてはいはしまいか。唐突な例を出すようだが、宮沢賢治のあの傑作童話 『銀河鉄道の夜』 の主人公の二人の少年ジョバンニとカムパネルラが、もし携帯電話を持っていていつでも会話ができたとしたらどうだろう。距離を隔てて二人が互いに相手に投げかけ合う激しい気持と、その気持のすれ違いの上に成立しているあの悲痛な物語は、その無類な美しさともども、いっさいが崩壊するほかないではないか。
Ibid., p.217-218

◆ 引き写し作業の難度は5段階評価で 「やや難しい」 といったところか。

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