MEMORANDUM
2009年08月


◆ 左はアズチグモ(Thomisus labefactus)。カニグモ科の蜘蛛。右は「かに道楽」のズワイガニ(Chionoecetes opilio)。クモガニ科の蟹。カニグモとクモガニ。蜘蛛と蟹。蟹のような蜘蛛。蜘蛛のような蟹。似ているような似ていないような。

◇ カニとクモはちょっと似ていますが、ゆでたらやっぱりカニの匂いがするのでしょうか
oshiete1.goo.ne.jp/qa1573653.html

◆ する、というハナシもある。

◇ カニと蜘蛛は、なぜか似ている様な気がしてなりません。〔中略〕 テレビの「世界うるるん・・」で、タランチュラのおなかの部分を食べた人は、「カニ味噌みたいな味がする」と言っていました。私は、カニは大好物ですが、蜘蛛は大の苦手、カニも姿のまま目の前に置かれると、飛び上がります。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412112869

〔虫を食べるはなし - 梅谷献二(農林水産技術情報協会)〕 〕 南米では超大型のゴライアストリクイグモが好んで食用にされ、食後には鋭いキバをはずしてようじ代わりに使うとか。また、インドシナ半島でもやや小ぶりのトリクイグモが日常的に食べられ、その串焼きまで売られています。日本ではこの仲間に詳しい八幡明彦氏の私信によれば、飼育中に死んだ個体を試食したところ、カニの匂いとカニ味噌に似た味がしておいしかったそうです。
www.afftis.or.jp/konchu/hanasi/h19.htm

◆ タカアシガニ(高足蟹)という蟹がいて、アシダカグモ(足高蜘蛛)という蜘蛛がいる。アシダカガニ(足高蟹)やタカアシグモ(高足蜘蛛)はいない。

◆ あと、キツネザルがいるならサルギツネもいるのではないかと思ったり。

◆ ふと「のら」とはなんだろう、と思った。野良犬・野良猫の「のら」。その「のら」の条件はなんだろう、と思った。飼い主がいないこと? 家がないこと? 名前がないこと?

◆ 野良犬を辞書で引く。

◇ 【野良犬】 飼い主のいない犬。宿なし犬。野犬(やけん)
小学館 『大辞泉』

◇ 【野良犬】 飼い主がなく、戸外をうろつく犬。宿なし犬。野犬(やけん)
三省堂 『大辞林』

◆ 野良猫を辞書で引く。

◇ 【野良猫】 飼い主のない猫。
小学館 『大辞泉』

◇ 【野良猫】 飼い主のない猫。
三省堂 『大辞林』

◆ のらくろは「元」野良犬だろうか? ホームレスの飼っている猫は野良猫だろうか?

◆ 「クモとカニ」にかんして、もうひとつ。「ささがにの」という枕詞があるらしい。たとえば、衣通姫(そとおりひめ)の、

◇ わが背子が来べき宵なりささがにの蜘蛛のふるまひ予(か)ねてしるしも〔古今〕

◆ 蜘蛛が糸を張っているのを目にして、今宵はあのひとが来るにちがいない、と胸をときめかすといった内容の歌。ここで「ささがにの」は蜘蛛に掛かる枕詞だが、漢字で書けば「細蟹の」で、「細蟹」とは蜘蛛の異称。

◇ ささ‐がに 【細蟹】 〔補説〕 クモが小さいカニに似ていることからクモのこと。また、クモの網(い)
三省堂 『大辞林』

◇ ささ‐がに 【細蟹/笹蟹】 蜘蛛(くも)の古名。また、蜘蛛の糸。
・「あさぢが露にかかる―」〈源・賢木〉
◆上代「笹が根の」の意の「ささがねの」を、中古になって、音の類似から「ささ蟹」と解し、「ささ」が小さいの意に意識されて、生じた語か。

小学館 『大辞泉』

◆ と語源にかんしては諸説あるが、

◇ “ささがに” は蟹が八本足で蜘蛛に似ているからなど
www.web-nihongo.com/back_no/bk_yakusenai_2007/22_080101.html

◆ となると、どうだろう? タラバガニか? あるいは、蛸も蟹に似ているか?

◆ 2009年8月3日の「天声人語」。

◇  待っていた坊やが今年もやってきた。とは言っても人間ではない。わが家の鉢植えミカンに姿を現した柚子坊(ゆずぼう)のことだ。葉っぱと見まがう保護色も鮮やかな、アゲハチョウの幼虫をそう呼ぶ▼芋虫、と聞いただけで総毛立つ人もいる。蝶(ちょう)よ花よの成虫にくらべ、幼虫の人気は散々だ。その芋虫も、柚子坊と呼べば愛らしい赤子のように思われてくる。わが柚子坊は、すでに葉を何枚もむさぼり、健康優良児よろしく丸々と肥えている▼柚子坊が1匹育つのに、何十枚も葉を食べるそうだ。何年か前に、1本だけだったミカンが派手にやられた。そこでユズやハッサクを増やした。今なら5、6匹は養える。それでも果実は育つから、収穫の楽しみもある▼〈二つ折りの恋文が、花の番地を捜している〉と蝶をなぞらえたのは、『博物誌』のルナールだった。のどかな春の蝶のイメージだろう。片や炎天に影を落として舞う夏のアゲハは、身を焼くかのように情熱的で美しい▼わけても日盛りの黒アゲハは神秘的だ。その姿を、宙を舞う喪章にたとえた人もあった。幽明の境をひらひら飛ぶ。そんな想像だろうか。精霊の戻り来るお盆の頃にふさわしい、飛翔の姿かもしれない▼さて、わが柚子坊である。羽化まで今しばらく、鳥たちから逃れなくてはならない。あの大きな目玉の模様は敵を威嚇するためにあるらしい。それを見て徳川夢声は「団十郎のような立派な目」と驚いたそうだ。武運つたなく餌食(えじき)にならぬよう、名優の威にあやからせたい。案じつつ願いつつ、夏の日がゆく。
www.asahi.com/paper/column20090803.html

◆ 柚子坊、こんなコトバがあるとは知らなかったが、辞書にも載っていた。

ゆずぼう【柚子坊】 アゲハチョウ・クロアゲハ・カラスアゲハなどの幼虫の俗称。ユズやカラタチなどミカン科植物を食害し、刺激すると頭部から突起を出し独特の臭気を放つ。
三省堂 『大辞林』

ゆずぼう【柚坊】 アゲハチョウ・カラスアゲハ・クロアゲハなどの幼虫。ユズ・カラタチなどの葉を食べて育ち、初め黒色で、成長すると緑色になり、触れると頭の後ろから黄色や朱色の肉角を出す。
小学館 『大辞泉』

◆ 柚子坊の写真はなかったかと探したが見つからない。キアゲハの幼虫の写真ならあったが、これはユズにはつかないので、柚子坊とは呼べない。柚子坊の画像は、たとえば、《アゲハの幼虫の見分け方》を参照。

◆ 黒アゲハを「宙を舞う喪章にたとえた人」というのは、日野草城。

◇ 炎天に黒き喪章の蝶とべり

◆ くるくるしてるものはなんだろう?

◆ くるくる。たとえば、蝶のストロー。たとえば、葡萄のつる。それから? くるくるくる。くるくるしてるものが、くるくるしてるのは、なんでだろう? くるくるくる。頭のなかがくるくるくる。そういえば、「る」の字もちょっとくるくるしてる。

◆ さいきん、虫のことをあれこれ調べるようになって、はじめて「食害する」というコトバがあるのを知った。たとえば、「柚子坊」をネット辞書で引くと、『大辞林』では「ユズやカラタチなどミカン科植物を食害し」とあり、『大辞泉』では「ユズ・カラタチなどの葉を食べて育ち」とある。園芸に縁のないワタシなどには、『大辞泉』の表現のほうが中立的で好ましいように思えるけれども、趣味であれ仕事であれ、じっさいにユズやカラタチなどを育てているひとには、「食害する」というのがまっさきに思い浮かぶ最適なコトバなのだろう。

◆ さいきん、身近な虫をあれこれ写真に撮っていて、その虫について調べるたびに、「~を食害する」などと書かれていて、ちょっと気がめいる。

◆ たとえば、クロウリハムシ。

◇ ウリ類の害虫で、とくにヘチマの花を好んで食害する。幼虫は根を加害するが、ウリハムシに比べて数は少ない。
『日本農業害虫大事典』(梅谷献二・岡田利承 編,全国農村教育協会,p.221)

〔昆虫エクスプローラ〕 カラスウリ類の葉を好んで食べ、他にダイズ、エノキ、シソなども食べる。幼虫は地中にいて、ウリ類の根を食べて育つ。
www.insects.jp/kon-hamusikurouri.htm

◆ たとえば、アオドウガネ。

〔昆虫エクスプローラ〕 成虫は、いろいろな植物の葉を食害する。灯火にもよく飛んでくる。幼虫は、地中で植物の根などを食べて育つ。
www.insects.jp/kon-koganeaodougane.htm

〔キッズgoo:図鑑〕 幼虫は植物の根を食べ、成虫も、葉っぱがぼろぼろになるまで食べつくすので、農家や園芸家などから害虫とされている。
kids.goo.ne.jp/zukan/infozukan.php?category=5&id=8

◆ どちらの例も、ひとつめの引用が「食害する」というコトバを用い、ふたつめの引用が「食べる」というコトバを用いている。クロウリハムシもアオドウガネも、好物の植物を食べた結果、「害虫」と呼ばれるわけで、それは仕方のないことだが、「食べる」を「食害する」と表現するのは、どうだろう? 虫の立場と人間の立場が混交していて、ちょっとわかりづらい。食べられた結果を食害というのは気にならないが、それに「する」をつけると、アタマがちょっとねじれる。アタマがねじれることなくすんなり理解できるのは、最後の《キッズgoo》の文章。

◆ とはいえ、「食害」はもともとは「蝕害」と書いたようで、それならしっくりくるかも。そういえば、「蝕む」は「虫食む」だったなのだなあ。

◆ 長野県でこんなニュース、「ブドウ襲うカブトムシ 出荷直前、果汁吸われる被害」

〔信濃毎日新聞:8月5日〕 県内有数のブドウ産地・松本市里山辺で、出荷を控えたデラウエアに大量のカブトムシが集まり、果汁が吸われてしまう被害が発生している。一部の畑では7月下旬から毎朝数十匹が見つかり、専門家は「聞いたことがない」とびっくり。子どもたちには人気のカブトムシが“害虫”になる事態に有効な対策は見当たらず、地元の松本ハイランド農協も困惑している。〔中略〕 カブトムシなど甲虫類に詳しい日本甲虫学会会員の****さんは「落果し、発酵した果実にカブトムシが引き寄せられることはあるが、(木になっている)フレッシュな果実を餌にする例は聞いたことがない」と驚く。
www.shinmai.co.jp/news/20090805/KT090804FTI090001000022.htm

◆ (「デラウエア」とはいったいどんな高級ブドウだろうかと思ったら、ふつうの種なしブドウのことだったのね。「デラウェア」とも。知らなかった。)

◆ で、ブドウ畑のカブトムシ。これは驚くべきことなのだろうか? 《2ちゃんねる》で、このニュース関連のスレ(【長野】「聞いたことがない」ブドウ襲うカブトムシ 出荷直前、果汁吸われる被害)が立っていたので、読んでみた。

◇ 27:山形では普通にブドウについてたぞ、カブトムシ。あまり、話題になったことはないから、被害はたいしたことなかったのかもしれんが。
tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1249450797/

◇ 45:元葡萄農家の娘だけど、普通にかぶと虫が葡萄のしる吸いに来てたよ。ナメクジの方が被害がデカイ。今年は雨が多かったから、玉割れして汁が出たから、かぶと虫が寄ってきたんでしょ。

◇ 47:普通にカブトムシはブドウを吸汁するのに、専門家じゃなくてただの学会平会員なんかに聞くから、こういう恥ずかしい記事を世に出してしまう。

◇ 68:ガキの頃よくぶどう園でカブトムシ貰ってたぞ。元気よくぶどうの汁吸ってた。

◇ 119:え??? 昔、うちの葡萄の木によくカブト虫が集まって来てたけど、めずらしい事だとは思ってなかった・・・

◇ 136:昔からカブトはぶどうには、害虫です。みつけたら首むしって退治してました。

◇ 234:10年以上前から祖母の巨峰畑ではカブトムシは害虫だ。小学生の頃から畑でカブトムシ見つけたら踏み潰せと教えられてきたわ。

◇ 236:山梨県でも普通かな。子供の頃にブドウや桃の畑に取りに行った。落ちた桃の中にいたりする。

◇ 269:カブトムシは普通にぶどう食うよ、急にぶどう畑に来るようになったのは付近の樹液出す木を切り倒し過ぎちゃったからでしょ…

◇ 283:これはむかしから普通によくあること。って、さっき知り合いのデラウェア農家の人が言ってたよ。最初からハウスをネットで覆うのは最近常識のことらしい。

◇ 296:子供の頃だったから20年ほど前になるが、山梨でぶどう狩りに行った。親はぶどうをとっていたが、わしはカブトムシとミヤマ、ノコギリクワガタを大量にとってかえった。おそらく大昔から、ぶどうにはカブトムシはつくはず。

◇ 355:別に不思議なことではないのでは。果実に群がるカブトなんて数えきれんほどみてきたよ。

◇ 367:聞いた事無いだと? 30年以上前の俺が子供の頃には近くの葡萄畑にカブトをとりに行くのが日課だった。関東での話しだがな。昔からカブトは葡萄に集る事は俺らガキには常識だったぞw

◇ 388:昔から葡萄園にはカブトムシやクワガタさんがよく来てましたが? いまさら何をニュースにしてんだ?

◇ 392:ブドウ農家に聞いたらカブトがブドウに集まるのはよくある事なんだって。何らかの原因でブドウに傷が付いて汁が漏れたら匂いを嗅ぎつけてやって来る。他の虫や飛び石のような外的要因だけじゃなくて、果汁が多すぎて皮が耐えきれずに裂ける事もあるんだって。

◇ 418:田舎で葡萄作ってたけど、普通にカブトムシきてたみたいだが・・・

◇ 437:ブドウにはよく集まるよ。皮が裂けて汁が漏れると匂いに引き付けられてやってくる。

◇ 452:うちは祖父母がブドウ畑やってたけど、昔からカブトムシは害虫として知られてたよ。30年以上昔のはなしたけど、優しい祖父母は当時小学生だった僕ら兄弟のために、害虫なのに、カブトムシを育ててくれてた。

◇ 459:何を今さらって感じだな。カブトだけじゃなくクワガタもな。桃やイチゴもやられるんだぜ。

◇ 475:あれ? 毎年うちの裏手にあるブドウ畑に巨峰買いに行くと、いつも一緒にカブトムシも売られているよ? 沢山ブドウを買うと、欲しかったらタダでもっていっていーよーって言われてるけど。カブトムシがブドウを好きなのは当たり前だと思ってた。

◇ 525:カブトムシが葡萄に集るのは普通だと思ってた。知り合いのところの葡萄には毎年たくさん来てる。子供が小さい頃はよく昆虫採集させてもらった。ちなみに関東の南の方です。

◇ 545:実家が果樹農家だけど、この時期はモモ、ブドウ(巨峰)はカブトムシやクワガタムシが毎朝頭突っ込んでるけどね。ブドウは実が太りすぎて表面が割れてしまっていたりすると確実にやられる。桃は果実に袋被せていようが木にネットを張っていようがやられてる。昔からオスのカブトムシやクワガタムシは近所の子供行きだけど、メスのカブトやクワガタ、カナブンたちはどこの農家でもその場で踏み潰されてるw

◆ 複数の意見によれば、ブドウ畑にカブトムシがやってくるのは、それほど珍しいことではないようだ。で、まとめ。

◇ 607:何か変わったあると、「聞いたことない」と言う人が多いけど、改めてリサーチをすることはない。自分の知識や経験なんて極めて限られてることを覚えておいた方がいいよね。

◆ このアオドウガネが葉っぱを「食害していた」(いや、こいつが葉っぱを蝕んでいるのを目撃したわけではないので、たんなる状況証拠による推測)のもブドウだったが、残念ながら、カブトムシは見かけなかった。もしかしたら、ネットに覆われたブドウの房にうまくたどりついてかぶりついていたのが、1匹くらいはいたかもしれない。

◆ 「ブドウ畑のカブトムシ」のハナシで、レッサーパンダの風太のことを思い出した。

〔Zaggle.co.uk〕 In May 2005, the Red Panda gained a surge of popularity in Japan when Futa (風太) a member of the species living in the Chiba Animal Park (千葉市動物公園) was found to be able to stand on his hind legs like a human for up to 30 seconds at a time. Not to be outdone, another zoo, the Yokohama Zoo Zoorasia (よこはま動物園ズーラシア) in Yokohama, Kanagawa recently found another "gifted" red panda within their confines, Dale (デール) who is capable of walking a considerable distance bipedal.
zaggle.net/content/education/r/Red_Panda.php

◆ なにも英語の文章を引用することもないのだが、千葉で風太が直立すると、"not to be outdone" (負けてはならじと、負けじとばかりに)、横浜ではデールが直立するだけでなくそのまま歩行までしてしまう。かくして、各地の動物園で、"not to be outdone"、つぎつぎとレッサーパンダ(red panda)が直立し始める。というようなことがあったのが、2005年5月だった。その後についてはなにも知らないが、おそらくいまでも、直立したり直立歩行したりしているのだろう。風太やデールが、直立にかんして、"gifted"(天賦の才能のある)な個体であったことはまちがいないだろうが、そもそもレッサーパンダには直立しうる潜在能力があるのだし、風太以前にもその能力を顕在化していた個体も数多くいたことだろう。けれど、記事にするさいには、物語化の誘惑というものがつねにあって、おもしろそうなお話に仕上げてしまいがちになる。そういう意味で、"not to be outdone" はじつに便利なつなぎのコトバなのだった。

◆ カブトムシに戻って、ふたたび《2ちゃんねる》のスレ(【長野】「聞いたことがない」ブドウ襲うカブトムシ 出荷直前、果汁吸われる被害)から。

◇ 368:ブドウの味を覚えてしまった。もう、カブトムシたちの間に口コミで伝わっているから、いくら退治しても無駄だねw

◇ 490:今までおいしさを知らなかったんだろ。きっと1匹が試しに吸ってみたらうまくて、カブトムシみんなに広がって話題になってるんだと思う。

◆ カブト虫も負けず嫌いなのかもしれない。

◇ 駅の掲示板に貼ってあるニュース写真を見るのが好きだ。

◆ と、川上弘美が書いている。

◇  ときどき私は、息苦しくなる。知らないということによっておかされるあやまちは多いのだから、情報は多いにこしたことはないのだが、こんなことは知らなくてもいいのに、というような情報までが満ち溢れているようにも思うのだ。むろん数ある情報の善悪を勝手につけるつもりは、毛頭ない。情報というものは薬と一緒で、使う本人のやり方次第で役にも立ち毒にもなるのだろうから、どんな情報だって、それが特定の個人をはなはだしく傷つける場合以外は、どんどん流れるべきものには違いない。ただし、この情報過多の時代にどうにも息苦しさを感じてしまうのも、事実なのだ。
 そういうときに見る掲示板のニュース写真は、いい。そこにただある写真。ほんの少しの文章。むろんそこにも無限の物語が隠されているはずだが、あえて物語を語り起こそうとしない潔さが、掲示板のニュースにはあるように思う。

川上弘美 『なんとなくな日々』(新潮文庫,p.134-135)

◆ 駅の掲示板の写真ニュース、ワタシもときどき見るが、ほかに見ているひとをほとんど見かけない。

◇ 人の顔を、まっすぐに見られないのだ。自分の子供に向かっては、「話をするときは相手の顔を見て」なんてびしびし言うくせに、自分では人の顔を正視できない。正視をしているふりはするのだ。顔も目もまっすぐ相手を見る姿勢になる。ところが、目の芯が相手をとらえていない。相手の目と自分の目が出会った瞬間、目は何も見なくなってしまうのだ。そんな器用なことができるはずないとお思いになるかもしれないが、できるのですね、これが。
川上弘美 『なんとなくな日々』(新潮文庫,p.50-51)

◆ ちょっとまえ、ああ、いま、たしかに目を見て話しているな、と思ったことがあって、そう思ってしまったのは、これまで、ふだん人の目を見て話しているかどうかについては自覚的ではなかったということなのだろう。考えてみても思い出せない。人に「ちゃんとこっちを見て話せ」と言われたこともあまりないから、いちおうは相手の顔を見ていたのだろうとは思うけれども。そのもっと以前には、意識的に相手の目を見て話そうとしていた時期があった記憶はあるが、そんなエネルギーもいまはない。たぶん、相手の目を見て話すというのは疲れることなんだろう。だから、おそらく、ふだんは川上弘美のように器用に「見て」いるんだろう。そして、ごくまれに、目を見て話しても疲れを感じさせないようなタイプのひとがいて、そのようなひとと話す機会があったときには、「ああ、いま、たしかに目を見て話しているな」と、ふと自覚したりもするのだろう。

◆ 2009年8月14日の「天声人語」に柚子坊のつづき。

◇ そのアゲハの幼虫、柚子坊(ゆずぼう)のことを先日書いたら、思いのほか多くの便りをいただいた。「緑濃き下蔭(したかげ)を舞ひ黒揚羽(あげは)〈危険な関係〉を愉(たの)しむごとし」と、東京の篠塚純子さんはかつて詠んだ歌を送ってくださった。庭では毎年、アゲハが生まれるそうだ▼仙台の池沢祐子さんからは、羽化した黒アゲハの美しい写真が届いた。庭木の柚子坊が次々に鳥に食べられるのを見かね、5匹を網の中へかくまってユズの葉を与えたそうだ。育った蝶は外へ放したという。嫌われがちな柚子坊も、やさしさに感謝だろう▼便りは女性からが大半だった。昆虫といえば少年の専売のようだが、王朝文学の「虫めづる姫君」のDNAが連綿と流れているのだろうか。とはいっても、客観写生を説いた俳人の虚子に〈命かけて芋虫憎む女かな〉の一句もあるから、世の柚子坊よ、油断は禁物かもしれぬ▼わが家の鉢植えミカンの柚子坊は、鳥の目をかいくぐってサナギになり、地震で揺れた朝に羽化した。黒地に黄色のナミアゲハだった。ナミは「並」。ありふれたゆえのやや失敬な名だが、蝶のあずかり知らぬことである▼柚子坊を育て上げた木は葉がだいぶやられた。ピンポン球ほどの青い実を涼しげにぶら下げて、ひと仕事を終えた風情で日を浴びている。
www.asahi.com/paper/column20090814.html

◆ 読者の短歌に「緑濃き下蔭を舞ひ黒揚羽」。2009年8月3日の「天声人語」に「わけても日盛りの黒アゲハは神秘的だ」。クロアゲハは(川上弘美のように)日陰を好むので、読者の短歌の方がより写生的であるということはいえるだろう。

◆ 「虫めづる姫君」のDNAの継承者のひとりに柳美里がいる。

◇ ご存じのかたもいらっしゃるとは思いますけど、わたくし、大の虫好きなんでございますのよ。小学生のころは、「虫博士」と呼ばれておりました。将来は、昆虫に携わる仕事をしたいと思っていたものです。いつか、余生といえるような時間が訪れたら、昆虫採取に没頭したい。
www.yu-miri.net/blog/050522.htm

◆ 「命かけて芋虫憎む女」も数多くいることだろうが、蓼(たで)食う虫も好きずきで、

養老 虫好きの女の子って、意外にたくさんいるんだけどね。つい二、三日前、「ゲジゲジは可愛い」とか言う子がいて、びっくりした。
池田 足がいっぱい生えているのが好きだっていう子と、足があるのは嫌で、芋虫みたいのが好きだっていう子がいる。毛虫好きはあまりいないけど。女の人は、チョウとかガとか成虫が嫌いで、幼虫が好きな人が多いですね。鱗粉(りんぷん)が嫌いなんでしょうね。
奥本 チョウはいいけど、ガはダメとか。
池田 そうそう。幼虫は好きだけど、成虫は嫌いとかね。幼虫が好きな女の人って、けっこういるんですよ。
奥本 そりゃ、本物だな。
池田 うちの女房も幼虫好きですよ。可愛いからって、幼虫を飼っていた。ツクツク、プリプリしていて赤ん坊の足みたいで、触り心地がいいらしい。

養老孟司・池田清彦・奥本大三郎 『虫捕る子だけが生き残る』(小学館101新書,p.15)

◆ 「うちの女房」、五感のうちでも触感を重視するあたりが女性的であるのかもとも思ったり。とはいえ、いちばん多いのは、やっぱり「虫めづらない姫君・たち」だろう。

◆ ネット上の文章を引用するさいに、もちろん、いちいちキーボードで入力したりはしない。コピー&ペーストすれば、それで済む。ときには勝手に修正することもある。てきとうに、誤字(誤変換)を訂正したり、余分な改行をなくしたり。以前は、勝手に修正することに多少の抵抗もあったが、考えてみると、ブログや掲示板の文章は、ユニークな表記法が多く、なかば「手書きの」文章なので、それを「活字の」文章にするには、多少の変更も許されるのではないか、とテキトウに思うようになった。ようするに、あまり好ましいことではないかもしれないが、自分のスタイルに合うように修正を加えているわけ。

◆ 判断に迷うものもある。そのひとつが「!」。たとえば、以前に引用した《虫同盟》というサイトの書き込み。

◇ 「虫大嫌いです☆蝶々やトンボでさえ許せねぇ!!笑」 「虫嫌い!網戸とかにはりついてて足の付け根とか見えたら吐きそうになる!!(ぇ)」 「虫だいっきらいです!!見るのも嫌です。もうこの世からきえてほしいです!」 「虫大っ嫌いです!日光行った時は、とんぼがもぅ。。。」 「蛾がだめすぎです!キモチワルイ、本当に。寒気がするんです(泣」
www1.odn.ne.jp/~cby89520/mushi.htm

◆ 「!」のオンパレード。半角(!)と全角(!)の違いはさておいて、どれも感嘆符のあとにスペース(空白)がない。これが気になる(ときがある)。「虫大っ嫌いです!日光行った時は、とんぼがもぅ。。。」なんかは、「虫、大っ嫌いです! 日光行った時は、とんぼがもぅ・・・」とでもしたくなるが、「虫大嫌いです☆蝶々やトンボでさえ許せねぇ!!笑」になると、「☆」と「!!」が絶妙のバランスで並んでいるので、そのままの方がいいかな、と思ったり。一筋縄ではいかない。そんなわけで、これは原文のママ。

◆ この道路標識は「その他の危険」というのだそうで、

◇ この標識は、若い頃、幽霊が出るところに有るんじゃ、ドライバー等が不意にそういうものと遭遇して事故を起こさないように、警告してるんだ。とよく噂しておりました。それだけに、コレを見つけた時はぞぞ~っとした記憶があります。
dt50.blog.so-net.ne.jp/2008-02-18

◇ その他・・・いったい何なんでしょうね。危険だから注意しなさいと言われても、危険である理由が「その他」だったら、気をつけようがありません。「その他」という理由で納得のいくことってあるのでしょうか? 「その他の罪で逮捕する!」と言われて納得する人がいるでしょうか。サッカーをやっていて、「その他の反則を犯したため退場しなさい」といわれて納得するでしょうか。「その他の理由でお金をあげます」というのなら喜んで貰いますけどね。(それでも、やっぱり納得はいかない)
aym.pekori.to/koneta/archives/2004/06/post_22.html

◆ 分類するということが苦手で、ここ「MEMORANDUM」に書いた文章をカテゴリー分けしようかと思ったことも何度かあったが、うまくいきそうもないので、ほったらかし。無理して分類するなら、ほとんどの文章が「その他」に分類されることになるだろう。この記事もまた同じ。「その他」というのはずいぶんと便利なものだと思う。

◆ 道路標識で思い出した。「鹿」の標識。左は北海道の「鹿」。右は奈良公園の「鹿」。「鹿飛出し! 走行注意」と「鹿の飛び出し 注意」。表記が微妙に違う。いや、それよりも、北海道と奈良ではシカの種類が違うのではと思ったが、エゾシカ(Cervus nippon yesoensis)とホンシュウジカ(Cervus nippon centralis)は、体の大きさをのぞけば、たいした差はないらしく、どちらもニホンジカ(Cervus nippon)の亜種扱い。ヒグマとツキノワグマほどの違いはない。

◇ 日本国内に棲息するニホンジカはエゾシカ、ホンシュウジカ、キュウシュウジカ、マゲシカ、ヤクシカ、ケラマジカ、ツシマジカの7つの地域亜種に分類され、北の方のものほど体が大きい(ベルクマンの法則参照)。南西諸島の3亜種は特に小型であり、オスの体重で比較するとエゾジカの140kgに対してマゲジカとヤクシカで40kg、ケラマジカでは30kgである。
ja.wikipedia.org/wiki/ニホンジカ

◆ エゾシカにはこんな記述も。

◇ アイヌはシカ(エゾシカ)はイヨマンテなどの儀礼に使用せず、アイヌ文化においてはシカの神(カムイ)が存在しないと言われている。シカは単なる食料の対象であったと見られている。
ja.wikipedia.org/wiki/エゾシカ

◆ しばらくゴリラを見ていない。先の記事のタイトルを「鹿に注意」にしたことで、ブラッサンスの「ゴリラに御用心」を思い出した。シャンソン好きの歌人、塚本邦雄に『薔薇色のゴリラ』という楽しい一冊があって、そこで覚えた(探してみたが、見つからない)。原題は「Le gorille」(ゴリラ)だが、歌詞の一節から「Gare au gorille!」(ゴリラに気をつけろ!」)とも。「gorille」はゴリーユ。「famille」がファミールでないのと同様、ゴリールではない。

◇ 「童貞」「強姦」「さかりのついた」など、およそシャンソンに使われることのない単語が続出し、動物園のゴリラが檻から抜け出し判事を犯すという歌詞で観客を仰天させた1曲です。
www.hakusuisha.co.jp/france/200811.php

◆ 歌詞、訳詩は《kamp's hahaha: 続・ぶらっとブラッサンス》で読める。あと、《週刊フランスのWEB》でも。

◆ 1939年ごろのニューオーリンズ。《Eugene Register-Guard》に掲載された、Madeleine Gilbert Christenson さんの投稿記事から、さらにもうひとつ。チコリコーヒー。

◇ What was served to us as coffee the first morning was like some thick, black medicine. But I am apt to be tolerant of culinary failures and I waited patiently for something better. The New Orleans coffee drinkers, however, brew the beverage from a dark roast coffee to which has been added about 20 per cent bitter chicory. They call it French drip coffee, and slowly this insidious drink grows on you and you curse to yourself because decent Maxwell House coffee tastes pale and wan. If you look like a tourist the wailtress will ask if you want "northern" or "southern" coffee.
Eugene Register-Guard - Jun 24, 1939

◆ 旅行者のあなたがニューオーリンズで飲食店に入りコーヒーを注文すると、ウェートレスが「北部風」ですか、「南部風」ですか、と問う。南部風(southern)のコーヒーを、と答えると、地元で「フレンチ・ドリップ・コーヒー」と呼ばれる、なにやら黒くどろっとした薬のような液体が出てくることになる。20パーセントのチコリ入りだ。チコリは、

◇ 葉や根には独特の苦味があり、肥培した株から出させた芽を暗黒下で軟白栽培したものを、主にサラダとして賞味するほか、根を炒ったものをコーヒーの風味づけや代用品にも使う。
ja.wikipedia.org/wiki/チコリー

◆ つまり、チコリコーヒーには2種類あって、コーヒー豆に根チコリを加えたもの(もともとは水増しのため、また風味づけとして)とコーヒー豆を使わず根チコリを焙煎したもの(代用品)。

◇ Root chicory (Cichorium intybus var. sativum) has been in cultivation in Europe as a coffee substitute. The roots are baked, ground, and used as a coffee substitute and additive, especially in the Mediterranean region (where the plant is native), although its use as a coffee additive is also very popular in India, parts of Southeast Asia and the American South, particularly in New Orleans. Chicory, with sugar beet and rye was used as an ingredient of the East German Mischkaffee (mixed coffee), introduced during the "coffee crisis" of 1976-9.
en.wikipedia.org/wiki/Chicory

◆ ニューオーリンズのチコリコーヒーのチコリは、コーヒーの substitute(代用品)ではなくて、additive(添加物)ということになる。いまでも、ニューオーリンズではチコリコーヒーを飲むことができて、なかでも「Cafe Du Monde」というコーヒーショップが有名だそう。そのうちいつか、ニューオーリンズに行くことがあったら、ぜひ飲んでみたいものだ。と思っていたら、このカフェデュモンド、

◇ 1990年にダスキンの経営により日本進出。日本国内では33店舗(2008年3月現在)を展開している。
ja.wikipedia.org/wiki/カフェデュモンド

◆ あら、日本でも飲めるのね。《Cafe Du Monde》のホームページに、チコリコーヒーの歴史が書いてあったので、これも引用。

◇  Coffee first came to North America by way of New Orleans back in the mid-1700's. It was successfully cultivated in Martinique about 1720, and the French brought coffee with them as they began to settle new colonies along the Mississippi.
 The taste for coffee and chicory was developed by the French during their civil war. Coffee was scarce during those times, and they found that chicory added body and flavor to the brew. The Acadians from Nova Scotia brought this taste and many other french customs (heritage) to Louisiana. Chicory is the root of the endive plant. Endive is a type of lettuce. The root of the plant is roasted and ground. It is added to the coffee to soften the bitter edge of the dark roasted coffee.

cafedumonde.com/coffee.html

◆ オレンジ色した虫がいる。なぜオレンジ色なのかはしらない。きっと大事なわけがあるんだろう。

◆ オレンジ色したうさぎもいる。そういえば、「碧(あお)いうさぎ」なんて歌もあった。「オレンジのうさぎ」と「青のうさぎ」、選ぶなら、あなたはどちらが好き?

◆ さいきんは「PhotoDiary」で虫の写真が増えてしまって、申し訳ない。すぐに飽きるかと思ったら、意外に飽きない。以前にも引用したが、

◇ ニョーボにとって、たいていの昆虫はゴキブリ扱いである。(^^;)
カブトムシ→角付きゴキブリ
クワガタ→大あごゴキブリ
蝶・蛾→派手ゴキブリ
コオロギ・鈴虫→鳴きゴキブリ
ホタル→光ゴキブリ

members.jcom.home.ne.jp/theshadowcity/Samejima37.html

◆ というような感覚のひとが多数なのだろうし、このサイトも個人のサイトとはいえ、できることならより多くのひとに訪れてほしいと気持ちもあるので、あまり不快な写真は載せないようにとこれでも多少は気をつかっているつもり。それが証拠にまだゴキブリの写真は載せていない(と思う)。

◆ ゴキブリはワタシも大嫌いなのだが、ふとフランス語でゴリラはゴリーユ(gorille)ということを思い出し、そういえばコキーユ(coquille)という単語もあって、これは貝殻のことだった。などとアタマが勝手に連想ゲームを始めてしまって、そのあげく、ゴリブリのことをゴキーユ(goquille)と呼ぶのはどうだろうかとひらめいて、ここに書きとめておきたくなった次第。どうですか、ゴキーユ? ちょっとはセレブな感じが? やっぱり、しない?

◆ あさぼらけ。4時53分、ミンミンゼミが鳴き始める。4時56分、新聞配達のバイクの音。ミンミンゼミは早起きだ。新聞屋さんは早起きだ。それから、ぼくも早起きだ。夏休みの宿題をはやく終わらせなくっちゃ。30年前の。いまでもときどき夢にみる。

◆ 8月17日、日本記者クラブ主催の党首討論会で、

〔MSN産経ニュース〕 麻生太郎首相:漢字の誤読につきましては、これは単なる読み間違いであってみたり、メガネをかけずにすっと読むと間違えたりするということもあるんだと思っておりますんで、これは軽率、一言で言えばそういうことになるんだと思います。〔中略〕 いずれにしましても、一連の発言というものが不必要な政治不信を招くことになった、政党に対する不信を招くことになったという点に関しましては、私どもとしておおいに反省しているところです。
sankei.jp.msn.com/politics/election/090817/elc0908171643026-n1.htm

◆ かけるとふりがなつきで漢字が見えるようになる特殊なメガネもそのうち発明されるのかもしれないが、ふつうの老眼鏡にはそんな機能はついていないだろうから、メガネをかけたからといってなにも変わりようがないだろうと思うのだが、もしかすると、もともとの原稿にはふりがながついていて、メガネをかけなかったから、そのふりがなが小さすぎて読めなかった、という意味なのかもしれない。しかし、それならば(原稿を棒読みするだけならば)、演説なり答弁なりを口頭で自らすることをあきらめて、すべて文書で配布してしまったほうが、手間もかからずいらぬ批判もあびずにすむ。それにしても、どうしてかくも頻繁(はんざつ、ではなく、ひんぱん)に漢字の誤読を繰り返すのか?

◇ 中学の時山の手線に乗っていて、「日暮里」を普通に「次はひぐれざとか」と母に言ったら、母はすごく恥ずかしかったようで、すぐに訂正されました。そう、私みたいな漢字を読めない人間は、読めない漢字が文章に出てきてもあまり気にならないんですよね。それを読めないと意味が分からない文章なら調べますが、見ただけで大体意味が分かる漢字であれば、読み方が分からなくてもスルーです。上記「ひぐれざと」のように漢字にとりあえずの読みを当てて、読めればそれで本人的には満足なんです。麻生総理も多分その感覚をお持ちかと思います。そのほかの記事とかで「音読みと訓読みを組み合わせて読む言葉はあまりないのに…」といった記述がありましたが、我々のように漢字を読むのが苦手な人種は、そんな音読みとか訓読みなんてあまり気にしていません。読めるようにつなげて読むだけなんです。だから踏襲を「ふしゅう」と読めるんでしょう。〔中略〕 なんでみんな漢字が普通に読めるのかしらね、麻生総理…。
plaza.rakuten.co.jp/matsuko415/diary/200811130000/

◆ 日暮里(にっぽり)を「ひぐれざと」と読むのは、たんに東京の地理に疎いというだけで、漢字の読み方としては間違いだとはいえないだろう。ワタシにも日暮里を「ひぐれさと」と呼んだ同僚がいたことをなつかしく思い出しながら、「漢字にとりあえずの読みを当てて、読めればそれで本人的には満足」、「読めるようにつなげて読むだけ」というすいぶんとすなおな自己分析を読むと、なるほどそういうことなのかもしれないなあ、とかなり納得をした。

◆ エチオピアには塩コーヒーがあるらしい。

◇  見ていたらモカの香りが風に乗ってやってきた。
 においをたぐり歩いたら、泥壁の小屋に行き着いた。電灯もランプもないそこは客が立ち寄る、いわば喫茶店なのだった。
 暗がりで妙齢の女性が裸足のおじさんたちに給仕している。
 飲んでいるのは、驚くなかれ、塩入りコーヒーなのだった。
「このあたりじゃブンナは皆、チョウ(塩)で飲むな」
 泥壁が口をきいたのかと思ったら、壁と同じ顔色のおじさんだ。
 お試しになるといい。コーヒーに塩味はよく合う。後口がじつにさわやかだ。砂糖みたいにコーヒーそのものの香りを消すことがない。

辺見庸 『もの食う人びと』(角川文庫,p.209)

◆ ブンナ(bunna)とはコーヒーのこと。塩コーヒーは飲んだことがないが、塩キャラメルコーヒーなら飲んだことがある。

◇ 塩キャラメルコーヒー!! 塩なんだかキャラメルなんだかコーヒーなんだか良く分から無いよね~~・・・。
www.ytv.co.jp/blog/announcers/uemura/2008/12/post_154.html

◆ ジョージアの缶コーヒーなんだけど。キャラメルの味がして、塩の味がして、それからコーヒーの味もする。そんな感じで、けっこういける。まだ販売してるのだろうか?

◆ 明治天皇も塩コーヒーを飲んだことがあるらしい(《月に叢雲花に風:明治天皇と塩コーヒー事件》

◇ 日本では英国風にコーヒーはミルクと砂糖を入れた状態で給仕されるが、この日は誤って砂糖の代わりに塩が入れられていた。明治天皇は一口ごくりと飲み、顔をしかめた。天皇はさらにもう一度口をつけた後、憤然として席を立ったため、散会となった。
産経新聞(1999年3月20日付)

◆ どうやらお気に召さなかったらしい。あと、塩コーヒーダイエットなんてのもあるらしいが、どうでもいい。

◆ 《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。

◇ コーヒーにバター?? 友達の家に遊びに入ったら、コーヒーを作ってくれました。コーヒーに砂糖とミルクを入れるのは普通ですが、その後にバターも入れてました。そういう飲み方も一般的にあるのですか?? 私は初めてだったので驚きました。皆さんのお宅ではコーヒーにバターは入れてますか?
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311349153

◆ ベストアンサーに選ばれた回答がこれ。

◇ 辺見庸さんの「もの食うひとびと」によると、インドネシアだったかコーヒーの産地ではコーヒーに砂糖がいいかバターがいいか尋ねられるそうです。私はまだやったことありませんが、これを機会に一度試してみます。
Ibid.

◆ インドネシアではなくエチアピア。「砂糖かバターか」ではなく「塩かバターか」。以下、『もの食うひとびと』の当該箇所の引用。

〔……〕 近くの食堂「ムスラク」に入って本場もののコーヒーを注文してみた。
 ところがである。店と同名の、うら若い美人店主が裸電球の下でコックリとうなずいてからコーヒーができるまで、延々と一時間と三分もかかったのだ。
 ムスラクは決して注文を忘れていたわけではない。
 彼女はまず裏庭で紅と黄色の花を摘み、それらを茶器を置いた木台に敷きつめ、花弁に線香を刺して、伽羅(きゃら)に似た香りで土間を満たしたのである。
 自らは紫の地に金色の刺繍の布を頭にかぶり正装し、木台を前にして、深呼吸。炭火の上に鉄板を載せ、コーヒー豆にすこし水を加えて炒りはじめる。
 焦げてきた豆を盆に載せ私の眼前に捧げ持ってきて「よろしいでしょうか」と目で問う。
 私が手のひらで煙をかき寄せ「よろしいのでは」とうなずけば、彼女は臼(うす)と杵(きね)とで、豆をついたりグラインドした。時おり「カラファ」なるスパイスを加えたりしてもう一心不乱。
 粉になったのを細口の素焼きの壺で煮立ててから、手を荒い、数滴を茶器に注いで味見。首をいやいやと横にふり、コーヒーをさらに加えて、また味見である。
 やっと納得したらしく、顔を上げて問うには
「バターにします、塩にします?」
 一瞬サッポロ・ラーメンを思い出す。塩コーヒーは経験済みだから、勇を鼓して「バ、バターを」と頼んだがあとの祭りだ。
 バター・コーヒーは元気のもと、最上のお客に出すのよ、ムスラクの甘い説明を耳にして目をやれば、油は水より軽い道理で、溶けたバターが上、コーヒーが下の完全二層式である。
 必然、先にバターを飲まなければ、コーヒーには永遠に到達しない。
 グビリと飲んだ。無論、先にバターの、次にモカの味がしたのだが、結合部分がどうもいけない。刺身にバターみたいなというか、きわめて複雑な味だった。
 ムスラクが真剣なまなざしで「いかがでしょう?」と問うている。
 味覚の相違はともかくも、彼女の力作コーヒーである。まずいなどと言えるわけがない。
 非常におもしろい味である旨答えたら、二杯目がなみなみと注がれたのであった。
 このコーヒー・セレモニーを、ムスラクは母親に習ったという。女性のたしなみなのだ。
 とまれ、コーヒー・ロードを旅して私は知った。
 エチオピアにおいてはコーヒーをたてることが日本の茶道に似た多義性を持つ。味が良ければいいというものでなく、日々の瞑想であり、礼なのである。

辺見庸 『もの食う人びと』(角川文庫,p.211-213)

◆ これと同様のコーヒー・セレモニーの体験記が《EarthTribe:コーヒーセレモニー》でもステキな写真入りで読める。花や線香はなかったようだが。

◇  熱心な教師がいる。何事も疑問を持つところから学ぶことは始まる。一つでも二つでもよいから、毎日、なにか疑問を考えてくるように……。そんな宿題を出された。
 少年は考える。真剣に考えたが何も思い浮かばない。先生の熱心さを思うと、どうにもつらくて学校を休んでしまう。そして考えた。
 ようやく一つの疑問が頭に浮かぶ。少年は意気揚々と学校に行って、それを告げた。
「イカとタコが結婚すると、その生まれた子の足は何本でしょう」
 先生は子どもにばかにされたと思って腹を立てる。少年は首筋をつかまれ、うす暗い理科準備室に、標本の骸骨といっしょに立たされる。
 反省しろ、という教師のことばを、少年は懸命に考え、そして思った。
(先生が怒ったのは、ぼくが小学生なのに、結婚ということばを使ったからだ。きっと、そうに違いない)
 岩本敏男さんの『赤い風船』という作品に出てくる話だ。

灰谷健次郎 『アメリカ嫌い』(朝日新聞社,p.63-64)

◆ じっさいのところ、イカとタコが結婚すると、生まれた子(イカタコ? タコイカ?)の足は何本になるのだろうか? いや、じっさいには、イカとタコはあんまり仲がよくなくて、結婚などしないのかもしれないが、むりやり結婚させるとすると、何本足の子どもが生まれるのだろうか? まんなかをとって、9本だろうか? それとも、どちらが父親かで違ってきて、8本ないしは10本になるのだろうか? 小学生でもないのに、そんなことを考えてみたのは、奇数の9本というのは、なんだかバランスが悪そうな気がしたからで。足が左右に生えているなら、右も左も同じ本数のほうが動きやすいだろう。けれど、イカとかタコの足はどのように生えているのだったっけ? 左右はあんまり関係ないんだったっけ? よくよく考えてみると、イカのこともタコのことも、なんにも知らずにただ食べていただけなのだった。今度、函館に行く予定だから、じっくり観察してみることにしよう。夏休みのいい宿題だ。函館にはバターコーヒーを出す喫茶店もあるそうだ。

◆ 夏といえば、怪談である。妖怪である。一つ目小僧であり、三つ目小僧である。二つ目の小僧は妖怪ではない。たんなる人間である。

◆ では、一つ目小僧と三つ目小僧が結婚すると、その子の目の数はいくつだろうか? 2つだろうか? 1つだろうか? 3つだろうか? いやまてよ、小僧と小僧では結婚できないか? 女性の小僧はいるだろうか? でも、そもそも、子どもだし。鬼太郎の目玉おやじに聞いてみるしかないか?

◆ こんなハナシをしても、いっこうに涼しくならない。では、クモの目はどうだろう。

◇ 眼だ眼だ。おそろしい蜘蛛の眼だ。
甲賀三郎 『蜘蛛』(青空文庫

◇ There have been a lot of movies with giant spiders in them. One of the things that makes them look so creepy is all those eyes they have. But is that just something from the imagination of Hollywood?
〔巨大蜘蛛が登場する多くの映画があった。気持ち悪い感じがするのは、ひとつには、その目のせいだ。けれど、これはハリウッドの想像力の産物にすぎないのだろうか?〕

www.mdavid.com.au/spiders/eyes.shtml

◆ How many eyes does a spider have? クモの目、いくつあるか知ってる?

◇ 蜘蛛には、いくつ目がありますか? 私は、二つと思ってるんですが・・・
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?queId=9579280

◇ 理科の時間に習ったような気もしますが、すっかり忘れてしまい(笑) 恥ずかしながら、ずっと、2個だと思っていました^^;
blogs.yahoo.co.jp/deepsatellite2006/22915276.html

◆ 答えは8個。なかには、6個のも4個のも2個のも0個のものもいるらしいから油断がならない。あるサイトには、

◇ It gets easier to count the eyes when the spider isn't so hairy. This flower spider (Diaea variabilis) is a good example.
〔毛深くない蜘蛛なら目の数を数えやすい。フラワー・スパイダーがそのいい例。〕

www.mdavid.com.au/spiders/eyes.shtml

◆ とあって、フラワー・スパイダーの画像が載っている。フラワー・スパイダー、花蜘蛛。日本にもハナグモというのがいて、微妙に種類はちがうんだろうけど、このまえ見かけた。で、目の数を数えた。上下に2列、4個ずつ。たしかに8個の目があった。つぶらな瞳? まあ、かわいい方だ。《Insects/Spiders (Flickr)》には、クモ(や昆虫)の顔のアップの「きれいな」写真がずらりと並べられていて迫力満点。

◇ うーん、しかし実にどうも、何か変な感じですね。昆虫と比べても、より「マシーン」というか、異質なものを感じます。
bios.sakura.ne.jp/gf/2008/oxyopes.html

◆ そんな気もする。やっぱり暑い。

◆ 辺見庸の『もの食う人びと』から。元従軍慰安婦の金さんは、「当時の味で記憶しているのは?」と聞かれ、

◇  連行の途中、大阪の屋台で食べた「かけウドン」と彼女は答えた。
「煮干しダシの味が忘られないのよ。赤いカマボコが載っていて、それはおいしかったですよ」
 帰国後、その味をこしらえようと試みたが同じ味にはどうしてもならない、という。

辺見庸 『もの食う人びと』(角川文庫,p.330-331)

◆ それで、うどんが食べたくなった。関西のうどん。

◇ その味を言うならば一体に関西の食べものは淡味ということになっていて、それならばうどんの汁も淡味だから旨いのだということになりそうであるが関西のうどんはうどんそのものが淡味のせいでうどん粉臭いのとは反対に何かあの白玉というものをうどんの形に仲ばしたものを食べている感じがする。〔中略〕
 そのうどんの汁が淡味で旨いことは言うまでもない。凡てその淡泊な調子なので天ぷらを足せば却って引き立ち、うどん屋に入ってこの天ぶらうどんを何杯でもお代り出来るのだと思うといい気持になる。その三杯位は何でもなくて五杯目位になって漸く少し飽きて来る。

吉田健一 『私の食物誌』(中公文庫,p.22-23)

◆ またまた、うどんが食べたくなった。そういうわけで、夏バテで食欲が落ちているせいもあるけれど、このごろ、うどんばかり食べている。まだ、飽きない。なか卯のうどんでもじゅうぶんおいしい。ちなみに、吉田健一は吉田茂の長男。つまり、麻生太郎の伯父。

◆ 以下、おまけ。《青空文庫》で見つけた林芙美子の小説から。

◇ 絹子は信一をいいひとだと思つてゐる。何かいい話をしなければならないと思つた。さうして心のなかには色々な事を考へるのだけれども、何を話してよいのか、少しも話題がまとまらない。
 信一は薄い色眼鏡をかけてゐたので、一寸眼の悪いひととは思へないほど元気さうだつた。絹子は一生懸命で、
「村井さんは何がお好きですか?」
 と訊いてみた。
「何ですか? 食べるものなら、僕は何でも食べます」
「さうですか、でも、一番、お好きなものは何ですの?」
「さア、一番好きなもの‥‥僕はうどんが好きだな‥‥」
 絹子は、
「まア」
 と云つてくすくす笑つた。自分もうどんは大好きだつたし、二宮の家にゐた頃は、お嬢さまもうどんが好きで、絹子がほとんど毎日のやうにうどんを薄味で煮たものであつた。

林芙美子 『幸福の彼方』(青空文庫

◇  世界をできるだけ単純な公式に還元しようとする宇宙論や哲学あるいは数学と、キノコにはまだ未知の種類が数千種もあるという、世界の多様性に喜びを見出す博物学と、学問にも両極があることを知ったのは、学生時代であった。
 下宿の隣の部屋には理論物理学者がいて、個物への興味を持つということそれ自体が理解できないらしかった。彼は少数の本を手元に置いているだけであった。たいていの本は買ってくると、表紙を「重い」と言って捨て、飛石のように数式だけを読んで、二百ページくらいの本を一時間もするとごみ箱に直行させるのであった。〔中略〕
 二人の共通の知人に生物学者がいて、オサムシの触角にしか生えないカビを研究していた。「へえー、どうしてまたそんなものを?」とからかうと、これほど栄養要求性の厳密な生物は稀だから面白いのだと言い、これが重要な学問分野だという証拠に、もっぱらそのカビについて書かれた部厚い洋書を見せたが、それは一種の正当化で、彼が世界の多様性そのものに魅せられていることは疑いないところだった。彼の部屋には大部の図鑑類が揃っているのはもちろん、たとえば魚類図鑑には印と感想が書きこまれていた。彼は図鑑の魚を機会あるごとに食べて、味を評価していたのだった、彼が、視覚だけでなく、味覚までを動員して、世界に直接肌で接しようとしていたことは間違いない。
 私は二人の友人のうち、前者を「火星人」、後者を「金星人」と呼び、自分をひそかに「地球人」と(厚顔にも)規定していた。当時のSFでは、火星は幾何学的な運河と抽象的な建築のひっそりと並ぶ他は風の吹きすさぶ砂漠であり、金星はジャングルの鬱蒼と茂る世界だったからである。

中井久夫 『精神科医がものを書くとき』(ちくま学芸文庫,p.10-11)

◆ 両極端な「火星人」と「金星人」。その属性をさまざまな用語で言い表すことができるだろうが、たとえば、抽象的と具体的。

◇ あなたの話は具体的なのでわかりにくい。もっと抽象的に話してください。
iky.no-ip.org/dictionary/2007/07/post_11.html

◆ と言った数学者(吉田耕作)もいるらしい。「火星人」的発言の最たるものだろう。逆に、オタクと呼ばれるひとたちはみな、その対象がなんであれ、「金星人」的素質があるだろう。かれらはみな、一般的なもの、共通したもの、平均的なもの、法則的なもの、論理的なもの、といったものよりも、例外的なもの、独自なもの、突出したもの、差異のあるもの、非論理的なもの、といったものの方を好むのである。たとえば、虫を好きな理由を聞かれた養老孟司は、

◇ 論理が立たないことがたくさんある所が好き。要は、わけが分からないから好きなのです。
otona.yomiuri.co.jp/mystyle/mushi/081222.htm

◆ と答えている。「火星人」と「金星人」の中間でほどよいバランスを保っているのが、「地球人」ということになるが、では、「土星人」はどこに位置するだろうか? たぶん、「火星人」からは遠い。「金星人」からも遠い。さらには、「地球人」からも遠く離れて、宇宙にひとり。さみしくはないか?

◆ 甲子園が終わると、気が抜けたように涼しくなった。夏も終わりだろうか? 64年前の夏のことを、なかにし礼が自伝的エッセーで書いている。

◇  ソ連軍数十機が満州牡丹江(ぼたんこう)を爆撃したのは、昭和二十年八月十一日の午前十時であった。
 その日、空には雲一つなかった。
 私は一人、庭で遊んでいた。
 私は七歳の子供であった。門の近くにしゃがみこんで、コンクリートの上にローセキで「のらくろ上等兵」の顔を描いていた。

なかにし礼 『翔べ!わが想いよ』(文春文庫,p.11)

◇ 八月十五日、無蓋車から見上げるハルビンの正午の空は絵の具を塗ったように真っ青であった。
Ibid. p.29

◆ 1945年8月11日、牡丹江、快晴。1945年8月15日、ハルビン、快晴。8月15日、この日は、日本も快晴だった。そのことを、「青空の記憶」でちょっと書いた。

◆ ローセキ(蝋石)のことも「道路の落書き」でちょっと書いた。

◆ のらくろのこととハルビン(哈爾濱)のことは、まだ書いてない。そういえば、無蓋車(屋根のない貨物車)もつい先日、久しぶりに見た。写真を撮っておけばよかった。

◆ 読むのが遅い。1ページにも満たない文章を読むのに、ずいぶんと時間がかかる。ゆっくりとしか読めない。

◇  父はそれっきり危篤状態に入ってしまった。
 私は天井を見上げた。湿気で黒々となった、はめ板のところどころが朽ちて、欠けていた。
「私、おシッコ」
 と言って、姉があわただしく立ち上がり、駆け出していった。
 その直後に、父は息を引きとった。
 母は父にすがって泣いていた。
 私は階下の共同便所に降りてゆき、並んでいる扉をかたっぱしから開けていった。五つ目の扉を開けたとき、姉がいた。
「お父さん、死んじゃったよ」
 姉の宏子は、白いお尻を出したまま、泣き崩れた。

なかにし礼 『翔べ!わが想いよ』(文春文庫,p.67)

◇  私の少年時代、小樽の赤岩の近くに住んでいたことがあり、夏休みといえば、よく赤岩の海岸にでかけたものだ。海水浴より、アワビやウニという、海の獲物が中心であった。
 赤岩とは、輝石安山岩の岩肌が、特異な赤光を放つところからつけられたという。岩壁が日本海に挑み、なだれ落ちそうな急傾斜の坂道が、少年たちに爽快な冒険心をかきたてるのである。
 五つ年上の私の姉が、一度ついて来たことがある。おにぎりの入った大きなナベを風呂敷に包み、少年たちの後から颯爽と来たのだが、赤岩の坂道の中ほどで、恐怖のあまりピタリと動かなくなってしまった。
 仲間はみんな笑いだしたが、私は姉の蒼白な顔をみてかけよった。みんなの手助けで、やっと海岸ぷちまで降りた。姉はしばらく震えていた。
 みんなで、姉に貝殻焼きをつくることにした。水中眼鏡で海中をのぞくと、バフンウニは小さな海苔の中や、藻中に保護色で隠れ、ムラサキウニは岩壁の下段一帯に、はりついている。味はバフンウニがはるかにうまい。
 ヘソを抜いて、いったん中身をからっぽにして口を広げ、あらためてウニの卵巣をつめこんで焼く。焼きあがると、トゲが落ち、黒ハゲになるが、中身はこんがりと焼けている。「こんなおいしいもの、食べたことがないわ」と、やっと姉に笑顔が戻った。
 帰りは、私が姉の大きなお尻を押し上げ、三人の仲間が姉の手を引いて岩壁を登った。頂上に上がったころは、水平線に赤い大きな太陽が輝いていた。こんどは、姉の顔が真っ赤に、とてもきれいにみえた。

達本外喜治 『北の国の食物誌』(朝日文庫,p.100-101)

◆ なかにし礼は1938(昭和13)年生まれで、姉は7つ年上。達本外喜治(たつもとときじ)は、1913(大正2)年生まれで、姉は5つ年上。白いお尻と大きなお尻。

◆ ワタシにも姉がいるが、とくに書くべき思い出はない。