◆ 天気のハナシばかり書いているが、まだ飽きないので、もうひとつ。 ◆ あの日の天気をあなたは憶えているだろうか? たとえば、1945年8月15日。 ◇ 〔MSN毎日インタラクティブ:東京彩人記 反戦と平和テーマ「日本の青空」監督・大澤豊さん〕 僕はね、敗戦のとき10歳だった。群馬県の高崎という地方都市ですが、空襲が毎晩あって逃げ惑った。玉音放送のことは、リヤカーを引いておふくろの着物を農家で食べ物に換えた帰りに知った。「戦争が終わった」と大人たちが言い、そのときに空を見たら、確かに米軍の飛行機が飛んでいない。8月15日は抜けるように空が青かった。それで映画のタイトルも「日本の青空」にした。 ◇ 〔JanJan:松岡陽子マックレインのアメリカ報告〕 1945年8月15日、私達津田塾専門学校(現津田塾大学)の学生は、屋内体操場がその1年半ほど前に早変わりした学校工場で戦闘機のピストンを作っていたが、間もなく校庭に呼びだされ、敗戦を知った。今でも青空の下で玉音放送を聞いた日が忘れられない。 ◇ 〔明和会:あの日あの時私の昭和20年8月15日(大坪禎夫)〕 あの八月十五日、私達家族は信州松本郊外の山村にいた。青空が拡がり、高原特有の空気が澄み、爽やかな日であった。何故かその日の情景は今でもはっきりと思い浮かべることが出来る。 ◇ 八月十五日、空はぎらぎらと晴れあがり、盛夏という言葉がぴったりする暑い日であった。 ◆ あの日、日本の多くは晴れていた。抜けるような青空が、ひとびとを悲しくさせたか嬉しくさせたか、それはわからない。もしかすると、喜びあるいは悲しみが、空の青にいっそうの彩度を加えたのかもしれない。 ◆ 写真の用語で、「記憶色」というコトバがある。 ◇ 〔ASCII24〕 人の色の記憶は、その色の特徴を誇張して憶える傾向がある。特に顕著なのが、青や赤、緑など原色系で、たとえば晴れた空や澄んだ海の青、夕景や紅葉に色づいた木々の赤色、森の緑などで、これらは実際よりも鮮やかな色として記憶される。ただ、これはあくまでも記憶の中の色、つまり記憶色であって、実際の色とは異なっている。風景を写真で撮ると、実際よりもくすんだ色のように感じるのは、この記憶色と実際の色に差があるためだ。 ◇ たとえば、撮影者が綺麗な「南国の青い空とエメラルドグリーンの海」に感動して写真を撮ったとします。その時、撮影者には感動という主観が加わる事でより誇張された青い空とエメラルドグリーンの海が脳に記憶されるのです。もし、その時撮影された写真が実際のものにより近い色で再現されると、ほぼ例外なく「この写真は、なんか違う。全然感動が伝わって来ない」とガッカリするのです。そこで、青や緑を誇張(彩度を上げ、コントラストを強調)すると「まさにこの写真のような青い空とエメラルドグリーンの海だった!」と感動的な記憶が蘇るのです。”記憶色”とはこのように作られた嘘の色なのです。 ◆ 嘘の色かもしれない。だが、人は機械(カメラ)ではないのだから、なんの感情もなしになにかを注視することなどできはしない。それが、なにげなく見上げた空であっても。 ◆ というわけで、ワタシの「PhotoDiary」の写真の色も、多くの場合、彩度とコントラストを調整している。それはともかく、あたりまえだが、1945年8月15日の青空をワタシは見ることができない。セピア色の記憶などというけれど(そんなものがほんとうにあるのだろうか?)、記憶そのものがないので、色褪せることもない。ワタシの想像上の8月15日の青空はあくまでも澄み切った青だ。 |
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