◆ 8月17日、日本記者クラブ主催の党首討論会で、 ◇ 〔MSN産経ニュース〕 麻生太郎首相:漢字の誤読につきましては、これは単なる読み間違いであってみたり、メガネをかけずにすっと読むと間違えたりするということもあるんだと思っておりますんで、これは軽率、一言で言えばそういうことになるんだと思います。〔中略〕 いずれにしましても、一連の発言というものが不必要な政治不信を招くことになった、政党に対する不信を招くことになったという点に関しましては、私どもとしておおいに反省しているところです。 ◆ かけるとふりがなつきで漢字が見えるようになる特殊なメガネもそのうち発明されるのかもしれないが、ふつうの老眼鏡にはそんな機能はついていないだろうから、メガネをかけたからといってなにも変わりようがないだろうと思うのだが、もしかすると、もともとの原稿にはふりがながついていて、メガネをかけなかったから、そのふりがなが小さすぎて読めなかった、という意味なのかもしれない。しかし、それならば(原稿を棒読みするだけならば)、演説なり答弁なりを口頭で自らすることをあきらめて、すべて文書で配布してしまったほうが、手間もかからずいらぬ批判もあびずにすむ。それにしても、どうしてかくも頻繁(はんざつ、ではなく、ひんぱん)に漢字の誤読を繰り返すのか? ◇ 中学の時山の手線に乗っていて、「日暮里」を普通に「次はひぐれざとか」と母に言ったら、母はすごく恥ずかしかったようで、すぐに訂正されました。そう、私みたいな漢字を読めない人間は、読めない漢字が文章に出てきてもあまり気にならないんですよね。それを読めないと意味が分からない文章なら調べますが、見ただけで大体意味が分かる漢字であれば、読み方が分からなくてもスルーです。上記「ひぐれざと」のように漢字にとりあえずの読みを当てて、読めればそれで本人的には満足なんです。麻生総理も多分その感覚をお持ちかと思います。そのほかの記事とかで「音読みと訓読みを組み合わせて読む言葉はあまりないのに…」といった記述がありましたが、我々のように漢字を読むのが苦手な人種は、そんな音読みとか訓読みなんてあまり気にしていません。読めるようにつなげて読むだけなんです。だから踏襲を「ふしゅう」と読めるんでしょう。〔中略〕 なんでみんな漢字が普通に読めるのかしらね、麻生総理…。 ◆ 日暮里(にっぽり)を「ひぐれざと」と読むのは、たんに東京の地理に疎いというだけで、漢字の読み方としては間違いだとはいえないだろう。ワタシにも日暮里を「ひぐれさと」と呼んだ同僚がいたことをなつかしく思い出しながら、「漢字にとりあえずの読みを当てて、読めればそれで本人的には満足」、「読めるようにつなげて読むだけ」というすいぶんとすなおな自己分析を読むと、なるほどそういうことなのかもしれないなあ、とかなり納得をした。 |
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狩野派をちょっと気を抜くと(笑)「かりのは」って言ってます。
何でも、すぐ声に出す性格のほうをなんとかしたいともう40年くらい思ってます。
タネさん、
そうですか、声に出すほうですか。
声に出さないと、なかなか間違って覚えてても、そのことに気がつかなかったりするから、とってもいいことなんじゃないかな(笑)