◇ 父はそれっきり危篤状態に入ってしまった。
私は天井を見上げた。湿気で黒々となった、はめ板のところどころが朽ちて、欠けていた。
「私、おシッコ」
と言って、姉があわただしく立ち上がり、駆け出していった。
その直後に、父は息を引きとった。
母は父にすがって泣いていた。
私は階下の共同便所に降りてゆき、並んでいる扉をかたっぱしから開けていった。五つ目の扉を開けたとき、姉がいた。
「お父さん、死んじゃったよ」
姉の宏子は、白いお尻を出したまま、泣き崩れた。
なかにし礼 『翔べ!わが想いよ』(文春文庫,p.67)
◇ 私の少年時代、小樽の赤岩の近くに住んでいたことがあり、夏休みといえば、よく赤岩の海岸にでかけたものだ。海水浴より、アワビやウニという、海の獲物が中心であった。
赤岩とは、輝石安山岩の岩肌が、特異な赤光を放つところからつけられたという。岩壁が日本海に挑み、なだれ落ちそうな急傾斜の坂道が、少年たちに爽快な冒険心をかきたてるのである。
五つ年上の私の姉が、一度ついて来たことがある。おにぎりの入った大きなナベを風呂敷に包み、少年たちの後から颯爽と来たのだが、赤岩の坂道の中ほどで、恐怖のあまりピタリと動かなくなってしまった。
仲間はみんな笑いだしたが、私は姉の蒼白な顔をみてかけよった。みんなの手助けで、やっと海岸ぷちまで降りた。姉はしばらく震えていた。
みんなで、姉に貝殻焼きをつくることにした。水中眼鏡で海中をのぞくと、バフンウニは小さな海苔の中や、藻中に保護色で隠れ、ムラサキウニは岩壁の下段一帯に、はりついている。味はバフンウニがはるかにうまい。
ヘソを抜いて、いったん中身をからっぽにして口を広げ、あらためてウニの卵巣をつめこんで焼く。焼きあがると、トゲが落ち、黒ハゲになるが、中身はこんがりと焼けている。「こんなおいしいもの、食べたことがないわ」と、やっと姉に笑顔が戻った。
帰りは、私が姉の大きなお尻を押し上げ、三人の仲間が姉の手を引いて岩壁を登った。頂上に上がったころは、水平線に赤い大きな太陽が輝いていた。こんどは、姉の顔が真っ赤に、とてもきれいにみえた。
達本外喜治 『北の国の食物誌』(朝日文庫,p.100-101)
◆ なかにし礼は1938(昭和13)年生まれで、姉は7つ年上。達本外喜治(たつもとときじ)は、1913(大正2)年生まれで、姉は5つ年上。白いお尻と大きなお尻。
◆ ワタシにも姉がいるが、とくに書くべき思い出はない。