◆ 辺見庸の『もの食う人びと』から。元従軍慰安婦の金さんは、「当時の味で記憶しているのは?」と聞かれ、
◇ 連行の途中、大阪の屋台で食べた「かけウドン」と彼女は答えた。
「煮干しダシの味が忘られないのよ。赤いカマボコが載っていて、それはおいしかったですよ」
帰国後、その味をこしらえようと試みたが同じ味にはどうしてもならない、という。
辺見庸 『もの食う人びと』(角川文庫,p.330-331)
◆ それで、うどんが食べたくなった。関西のうどん。
◇ その味を言うならば一体に関西の食べものは淡味ということになっていて、それならばうどんの汁も淡味だから旨いのだということになりそうであるが関西のうどんはうどんそのものが淡味のせいでうどん粉臭いのとは反対に何かあの白玉というものをうどんの形に仲ばしたものを食べている感じがする。〔中略〕
そのうどんの汁が淡味で旨いことは言うまでもない。凡てその淡泊な調子なので天ぷらを足せば却って引き立ち、うどん屋に入ってこの天ぶらうどんを何杯でもお代り出来るのだと思うといい気持になる。その三杯位は何でもなくて五杯目位になって漸く少し飽きて来る。
吉田健一 『私の食物誌』(中公文庫,p.22-23)
◆ またまた、うどんが食べたくなった。そういうわけで、夏バテで食欲が落ちているせいもあるけれど、このごろ、うどんばかり食べている。まだ、飽きない。なか卯のうどんでもじゅうぶんおいしい。ちなみに、吉田健一は吉田茂の長男。つまり、麻生太郎の伯父。
◆ 以下、おまけ。《青空文庫》で見つけた林芙美子の小説から。
◇ 絹子は信一をいいひとだと思つてゐる。何かいい話をしなければならないと思つた。さうして心のなかには色々な事を考へるのだけれども、何を話してよいのか、少しも話題がまとまらない。
信一は薄い色眼鏡をかけてゐたので、一寸眼の悪いひととは思へないほど元気さうだつた。絹子は一生懸命で、
「村井さんは何がお好きですか?」
と訊いてみた。
「何ですか? 食べるものなら、僕は何でも食べます」
「さうですか、でも、一番、お好きなものは何ですの?」
「さア、一番好きなもの‥‥僕はうどんが好きだな‥‥」
絹子は、
「まア」
と云つてくすくす笑つた。自分もうどんは大好きだつたし、二宮の家にゐた頃は、お嬢さまもうどんが好きで、絹子がほとんど毎日のやうにうどんを薄味で煮たものであつた。
林芙美子 『幸福の彼方』(青空文庫)