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◆ 個人の記憶というものは、いったいどのようなかたちでどのような場所に保管されているのだろうか? そのようなことを考えると、ワタシはいつも木の年輪のイメージを思い浮かべる。 ◇ TCK 「東京ダービー」 とJRA 「日本ダービー」 への参加型イベント 『ダブルダービー』 で、ご応募をいただいていた、ダービーにまつわる川柳の受賞作品が、本日、決定しましたのでお知らせします。 ◆ このダービー川柳で、友人がJRA賞を受賞したそうである。 ◇ 想い出の ダービー馬聞き あきらめた Miss四十路 ◆ 「選評」 はこう。 ◇ 好きな馬で年代がばれるのは競馬ファンならでは。雅号が郷愁を誘います。 ◆ 郷愁は哀愁の間違いではないかと思うのだが、それはいいとして、この川柳コンテストの受賞作にもうひとつ似たような趣向のものがあって、 ◇ その年の 記憶の鍵は ダービー馬 モノ忘れお父さん |
◆ 小谷野敦のブログにこんな記事。 ◇ 〔猫を償うに猫をもってせよ〕 佐々木倫子の 『動物のお医者さん』 (単行本は1989-94)は、当時私も楽しく読んだものだが、その中に、二十代後半と思しい院生の菱沼さんが、年下の男と恋愛関係になりそうな時、札幌オリンピックの主題歌で、トワ・エ・モワが歌った 「虹と雪のバラード」 を知っているかどうかを目安にするエピソードがあった。 ◆ 『動物のお医者さん』 の 「虹と雪のバラード」 のエピソード。 ◇ 札幌の歌も、例えば佐々木倫子 『動物のお医者さん』 で男子高校生に突然求愛された女子大学院生が、その男子が 「虹と雪のバラード」 を歌えないようでは私の相手にはなれない、と突き放す(or諦める)エピソードがあるように、この都市の幸福な過去のシンボルとして生き続けているようだ。 ◇ 1972年に開催された札幌オリンピックをご存知ですか? そのテーマソングが 『虹と雪のバラード』 (歌 トワ・エ・モア)です。といっても、どんな曲か私は知らないのですが。コミック 『動物のお医者さん』 (著 佐々木倫子)の中のあるエピソードに登場するので、名前だけは知っていました。昨夜、彼と話をしているとき、なぜか 『虹と雪のバラード』 の話になり、知らないという私に歌って聞かせてくれました。 ◇ 札幌オリンピックと言えば、トワ・エ・モアが歌った 「虹と雪のバラード」 が好きだった。希望と明るさと切なさの入り交じった曲だったように思う。佐々木規子の 「動物のお医者さん」 の中で、天然キャラの菱沼聖子が、彼女に憧れる高校生に 「虹と雪のバラード」 を歌えるかと、ジェネレーションギャップのネタにしていたのが笑えたなぁ・・・(笑)。 ◇ で、そんな私が、『オリンピック』 と言われて最初に思い浮かべたものは、『虹と雪のバラード』。『動物のお医者さん』 で、菱沼さんが、年齢判定のために某高校生に歌わせようとした、あの歌でございます。私自身、札幌オリンピックは、ジャネット・リンさんが活躍した大会だということくらいしか知らないのですが、(なんか、転倒知らずの彼女が本番で転んでしまって、その後のインタビューで、『転倒した時も、私が笑っていられたのは神様のおかげです』 とか何とかおっしゃったらしい)(ということを、竹宮恵子さんの 『ロンド・カプリチオーソ』 で読んだ)、正直な話、高校生だろうが小学生だろうが、札幌市民なら、あの名曲は知っていて当然だと思ってました、私。 ◇ ひさびさに 「動物のお医者さん」 を読んだら、前に読んだときはせいぜい終盤のハムテルと同年代くらいだったのに、いつの間にか菱沼さんの方が近くなっている。虹と雪のバラードは歌えないが。 ◇ 本を読んでいて音楽が出て来ると気になる。知ってる曲だとイメージしやすい。一つ気になっていた歌がある。「動物のお医者さん」 で菱沼さんが歌う 「虹と雪のバラード」。前後から札幌オリンピックのイメージソングだった事は分かる。札幌オリンピックは1972年。あたしが生まれるずっと前だ。知ってるはずもない(そのくせ違うのはたくさん知ってるがね)。その歌がTVでやっていたのよ。んとね~。知らない方が良かったかも。すごいパワフルな曲調を想像してたんだけど…。普通のフォークだったさ。だから耳リセットして聞かなかった事にします。笑 ◇ 「虹と雪のバラード」 トワエモア。北海道冬季オリンピックのテーマ。生きてないがな(笑)。なんで好きになったのかというと、すんごい曖昧な理由が最初で、大好きな漫画の動物のお医者さんの菱沼さんが雪に埋まってしまって助けを求めるシーンで 「あたしは北海道オリンピックのテーマ歌えるんだからね!」 というのがあって、レコードを探した(バカ)。レコードがやっと見つかったのは、其れから5年。途中、合唱でどうしてもやりたいと志願して、楽譜とかは手に入れたが、どうしても聴きたくて。テレビのなつかし系で流れたりはしてたんだけど。ちなみにゲットしたのは、北海道の穴場レコード屋(また行きたい)。 ◆ 『動物のお医者さん』 の 「虹と雪のバラード」 のエピソードにまつわる個々人のエピソードも数多くあることだろう。数年前、「虹と雪のバラード」 の歌碑が大倉山にできたらしい。 ◇ 〔Wikipedia〕 2005年9月、札幌オリンピックジャンプ競技の舞台となった大倉山ジャンプ競技場に、歌碑が設置された。除幕式にはトワ・エ・モワの2人も参加してこの歌を熱唱した。 ♪ 生まれかわるサッポロの地に ◆ 余談だが、冒頭の引用は 「もてない男」 の小谷野敦だった。 ◇ 〔やじうまWatch〕 ベストセラー 「もてない男」 で知られている、評論家の小谷野敦さんは、ネットでも活発に活躍されている。はてなダイアリー 「猫を償うに猫をもってせよ」 は頻繁に更新、「猫猫先生」 との愛称もある。 〔中略〕 その小谷野さんが4月に結婚したというニュースが、ネットを駆けめぐっていた。週刊新潮7月5日号154ページに、おふたりの写真入りで紹介されている。お相手は21歳も年下の東大院生とのことで、きっかけはブログとメールの、典型的なネット恋愛だったという。 ◆ 結婚相手が 「虹と雪のバラード」 を歌えるかどうかが、ほんのすこしばかり気にかかる。 |
◇ 旧制高校の寮では毎年寮歌を作成する伝統がありました。その伝統の中から生まれたのが 「嗚呼玉杯に花うけて(旧制一高)」・「紅萌ゆる(旧制三高)」・「都ぞ弥生(北大予科)」 で、これらは三大寮歌と呼ばれています。 ◇ 〔Wikipedia〕 三大寮歌 旧制一高 『嗚呼玉杯に花うけて』、旧制三高 『紅萌ゆる丘の花』、北大予科 『都ぞ弥生』 ◇ 旧制高校と寮歌は切っても切れない関係にありますが、三大寮歌といえば「嗚呼(ああ)玉杯(ぎょくはい)」 (一高)、「紅萌(くれないも)ゆる」 (三高)、「都ぞ弥生」 (北大予科)というのが定説です。 ◇ 〔北大寮歌祭〕 寮歌の中でも一番広く歌われている寮歌、明治四十五年度寮歌 「都ぞ弥生」 は、旧制第一高等学校寮歌 「嗚呼玉杯に」、旧制第三高等学校寮歌 「紅萌ゆる」 と共に日本三大寮歌と言われており、 ◆ 東大、京大、北大。選曲にかんしては、みな一致している。けれど、曲名には少々ぶれがある。東大(一高)は、「嗚呼玉杯」、「嗚呼玉杯に」、「嗚呼玉杯に花うけて」。京大(三高)は、「紅萌ゆる」、「紅萌ゆる丘の花」。考えてみると、これらの 「曲名」 は、もともと曲名として付けられた曲名ではなく、歌いだしの歌詞の一部なのだった。寮歌には、そもそもタイトルを付さない伝統があるようなのだった。《Wikipedia》 も 「寮歌の一覧」 を作成するにあたって、 ◇ 歌の題名として、原則として歌い出しの文句を挙げている。 ◆ つまりは、寮歌の曲名はどれもみな、「春のうららの」 式の、「インチピット」 (incipit)なのだった。 ◇ The incipit of a text, such as a poem, song, or book, is its first few words or opening line. Before the development of titles, texts were often referred to by their incipits. Incipit comes from the Latin for "it begins". ◆ なお、フランス語の “incipit”は、冒頭の数語(最初の一行)にとどまらず、冒頭の数文、数ページをも指すことがある(そうだ)。 ◇ Un incipit est le début d'un texte, en général d'un roman (du latin incipio, is, ere : « commencer »). / À l'origine, on désignait par ce titre la première phrase d'un roman, aussi nommée phrase-seuil. Il est cependant commun de nos jours de le considérer plutôt comme ayant une longueur variable. Il peut ne durer que quelques phrases, mais aussi plusieurs pages. |
◆ 7月になった。ラニーニャ現象(La Niña)とかで、今年の夏は暑いらしい。さて、どうなることだろう? ◇ 夏じゅうは団扇(うちわ)を使うのと、汗を拭くのとで、両手がふさがっていたから、原稿が書けなかった。 ◆ と、なんともスゴイ文章を書くひとがいたものである。原稿が書けないとどうなるか? ◇ それで見る見る内に身辺が不如意になり、御用聞や集金人の顔がささくれ立って来た。 ◆ そりゃそうだろう。で、しかたなしに百鬼園先生は原稿を書いたかというと、これが書かない。ではどうしたか? ◇ 仕事をする時候ではないけれど、お金はいるので、錬金術を行う事にした。 ◆ 錬金術とはなんのことかというと、 ◇ 原稿料の前借りをしたり、印税の先払いをして貰ったりした。 ◆ それで、こと足りたのかというと、 ◇ しかしそうして心を千千(ちぢ)に砕いて見ても、矢っ張り足りない。 ◆ ふと、「アリとキリギリス」 の物語を思い出して、ちょっと考える。 ◇ 〔Wikipedia〕 夏の間、アリたちは冬の間の食料をためるために働き続け、キリギリスは歌を歌って遊び、働かない。やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、アリたちに頼んで、食べ物を分けてもらおうとするが、「夏には歌ってたんだから、冬には踊ったらどうだ?」 と断られる。 ◆ ワタシにはなんの(錬金術師的)才能もないので、いまさらキリギリスに憧れたりはしない。働きアリでもいいけど、ただ夏と冬を取り換えてほしい。アリだって一年中働いていたわけではない。冬になったら、死にものぐるいで働くから、とりあえず夏はひと休みしたいなあ。とまあ、そんなことを暑い夏が来る前に思ってみたのでした。やれやれ。 ♪ 夏が来る きっと夏は来る 頑張ってるんだから絶対来る ◆ 来なくていいよ! |
◇ 名刺と定期とテレビ。これまで一度も持たなかった。たぶん一生、持たずに終わるだろう。 ◆ これを書いたのが元東京大学文学部教授のドイツ文学者であるからといって、ことさら驚いてみせたりするのは、たとえば名刺がいらない理由として、 ◇ 人とのまじわりは肩書きで始まったり続いたりしないものだ。 ◆ と、ごくふつうに綴ることができる著者に、自分がいかにも俗物であることを思い知らされるようで、あまり気分のいいものではないけれど、正直なところ、不意打ちのように驚いた。でも、考えてみれば、ワタシも似たようなもので、いまのところ、名刺も定期もテレビもない。 ◆ 名刺についても定期についても、それらを必要とするような環境にいないので、これまであまり考えたことがなかった。考えてみると、あれこれおもしろいように思うけれども、長くなりそうなので、やめておく。 |
◇ タマネギでも切ってみようか。いや、タマネギはよそう。タマネギを刻むと涙が出る。なにも料理見習いのはじめから涙を流すことはないではないか(私はタマネギを刻むときには水泳用のゴーグルをしてマナ板に向かうことにしているが)。 ◆ そう、タマネギを包丁で切ると涙が出る。たしかにワタシにもそんな経験がある。けれど、それも遠いむかしのハナシだ。近年はダラクした生活にもずいぶん磨きがかかってきて、自分で調理をすることもほとんどなくなった。週に一度、火曜日、ヘルパーとして車椅子のKさん宅にお邪魔して晩御飯を作るとき以外は、包丁を握ることもなくなった。とはいえ、週に一度とはいえ、タマネギは、いつでも冷蔵庫に残されているものだから、ほぼ毎週、包丁で切っている。今週も切って、カレーに入れた。でも、涙が出ない。先週も、先々週も。ワタシの涙は、自堕落な生活の果てに、もう涸れはててしまったのだろうか? ♪ 今はこんなに悲しくて ◆ そう思うと、ちょっと悲しい。などと、とってつけたような感傷にひたっていたら、おともだちののんちゃんからメールが来た。 ◇ 玉ねぎね。コンタクトをしてたら涙はでません。うっかりメガネで玉ねぎ切って滝の様に涙が出て慌ててコンタクトを着けた事があります。(笑) ◆ そういえば、ワタシもコンタクトレンズをしているのだった。つまりは意識することなく、いつも 「ゴーグル」 をしてタマネギを切っていたのだった。なんだ、そうだったのか。 |
◇ 友人と草むらにすわって、「最近はめったに蛇を見ないね」 「うん、昔はどこの家にも家の主の青大将がいたな」 「そうそう、蚊帳の上へどさっと落ちてきたりした」 などと話していた。その時、近くにいた子供が 「おっちゃん、蛇!」 と叫んだ。「うわあっ」 と立ち上がったら、私たちのすわっていた場所をシマヘビがするすると通り過ぎた。 ◆ こんなこともあるのである。 ![]() ![]() ![]() ◆ 先月、ワタシも似たような経験をした。6月10日、北海道・然別湖。朝、車椅子のKさんと湖畔を散歩していると、ちょっと変わったデザインのマンホールの蓋があったので、よく見ると、輪になったヘビが(輪のなかにはクチビル山とオショロコマ、輪の右の切れ目には女神)描かれている。なんでも当地には白蛇姫伝説なるものがあるらしい、ということを後日知ったけれども、そのときはそんなことは知らないから、「なんでヘビかなあ?」 と思って、しげしげとそのマンホールの蓋に見入っていたら、背後から 「ヘビ、ヘビ!」 と子どもの声がした。振り返ると、湖へと下りる階段わきの草地(左の写真の左下の緑の部分)を指さして、お母さんに説明している子どもがいた。「ほら、あそこに、ヘビがいるよ!」。ワタシもそのヘビを見ようと、あわてて駆け寄って、しばらく探してみたが、残念ながら見つからなかった。あきらめて、Kさんの元へと戻ったときに、あらためて気がついた。Kさんの胸元にヘビがいた。KさんはヘビのデザインのTシャツを着ていたのだった。Kさんがヘビの化身のような気がした。 ◆ ついでに、上の左の写真の湖の背後の山が、マンホールの蓋に描かれたのと同じクチビル山。然別湖のある 《鹿追町》 のホームページを見ると、ちょうど先日、 ◇ 7月7日、「第36回白蛇姫まつり」 (町観光協会主催)が然別湖畔で行われました。昔大凶作に苦しんだアイヌの人々を、姫と白蛇がオショロコマの生息する然別湖へ導き飢餓から救った、というのが白蛇姫伝説。まつりは、船に乗った白蛇が湖の沖から現れ、岸に上がり会場へ移動。多くの観光客が見つめる中、幻想的な舞で白蛇姫伝説を表現しました。 ◆ 白蛇姫伝説については、「白蛇姫物語」 をどうぞ。 |
♪ 涙など見せない 強気なあなたを ◆ いや、誰のせいでもないんだ。じつは、タマネギ・・・。タマネギを切るときに泣かないですむ方法のひとつが、(ワタシが知らずに実践していた)コンタクトレンズ装着だった。 ◇ 最近メガネで1日中過ごすことがあります。特に不便は感じないのですが、唯一困るのがタマネギでした。そもそもコンタクトレンズを使い始めたのが早かったため、裸眼でタマネギを切ったことがあまり無かったのです。だから自分はタマネギを切ってもあまり目にしみない人だと思ってました。でもコンタクトレンズなんて、黒目の部分にくっついてるだけなのに、それだけでこんなに違うとはびっくりだね。 ◇ 〔八ヶ岳Honda菜園:秋なすは私が喰う!〕 〕 「目が痛い~」 ◇ 玉ねぎ切るために、その日してなかったコンタクトレンズを装着。そして、包丁で1mm以下の薄さに頑張った! ◆ もちろん、ほかにもいろんな方法がある。《Yahoo!知恵袋》 には、こんな質問。 ◇ たまねぎを涙を流さずに切る方法はありませんか。みじん切りをする時、もっと細かくしようと思っていても、涙に負けて途中でやめてしまい、ちっともみじん切りにできません。5個くらいをみじん切りにしても平気でいられる方法を知りたいです。 ◆ 「ちっともみじん切りにできません」 というあたりがとってもかわいい。また、《教えて!goo》 には、こんな質問。 ◇ 玉ねぎをスライスする時に涙がでない方法ってありませんか? 3月から、ピザ屋でバイトを始めたのですが、玉ねぎを切る時に本当に困っています。私は、泣くと黒い涙(化粧のため)が出てしまうし、アイプチもやっているので、泣くと、とんでもないことになってしまうのです。お店の仲間から、少しの間、皮をむいた玉ねぎを、水に浸しておくといいよ、と教わったのですが、それでもやっぱりだめなんです。今は、少しでも避けられるように、めがね着用でやっています。なにかいい方法をお持ちの方、よろしくお願い致します。 ◆ アイプチってなんだろう? それはさておき、 ◇ 〔Wikipedia〕 タマネギを切ると涙が出る理由はタマネギに硫化アリルが含まれているからである。タマネギを切ったとき、硫化アリルが気化し、目・鼻の粘膜を刺激するため涙がでる。防ぐにはゴーグルのようなもので目を覆ったり、鼻をつまんだりするのが良い。また他の方法として水につけながら切ると硫化アリルが水に溶けて気化しなくなる。また、あらかじめ冷蔵庫で数時間冷やしておくのも良い。反対に電子レンジで加熱することでも硫化アリルの効果を弱められる。 ◇ 〔東京ガス:住まいと暮らしの便利帖〕 タマネギを冷蔵庫で冷やしてから切ると、目の粘膜を刺激するアリシンの気化力が弱まり泣かずにすみます。包丁のほうを冷やして使ってもOKです。包丁は、よく切れるものを使いましょう。また、皮をむく前に電子レンジで20秒ほど加熱しても効果があります。 ◆ いろんな方法があるものだ。以下、目についた方法を適当にまとめると、
◆ と、こんなところだろうか。さて、効果のほどはどうだろう? 効くかもしれないし、効かないかもしれないが、とりあえずは、気楽に鼻歌でも歌いながら、包丁を持って・・・、 ♪ 泣けることもあるけど |
◆ タマネギを切るときに涙が出るのは、もちろん日本人ばかりではない。アメリカ人(かどうかはよくわからないが)でも涙を流す。 ◇ Grandma always held a silver spoon in her mouth while peeling onions. I tried it and it worked! ◇ Y: My grandmother used to tell me that chewing a piece of bread helps prevent tears. ◆ 以下、英語の勉強。sulfur compounds 硫黄化合物。enzyme 酵素。 ◇ 〔Cyberend - Why onions make us cry〕 Some people suggest putting the onion in the fridge or the freezer for a few minutes because the cold decreases the speed of the chemical reaction. Another tip is to slice the area around the root of the onion last. Why? Because there are more sulfur compounds in the onion root. ◇ 〔FunQA.com - Why does onion make you cry?〕 〕 If you want to prevent crying when you cut onions, there are a few things you can do. One is to cut the onion under a stream of cold water. The sulfur compounds dissolve in water so they will be rinsed down the sink and not be able to get into you eyes. Another way to prevent crying is to put the onion in the freezer for 10-15 minutes before you cut it. Cold temperatures slow down the reaction between the enzyme and the sulfur compounds so fewer of the burning molecules can reach your eyes. ◇ 〔The Milwaukee Journal Sentinel〕 There are ways to keep eyes dry and pain-free when chopping onions. Chilling the onion in the fridge makes its chemicals less active. Peeling or chopping an onion under running water washes stinging chemicals right down the drain. ◆ もっと英語の勉強がしたい人は、以下のサイトも参考に。 《wikiHow : How to Slice an Onion Without Crying》 ◆ また、涙の出ないタマネギ(no-tears onion)の記事も興味深い。 《BBC NEWS : No tears over new onion》 ◆ 英語圏ではない地域のタマネギの涙のハナシも調べたくなるけれど、ちょっと余裕がない。 |
◆ 数日前、ヘビのハナシを書いて、パリッシーのことを思い出した。 ◇ 〔Wikipedia〕 ベルナール・パリッシー(Bernard Palissy, 1510年頃 - 1590年)は、フランス・ルネサンス期に活躍した陶工である。ガラス工として各地を遍歴。ガラス工の需要が少なく、測量の仕事に従事した後、独力で釉陶の研究に取り組んだ。貧困の中、家具や床板まで燃料にして研究を続けたというエピソードがある。15年ほどかかってようやく技法を完成し、「田園風土器」 として人々に知られるようになった。 ◆ この 「田園風土器(陶器)」 にヘビがいる。 ◇ 〔物語 錬金術師たち〕 パリッシーと聞けば、西洋陶器に詳しい方ならグロテスクな、カエルやヘビ、イモリ、カタツムリといった爬虫類他をメインに据えたいささか気味の悪い皿や壷など思い浮かべることだろう。女性に嫌われそうなモチーフばかり選んだようで、何かコンプレックスでもあったのかと勘ぐりたくなるが、これはパリッシーの自然指向による。 ◆ この 「いささか気味の悪い皿」 の一枚がルーヴル美術館にあって、その 「解説」 が日本語で読める。
◆ 「小動物(魚、トカゲ、カエル、ザリガニ)、貝殻、植物」 とあって、ヘビが抜け落ちているのはどうしたことだろう。皿の中央に堂々とうねっているというのに。 ◆ 以下、各地の美術館のサイトから(といっても、ほとんどアメリカばかりになってしまったが)、パリッシーの作品を拾い上げてみた。ここにも、ここにも、ヘビがいる。
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◆ たまたまネットでこんな芸能記事を読んだからいけない。 ◇ 〔サンケイスポーツ〕 歌手、鈴木亜美(25)が、8月22日発売の新曲「FREE FREE/SUPER MUSIC MAKER」 のジャケット写真とプロモーションビデオ(PV)で披露するセクシーカットを13日、サンケイスポーツが独占入手した。背中が大きく開いたキャミソールに超ミニスカ姿の亜美が、七色の電飾ボックスの中で仰け反ったり、両足を大胆に開いたりとセクシーダンスに挑戦した衝撃的なものばかり。亜美が暑い夏をさらに熱くしそうだ。 〔中略〕 PVでは、テクノ調のダンスミュージックに合わせて、7色の電飾ボックスに閉じこめられた亜美が、露出の高い衣装でポールダンスさながらのセクシーダンスを披露。いすを手に持ち体をのけ反ったり、ビックリするほどの大また開きでセクシーポーズを連発するなど、今までの楽曲にはない過激な仕上がりだ。 ◆ いつの間にやら 「鈴木あみ」 が 「鈴木亜美」 になっていて、アミーゴといえば(もういわないのかもしれないが)、かつてNHKで主演の連続ドラマを見た記憶があるが、あれはいつのことだったのか? と思って調べると、すぐにわかって、タイトルが 『深く潜れ~八犬伝2001~』、 ◇ 〔Wikipedia〕 BS2では2000年10月3日~10月14日に集中放送された。NHK総合(地上波)では、2000年10月3日~12月12日(12月5日は休止)の毎週火曜日23時「ドラマDモード」枠で放送された。全10回。現在は上陸禁止である、長崎県長崎市の端島(通称・軍艦島)にて撮影が行われた。 ◆ 全10回のうちのほとんどを見たような記憶があるが(とてもキレイな映像だった)、それをどこで見たかの記憶がない。ウチにはひさしくテレビがない。そのころは、あったのだろうか? それともだれか他人の部屋で見たのだったろうか? 2000年10月3日から12月12日まで、毎週火曜日23時に、ワタシはいったいどこにいたのだろう? まったく思い出せない。なんとも頼りない記憶である。その点、このサイトで 「PhotoDiary」 をつけ始めて以降については、日々の記憶を写真が補完(保管?)してくれるから、写真がウソをつかないかぎりは、かなり正確に再現できる(と思う、いやどうかな?)。 ◆ ハナシがあらぬ方向へと大きく逸れている。なにを思って冒頭の芸能ニュースを引用したのかというと、「ビックリするほどの大また開き」、これがなんとも気になったからで、「ビックリするほどの大また開き」 とはいったいどのような姿態のことなのだろう? このコトバから、ワタシにははっきりとしたイメージが浮かんでこない。だから、ビックリすることもできないでいて、それがもどかしい。そもそも 「大股開き」 とはなんなのだ? ◆ 長くなりそうなので、「大股開き」 については、次回に回すことにして、先の連続ドラマを見たのは、やっぱりウチだったような気がしてきた。そのころはまだテレビがあったのだろう。実のところ、今だってウチ(アパート)にテレビはある。押入れにしまってある。だから、ないのも同然なのだが、そのころはまだ押入れにしまってなかったのだろう。ああ、そういえば、このパソコンのモニターがあるところにテレビはあったのだった。パソコンを手に入れて、場所がないので、テレビと置き換えたのだった。パソコンでネットを始めたのが、メールの記録を参考にすれば、2002年の1月のようだから、2000年の年末ぐらいには、やっぱりまだテレビがあったのだろう。いやはや、思い出すというのは(ワタシには)じつにたいへんなことであるなあ、とつくづくそう思った次第。 |
◆ 「天気の話」を書いたら、ユーミンの 「悲しいほどお天気」 を思い出した。 ♪ いつまでも ◆ この歌詞はちょっと複雑で、悲しいほどお天気の青空は、個展の案内ハガキをくれたかつての美大の仲間が描いた風景画のなかにあるのかもしれないし、その仲間がむかし学生時代に描いた風景画のなかにあったのかもしれない。また、絵のなかの青空であるにとどまらず、仲間たちと過ごした青春時代の思い出の青空であるかもしれず、あるいは、なつかしい日々をふと思い出させた今日の青空であるかもしれない。それにしても、「悲しいほど」 のお天気とはどんなだろう。 ◇ 朝、雨戸を開けたら、まぶしい太陽が燦々と輝いていました。真っ青な空。そして何故か、突然の脱力感。ユーミンの歌に「悲しいほどお天気」というのがあります。聴いたことがないので、内容はわかりませんが、自分の心境と、歌のタイトルだけが妙にオーバーラップしました。 ◆ 悲しみは人それぞれで、お天気もそれぞれだろうけれど、たしかに「悲しいほどお天気」というのにふさわしい日があって、それは「悲しみ」という心の琴線に触れている以上、当たり障りのない「営業トーク」のお天気話ではおさまりきらないだろう。
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◆ 「二人のイギリス人が出会うと、まず天気の話を始める」 と、ジョンソン博士は言った。 ◇ It is commonly observed, that when two Englishmen meet, their first talk is of the weather; they are in haste to tell each other, what each must already know, that it is hot or cold, bright or cloudy, windy or calm. ◆ イギリス人はいつでも天気の話をしているそうだ。 ◇ 〔All About:ロンドンで暮らす〕 「イギリス人はよく天気の話をする」……これはよく言われることですね。確かにイギリスでは、会話のきっかけとして、よく天気の話題が出ます。知り合いはもちろん、バス停で隣に立った人なんかとも 「今日はいいお天気ですね」 「雨ばかりで憂鬱ですね」 なんて一言から会話がスタートします。ただし、ここで注意しなくてはならないのは 「天気の話しは、単にキッカケであって、意味のあるものではない」 ということ。「寒いですね~」 と話しかけられたら、いくらあなたがそう思ってなくても 「そうですね~」 と返すのがお約束です。もし 「いや、昨日よりは暖かいですよ」 なんて反論してしまったら、相手は驚いてしまうこと間違いなしです。 ◆ イギリス人の国民性の実際についてはほとんど知るところがないので、どうして天気の話をするのが好きなのかはわからないが、上記の引用の 「単にキッカケであって、意味のあるものではない」 という箇所を読むと、やっぱり 「営業トーク」 の一種にすぎないのか、とちょっとがっかりもする。 ◆ イギリス人の国民性と天気の話の関連については、《Icons of England:Just Making Conversation》 に多少詳しくまとめられているので参考になったが、そこでも、 ◇ 〔Icons of England〕 There are rules to weather-related conversations, however. All writers on the subject agree that you must never contradict anybody when discussing the weather, as this would be very bad etiquette. Even if it is snowing outside and someone says, “Nice weather, isn’t it?” you must reply, “Yes, it is!” ◆ と似たようなことが書いてある。「外は雪でも、いい天気ですね、と言われたら、そうですね、と応えなければならない」。それがエチケットであるそうだ。これではつまらない。 ◆ イギリスは雨が多い(ところが多い)そうだ。 ◇ 神鞭〔常泰〕 英国あたりでもお天気のことはよく云いますね。ブライト・サンシャインなどと云うと大騒ぎだし、田舎へ帰る奴を霧のシーズンにロンドンから送る時に、「太陽に会ったらよろしく」 なんて云うのはいいね。 ◆ いいね。そういえば、東京もここしばらく太陽が姿を見せない。 |
◆ 天気のハナシばかり書いているが、まだ飽きないので、もうひとつ。 ◆ あの日の天気をあなたは憶えているだろうか? たとえば、1945年8月15日。 ◇ 〔MSN毎日インタラクティブ:東京彩人記 反戦と平和テーマ「日本の青空」監督・大澤豊さん〕 僕はね、敗戦のとき10歳だった。群馬県の高崎という地方都市ですが、空襲が毎晩あって逃げ惑った。玉音放送のことは、リヤカーを引いておふくろの着物を農家で食べ物に換えた帰りに知った。「戦争が終わった」と大人たちが言い、そのときに空を見たら、確かに米軍の飛行機が飛んでいない。8月15日は抜けるように空が青かった。それで映画のタイトルも「日本の青空」にした。 ◇ 〔JanJan:松岡陽子マックレインのアメリカ報告〕 1945年8月15日、私達津田塾専門学校(現津田塾大学)の学生は、屋内体操場がその1年半ほど前に早変わりした学校工場で戦闘機のピストンを作っていたが、間もなく校庭に呼びだされ、敗戦を知った。今でも青空の下で玉音放送を聞いた日が忘れられない。 ◇ 〔明和会:あの日あの時私の昭和20年8月15日(大坪禎夫)〕 あの八月十五日、私達家族は信州松本郊外の山村にいた。青空が拡がり、高原特有の空気が澄み、爽やかな日であった。何故かその日の情景は今でもはっきりと思い浮かべることが出来る。 ◇ 八月十五日、空はぎらぎらと晴れあがり、盛夏という言葉がぴったりする暑い日であった。 ◆ あの日、日本の多くは晴れていた。抜けるような青空が、ひとびとを悲しくさせたか嬉しくさせたか、それはわからない。もしかすると、喜びあるいは悲しみが、空の青にいっそうの彩度を加えたのかもしれない。 ◆ 写真の用語で、「記憶色」というコトバがある。 ◇ 〔ASCII24〕 人の色の記憶は、その色の特徴を誇張して憶える傾向がある。特に顕著なのが、青や赤、緑など原色系で、たとえば晴れた空や澄んだ海の青、夕景や紅葉に色づいた木々の赤色、森の緑などで、これらは実際よりも鮮やかな色として記憶される。ただ、これはあくまでも記憶の中の色、つまり記憶色であって、実際の色とは異なっている。風景を写真で撮ると、実際よりもくすんだ色のように感じるのは、この記憶色と実際の色に差があるためだ。 ◇ たとえば、撮影者が綺麗な「南国の青い空とエメラルドグリーンの海」に感動して写真を撮ったとします。その時、撮影者には感動という主観が加わる事でより誇張された青い空とエメラルドグリーンの海が脳に記憶されるのです。もし、その時撮影された写真が実際のものにより近い色で再現されると、ほぼ例外なく「この写真は、なんか違う。全然感動が伝わって来ない」とガッカリするのです。そこで、青や緑を誇張(彩度を上げ、コントラストを強調)すると「まさにこの写真のような青い空とエメラルドグリーンの海だった!」と感動的な記憶が蘇るのです。”記憶色”とはこのように作られた嘘の色なのです。 ◆ 嘘の色かもしれない。だが、人は機械(カメラ)ではないのだから、なんの感情もなしになにかを注視することなどできはしない。それが、なにげなく見上げた空であっても。 ◆ というわけで、ワタシの「PhotoDiary」の写真の色も、多くの場合、彩度とコントラストを調整している。それはともかく、あたりまえだが、1945年8月15日の青空をワタシは見ることができない。セピア色の記憶などというけれど(そんなものがほんとうにあるのだろうか?)、記憶そのものがないので、色褪せることもない。ワタシの想像上の8月15日の青空はあくまでも澄み切った青だ。 |
◆ あの日の天気をあなたは知っているだろうか? たとえば、あなたの生まれた日の天気。 ◆ 天気の話をあれこれ検索していて、すてきな文章に出会った。 ◇ 生まれた日の天気の話ってのは、力をくれる。雨でも雪でもくもりでも、どんな空の日に、母が頑張り、周囲が支え、自分やみんなが生まれてきたのか、想像すると涙がでたり、穏やかなキモチになる。子どもが生まれたらその日の天気のことを書いておこうと思ってた。大きくなって、これを読めるようになったら、自分やほかの誰かが生まれた日のことを想像してみてホシイ。ソレはすごく大切なことを教えてくれると思う。 ◆ ワタシは自分が生まれた日の天気を知らない(さらには、生まれた時刻も、生まれた病院も知らない)。今度、実家に帰ったら、少々恥ずかしい気もするが、尋ねてみることにしよう。でも、母も父も、憶えてなかったらどうしよう? |