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◆ また、コブクロ。アラ探しをしているつもりはないのだが、目につき、耳につく歌詞が多すぎる。「どんな空でも」という歌があって、 ♪ いつしか晴れるよ どんな空でも ◆ の「いつしか」というコトバの意味はというと、 ◇ コブクロの曲で一番好きな曲です。移り変わる空が好きだし、「いつかはどんなことでもうまくいく」って教えてくれました。そして「信じる」ということ、思い出せた歌です。最高に良い曲です。オススメ度No.1!! ◇ この歌のように、いつかは私の空も晴れるかな? ◇ “いつしか、晴れるよ” そんな素朴なコトバが、最後にすごく胸に響きました。「降り注ぐ現実の雨に打たれない夢などない」というのは、小渕さんの歌詞にある一節なのですが、今日ここに来ていた、現実を生きている全ての人に、「夢」だとか「希望」だとか、そういう大事なものを思い出させてくれるライブだったように思います。もし、冷たい雨に打たれていたって、きっといつか晴れる日が来る。それだけで、希望を持っていられる。 ◇ ラストに武道館の全員で熱唱した『どんな空でも』。今日のような雨空も、いつかは晴れる。傷ついて落ち込んだ心も、いつかは癒されて、青空のような清清しい気持ちになれる・・。コブクロの曲には、いつも勇気と元気をもらっているような気がします^^ ◇ そんな時に出会った歌。コブクロの「どんな空でも」です。人と出会えることが幸せ、そしてみんな同じ空の下で光を分け合ってる。どんな空でもいつかは晴れる。 ◇ あたしのこの気持ちも、いつか晴れるかなあ... ◇ 『いつしか晴れるよ どんな空も~』 いろいろ悩んだりすることもあるんだけど、いつかはそんな悩みも晴れるって言ってくれてる気がして、元気になれる。そんな気がする。 ◇ 「いつしか、晴れるよ、どんな空でも」 コブクロの唄で、こんな歌詞の歌があった。そう信じて。いつか晴れるであろうこの空を信じて、そして晴れたらそれに感謝して・・・ ◆ というように、多くのひとが「いつか(は)」の意味で理解しているようだ。「いつしか」と「いつかは」は同じだろうか? 同じだというなら、それはそれでかまわない(実際のところ、作詞者も「いつかは」の意味で「いつしか」と書いたのでは、と勝手に推測)。同じ歌で、 ♪ 僕等はおんなじ 言葉をもってる ◆ とも歌っているから、べつに気にするひともいないのだろう。けれど、ワタシはどうやら「おんなじ言葉」をもってはいないようなので、辞書を引くことにする。さいわい「いつしか」は辞書にも載っていて、 ◇ いつしか 【何時しか】 いつの間にか。 ♪ いつしか年も、すぎの戸を ◆ ああ、もう3月。卒業の季節。またサクラの歌が流行るのだろうか? |
♪ さぁ、次のページをめくろう。空白だらけの道を。 ◆ 次のページも、コブクロから始まる。「粉雪に濡れた未来」とは、どんな未来かを努力してイメージしてみた。その結果、地球温暖化というやっかいなテーマに行き当たった(それ以外のイメージは一切思い描くことができなかった)。地球温暖化が進行し、粉雪の降る地域の気温も上昇して、本来なら地上で融けはしないはずの粉雪が、もはや粉雪とは呼べないくらいにぶざまな姿に変わってしまい、哀しみの涙でアスファルトの路面を濡らす・・・。「粉雪に濡れた未来」、なかなかいい曲ができそうだ・・・。いや、タイトルは「粉雪も濡れる街角」にしたほうが・・・。レミオロメンの「粉雪」は『1リットルの涙』というテレビドラマの主題歌だったそうだが、それに倣って、「粉雪の涙」ってのも・・・。 ◆ と、バカなことを考えるのはこのへんでやめにして、粉雪の絵空事のイメージよりも、リアルで美しい(と思う)イメージを引用してみよう。そのほうが、精神衛生上、はるかによい(あなたにも、そうでありますように)。 ◇ 氷点下の空から舞い降りる、まるで羽毛の様な、純白の結晶。それは地表に降り積もり、空気をたっぷりと包み込んだ、厚い層となる。踏みしめるたび、音がする。― キュッ、キュッ、と。こんな粉雪を、『鳴き雪』と表現する人がいました。 ◇ また、雪は鳴く。カーンと冷えた日の雪は、踏みこむとギュ、キュッ、ミシッと音がする。まさに雪が鳴いている。そういう日は、身も気も引き締まる。鼻水も出る(笑) ◇ 雪国に暮らす人ならば当然知っていると思いますが。雪もこの鳴き砂のように、踏むとギュッとかキュッとかいう音を出します。つまり、雪も鳴くのである。 ◇ 雪も音を奏でます。「サクサク」というのは、氷点下でも、まだ温度が高い場合で、雪質も氷状の場合が多いようです。氷点下10℃位でしょうか?もっと低いかもしれません。粉雪を踏みしめると、まるで鳴き砂のように「キュッ、キュッ」と音がする場合があります。明日は、氷点下8℃の予報。鳴るか鳴らぬか確かめてみます。 ◇ 冷え込んだ朝はー15℃にはなります。ここまで冷え込むとブーツでゲレンデを歩くと「キュッ キュッ」といい音がします。これを「鳴き雪」と呼んでます。 ◇ 雪はねをしていない場所は、早くも30cm積もってブーツはすっぽり。踏みしめるとキュッと鳴ります。埋まった足を上げ歩みを進めると、ブーツについた雪はさらさらと足跡の前に落ちます。こんな雪では滑ることもありません。 ◇ それにしても、釧路の雪は重いです。中標津の雪は、パウダースノーで、歩くとキュッ、キュッと鳴きました。こちらの雪は、サクサク、ザクザク。玄関前を除雪しましたが、重たかったです。 ◇ 鳴き砂ならぬ鳴き雪現象が起きます。湿度が無く物凄く冷えた朝に降ったばかりの雪の上を歩くと「キュッ・キュッ」てね。 ◇ 粉雪の積もった道は、足を下ろす度にキュッと音がする。懐中電灯は持っていない。雪の鳴く音がやみのなかに溶け込んでいく。 ◇ ポケットにしっかりと手を突っ込み雪に閉ざされいつもよりひっそりと静まり返った通りをトボトボと歩きだす。道を埋め尽くす白い絨毯を踏みしめるたび、鳴き砂ならぬ鳴き雪が「キュッ、キュッ」と小気味よい音を立てる。傘はいらない。肩に降り積もる雪は手で払えばいい。 ◆ こうして、他人が書いた粉雪の「キュッ、キュッ」という音を聞くだけで、ワタシも胸もキュンとなる。 |
◇ 空は低く鼠色。 ◆ おともだちの monicca さんの、 ◇ 二月の空はねずみ色がつづきます。 ◆ という一文を読んで、「ねずみ色」というコトバをひさしぶりに聞いた気がした。monicca さんが「灰色」でもなく「グレー」でもなく「ねずみ色」と書いたのが、選択の結果であったのかどうかは、わからない。自分でも、白と黒の中間の色を指し示すのに、どのコトバを使っているのか、はっきりしない。なつかしく思えたくらいだから、「ねずみ色」というコトバはあまり使っていないようにも思うが、あるいは、知らず知らずまだ使っているかもしれない。 ◇ たとえば、色の名称について考えてみよう。最近「ねずみ色」という名称をあまり聞かなくなった。そもそもネズミと縁遠くなった現代生活にその根本原因があると思われるが、もうひとつの要因はグレーの侵入である。 ◇ ねずみ色ってどんな色? 聞かれたら '灰色' と答える人がほとんどだと思います。じゃあ、実際にねずみはねずみ色してましたか? 聞かれたら、首をかしげるんではないでしょうか? あたしの家にもねずみが現われ、何度か目撃したことあります。こげ茶色でした。 ◆ はは、こげ茶色でしたか。 ◇ 実はわたしは "ねずみ色" のねずみを見たことがありません。ハムスターは黄色っぽいし・・・。 ◇ そう言えば、昔、グレーのことをねずみ色と言って、笑われました。幼稚園支給のクレヨンにそう書いてあったのに…。灰色と言ってまだ笑われたり。ねずみも灰も最近はあんまり見ないですもんね。 ◇ 友達:「この色のスカートどう?」 私:「ねずみ色だから、上はどんな色でも合いそうでいいね~。」 友達:「ねずみ色・・・。グレーって言ってよ・・・。」 それから服に使われる色は横文字で言うようにしましたよ。
◇ アニメ1,2,3期(1960年後半、1970年後半、1980年後半)はねずみ男の服はねずみ色に近いものでした。しかしアニメ4,5期(1990年後半、2000年後半《現在放送中》)ではねずみ男の服は黄土色に近いものになりました。昔から鬼太郎を見ていた人は「ねずみ男の服はねずみ色」というイメージがあるのかもしれませんね。今の子供たちは「ねずみ男の服は黄土色」というイメージが定着しています。ちなみに、原作のカラーイラストは全て黄土色になっています。〔回答日時:2007/7/27 19:59:04〕 ◆ なるほど。 |
◆ おともだちの霧さんが、昭和17年発行、定価1円80銭の古本を買った、というハナシを書いている。 ◇ 〔・・・〕 表紙を開くと、「I.Nonaka Jan.4.1943.」 の筆記体の万年筆文字。誰かがその文字を消しゴムで消そうとした跡まではっきり残っていた。内表紙には 「野中蔵書」 の角印と丸印、奥付の前のページには 「2603,1gt 10 2605,9gt 29」 の鉛筆文字。今となっては、何を表す数字か知りようもない。 ◆ 「2603,1gt 10 2605,9gt 29」という数字、いささか暗号めいてはいるけれど、ある年代以上の方には、なじみのある数字であるかもしれない。「gt」は「月(GaTu)」だろう。もっとも、こんな表記をするのは、少数のインテリぐらいだったろうが。皇紀2603年1月10日~皇紀2605年9月29日。元号にすれば、昭和18年1月10日~昭和20年9月29日。読了はすでに終戦後。 ◇ そういう人たちの中で、1940年生まれの方が二人いた。その一人、Kさんの近況報告の中で、「私は皇紀2600年生まれです」と言われた。神武天皇が生まれた時を元年とする数え方だということはすぐ分かったが、恥ずかしながら、“皇紀○○年”という言い方を知らなかった。 ◇ 皇紀二千六百年(昭和15年)に開催が予定されていたオリンピックは、日中戦争の影響で中止になり、「幻の東京オリンピック」と言われた。私が生まれたのはこの年で、就学は敗戦の翌々年だった。だから戦前、歴史の教科書に使われた「皇紀」の年号には全く馴染みはない。しかし偶々皇紀2600年の節目の年に生まれたという事だけは強く記憶に残り、少々気になる追憶になっている。 ◇ 「皇紀二千六百年、聖戦四年目、八紘一宇の有難き国家に生まれし事を喜び、且つ長男なるにより真中の二字をとり男の呼名郎を付け紘一郎と名付く」。 ◆ 直前の引用は建築家・兼松紘一郎さんのブログ《日々・from an architect》から。「生きること」というカテゴリーに収められた一連の文章は、これをタダで読んでしまっていいのかと思わせるくらい、読みごたえがあった。ぜひ一読を。
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◆ ブックオフで105円で買った文庫本。めずらしく線を引きながら読んだ。 ◇ 記憶を不思議がる人は多い。そもそも「覚えている」というのは、どういうことか。 |
◆ 先日、映画『マンマ・ミーア!』を観たばかりで、ABBA の「スーパー・トゥルーパー」の調べにのせて、♪ウ~パ~、ル~パ~。『週刊文春』にこんな記事。「かつての超人気者ウーパールーパーが今度は食用になる!?」。 ◇ 八〇年代のテレビCMなどに登場し愛くるしい姿で一世を風靡したウーパールーパーが、まったく違うかたちで再び脚光を浴びようとしている。/ 「ウーパールーパーを食用として国内と中国に出荷する計画です」(日本生物教材研究センター社長・林孝之氏)/ 同センターでは、もともとウーパールーパーをペット用として飼育・養殖してきたが、ブームが去ったことによって「食用」という新たな利用方法を考案している。/ 「中国向けは乾燥品、国内向けには生のまま出荷する予定で、すでに数社から取り引きの問い合わせが来ています」(同前)/ ウーパールーパーは学名をアンブリストマメキシカナムといい、サンショウウオの一種。メキシコのごく一部の湖でしか見られない珍しい種で、絶滅危惧種としてワシントン条約で輸出が禁止されているほど。そんなものを食べてもいいの? / 「日本で流通しているウーパールーパーはワシントン条約以前に輸入された個体を国内で繁殖させたもので、法的には問題ありません。メキシコでは昔から不老長寿をもたらすとして食用にされてきましたので、さほど驚くことではありません」(ウーパールーパー専門店「うぱ屋正三郎商店」代表ミウラヒロフミさん)/ ウーパールーパーは幼生の姿のまま成体になってしまう不思議な生き物。顔の左右から飛び出しているエラが幼生の名残だが……。/ 「その珍しい生態が、永遠の若さを保つという迷信に繋がったようです」(同前)/ 果たしてそのお味は、いかがなものなのか?/ 「おいしいですよ。フグとスッポンを合わせた様な淡白な味で、山椒の様なよい香りがします」(前出・林社長)/ 実は、この香りがサンショウウオ(山椒魚)の名の由来。美食家として有名だった北大路魯山人も「オオサンショウウオをさばくと強い山椒の香りが漂った」「肉は非常に美味」などと自著に記している。/ いくら美味でもオオサンショウウオは天然記念物のため食用にはできない。だが、ウーパールーパーなら「一匹八百円でお分けしてます」(前出・林社長)。/ 焼くか煮付けがおすすめとか。興味のある方は、お試しあれ。 ◆ 「ウーパールーパーは学名をアンブリストマメキシカナムといい、サンショウウオの一種」。学名:Ambystoma mexicanum。和名:メキシコサラマンダー。英名:Axolotl(アホロートル)。では、ウーパールーパーというのはなにかというと、正体不明。日本で売り出すためにでっちあげた商用ネーミングらしい。 ◆ 「ウーパールーパーは幼生の姿のまま成体になってしまう不思議な生き物」。いわゆるネオテニー(幼形成熟)。(cf.《松岡正剛の千夜千冊『ネオテニー』 アシュレイ・モンターギュ》)。 ◆ 「実は、この香りがサンショウウオ(山椒魚)の名の由来」。山椒の香りがするから山椒魚? それは知らなんだ。これにはあれこれ異説もあるようだが、すくなくとも魯山人はそう書いている〔らしいが、未読(だと思ったが、買ったような気もしてきた。部屋のどこかに転がっているかもしれない)。以下の引用はとりあえずネットからのコピペ。近日中に確認予定〕。 ◇ 〔・・・〕 頭にカンと一撃を食らわすと、簡単にまいって、腹を裂いたとたんに、山椒の匂いがプーンとした。腹の内部は、思いがけなくきれいなものであった。肉も非常に美しい。さすが深山の清水の中に育ったものだという気がした。そればかりでなく、腹を裂き、肉を切るに従って、芬々たる山椒の芳香が、厨房からまたたく間に家中にひろがり、家全体が山椒の芳香につつまれてしまった。おそらく山椒魚の名はこんなところからつけられたのだろう。
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◆ サンショウウオで山椒が気になって、《青空文庫全文検索》で、「山椒」を検索してみた。以下はその結果の一部。読書というにはほど遠いかもしれないが、ワタシはこういう断片の文章を読むのが、ことのほか好きなもので。 ◆ まず、薄田泣菫(すすきだきゅうきん)の人間的な山椒の木。 ◇ 勝手口にある山椒の若芽が、この頃の暖気で、めっきり寸を伸ばした。枝に手をかけて軽くゆすぶって見ると、この木特有の強い匂が、ぷんぷんとあたりに散らばった。/ 何という塩っぱい、鼻を刺すような匂だろう。春になると、そこらの草や木が、われがちに太陽の光を飽飲して、町娘のように派手で、贅沢な色で、花のおめかしをし合っているなかに、自分のみは、黄色な紙の切屑のようにじみな、細々した花で辛抱しなければならず、それがためには、大気の明るい植込みのなかに出ることも出来ないで、うすら寒い勝手口に立っていなければならない山椒の樹は、何をおいても葉で自らを償い、自らを現すより外には仕方がなかった。そして葉は思いきり匂を撒き散らしているのだ。 ◆ 『丹下左膳』から2件。「おどろき桃の木山椒の木」に「山椒は小粒でもピリッとからい」。江戸っ子だ。 ◇ 「エエ町内のお方々、おさわがせ申してあいすいません。火事は遠うごぜえます。葛西領は渋江むら、渋江村……剣術大名司馬様の御寮――」 ◇ 「なんのお前様、唐人の化けの皮を一目で引ん剥いだ、御眼力、お若えが恐れ入谷の鬼子母神……へっへっへっなんでごわす? ま、そのお話てえのをザッと伺おうじゃアげえせんか、あっしもこれで甲州無宿山椒の豆太郎――山椒は小粒でもピリッとからいや。ねえ、事の仔細を聞いたうえでサ、案外乗り気に一肩入れるかも知れませんぜ」 ◆ 岡本綺堂の『半七捕物帳』から。酒のつまみ。 ◇ 半七は礼を云って表へ出ると、路の上はすっかり暗くなって、遠い辻番の蝋燭の灯が薄紅くにじみ出していた。藤屋という酒屋を探しあてて、表から店口を覗いてみると、小皿の山椒をつまみながら桝酒を旨そうに引っかけている一人の若い中間風の男があった。 ◆ 和菓子「切山椒」2件。 ◇ 楊庵は肥胖漢(ひはんかん)で、其大食は師友を驚かしたものである。渋江抽斎は楊庵の来る毎に、例(いつ)も三百文の切山椒を饗した。三百文の切山椒は飯櫃の蓋に盛り上げる程あつたさうである。 ◇ 大丸のまむこうに、大丸出入りの菓子や「かめや」あり、旅籠町通りに大丸とならんで大丸の糸店と扇店があり、「みすや針店」のとなりが森田清翁という、これも出入りの菓子や。十月十九日べったら市の日には店へ青竹にて手すりを拵(こし)らえ、客をはかって紅白の切山椒を売りはじめます。たいした景気、極々よき風味なり。向側の「かめや」にても十九日にはやはり青竹にて手すりをこしらえ、柏餅をその日ばかり売ります。
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◆ 青空文庫を「山椒」で検索したら、こんな文章も。山椒のハナシではないので、先のエントリーでは省いたが、おもしろいので載せておこう。 ◇ 「月ケ瀬」は戎橋の停留所から難波へ行く道の交番所の隣にあるしるこ屋で、もとは大阪の御寮人さん達の息抜き場所であったが、いまは大阪の近代娘がまるで女学校の同窓会をひらいたように、はでに詰め掛けている。デパートの退け刻などは疲れたからだに砂糖分を求めてか、デパート娘があきれるほど殺到して、青い暖簾の外へ何本もの足を裸かのまま、あるいはチョコレート色の靴下にむっちり包んで、はみ出している。そういう若い娘たちにまじって、例の御寮人さんは浮かぬ顔をして突っ立ち、空いた席はおまへんやろかと、眼をキョロキョロさせているのである。そして私もまた、そこの蜜豆が好きで、というといかにもだらしがないが、とにかくその蜜豆は一風変っていて氷のかいたのをのせ、その上から車の心棒の油みたいな色をした、しかし割に甘さのしつこくない蜜をかぶせて仲々味が良いので、しばしば出掛け、なんやあの人男だてらにけったいな人やわという娘たちの視線を、随分狼狽して甘受するのである。 ◆ ああ古き良き大阪だなあ。 |
◆ 青空文庫を「山椒」で検索したら、こんな文章にも出くわした。 ◇ 「こうもり、こうもり、山椒食わしょ。」 ◆ というわけで、ハナシはコウモリに移る。かつて子どもたちは地方独自のわらべ歌を歌いながら、コウモリを追いかけ回したものらしい。 ◇ 父さんの田舍では、夕方になると夜鷹といふ鳥が空を飛びました。その夜鷹の出る時分には、蝙蝠までが一緒に舞ひ出しました。 ◇ 蝙蝠来い 仲間の子供たちが声を揃へて喚(わめ)き出したので、お涌も井戸端から離れた。 ◇ 夏の夕方はめいめいに長い竹ざおを肩にしてあき地へ出かける。どこからともなくたくさんの蝙蝠が蚊を食いに出て、空を低く飛びかわすのを、竹ざおを振るうてはたたき落とすのである。風のないけむったような宵闇に、蝙蝠を呼ぶ声が対岸の城の石垣に反響して暗い川上に消えて行く。「蝙蝠来い。水飲ましょ。そっちの水にがいぞ」とあちらこちらに声がして時々竹ざおの空を切る力ない音がヒューと鳴っている。にぎやかなようで言い知らぬさびしさがこもっている。蝙蝠の出さかるのは宵の口で、おそくなるに従って一つ減り二つ減りどことなく消えるようにいなくなってしまう。すると子供らも散り散りに帰って行く。あとはしんとして死んだような空気が広場をとざしてしまうのである。いつか塒(ねぐら)に迷うた蝙蝠を追うて荒れ地のすみまで行ったが、ふと気がついて見るとあたりにはだれもいぬ。仲間も帰ったか声もせぬ。〔中略〕 名状のできぬ暗い恐ろしい感じに襲われて夢中に駆け出して帰って来た事もあった。 ◇ その本〔西瀬英一『南紀風物誌』〕に、南国のたそがれ、子供達が竿をたづさへて路上へでる。「蝙蝠ほい……」と呼びながら飛ぶ蝙蝠を竿で叩き落さうとして、その一日の落日の中をはしやぎまはるといふ、南国に育つた人にはその嫋々(じようじよう)たる郷愁に結びついて忘れられない幼時の夢だといふことが書いてあつた。 ◇ 蝙蝠来い。 ◆ 最初に引用した岡本綺堂の「こうもり、こうもり、山椒食わしょ」の前後を含めてふたたび引用すると、 ◇ 夏のゆうぐれ、うす暗い家の奥からは蚊やりの煙がほの白く流れ出て、家の前には凉み台が持ち出される頃、どこからとも知らず、一匹か二匹の小さい蝙蝠が迷って来て、あるいは町を横切り、あるいは軒端を伝って飛ぶ。蚊喰い鳥という異名の通り、かれらは蚊を追っているのであろう。それをまた追いながら、子供たちは口々に叫ぶのである。 ◆ どうして山椒がでてくるのかよくわからないが、 ◇ 文句は地方によって多少異なるが、「蝙蝠来い、山椒くりょ。柳の下で水飲ましょ」という、蝙蝠が飛ぶのを見て歌う童謡を踏まえたもので、 ◆ と、曲亭馬琴『廿日余四拾両・盡用而二分狂言』の註釈(高木元)にもあった。 ◆ コウモリといえば、夏の夕暮れ。 ◇ 蝙蝠(かわほり)の飛ぶのもしばしば見た。夏の夕暮には、子供が草鞋(わらじ)を提(さ)げて、「蝙蝠(こうもり)来い」と呼びながら、蝙蝠(かわほり)を追い廻していたものだが、今は蝙蝠の影など絶えて見ない。
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◇ 「それが好いよ。奥様の鼻が大き過ぎるの、顔が気に喰わないのって そりゃあ酷い事を云うんだよ。自分の面あ今戸焼の狸見たような癖に あれで一人前だと思っているんだからやれ切れないじゃないか」
◇ 【今戸焼】 今戸で作った素焼きの土器。天正年間(1573-1592)に始まるといわれ、茶道具・瓦・火鉢などを製した。 ◇ 【今戸焼】 1 今戸で産した焼き物。天正年間(1573~1592)に始まるといわれ、素焼きを主とし、日用雑器・瓦や人形などの玩具も作った。2 《今戸人形の顔から》不器量のたとえ。 ◆ もう少し詳しい説明。 ◇ 今戸焼きは、素焼きの土器を今戸焼と総称したくらい盛んに製造されたもので、焙烙(ほうろく)、人形、灯心皿、瓦燈(かとう)、土風炉(どぶろ)、豚の蚊やり、七輪 、火鉢、猫あんか、植木鉢、招き猫、狸、稲荷の狐、鳩笛など高級品はないが素朴な味わいで人気が高い。瓦職人が余技で焼き始めたともいう。不細工な顔形を今戸焼きの福助とか今戸焼きのお多福とか悪口にした。 ◆ 次も上記のサイトから。 ◇ 昼にソバ屋に入り今戸神社に行く道順を聞き、今戸焼きの話をすると、「今戸神社ではそんな ”どら焼き” 売ってないよ」とご忠告。今戸と言うところは何でこんなに言葉がかみ合わないのでしょう。 ◆ この意味がわかるだろうか? 書きたかったことのひとつが、このことだ。インターネットをやり始める以前に、今戸焼が気になったことがあって、図書館であれこれ調べたことがあった。そのなかの一冊に、今戸焼を今川焼と記していたのがあって、大笑いしてしまった・・・。 ◆ 今戸焼と今川焼。 ◇ 今川焼きって浅草が発祥らしいですよ。今戸という地名があるのですが、今戸→今川になったようです? ◇ わが町浅草ではやっぱり今川焼きと呼んでいますよ。アッもう一つ呼び名今戸(地名)焼きとも… ◇ すいませ~ん。とんでもない勘違いをしておりました~(^ω^) アンコの入っている食べ物は・・・今戸焼じゃなくて・・・今川焼きでした~(^ω^) ◇ えへ、焼き物には目がない!? と言いながら はじめ、私ったら今川焼かと思ってしまいました。(あちゃ) ◇ 私は今戸焼きと今川焼きをずぅっと間違えてました。可愛い招き猫が沢山置いてある縁結びの神社です。 ◆ 時間がなくなったので、続きはまた。 |
◆ 森鴎外『伊沢蘭軒』より、蘭軒の愛猫トキの逸話。 ◇ 伊沢分家の口碑に伝ふる所の猫の事は、聴くがままに記すれば下(しも)の如くである。 ◆ 「人語を解する」猫については、以前「ネコのお土産」という記事を書いたときに参照した「猫ちゃんが捕まえてきてビックリした生き物は何ですか?」(《発言小町》)にも、似たような話がいろいろ出てくる。 ◇ 昭和40年代前半、広いお庭に大きな池のある田舎の家に住んでいました。池には立派な金魚がいっぱい。人影が映ると、エサが貰えると思って岸に寄ってくるほど馴れていました。その金魚をノラちゃんがツメで引っかけて持って行っちゃう。そこで、母が「金魚を捕らないで、ネズミでも捕ればいいのに。」とひとり言。翌朝、縁側から庭に下りる踏み石の上に、ネズミの頭とシッポだけがきれいに並べて置いてあったそうです。(もちろん実話です。) ◇ 昔、近所の野良にえさをあげたら、その子が毎日うちの玄関にねずみの死骸を置くようになりました。ただでさえねずみが苦手な母は、毎朝玄関を開ける度「ぎゃーー!!」 母はこんこんと「もうお礼はいいから。持って来たら餌あげないよ!」と説教。翌日からは持ってこなくなりました。 ◇ うちの猫たちは、1匹が敏捷で、よくねずみやら鳥やらを捕まえてきます。もう1匹は、デブ猫なので?捕まえてきたことはなかったのですが、ある時、敏捷な猫の方が捕まえて遊び飽きて放置したねずみを、デブ猫がくわえて見せに来たことがあります。しかも、得意げに「とってきたよー!」という感じで。いや、おまえじゃないだろ!と思わず笑ってしまいました。あと、敏捷な子に「最近とってこないねー」と言ったら、それから1週間連続で私の枕元に獲物を供えてくれました!! ◆ こういうハナシは読んでいて飽きない。 |
◇ 〔朝日新聞〕 「原稿をあまり見てしゃべることをしないということが大きいと思います」。麻生首相は15日のNHKのテレビ番組で、演出家のテリー伊藤さんから、漢字の誤読の原因を問われ、こう答えた。テリーさんは、定額給付金の「さもしい」発言などを例に「しゃべりの脇が甘い」と指摘。首相は「もう少し原稿に目を落とすようにしないといかんのかな、という感じは反省としてある」とも語った。 ◆ というニュース記事を読んで、「原稿をあまり見てしゃべることをしない」の意味がすぐには理解できなかった。 ◇ 〔日本経済新聞〕 「原稿をあまり見てしゃべらないのが大きい」 ◇ 〔時事通信〕 「原稿をあまり見てしゃべらないからというのが大きい」 ◆ 副詞「あまり」の位置がおかしいのでは、と思った。次のようにすれば、どうだろう? ◇ 〔毎日新聞〕 「原稿を見てしゃべるようなことはあまりしないから」 ◆ この方がいい、と思った。では、さらに次のはどうか? ◇ 〔サンケイスポーツ〕 「原稿をあまり見ていないからというのが(原因として)大きい」 ◆ こちらの方がわかりやすい、と思った。で、もう一度よく考えてみると、この「あまり~ない」という構文でなにが否定されているのかが、よくわからなくなった。いっそのこと、次のように、 ◇ 〔内外タイムス〕 「原稿を見てしゃべるということをしないというのが大きい」 ◆ と「あまり」を取ってしまえば、疑問に思わなかったかもしれないが、せっかく気になったので、あれこれネットを検索していると、《庭三郎の現代日本語文法概説》というサイトに、似たような例文があった。 ◇ 次の例は複文ですが、「あまり~ない」のかかり方の解釈が難しい例です。/ あまり力を入れて握らないでください。/ の「あまり」は「あまり・・・握らないで」ではなく、「あまり力を入れないで」の意味です。つまり、「力を入れて握らない」のは「握らない」のではなくて、「力を入れない+握る」という意味だからです。 ◆ 「原稿を見てしゃべるということをあまりしない」「原稿を見てあまりしゃべらない」「あまり原稿を見ないでしゃべる」「原稿をあまり見ないでしゃべる」。さて、仕事に行く時間だ。今日の宿題はこれにしよう。 |
◆ 家に帰ってきた。今朝、自分で自分に出した宿題に解答してみよう。 ◇ 問題:「原稿をあまり見てしゃべることをしない」という発言について、思うところを記せ。 ◆ 解答2:この発言の場合、「あまり」という副詞の使用は、その変則的に置かれた位置とあいまって、この文で述べられている行為のマイナス的側面をぼやけたものにすることに効果的に機能している。〔おおよそありえないことだが〕 話者が、自分に不都合なことであっても、言葉はあくまでも明解であらねばならぬという美学の持ち主ならば、「あまり」ではなく、より的確な副詞として「ろくに」を選択するはずだろう。「ろくに原稿も見ないでぺらぺらしゃべる」。 |
◆ 忘れたころにまた、コブクロ。「赤い糸」という曲がいい、と薦めてくれたひとがあったので、聞いてみた。 ♪ 2人ここで初めて会ったのが 2月前の今日だね ◆ のっけからわけがわからない。ので、ネットで調べると、《教えて!goo》にこんな質問。 ◇ コブクロの赤い糸の歌詞の意味がよく理解できません。登場人物の人間関係等、時系列で詳しく教えていただけないでしょうか? ◆ こんな回答。 ◇ 今日は「僕」と「彼女」が付き合って2か月目の記念日。僕は彼女に『今日で付き合って2か月だね』って答えてほしくて、歌詞にもある通り、『今日何の日だっけ?』って聞くと、彼女はその事は忘れていて、『3年付き合った前の彼氏の誕生日だ』と答えます。〔以下省略〕 ◆ とまあ、どうやらそういうことらしい。歌詞の続き。 ♪ 「前の彼氏の誕生日だ」と笑って答える 笑顔 はがゆい ◆ 「たわいのないささやかな記念日」の「たわいのない」や「笑って答える 笑顔 はがゆい」の「はがゆい」などのコトバは、おそらくワタシの理解とは違った意味で使われているのだろう、といったことも気にはなるけど、長くなるので、それはさておき、ワタシにわかりづらかったのは、《教えて!goo》の質問者と同じく、この歌詞のストーリーの「時系列」が混乱しているように思えたからで、というのも、ふた月前に出会ったばかりなのに、どうして「今日」が記念日になるかが理解できなかった。「記念日」とあるから、1周年のことだと思った(そのことで時系列が混乱した)。よもや、出会って2ヶ月の記念日などというものが存在しているとは思ってもみなかったのだった。ところが、あるところには、あるらしい・・・。 ◇ もうすぐ彼女と付き合って1ヶ月の記念日ですが、何か特別なことをしたほうがいいのでしょうか?皆さんはどうしましたか?? ◇ カレシとつきあい始めた記念日とか、3ヶ月記念日とか、いっつもお祝いしてるんだけど、それってミンナもするよね? カレから「ちょっとお祝い多くね?」っていわれて、悲しい。 ◆ まあ、ほとんどが中高生のハナシだろう。アニバーサーリー女・アニバーサリー男なんてのも。 ◇ あたしアニバーサーリー女かも! 付き合った日から3ヶ月目に彼に「今日なんの日かわかる?」って聞いちゃったよ! でも彼は普通にうれしそうにしてたけどなあ。勘違いってヤツか? でも今月1年半記念だったけどそれは言えなかった。やっぱりなんか押し付けがましい女って感じがしていやかも。 ◇ 元彼はアニバーサリー男でした。私は誕生日位しか覚えないのだけど、彼はいちいち手帳に書いていて、「○月○日は付き合い始めた日、○月○日は初めてキスした日…」なんて、度々言われたらすっかり萎え、別れました。 ◆ 「赤い糸」の「僕」もアニバーサリー男だったのだろう。どうでもいいが、1ヶ月ごとの記念日というものはありうるだろうが、1ヶ月ごとのアニバーサリーというものはない。anniversary というのは、anni の部分が「年」という意味で、1年ごとの記念日のことだから。 ◆ そういえば、「サラダ記念日」というのもあった。 ◇ 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 ◆ と歌った俵万智は、毎月6日をサラダの日にしていただろうか? |
◇ 「泣いた赤おに」の赤おにさん宛に青おにさんが書いた友情熱い手紙の方が私的には全然感動します! 是非、一度時間があったら読んでください。 ◆ 「~の方が」というのは、コブクロの「時の足音」の歌詞よりも、ということだが、それはおいといて、原本を読む時間がないので、ネットで読んでみた。浜田廣介のこの童話はだれもが一度は読んだことがあるだろう。青鬼が赤鬼に宛てた手紙の末尾はこう。 ◆ その手紙を、赤鬼は「読まずに食べた」なんてことはなくって、涙を流して泣くのだった。似たようなのに、こんな歌。 ♪ いつまでも 絶えることなく 友達でいよう ◆ 「いつまでも」と「どこまでも」。時間と空間。青鬼の「ドコマデモ」は、彼が遠く旅に出るということと相まって、時空の双方にはてしなく広がってゆくようだ。3月は別れの季節。いつかどこかで、また会えたらいいね。 ◆ 鬼の画像がないので、邪鬼で代用。 |
◇ 光るはオヤジのハゲ頭 ◆ ♪ 〔・・・〕 消えるは電気 電気は光る 光るはオヤジのハゲ頭。子どものころにだれもが歌った(であろう)なつかしい、連想ゲーム式の言葉遊び歌で、その冒頭は、「デブデブ百貫デブ」「お前の母さんデベソ」「さよなら三角またきて四角」「いろはに金平糖」など、地方によってさまざま。ワタシの知っていたのは「いろはに金平糖」だったように思うが、あまり確かな記憶ではない。ただ「さよなら三角またきて四角」には、まったくなじみがなくて、これは活字で覚えた。いまだに三角やら四角やらなんのことやらわからない。複数のサイトが、この「しりとり歌」の数々のバリエーションを収録していて参考になる。 *http://www001.upp.so-net.ne.jp/asobinohiroba/page157.html |
◆ 《Yahoo!知恵袋》で、 ◇ 英語の「since」についてお尋ねします。よく街中で「since 1950」とか目にしますよね。自分の解釈としては、日本語でいうところの「創業○年」みたいなニュアンスだと思っていたのですが、"外国の方からみて" あの表現は大体何年ぐらいから使うのが妥当、というか常識的なのでしょう? 「since 2005」とうたった看板を目にし、かなり違和感を覚えたもので質問致しました。お分かりになる方、教えて下さい。 ◆ という質問をしたひとは、寄せられた回答のすべてに「かなり違和感を覚えた」ことだろうと思う。それから、気を取り直して、自分で調べなおし、たとえば、こんなサイトを訪れたかもしれない。 ◇ よくちまたには喫茶店とかに「SINCE 1997」とかの文字が躍っていることがありますが、意義がわかってんのかよ。歴史と伝統を標榜するにあたって、たかだか10年とか20年とか位じゃ「恥ずかしいん事」なんだよ。これは歴史と伝統を重んじる英国・日本共通の価値観です。京都の何百年の老舗の立ち並ぶ町角で「創業 平成18年」なんて看板掲げたら大笑いです。京都の家電量販店「タニヤマムセン」は来年創業100年。同社のホームページでは「家電販売では100年は珍しいが、京都では創業100年は駆け出し」とある。「100年は駆け出し」なんだぜ。この感覚! すごいなあ。歴史のない、または戦乱続きで伝統が長続きしない国から見たら、すごくうらやましいことなんですよ。だから「創業 天文19年」とか「SINCE 1550」とかが輝くんですよ。少なくとも50年も経ってないようなところは、創業(SINCE)何年、ってのは謳うなよな。外国人が見ても恥ずかしいから。 ◆ ワタシのサイトも「since 19/12/2002」の文字を入れているので、ちょっと恥ずかしい。それはそれとして、2002年12月から継続的に写真を撮り始め、はや6年以上が経過した。 ◆ 「PhotoDiary」のトップページの下に、「RANDOM 5 ENTRIES」というのがあって、ランダムに縮小画像を5枚、表示するようになっている。そこで、ときどき、記憶のチェックをしているが、どこで撮ったのやらさっぱり憶えていないのも、ままある。おまけに、自分で撮った写真に見とれてしまうことすら、たまにある。 ◇ この空は、胸に迫りますね。上手く言えないですけれど、立ち尽くすしかない、というような不思議な気持ちになりました。 ◆ とは、おともだちの皐月さんのコメント。こんな写真には、日付は不要かもしれない、とも思う。 |