MEMORANDUM
2009年03月


◆ また、コブクロ。アラ探しをしているつもりはないのだが、目につき、耳につく歌詞が多すぎる。「どんな空でも」という歌があって、

♪ いつしか晴れるよ どんな空でも
  僕等はおんなじ 光を分け合っている

  コブクロ「どんな空でも」(作詞:小渕健太郎)

◆ の「いつしか」というコトバの意味はというと、

◇ コブクロの曲で一番好きな曲です。移り変わる空が好きだし、「いつかはどんなことでもうまくいく」って教えてくれました。そして「信じる」ということ、思い出せた歌です。最高に良い曲です。オススメ度No.1!!
blogs.yahoo.co.jp/s_o_52961113/10018938.html

◇ この歌のように、いつかは私の空も晴れるかな?
blogs.yahoo.co.jp/masayancof19/46760866.html

◇ “いつしか、晴れるよ” そんな素朴なコトバが、最後にすごく胸に響きました。「降り注ぐ現実の雨に打たれない夢などない」というのは、小渕さんの歌詞にある一節なのですが、今日ここに来ていた、現実を生きている全ての人に、「夢」だとか「希望」だとか、そういう大事なものを思い出させてくれるライブだったように思います。もし、冷たい雨に打たれていたって、きっといつか晴れる日が来る。それだけで、希望を持っていられる。
ameblo.jp/ki-ske/entry-10093581172.html

◇ ラストに武道館の全員で熱唱した『どんな空でも』。今日のような雨空も、いつかは晴れる。傷ついて落ち込んだ心も、いつかは癒されて、青空のような清清しい気持ちになれる・・。コブクロの曲には、いつも勇気と元気をもらっているような気がします^^
mint.cocolog-wbs.com/cafe/2008/04/live_60f8.html

◇ そんな時に出会った歌。コブクロの「どんな空でも」です。人と出会えることが幸せ、そしてみんな同じ空の下で光を分け合ってる。どんな空でもいつかは晴れる。
app.m-cocolog.jp/t/typecast/223776/190706/54607339

◇ あたしのこの気持ちも、いつか晴れるかなあ...
mikle.jp/story/dispthrep.cgi?th=2470

◇ 『いつしか晴れるよ どんな空も~』 いろいろ悩んだりすることもあるんだけど、いつかはそんな悩みも晴れるって言ってくれてる気がして、元気になれる。そんな気がする。
taguchiblog.cocolog-nifty.com/taglog/2007/10/post_2460.html

◇ 「いつしか、晴れるよ、どんな空でも」 コブクロの唄で、こんな歌詞の歌があった。そう信じて。いつか晴れるであろうこの空を信じて、そして晴れたらそれに感謝して・・・
taiyou.blog.so-net.ne.jp/2008-02-10

◆ というように、多くのひとが「いつか(は)」の意味で理解しているようだ。「いつしか」と「いつかは」は同じだろうか? 同じだというなら、それはそれでかまわない(実際のところ、作詞者も「いつかは」の意味で「いつしか」と書いたのでは、と勝手に推測)。同じ歌で、

♪ 僕等はおんなじ 言葉をもってる
  辞書には載らない 音にだけ乗せて交わせるメッセージ

◆ とも歌っているから、べつに気にするひともいないのだろう。けれど、ワタシはどうやら「おんなじ言葉」をもってはいないようなので、辞書を引くことにする。さいわい「いつしか」は辞書にも載っていて、

いつしか 【何時しか】 いつの間にか。
三省堂『大辞林』

♪ いつしか年も、すぎの戸を

◆ ああ、もう3月。卒業の季節。またサクラの歌が流行るのだろうか?

  粉雪

◆ またしても、コブクロから。

◇ みんな知ってるコブクロ。美しいメロディーとハーモニーで、僕も結構好きなアーティスト。中でも好きな曲は繰り返し聞くし、口ずさんだりもする。そんな曲は自然と歌詞にも注意がいく。すると、「メロディーはいいんだが、歌詞がどうもイマイチ・・・」と思えてくる曲がある。
minkara.carview.co.jp/userid/260054/blog/11888014/

◆ と、ブログに書いているひとがいて、たとえば、「NOTE」という歌の、

◇ 「そっと 肩を抱きよせながら 粉雪に濡れた道を」という部分。確かに“ベタ雪”じゃ美しくないだろうさ。“粉雪”という単語の持つイメージの方が断然美しいのは分かるよ。でも、粉雪じゃ道路は濡れない。道路が濡れるのはベタ雪だ。多分コブクロの二人は道路が濡れるベタ雪しか体験したことがなく、本当の粉雪をよくは知らないんだと思う。
Ibid.

◆ ワタシもそう思う。さらに、この歌は「粉雪に濡れた未来を」という一行で締めくくられているのだが、ワタシには「粉雪に濡れた未来」というコトバでいったいどのようなコトをイメージすべきなのかが皆目わからない。また、コブクロには「雪の降らない街」という歌もあるらしい。

◇ コブクロには珍しい冬をイメージした楽曲で、このタイトルは小渕の地元宮崎では雪が降らないことによる。離れ離れになってゆく恋人同士の手の中に溶けゆく雪をイメージした楽曲である。
ja.wikipedia.org/wiki/雪の降らない街

◆ まあ、宮崎出身ならしょうがないか、絵空事でも。

♪ 白い冬が街に降りて来た
  雪の降らない僕らの街に
  二人 手と手を重ね見上げた
  空一面の粉雪

  コブクロ「雪の降らない街」(作詞:小渕健太郎)

◆ 「粉雪」といえば、有名なのが、レミオロメンの「粉雪」。こちらはどうか。印象的なイントロに続いて、

♪ 粉雪舞う季節は いつもすれ違い
  レミオロメン「粉雪」(作詞:藤巻亮太)

◆ と始まる。そう、粉雪は降るよりは舞うものだ。わかってるじゃないか、と安心したのもつかの間、

♪ 粉雪 ねえ
  永遠を前に あまりに脆く
  ざらつくアスファルトの上シミになってゆくよ

◆ という箇所で、また不安がよぎる。「シミ」か。なんとも微妙な表現だな、これは。これについても、ブログに書いているひとがいて、

◇ いい曲だし、歌詞も悪くない。10代から20代前半おれもそんな曲をよく聞いていたなあと思い起こさせる曲である。30歳を過ぎて40歳近くなった今でも夢見がちなオレにとっては共感できるところはけっこうある。/ ただし、どこかの番組でレミオロメンのインタビューを聞いていて、ちょっと違和感があってすごく気になってしまった。粉雪は降ったらすぐに解けてしまうと言っていた。歌詞にも「粉雪 ねえ 永遠を前にあまりに脆く ざらつくアスファルトの上シミになってゆくよ」という一節がある。/ 雪国出身者の経験からすると、本当の粉雪は冬の特に寒い時期や乾燥している時に降る雪なので簡単には解けない。降り始めの少しぐらいは解けることもあるといえばある。しかし、実際は根雪の上に積もったり、アスファルトの地面の上を舞っていたりすることのほうが多い。またそれはそれで風情のある風景なのではあるが。/ 東京に降る雪はほとんどが(液体の)水分を含んだボタ雪で、これはすぐにアスファルトに解けてしまう。彼らの出身地は山梨ということなので粉雪が降ることもあると思うし、知識はあったと思う。ただ、山中湖で残雪を見て思いついたということだった。とするとこの曲が書かれたのはそれほど寒くない時期と考えられる。粉雪が降らない時期に書いたから、すぐに解けてしまう粉雪になってしまったのではないかと思う。しかし、ボタ雪では感動的な歌詞にはなりづらいのは事実である…。
monsoon.tabito.net/archives/17

◆ と、かなり長く(記事のほとんどを)引用してしまった。たしかに「ぼたぁ~ゆきぃ~」では、「ぼたぁ~もちぃ~」よりはましだろうが、ちと具合が悪いかもしれない。

◇ 以前、インタビューで藤巻さんがおしゃってたのは、「粉雪」っていうのは、すぐ消えて、アスファルトのしみになってしまうっていうイメージがあったそうで。。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1010624075

◆ すぐ消える(融ける)ものかどうかは別にしても、粉雪には、どうやら、

◇ 粉雪ってはかなく脆いものなのに、何故叫んでゴツイイメージで歌わなければいけないのでしょうか…(苦笑)。
spicydrop.blog45.fc2.com/blog-entry-136.html

◆ とか、

◇ <粉雪の淡いはずの情景は、ひどくドラマチックな激情で彩られる>
haji.blogtribe.org/entry-720dbce95ffa28da02da0f1e1b0781a8.html

◆ とか、「淡くはかなく脆い」イメージ(先入観)がなぜだかつきまとっているらしいけれども、粉雪だって風が強まれば吹雪になるわけで、そんななかを車で疾走しながら、このレミオロメンの「こなぁ~ゆきぃ~」をBGMで聞けば、さぞかし気分が盛り上がることだろう。

♪ さぁ、次のページをめくろう。空白だらけの道を。
  粉雪に濡れた未来を。

  コブクロ「NOTE」(作詞:小渕健太郎)

◆ 次のページも、コブクロから始まる。「粉雪に濡れた未来」とは、どんな未来かを努力してイメージしてみた。その結果、地球温暖化というやっかいなテーマに行き当たった(それ以外のイメージは一切思い描くことができなかった)。地球温暖化が進行し、粉雪の降る地域の気温も上昇して、本来なら地上で融けはしないはずの粉雪が、もはや粉雪とは呼べないくらいにぶざまな姿に変わってしまい、哀しみの涙でアスファルトの路面を濡らす・・・。「粉雪に濡れた未来」、なかなかいい曲ができそうだ・・・。いや、タイトルは「粉雪も濡れる街角」にしたほうが・・・。レミオロメンの「粉雪」は『1リットルの涙』というテレビドラマの主題歌だったそうだが、それに倣って、「粉雪の涙」ってのも・・・。

◆ と、バカなことを考えるのはこのへんでやめにして、粉雪の絵空事のイメージよりも、リアルで美しい(と思う)イメージを引用してみよう。そのほうが、精神衛生上、はるかによい(あなたにも、そうでありますように)。

◇ 氷点下の空から舞い降りる、まるで羽毛の様な、純白の結晶。それは地表に降り積もり、空気をたっぷりと包み込んだ、厚い層となる。踏みしめるたび、音がする。― キュッ、キュッ、と。こんな粉雪を、『鳴き雪』と表現する人がいました。
welcoming.exblog.jp/10236481/

◇ また、雪は鳴く。カーンと冷えた日の雪は、踏みこむとギュ、キュッ、ミシッと音がする。まさに雪が鳴いている。そういう日は、身も気も引き締まる。鼻水も出る(笑)
plaza.rakuten.co.jp/gotoyobito/diary/200810310000/

◇ 雪国に暮らす人ならば当然知っていると思いますが。雪もこの鳴き砂のように、踏むとギュッとかキュッとかいう音を出します。つまり、雪も鳴くのである。
ameblo.jp/denen-kurashi/day-20071204.html

◇ 雪も音を奏でます。「サクサク」というのは、氷点下でも、まだ温度が高い場合で、雪質も氷状の場合が多いようです。氷点下10℃位でしょうか?もっと低いかもしれません。粉雪を踏みしめると、まるで鳴き砂のように「キュッ、キュッ」と音がする場合があります。明日は、氷点下8℃の予報。鳴るか鳴らぬか確かめてみます。
blog.goo.ne.jp/yumeya2008/e/60cd9bf30adfde75daa3b83f964d096f

◇ 冷え込んだ朝はー15℃にはなります。ここまで冷え込むとブーツでゲレンデを歩くと「キュッ キュッ」といい音がします。これを「鳴き雪」と呼んでます。
www.s-palcall.com/patopics/diary.cgi

◇ 雪はねをしていない場所は、早くも30cm積もってブーツはすっぽり。踏みしめるとキュッと鳴ります。埋まった足を上げ歩みを進めると、ブーツについた雪はさらさらと足跡の前に落ちます。こんな雪では滑ることもありません。
biei.cocolog-nifty.com/bieigurashi/2007/11/post_0d12.html

◇ それにしても、釧路の雪は重いです。中標津の雪は、パウダースノーで、歩くとキュッ、キュッと鳴きました。こちらの雪は、サクサク、ザクザク。玄関前を除雪しましたが、重たかったです。
hikkey05.exblog.jp/9956159/

◇ 鳴き砂ならぬ鳴き雪現象が起きます。湿度が無く物凄く冷えた朝に降ったばかりの雪の上を歩くと「キュッ・キュッ」てね。
www.c-player.com/ac01003/thread/1100022009825

◇ 粉雪の積もった道は、足を下ろす度にキュッと音がする。懐中電灯は持っていない。雪の鳴く音がやみのなかに溶け込んでいく。
yu-min.sakura.ne.jp/yu-min/essay/karu3.html

◇ ポケットにしっかりと手を突っ込み雪に閉ざされいつもよりひっそりと静まり返った通りをトボトボと歩きだす。道を埋め尽くす白い絨毯を踏みしめるたび、鳴き砂ならぬ鳴き雪が「キュッ、キュッ」と小気味よい音を立てる。傘はいらない。肩に降り積もる雪は手で払えばいい。
d.hatena.ne.jp/eba58/20070116

◆ こうして、他人が書いた粉雪の「キュッ、キュッ」という音を聞くだけで、ワタシも胸もキュンとなる。

◆ 粉雪のつづき。地面が濡れないこと。踏みしめるとキュッと音がすること。それから、雪だるまを作るのがむずかしいこと。

◇ この時期は低温のために、さらさら雪で雪だるまをつくることができないのに、今年は気温が高くべた雪なせいか簡単に固まってこんなふうに、大きな雪だるまができました
nekonomama.at.webry.info/200901/article_1.html

◇ 子供の頃は佐世保の田舎でもよく雪が積もり雪合戦や雪だるまを作って遊んだ。それを思い出してこちらでも雪だるまを作ろうとしたが雪がさらさらで固まらない。これでは丸くする事が出来ず、だるま作りは断念。ここでは雪がさらさらで雪合戦も出来ないかもしれない。
shimasho.kitaguni.tv/e754183.html

◇ 北海道は雪がサラサラで固めてもすぐにくずれちゃいます。雪だるまがうまく作れませんでした!
star-studio.jp/minilog/index.php?ID=192

◇ 北海道と言えば、雪。雪といえば「雪だるま」、そして「かまくら」。そんな発想をする人はきっと多いですよね。でも、実は「雪だるま」も「かまくら」もあまり見かけません。「雪だるま」は、学校のグランドとか公園にたまにあるかな? 「かまくら」は、殆ど見たこと無いです。…何故でしょう?何故かって?? 理由の一つが「上手く作れない」です。雪ってのは、ある程度水分がないと固まりません。雪球作りやすいのは、やっぱり0℃前後くらい。
それ以上寒いと…雪は固まらないのです。「ギュッ」と雪を握り締めても、「ぼそぼそぼそ」と崩れてしまいます。サラサラすぎるのです。だから、「雪だるま」作るのも大変だし、「かまくら」なんて、更に難しい。水まきながら作る気力もないので、あんまり作りません。

www.geocities.jp/ykskjp/tenjo/tenjo14.html

◇ 私が育った北海道の、それも東の果ての釧路では真冬の戸外は日中でも氷点下ですから、雪はいつもサラサラのパウダースノー。いくらギュッと固めてもなかなか雪玉になりません。そしてそれを転がしてもやはり雪がついてはくれないので雪だるまにもなりません。雪だるまになるようなちょっと湿った雪が降るのは3月になってからでした。
www.bergen-school.com/tushin0802.htm

◇ 私は雪だるま作りというと、小さな雪玉をつくってそれを転がしながら、周りに雪をつけて大きくしていく…というイメージがありました。が、北海道の雪はさらさらしているのでこの方法では雪が一向にくっつきません。そこで雪に水をまぜてシャーベット状にし、それをボウルにつめて、かちかちに固めて半球を作り、2つ重ねて球にするのです。
hp1.cyberstation.ne.jp/usineko/fk_26.html

◇ 十勝の雪はサラサラなので、そのままでは固まらないので、雪だるまを作るには、二つのボールに雪を詰め込んで水をかけて固まらせ、ボールをあわせて球にして雪を取り出します。
ameblo.jp/denen-kurashi/entry-10197963916.html

◇ 北海道ではあまり雪だるまを見かけません。それはなぜか?雪だるま作れないんです。本州の雪と違いパウダースノーで非常にさらさらしている。だから、雪を丸めてもなかなか固まらない。実際にチャレンジしたのですが、ぜんぜんダメ。そのせいか、あまり雪だるまって見かけないんです。
homepage3.nifty.com/carib7/hokuto/bunka.htm#ゆきだるま

◇ 北海道の雪は、サラサラのパウダースノーなので、なかなか固まらなかったのですが、今朝は気温が高かったのか、ひなたの雪はちゃんと固まって、なんとか完成! と言っても、途中から転がせなくなってしまったので、だるまじゃなくなったのですが。しかも、アンパンマン。ぷぷ。
minniemom.exblog.jp/10322083/

◇ パウダースノーは思ったよりももっともっとサラサラで、雪だるまも作れないくらいでした。座ってもぬれないということにも驚きました。気温は-10℃と寒かったけど、全く服に水がしみてこないので、とても過ごしやすかったです。
www.hyogo-c.ed.jp/~kohoku-hs/08syugakuryokou/08syuryo.htm

◆ 最後の引用は、神戸の高校生の修学旅行(1月下旬、北海道)の感想文。大事なことは、絵空事のイメージに満足することではなくて、つまみ食いの知識を現実と取り違えることではなくて、実際にやってみること。

◇ 空は低く鼠色。
太宰治『佐渡』(青空文庫

◆ おともだちの monicca さんの、

◇ 二月の空はねずみ色がつづきます。
monicca.blog3.fc2.com/blog-entry-387.html

◆ という一文を読んで、「ねずみ色」というコトバをひさしぶりに聞いた気がした。monicca さんが「灰色」でもなく「グレー」でもなく「ねずみ色」と書いたのが、選択の結果であったのかどうかは、わからない。自分でも、白と黒の中間の色を指し示すのに、どのコトバを使っているのか、はっきりしない。なつかしく思えたくらいだから、「ねずみ色」というコトバはあまり使っていないようにも思うが、あるいは、知らず知らずまだ使っているかもしれない。

◇ たとえば、色の名称について考えてみよう。最近「ねずみ色」という名称をあまり聞かなくなった。そもそもネズミと縁遠くなった現代生活にその根本原因があると思われるが、もうひとつの要因はグレーの侵入である。
www.tokyo-np.co.jp/article/living/word/CK2008092402000194.html

◇ ねずみ色ってどんな色? 聞かれたら '灰色' と答える人がほとんどだと思います。じゃあ、実際にねずみはねずみ色してましたか? 聞かれたら、首をかしげるんではないでしょうか? あたしの家にもねずみが現われ、何度か目撃したことあります。こげ茶色でした。
blog.livedoor.jp/ayuji_0929/archives/50260679.html

◆ はは、こげ茶色でしたか。

◇ 実はわたしは "ねずみ色" のねずみを見たことがありません。ハムスターは黄色っぽいし・・・。
blog.goo.ne.jp/kunigumi/c/f9e87f83fa865abc9e6a675ee6dda03a

◇ そう言えば、昔、グレーのことをねずみ色と言って、笑われました。幼稚園支給のクレヨンにそう書いてあったのに…。灰色と言ってまだ笑われたり。ねずみも灰も最近はあんまり見ないですもんね。
geocities.yahoo.co.jp/gl/snowchild1010/view/20050622

◇ 友達:「この色のスカートどう?」 私:「ねずみ色だから、上はどんな色でも合いそうでいいね~。」 友達:「ねずみ色・・・。グレーって言ってよ・・・。」 それから服に使われる色は横文字で言うようにしましたよ。
ameblo.jp/funmatu/entry-10016381542.html

◆ では、「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる「ねずみ男」は何色か?

◇ アニメ1,2,3期(1960年後半、1970年後半、1980年後半)はねずみ男の服はねずみ色に近いものでした。しかしアニメ4,5期(1990年後半、2000年後半《現在放送中》)ではねずみ男の服は黄土色に近いものになりました。昔から鬼太郎を見ていた人は「ねずみ男の服はねずみ色」というイメージがあるのかもしれませんね。今の子供たちは「ねずみ男の服は黄土色」というイメージが定着しています。ちなみに、原作のカラーイラストは全て黄土色になっています。〔回答日時:2007/7/27 19:59:04〕
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1112240601

◆ なるほど。

◆ おともだちの霧さんが、昭和17年発行、定価1円80銭の古本を買った、というハナシを書いている。

◇ 〔・・・〕 表紙を開くと、「I.Nonaka Jan.4.1943.」 の筆記体の万年筆文字。誰かがその文字を消しゴムで消そうとした跡まではっきり残っていた。内表紙には 「野中蔵書」 の角印と丸印、奥付の前のページには 「2603,1gt 10 2605,9gt 29」 の鉛筆文字。今となっては、何を表す数字か知りようもない。
page.cafe.ocn.ne.jp/profile/foghorn/diary/d1217

◆ 「2603,1gt 10 2605,9gt 29」という数字、いささか暗号めいてはいるけれど、ある年代以上の方には、なじみのある数字であるかもしれない。「gt」は「月(GaTu)」だろう。もっとも、こんな表記をするのは、少数のインテリぐらいだったろうが。皇紀2603年1月10日~皇紀2605年9月29日。元号にすれば、昭和18年1月10日~昭和20年9月29日。読了はすでに終戦後。

◇ そういう人たちの中で、1940年生まれの方が二人いた。その一人、Kさんの近況報告の中で、「私は皇紀2600年生まれです」と言われた。神武天皇が生まれた時を元年とする数え方だということはすぐ分かったが、恥ずかしながら、“皇紀○○年”という言い方を知らなかった。
d.hatena.ne.jp/henrymiura/20080226/1203959788

◇ 皇紀二千六百年(昭和15年)に開催が予定されていたオリンピックは、日中戦争の影響で中止になり、「幻の東京オリンピック」と言われた。私が生まれたのはこの年で、就学は敗戦の翌々年だった。だから戦前、歴史の教科書に使われた「皇紀」の年号には全く馴染みはない。しかし偶々皇紀2600年の節目の年に生まれたという事だけは強く記憶に残り、少々気になる追憶になっている。
home.k00.itscom.net/seihou/tokaido/ooiso/ooiso.htm

◇ 「皇紀二千六百年、聖戦四年目、八紘一宇の有難き国家に生まれし事を喜び、且つ長男なるにより真中の二字をとり男の呼名郎を付け紘一郎と名付く」。
blog.goo.ne.jp/penkou/e/e0c901e5c67d220e355f331a2852d8ab

◆ 直前の引用は建築家・兼松紘一郎さんのブログ《日々・from an architect》から。「生きること」というカテゴリーに収められた一連の文章は、これをタダで読んでしまっていいのかと思わせるくらい、読みごたえがあった。ぜひ一読を。

◇ 神社には、皇紀2600年と彫られた石造物がよくある。皇紀というのは神武天皇が即位したとされる年を起点に数えるもので、皇紀2600年は昭和15(1940)年にあたる。太平洋戦争が勃発する直前ということもあり、国威発揚ムードと相まって、狛犬、灯籠、鳥居などが数多く新設された。
takuki.com/aic/34.htm

◆ ブックオフで105円で買った文庫本。めずらしく線を引きながら読んだ。

◇  記憶を不思議がる人は多い。そもそも「覚えている」というのは、どういうことか。
 不思議がるわりには、記憶がどういうものか、それを考える人は少ない。不思議だと思って、それでおしまいにするのであろう。そういうことを考える、そういう方法は、学校で教わらなかった。そんなところではないか。
 なんの因果か、私はそういう疑問に突き当たると、しつこく忘れない性格である。これはあまりよい性格とはいえない。ものごとにこだわることになるからである。そういうしつこさは、世の中ではしばしば嫌われる。
 疑問にぶつかったとき、もちろん答はただちには出ない。出ないからこそ、疑問なのである。答が出てしまえば、もはや疑問とはいえない。ところで、ただちには出ない答を、いつまでも要求する。それには疑問を疑問として記憶していなければならない。それはちょうど、奥歯にものがはさまったようなものである。気になるから、さっさと楊枝で取り出してしまいたい。しかし歯にはさまったものとは違って、疑問の答はそう簡単にはやってこない。だから、十年越し、奥歯にものがはさまったまま、という気分で過ごす。ふつうの人は、たぶんそれが嫌いなのであろう。だから、適当な答をその場で見つけて、それで良しとする。それでは、しかし、正しい答はなかなか得られない。

養老孟司『脳のシワ』(新潮文庫,p.92-93)

◆ 先日、映画『マンマ・ミーア!』を観たばかりで、ABBA の「スーパー・トゥルーパー」の調べにのせて、♪ウ~パ~、ル~パ~。『週刊文春』にこんな記事。「かつての超人気者ウーパールーパーが今度は食用になる!?」。

◇ 八〇年代のテレビCMなどに登場し愛くるしい姿で一世を風靡したウーパールーパーが、まったく違うかたちで再び脚光を浴びようとしている。/ 「ウーパールーパーを食用として国内と中国に出荷する計画です」(日本生物教材研究センター社長・林孝之氏)/ 同センターでは、もともとウーパールーパーをペット用として飼育・養殖してきたが、ブームが去ったことによって「食用」という新たな利用方法を考案している。/ 「中国向けは乾燥品、国内向けには生のまま出荷する予定で、すでに数社から取り引きの問い合わせが来ています」(同前)/ ウーパールーパーは学名をアンブリストマメキシカナムといい、サンショウウオの一種。メキシコのごく一部の湖でしか見られない珍しい種で、絶滅危惧種としてワシントン条約で輸出が禁止されているほど。そんなものを食べてもいいの? / 「日本で流通しているウーパールーパーはワシントン条約以前に輸入された個体を国内で繁殖させたもので、法的には問題ありません。メキシコでは昔から不老長寿をもたらすとして食用にされてきましたので、さほど驚くことではありません」(ウーパールーパー専門店「うぱ屋正三郎商店」代表ミウラヒロフミさん)/ ウーパールーパーは幼生の姿のまま成体になってしまう不思議な生き物。顔の左右から飛び出しているエラが幼生の名残だが……。/ 「その珍しい生態が、永遠の若さを保つという迷信に繋がったようです」(同前)/ 果たしてそのお味は、いかがなものなのか?/ 「おいしいですよ。フグとスッポンを合わせた様な淡白な味で、山椒の様なよい香りがします」(前出・林社長)/ 実は、この香りがサンショウウオ(山椒魚)の名の由来。美食家として有名だった北大路魯山人も「オオサンショウウオをさばくと強い山椒の香りが漂った」「肉は非常に美味」などと自著に記している。/ いくら美味でもオオサンショウウオは天然記念物のため食用にはできない。だが、ウーパールーパーなら「一匹八百円でお分けしてます」(前出・林社長)。/ 焼くか煮付けがおすすめとか。興味のある方は、お試しあれ。
『週刊文春』(2009年3月12日号,p.57)

◆ 「ウーパールーパーは学名をアンブリストマメキシカナムといい、サンショウウオの一種」。学名:Ambystoma mexicanum。和名:メキシコサラマンダー。英名:Axolotl(アホロートル)。では、ウーパールーパーというのはなにかというと、正体不明。日本で売り出すためにでっちあげた商用ネーミングらしい。

◆ 「ウーパールーパーは幼生の姿のまま成体になってしまう不思議な生き物」。いわゆるネオテニー(幼形成熟)。(cf.《松岡正剛の千夜千冊『ネオテニー』 アシュレイ・モンターギュ》)。

◆ 「実は、この香りがサンショウウオ(山椒魚)の名の由来」。山椒の香りがするから山椒魚? それは知らなんだ。これにはあれこれ異説もあるようだが、すくなくとも魯山人はそう書いている〔らしいが、未読(だと思ったが、買ったような気もしてきた。部屋のどこかに転がっているかもしれない)。以下の引用はとりあえずネットからのコピペ。近日中に確認予定〕。

◇ 〔・・・〕 頭にカンと一撃を食らわすと、簡単にまいって、腹を裂いたとたんに、山椒の匂いがプーンとした。腹の内部は、思いがけなくきれいなものであった。肉も非常に美しい。さすが深山の清水の中に育ったものだという気がした。そればかりでなく、腹を裂き、肉を切るに従って、芬々たる山椒の芳香が、厨房からまたたく間に家中にひろがり、家全体が山椒の芳香につつまれてしまった。おそらく山椒魚の名はこんなところからつけられたのだろう。
北大路魯山人「山椒魚」『魯山人味道』(中公文庫)

◆ こんな扱いをされては、さぞかし山椒魚も悲しんだことだろう。いっそのこと、山椒太夫の腹を裂いてやったほうがよかったのではあるまいか? アイツは悪いヤツだから。山椒大夫もサンショの匂いがしただろうか?

◆ 2007年5月4日、山形県最上郡真室川町釜渕。久しぶりに川遊びをした日。サンショウウオの幼生。オオサンショウウオではない。東北地方にいたから、トウホクサンショウウオだろうか? よくは知らない。

◆ 朝日新聞の「天声人語」(2009年3月4日)から。

◇ 仏像を彫ることを、ある仏師が「木の中に住んでいる仏様を出してあげるんです」と言うのを、味わい深く聞いた覚えがある。そんな仏像の最高傑作のひとつ京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏像(みろくぼさつはんかぞう)の、右手薬指が折られる事件が49年前に起きた▼一人の学生がキスをしようと近づいて、指に触れてしまったのだった。「美しさに魅せられて」という、まことしやかな伝説がいつしか生まれ、同情論も起きた。それほどに、この像の湛(たた)える高貴な美は、見る者を引きつけてやまない▼人に尊ばれ、人を救済してこそ仏像も本望だろう。だが不心得者もいるから油断ならない。「一目見てとりこになった」と、京都の建仁寺から十一面観音座像を盗んだ男が逮捕された。自宅には他にも仏像が並び、余罪を追及されている▼毎日拝んでいたというから、転売が目的ではないらしい。信仰心の篤(あつ)いあまりか。しかし、盗みは仏教の在家信者が守るべき「五戒」にそむく。仏師が木の中から取り出した仏様に、申し訳がない▼仏像は今、若い世代にも静かな人気らしい。指を折られた弥勒菩薩はかつてドイツの哲学者ヤスパースに「永遠平和の理想を最高度に具現している」と絶賛された。日本の仏像の優れた精神性に癒やされたい人が、増えているのだろうか▼〈鎌倉や御仏(みほとけ)なれど釈迦牟尼(しゃかむに)は美男におはす夏木立かな〉。かつて与謝野晶子は大仏を生身の男に見立てた。あまり息を詰めなくとも、鑑賞の仕方に決まりはない。ただし触らず、キスせず。マナー違反を「五戒」の番外に付け加えたい。
www.asahi.com/paper/column20090304.html

◆ 「京都の建仁寺から十一面観音座像を盗んだ男」の事件のことを書こうと思っていたのだが、気が変わった。鎌倉の大仏のハナシにする。

◇ 鎌倉の高徳院の大仏を拝観に行った人は、まず、大仏の御前である中庭に立ち、敬虔な気持ちで大仏に手を合わせ、祈りを唱える。さて宗教的行為である拝観が一段落すると、普通の俗人の日常の姿勢と精神状態に戻り、カメラを取り出したり散歩したり、また、みやげ物を物色したりしながら、改めて大仏を一つの風景として鑑賞する。そしてこの晶子の短歌を思い出し、大仏は「美男におはす」という晶子の品定めを、本当にそうかなあなどと考える。
www2u.biglobe.ne.jp/~houmei/kasi/akiko_tanka.htm

◆ ここで書かれている「普通の俗人」は、それでもなお、やや高尚すぎるようだ。さらに普通の俗人なら、祈りを唱えもしないで、大仏の前に座り、大仏と同じポーズをとって、大仏を背景にして、写真に納まることだろう。もちろん、与謝野晶子の歌など気にもとめず。

◇ 鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

◆ ところで、鎌倉の大仏は、正確には、お釈迦さまではない。阿弥陀さまである。

◇ 仏像に詳しい方は、大仏は釈迦如来ではなく阿弥陀如来だから、厳密にいうと間違いだなどと言われます。確かに学術的にはそうでしょうが、仏像全般の総称的な呼び方として、釈迦という言葉を使ったと解釈してやったらどうでしょうか。浅学菲才の一般人は、仏像ならなんでも「お釈迦様」と呼ぶのがならわしですし。
www.murasakishikibu.co.jp/tankahaikusenryudo/diary/200706.html

◆ もちろん、そんな区別はどうでもいいが、「浅学菲才の一般人」なら、「浅学菲才」とは書かず、「浅学非才」と書くか、もとよりそんな四字熟語は知らないだろう。それに、仏像一般は、「お釈迦様」ではなくて、「ほとけさま」というのが普通ではないか、と思ったりもする。

◆ サンショウウオで山椒が気になって、《青空文庫全文検索》で、「山椒」を検索してみた。以下はその結果の一部。読書というにはほど遠いかもしれないが、ワタシはこういう断片の文章を読むのが、ことのほか好きなもので。

◆ まず、薄田泣菫(すすきだきゅうきん)の人間的な山椒の木。

◇ 勝手口にある山椒の若芽が、この頃の暖気で、めっきり寸を伸ばした。枝に手をかけて軽くゆすぶって見ると、この木特有の強い匂が、ぷんぷんとあたりに散らばった。/ 何という塩っぱい、鼻を刺すような匂だろう。春になると、そこらの草や木が、われがちに太陽の光を飽飲して、町娘のように派手で、贅沢な色で、花のおめかしをし合っているなかに、自分のみは、黄色な紙の切屑のようにじみな、細々した花で辛抱しなければならず、それがためには、大気の明るい植込みのなかに出ることも出来ないで、うすら寒い勝手口に立っていなければならない山椒の樹は、何をおいても葉で自らを償い、自らを現すより外には仕方がなかった。そして葉は思いきり匂を撒き散らしているのだ。
薄田泣菫 『艸木虫魚』(青空文庫

◆ 『丹下左膳』から2件。「おどろき桃の木山椒の木」に「山椒は小粒でもピリッとからい」。江戸っ子だ。

◇ 「エエ町内のお方々、おさわがせ申してあいすいません。火事は遠うごぜえます。葛西領は渋江むら、渋江村……剣術大名司馬様の御寮――」
 番太郎が拍子木を打って、この尺取り横町へはいってくる。
「チェッ! 火事は渋江村、ときやがら。こちとら小石川麻布は江戸じゃアねえと思っているんだ。しぶえ村とはおどろいたネ。おどろき桃の木山椒の木……」
 さっき火事を見に出た隣近処の連中がガヤガヤいって帰ってくる。

林不忘 『丹下左膳 こけ猿の巻』(青空文庫)

◇ 「なんのお前様、唐人の化けの皮を一目で引ん剥いだ、御眼力、お若えが恐れ入谷の鬼子母神……へっへっへっなんでごわす? ま、そのお話てえのをザッと伺おうじゃアげえせんか、あっしもこれで甲州無宿山椒の豆太郎――山椒は小粒でもピリッとからいや。ねえ、事の仔細を聞いたうえでサ、案外乗り気に一肩入れるかも知れませんぜ」
林不忘 『丹下左膳 乾雲坤竜の巻』(青空文庫

◆ 岡本綺堂の『半七捕物帳』から。酒のつまみ。

◇ 半七は礼を云って表へ出ると、路の上はすっかり暗くなって、遠い辻番の蝋燭の灯が薄紅くにじみ出していた。藤屋という酒屋を探しあてて、表から店口を覗いてみると、小皿の山椒をつまみながら桝酒を旨そうに引っかけている一人の若い中間風の男があった。
岡本綺堂 『半七捕物帳 朝顔屋敷』(青空文庫

◆ 和菓子「切山椒」2件。

◇ 楊庵は肥胖漢(ひはんかん)で、其大食は師友を驚かしたものである。渋江抽斎は楊庵の来る毎に、例(いつ)も三百文の切山椒を饗した。三百文の切山椒は飯櫃の蓋に盛り上げる程あつたさうである。
森鴎外 『伊沢蘭軒』(青空文庫

◇ 大丸のまむこうに、大丸出入りの菓子や「かめや」あり、旅籠町通りに大丸とならんで大丸の糸店と扇店があり、「みすや針店」のとなりが森田清翁という、これも出入りの菓子や。十月十九日べったら市の日には店へ青竹にて手すりを拵(こし)らえ、客をはかって紅白の切山椒を売りはじめます。たいした景気、極々よき風味なり。向側の「かめや」にても十九日にはやはり青竹にて手すりをこしらえ、柏餅をその日ばかり売ります。
長谷川時雨 『大丸呉服店』(青空文庫

◆ 切山椒といえば、「べったら市」と並んで11月の「酉の市」が有名。ほんとは、この切山椒についての記事を書こうと思ったのだが、よく考えてみれば、数年前の酉の市で一度食べたきりなので(味も忘れてしまった)、特に書くことが見つからないのだった。どんな菓子かとお思いの方は、「切山椒」で検索すれば、おいしそうな画像を添えたサイトがいろいろ見つかることでしょう。

◆ 青空文庫を「山椒」で検索したら、こんな文章も。山椒のハナシではないので、先のエントリーでは省いたが、おもしろいので載せておこう。

◇ 「月ケ瀬」は戎橋の停留所から難波へ行く道の交番所の隣にあるしるこ屋で、もとは大阪の御寮人さん達の息抜き場所であったが、いまは大阪の近代娘がまるで女学校の同窓会をひらいたように、はでに詰め掛けている。デパートの退け刻などは疲れたからだに砂糖分を求めてか、デパート娘があきれるほど殺到して、青い暖簾の外へ何本もの足を裸かのまま、あるいはチョコレート色の靴下にむっちり包んで、はみ出している。そういう若い娘たちにまじって、例の御寮人さんは浮かぬ顔をして突っ立ち、空いた席はおまへんやろかと、眼をキョロキョロさせているのである。そして私もまた、そこの蜜豆が好きで、というといかにもだらしがないが、とにかくその蜜豆は一風変っていて氷のかいたのをのせ、その上から車の心棒の油みたいな色をした、しかし割に甘さのしつこくない蜜をかぶせて仲々味が良いので、しばしば出掛け、なんやあの人男だてらにけったいな人やわという娘たちの視線を、随分狼狽して甘受するのである。
 五年前、つまり私が二十三歳の時、私はかなり肩入れをしていたKという少女と二人でいそいそと「月ケ瀬」へ行った。はいるなりKという少女はあん蜜を注文したが、私はおもむろに献立表を観察して、ぶぶ漬という字が眼にはいると、いきなり空腹を感じて、ぶぶ漬を注文した。やらし人やなというKの言葉を平然と聞流しながら、生唾をのみこみのみこみ、ぶぶ漬の運ばれて来るのを待っていると、やがて、お待ちどうさんと前へ据えられた途端、あッ、思わず顔が赧くなって、こともあろうにそれはお櫃ではないか。おまけに文楽の人形芝居で使うような可愛らしいお櫃である。見渡すと、居並ぶ若い娘たちは何れもしるこやぜんざいなど極めて普通の、この場に適しいものを食べている。私一人だけが若い娘たちの面前で、飯事(ままごと)のようにお櫃を前にして赧くなっているのだ。クスクスという笑い声もきこえた。Kはさすがに笑いはしなかったが、うちいややわと顔をしかめている。しかし、私は大いに勇を鼓してお櫃から御飯をよそって食べた。何たることか裕然と構えて四杯も平げたのである。しかもあとお茶をすすり、爪楊子を使うとは、若気の至りか、厚顔しいのか、ともあれ色気も何もあったものではなく、Kはプリプリ怒り出して、それが原因でかなり見るべきところのあったその恋も無残に破れてしまったのである。けれども今もなお私は「月ケ瀬」のぶぶ漬に食指を感ずるのである。そこの横丁にある「木の実」へ牛肉の山椒焼や焼うどんや肝とセロリーのバタ焼などを食べに行くたびに、三度のうち一度ぐらいはぶぶ漬を食べて見ようかとふと思うのは、そのぶぶ漬の味がよいというのではなく、しるこ屋でぶぶ漬を売るということや、文楽芝居のようなお櫃に何となく大阪を感ずるからである。

織田作之助 『大阪発見』(青空文庫

◆ ああ古き良き大阪だなあ。

◆ 青空文庫を「山椒」で検索したら、こんな文章にも出くわした。

◇ 「こうもり、こうもり、山椒食わしょ。」
岡本綺堂 『薬前薬後」(青空文庫

◆ というわけで、ハナシはコウモリに移る。かつて子どもたちは地方独自のわらべ歌を歌いながら、コウモリを追いかけ回したものらしい。

◇ 父さんの田舍では、夕方になると夜鷹といふ鳥が空を飛びました。その夜鷹の出る時分には、蝙蝠までが一緒に舞ひ出しました。
『蝙蝠――來い、來い。』
と言ひながら、父さんは蝙蝠と一緒になつて飛び歩いたものです。

島崎藤村 『ふるさと』(青空文庫

◇ 蝙蝠来い
簑着て来い
行燈(あんどん)の油に火を持つて来い
……………………

 仲間の子供たちが声を揃へて喚(わめ)き出したので、お涌も井戸端から離れた。
岡本かの子 『蝙蝠』(青空文庫

◇ 夏の夕方はめいめいに長い竹ざおを肩にしてあき地へ出かける。どこからともなくたくさんの蝙蝠が蚊を食いに出て、空を低く飛びかわすのを、竹ざおを振るうてはたたき落とすのである。風のないけむったような宵闇に、蝙蝠を呼ぶ声が対岸の城の石垣に反響して暗い川上に消えて行く。「蝙蝠来い。水飲ましょ。そっちの水にがいぞ」とあちらこちらに声がして時々竹ざおの空を切る力ない音がヒューと鳴っている。にぎやかなようで言い知らぬさびしさがこもっている。蝙蝠の出さかるのは宵の口で、おそくなるに従って一つ減り二つ減りどことなく消えるようにいなくなってしまう。すると子供らも散り散りに帰って行く。あとはしんとして死んだような空気が広場をとざしてしまうのである。いつか塒(ねぐら)に迷うた蝙蝠を追うて荒れ地のすみまで行ったが、ふと気がついて見るとあたりにはだれもいぬ。仲間も帰ったか声もせぬ。〔中略〕 名状のできぬ暗い恐ろしい感じに襲われて夢中に駆け出して帰って来た事もあった。
寺田寅彦 『花物語』(青空文庫

◇ その本〔西瀬英一『南紀風物誌』〕に、南国のたそがれ、子供達が竿をたづさへて路上へでる。「蝙蝠ほい……」と呼びながら飛ぶ蝙蝠を竿で叩き落さうとして、その一日の落日の中をはしやぎまはるといふ、南国に育つた人にはその嫋々(じようじよう)たる郷愁に結びついて忘れられない幼時の夢だといふことが書いてあつた。
坂口安吾 『気候と郷愁』(青空文庫

◇ 蝙蝠来い。
行燈にかくれて笠きてこい。

竹久夢二編『日本童謡撰 あやとりかけとり』(J-TEXTS

◆ 最初に引用した岡本綺堂の「こうもり、こうもり、山椒食わしょ」の前後を含めてふたたび引用すると、

◇ 夏のゆうぐれ、うす暗い家の奥からは蚊やりの煙がほの白く流れ出て、家の前には凉み台が持ち出される頃、どこからとも知らず、一匹か二匹の小さい蝙蝠が迷って来て、あるいは町を横切り、あるいは軒端を伝って飛ぶ。蚊喰い鳥という異名の通り、かれらは蚊を追っているのであろう。それをまた追いながら、子供たちは口々に叫ぶのである。
「こうもり、こうもり、山椒食わしょ。」
 前の雁とは違って、これは手のとどきそうな低いところを舞いあるいているから、何とかして捕えようというのが人情で、ある者は竹竿を持ち出して来るが、相手はひらひらと軽く飛び去って、容易に打ち落とすことは出来ない。蝙蝠を捕えるには泥草鞋(どろわらじ)を投げるがよいということになっているので、往来に落ちている草鞋や馬の沓(くつ)を拾って来て、「こうもり来い」と呼びながら投げ付ける。うまく中(あた)って地に落ちて来ることもあるが、またすぐに飛び揚がってしまって、十に一つも子供たちの手には捕えられない。たとい捕え得たところでどうなるものでもないのであるが、それでも夢中になって追いあるく。

岡本綺堂 『薬前薬後」(青空文庫

◆ どうして山椒がでてくるのかよくわからないが、

◇ 文句は地方によって多少異なるが、「蝙蝠来い、山椒くりょ。柳の下で水飲ましょ」という、蝙蝠が飛ぶのを見て歌う童謡を踏まえたもので、
mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/C0000050027/2buq/2buq.html

◆ と、曲亭馬琴『廿日余四拾両・盡用而二分狂言』の註釈(高木元)にもあった。

◆ コウモリといえば、夏の夕暮れ。

◇ 蝙蝠(かわほり)の飛ぶのもしばしば見た。夏の夕暮には、子供が草鞋(わらじ)を提(さ)げて、「蝙蝠(こうもり)来い」と呼びながら、蝙蝠(かわほり)を追い廻していたものだが、今は蝙蝠の影など絶えて見ない。
岡本綺堂 『思い出草』(青空文庫

◆ と、江戸っ子の岡本綺堂が書いたのは、大正時代(だと思う)。それ以降、東京にコウモリがいなくなったのかというと、そんなことはない。ワタシも散歩の途中、何度か見かけたことがある(写真には写っていないが)。ただ、コウモリを追いかける子どもは、おそらく絶滅してしまったのだろう。

◆ 左:2004年1月20日。右:2009年3月11日。今戸神社の招き猫。

◆ 右の写真に福禄寿がいることを除けば、なんの違いもない。同じ場所に行って、同じような写真を撮るというのも、そのことを憶えている場合には、やや抵抗がある。同じものでも違うように撮ればいいのだろうが、簡単にはいかない。地下鉄銀座線を終点の浅草で降りて、今戸神社までの散歩。適当に歩いていても、ふと足を止めるのは、5年前と同じところだ。この年になると、人間、あまり「進歩」はしないもののようだ、と実感して妙に感慨深い。ワタシだけだろうか? 最近、以前読んだことをすっかり忘れていて、同じ本を買ってしまうことが増えた。しばらく読み進めて、はじめてそのことに気がつく。そんなことに少し似ている。

◆ 台東区今戸、慶養寺の露天の仁王。左:2004年1月20日。右:2009年3月11日。5年の歳月を跨いだ「阿吽の呼吸」とは、どんなものだろうか?

◇ 「それが好いよ。奥様の鼻が大き過ぎるの、顔が気に喰わないのって そりゃあ酷い事を云うんだよ。自分の面あ今戸焼の狸見たような癖に あれで一人前だと思っているんだからやれ切れないじゃないか」
夏目漱石 『吾輩は猫である』(青空文庫

◆ 今戸焼については、書きたいことがいくつかある(『吾輩は猫である』についても書きたいことがある)が、知らない方も多いと思うので、そもそも今戸焼とは何か? まず辞書を見る。

◇ 【今戸焼】 今戸で作った素焼きの土器。天正年間(1573-1592)に始まるといわれ、茶道具・瓦・火鉢などを製した。
三省堂『大辞林』

◇ 【今戸焼】 1 今戸で産した焼き物。天正年間(1573~1592)に始まるといわれ、素焼きを主とし、日用雑器・瓦や人形などの玩具も作った。2 《今戸人形の顔から》不器量のたとえ。
小学館『大辞泉』

◆ もう少し詳しい説明。

◇ 今戸焼きは、素焼きの土器を今戸焼と総称したくらい盛んに製造されたもので、焙烙(ほうろく)、人形、灯心皿、瓦燈(かとう)、土風炉(どぶろ)、豚の蚊やり、七輪 、火鉢、猫あんか、植木鉢、招き猫、狸、稲荷の狐、鳩笛など高級品はないが素朴な味わいで人気が高い。瓦職人が余技で焼き始めたともいう。不細工な顔形を今戸焼きの福助とか今戸焼きのお多福とか悪口にした。
ginjo.fc2web.com/163imadonokitune/imadonokitune.htm

◆ 次も上記のサイトから。

◇ 昼にソバ屋に入り今戸神社に行く道順を聞き、今戸焼きの話をすると、「今戸神社ではそんな ”どら焼き” 売ってないよ」とご忠告。今戸と言うところは何でこんなに言葉がかみ合わないのでしょう。
Ibid.

◆ この意味がわかるだろうか? 書きたかったことのひとつが、このことだ。インターネットをやり始める以前に、今戸焼が気になったことがあって、図書館であれこれ調べたことがあった。そのなかの一冊に、今戸焼を今川焼と記していたのがあって、大笑いしてしまった・・・。

◆ 今戸焼と今川焼。

◇ 今川焼きって浅草が発祥らしいですよ。今戸という地名があるのですが、今戸→今川になったようです?
blogs.yahoo.co.jp/asakusa_taiyo/23224981.html

◇ わが町浅草ではやっぱり今川焼きと呼んでいますよ。アッもう一つ呼び名今戸(地名)焼きとも…
tomlily.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_7650.html

◇ すいませ~ん。とんでもない勘違いをしておりました~(^ω^) アンコの入っている食べ物は・・・今戸焼じゃなくて・・・今川焼きでした~(^ω^)
blogs.yahoo.co.jp/yacup/55387290.html

◇ えへ、焼き物には目がない!? と言いながら はじめ、私ったら今川焼かと思ってしまいました。(あちゃ)
c0c0r0111star.blog33.fc2.com/blog-entry-380.html

◇ 私は今戸焼きと今川焼きをずぅっと間違えてました。可愛い招き猫が沢山置いてある縁結びの神社です。
4travel.jp/traveler/kyarameruco/album/10310189/

◆ 時間がなくなったので、続きはまた。

◆ 森鴎外『伊沢蘭軒』より、蘭軒の愛猫トキの逸話。

◇  伊沢分家の口碑に伝ふる所の猫の事は、聴くがままに記すれば下(しも)の如くである。
 蘭軒の愛蓄する所の猫があつた。毛色が白に紅(くれなゐ)を帯びてゐた。所謂桃花鳥(とき)色である。それゆゑ名を桃花猫(とき)と命じた。
 或時蘭軒が病んで久しきに瀰(わた)つたので、諸家の寄する所の見舞物が枕頭に堆積せられた。蘭軒は褥中にあつて猫の頭(かうべ)を撫でつつ云つた。「余所(よそ)からはこんなにお見舞が来るに、ときは何もくれぬか。」
 少焉(しばらく)して猫は一尾の比目魚(かれひ)を銜(くは)へて来て、蘭軒の臥所(ふしど)の傍(かたはら)に置いた。
 忽ち厨(くりや)の方(かた)に人の罵り噪(さわ)ぐ声が聞えた。程近き街の魚屋(うをや)が猫に魚を偸(ぬす)まれて勝手口に来て女中に訴へてゐるのであつた。
 蘭軒は魚(うを)の価を償うた。そして猫に謂つた。「人の家の物を取つて来てはいけぬ。」
 次の日に猫は雉を捕へて来た。蘭軒の屋(いへ)の後には仮山(つきやま)があつて草木が茂つてゐた。雉はをり/\そこへ来ることがあつたのを、猫が覗つてゐて捕へたのである。
 魚を偸んだと雉を捕へたとの二つの事が相踵(あひつ)いで起つたので、家人は猫が人語を解すると以為(おも)つた。是より猫は家人の畏れ憚る所となつた。

森鴎外 『伊沢蘭軒』(青空文庫

◆ 「人語を解する」猫については、以前「ネコのお土産」という記事を書いたときに参照した「猫ちゃんが捕まえてきてビックリした生き物は何ですか?」(《発言小町》)にも、似たような話がいろいろ出てくる。

◇ 昭和40年代前半、広いお庭に大きな池のある田舎の家に住んでいました。池には立派な金魚がいっぱい。人影が映ると、エサが貰えると思って岸に寄ってくるほど馴れていました。その金魚をノラちゃんがツメで引っかけて持って行っちゃう。そこで、母が「金魚を捕らないで、ネズミでも捕ればいいのに。」とひとり言。翌朝、縁側から庭に下りる踏み石の上に、ネズミの頭とシッポだけがきれいに並べて置いてあったそうです。(もちろん実話です。)
komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/0825/200478.htm

◇ 昔、近所の野良にえさをあげたら、その子が毎日うちの玄関にねずみの死骸を置くようになりました。ただでさえねずみが苦手な母は、毎朝玄関を開ける度「ぎゃーー!!」 母はこんこんと「もうお礼はいいから。持って来たら餌あげないよ!」と説教。翌日からは持ってこなくなりました。
Ibid.

◇ うちの猫たちは、1匹が敏捷で、よくねずみやら鳥やらを捕まえてきます。もう1匹は、デブ猫なので?捕まえてきたことはなかったのですが、ある時、敏捷な猫の方が捕まえて遊び飽きて放置したねずみを、デブ猫がくわえて見せに来たことがあります。しかも、得意げに「とってきたよー!」という感じで。いや、おまえじゃないだろ!と思わず笑ってしまいました。あと、敏捷な子に「最近とってこないねー」と言ったら、それから1週間連続で私の枕元に獲物を供えてくれました!!
Ibid.

◆ こういうハナシは読んでいて飽きない。

◆ 蘭軒の飼い猫の名はトキだった・・・。以下、脈略のないハナシを適当につなぎ合わせる。

〔「天声人語」2009年3月6日〕 俳優出身の米大統領だったレーガンは才があったとみえ、気の利いた言葉をいくつも残している。「政治家は悪い職業ではない。成功すれば多くの報奨があるし、失敗したらいつでも本が書ける」など、なかなか機知に富んでいる。
www.asahi.com/paper/column20090306.html

◆ 日本の政治家では、と考えると、鳩山邦夫総務相はトキにおもしろい発言をする。

◇ JR東京駅前にある東京中央郵便局の建て替えに鳩山総務相が「待った」をかけた。昭和初期を代表する建築の局舎を壊すことについて、「重要文化財の価値があるものをなくすのは、トキを焼き鳥にして食べるような話だ」と指摘。
www.asahi.com/politics/update/0228/TKY200902270400.html

◇ 鳩山総務相は「トキが焼き鳥になってはいけないが、剥製(はくせい)になって文化財として残る方法で再開発してもらう。すみやかに設計変更して欲しい」と語った。
www.asahi.com/politics/update/0310/TKY200903100097.html

◆ 自らがハトだから、というわけではないだろうが、焼き鳥の悲しみが少しはわかるのだろう。焼きトキは、はたして旨いだろうか? というわけで、焼き鳥にされる前の東京中央郵便局を見に行ってきた。外壁の大時計は、すでに針が取り外されていて、トキは止まっていた・・・。

♪ 短い針がない~なら~ 長い針もない~

◆ この「戦前のモダニズム建築の代表作」とされる建物をしばし眺めてみたが、

◇ 見るほどに目が喜んで飽かずいつまでも眺めていたくなるこの建物を知って以来、東京駅を通るたびごとに一瞬でも見逃すまいと目を向けてしまう、そんな経験を持った人は私だけではないだろう。この建物を目にする時の感覚を話すならば、造形物を理屈で了解しようとする次元を突き抜けた時に、想像的な感性が解き放たれ、感覚の赴くにまかせて心が遊ぶ・・・と言ったら気障に過ぎるか。
www.sainet.or.jp/~junkk/teisin/tyuuyuu.htm

◆ といった気分には正直なところなれなかった。おそらく「想像的な感性」が欠落しているのだろう。よくわからない。焼き鳥にするなら、塩だろうか? それにしても、あまり旨くはなさそうだ。煮ても焼いても食えそうにない。

◇ トキの肉は古来から食用とされ、『本朝食鑑』(1695年)にも美味と記されている。しかし「味はうまいのだが腥(なまぐさ)い」とあり、決して日常的に食されていたのではなく、冷え症の薬や、産後の滋養としてのものであったとされる。「トキ汁」として、豆腐あるいはネギ・ゴボウ・サトイモと一緒に鍋で煮るなどされていたようである。しかし、生臭い上に、肉に含まれる色素が汁に溶出して赤くなり、また赤い脂が表面に浮くため、灯りのもとでは気味が悪くてとても食べられなかったため「闇夜汁」と呼ばれた。
ja.wikipedia.org/wiki/トキ

◆ 『大和本草』には、「味よからず」とある。やっぱり焼き鳥にするのは、よしたほうがいいのだろう。

◆ 『大辞林』のトキの項。

◇ とき 【鴇/〈朱鷺〉/〈桃花鳥〉】 コウノトリ目トキ科の鳥。学名ニッポニア-ニッポン。全長約75センチメートル。全身が白色の羽毛に覆われ、後頭部に長い冠羽がある。翼や尾羽は淡紅色(鴇色)を呈し、顔の裸出部と脚は赤色。繁殖期には羽色が灰色となる。黒く長いくちばしは下方に湾曲する。日本では1981年(昭和56)に野生種は絶滅し、現在、中国陝西(せんせい)省で繁殖が確認されているのみ。特別天然記念物および国際保護鳥。朱鷺(しゅろ)
三省堂『大辞林』

◆ トキの漢字表記は、「鴇」または「朱鷺」または「桃花鳥」。鴇という字は知ったのは、知り合いに鴇田さんがいたから。桃花鳥は、先日、森鴎外の『伊沢蘭軒』を読んで初めて知った。朱鷺はというと、上越新幹線が開通する前の在来線の特急「とき」(上野ー新潟)。

◇ 上野駅に到着した181系特急「とき」です。〔・・・〕 「とき、朱鷺、TOKI」と書かれています。これで漢字を覚えました。
niigata1116.com/train/jr_jnr/1978/niigata/toki.html

◇ 「特急とき」と「急行佐渡」のどちらかで新潟に行きました。この愛称のおかげで朱鷺という漢字を覚えました。食堂車も連結されていました。
www.geocities.co.jp/MotorCity-Circuit/3445/TrainPhoto1.htm

◆ ワタシだけではないらしい。

〔朝日新聞〕 「原稿をあまり見てしゃべることをしないということが大きいと思います」。麻生首相は15日のNHKのテレビ番組で、演出家のテリー伊藤さんから、漢字の誤読の原因を問われ、こう答えた。テリーさんは、定額給付金の「さもしい」発言などを例に「しゃべりの脇が甘い」と指摘。首相は「もう少し原稿に目を落とすようにしないといかんのかな、という感じは反省としてある」とも語った。
www.asahi.com/politics/update/0315/TKY200903150155.html

◆ というニュース記事を読んで、「原稿をあまり見てしゃべることをしない」の意味がすぐには理解できなかった。

〔日本経済新聞〕 「原稿をあまり見てしゃべらないのが大きい」
www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090316AT3S1501H15032009.html

〔時事通信〕 「原稿をあまり見てしゃべらないからというのが大きい」
www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009031500153

◆ 副詞「あまり」の位置がおかしいのでは、と思った。次のようにすれば、どうだろう?

〔毎日新聞〕 「原稿を見てしゃべるようなことはあまりしないから」
mainichi.jp/select/seiji/news/20090316ddm002010127000c.html

◆ この方がいい、と思った。では、さらに次のはどうか?

〔サンケイスポーツ〕 「原稿をあまり見ていないからというのが(原因として)大きい」
www.sanspo.com/shakai/news/090316/sha0903160504007-n2.htm

◆ こちらの方がわかりやすい、と思った。で、もう一度よく考えてみると、この「あまり~ない」という構文でなにが否定されているのかが、よくわからなくなった。いっそのこと、次のように、

〔内外タイムス〕 「原稿を見てしゃべるということをしないというのが大きい」
npn.co.jp/article/detail/40311798/

◆ と「あまり」を取ってしまえば、疑問に思わなかったかもしれないが、せっかく気になったので、あれこれネットを検索していると、《庭三郎の現代日本語文法概説》というサイトに、似たような例文があった。

◇ 次の例は複文ですが、「あまり~ない」のかかり方の解釈が難しい例です。/ あまり力を入れて握らないでください。/ の「あまり」は「あまり・・・握らないで」ではなく、「あまり力を入れないで」の意味です。つまり、「力を入れて握らない」のは「握らない」のではなくて、「力を入れない+握る」という意味だからです。
www.geocities.jp/niwasaburoo/43hitei.html

◆ 「原稿を見てしゃべるということをあまりしない」「原稿を見てあまりしゃべらない」「あまり原稿を見ないでしゃべる」「原稿をあまり見ないでしゃべる」。さて、仕事に行く時間だ。今日の宿題はこれにしよう。

◆ 家に帰ってきた。今朝、自分で自分に出した宿題に解答してみよう。

◇ 問題:「原稿をあまり見てしゃべることをしない」という発言について、思うところを記せ。

◆ 解答2:この発言の場合、「あまり」という副詞の使用は、その変則的に置かれた位置とあいまって、この文で述べられている行為のマイナス的側面をぼやけたものにすることに効果的に機能している。〔おおよそありえないことだが〕 話者が、自分に不都合なことであっても、言葉はあくまでも明解であらねばならぬという美学の持ち主ならば、「あまり」ではなく、より的確な副詞として「ろくに」を選択するはずだろう。「ろくに原稿も見ないでぺらぺらしゃべる」。

◆ 忘れたころにまた、コブクロ。「赤い糸」という曲がいい、と薦めてくれたひとがあったので、聞いてみた。

♪ 2人ここで初めて会ったのが 2月前の今日だね
  キスの仕方さえまだ知らなかった 僕の最初の sweet girl friend
  たわいのないささやかな記念日 暦にそっと記してた
  「今日何の日だっけ?」ってたずねると 少し戸惑って答えた

  コブクロ「赤い糸」(作詞:小渕 健太郎)

◆ のっけからわけがわからない。ので、ネットで調べると、《教えて!goo》にこんな質問。

◇ コブクロの赤い糸の歌詞の意味がよく理解できません。登場人物の人間関係等、時系列で詳しく教えていただけないでしょうか?
oshiete1.goo.ne.jp/qa4636181.html

◆ こんな回答。

◇ 今日は「僕」と「彼女」が付き合って2か月目の記念日。僕は彼女に『今日で付き合って2か月だね』って答えてほしくて、歌詞にもある通り、『今日何の日だっけ?』って聞くと、彼女はその事は忘れていて、『3年付き合った前の彼氏の誕生日だ』と答えます。〔以下省略〕

◆ とまあ、どうやらそういうことらしい。歌詞の続き。

♪ 「前の彼氏の誕生日だ」と笑って答える 笑顔 はがゆい
  そんな話は耳をふさぎたくなるんだよ 確かに
  君が彼といた3年の 思い出にはまだかなわない
  それでもこんなに好きなのに すれ違いの数が多すぎて

  コブクロ「赤い糸」(作詞:小渕 健太郎)

◆ 「たわいのないささやかな記念日」の「たわいのない」や「笑って答える 笑顔 はがゆい」の「はがゆい」などのコトバは、おそらくワタシの理解とは違った意味で使われているのだろう、といったことも気にはなるけど、長くなるので、それはさておき、ワタシにわかりづらかったのは、《教えて!goo》の質問者と同じく、この歌詞のストーリーの「時系列」が混乱しているように思えたからで、というのも、ふた月前に出会ったばかりなのに、どうして「今日」が記念日になるかが理解できなかった。「記念日」とあるから、1周年のことだと思った(そのことで時系列が混乱した)。よもや、出会って2ヶ月の記念日などというものが存在しているとは思ってもみなかったのだった。ところが、あるところには、あるらしい・・・。

◇ もうすぐ彼女と付き合って1ヶ月の記念日ですが、何か特別なことをしたほうがいいのでしょうか?皆さんはどうしましたか??
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q136795593

◇ カレシとつきあい始めた記念日とか、3ヶ月記念日とか、いっつもお祝いしてるんだけど、それってミンナもするよね? カレから「ちょっとお祝い多くね?」っていわれて、悲しい。
onayamifree.com/dispthrep.cgi?th=21&disp=1

◆ まあ、ほとんどが中高生のハナシだろう。アニバーサーリー女・アニバーサリー男なんてのも。

◇ あたしアニバーサーリー女かも! 付き合った日から3ヶ月目に彼に「今日なんの日かわかる?」って聞いちゃったよ! でも彼は普通にうれしそうにしてたけどなあ。勘違いってヤツか? でも今月1年半記念だったけどそれは言えなかった。やっぱりなんか押し付けがましい女って感じがしていやかも。
yasai.2ch.net/ex/kako/984/984856740.html

◇ 元彼はアニバーサリー男でした。私は誕生日位しか覚えないのだけど、彼はいちいち手帳に書いていて、「○月○日は付き合い始めた日、○月○日は初めてキスした日…」なんて、度々言われたらすっかり萎え、別れました。
yasai.2ch.net/ex/kako/984/984856740.html

◆ 「赤い糸」の「僕」もアニバーサリー男だったのだろう。どうでもいいが、1ヶ月ごとの記念日というものはありうるだろうが、1ヶ月ごとのアニバーサリーというものはない。anniversary というのは、anni の部分が「年」という意味で、1年ごとの記念日のことだから。

◆ そういえば、「サラダ記念日」というのもあった。

◇ 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

◆ と歌った俵万智は、毎月6日をサラダの日にしていただろうか?

◆ おともだちの yaeboo さんのコメント。

◇ 「泣いた赤おに」の赤おにさん宛に青おにさんが書いた友情熱い手紙の方が私的には全然感動します! 是非、一度時間があったら読んでください。

◆ 「~の方が」というのは、コブクロの「時の足音」の歌詞よりも、ということだが、それはおいといて、原本を読む時間がないので、ネットで読んでみた。浜田廣介のこの童話はだれもが一度は読んだことがあるだろう。青鬼が赤鬼に宛てた手紙の末尾はこう。

◇ 「ドコマデモ キミノ 友ダチ 青オニ」

◆ その手紙を、赤鬼は「読まずに食べた」なんてことはなくって、涙を流して泣くのだった。似たようなのに、こんな歌。

♪ いつまでも 絶えることなく 友達でいよう
  森山 良子 「今日の日はさようなら」(作詞:金子 詔一)

◆ 「いつまでも」と「どこまでも」。時間と空間。青鬼の「ドコマデモ」は、彼が遠く旅に出るということと相まって、時空の双方にはてしなく広がってゆくようだ。3月は別れの季節。いつかどこかで、また会えたらいいね。

◆ 鬼の画像がないので、邪鬼で代用。

◆ この写真を見ると、日本人なら(左のハゲ頭は外国人だし、ワタシは土星人だが)、こんなことを思い出したりはしないか? 「地震・雷・火事・オヤジ」、あるいは、

◇ 光るはオヤジのハゲ頭

◆ ♪ 〔・・・〕 消えるは電気 電気は光る 光るはオヤジのハゲ頭。子どものころにだれもが歌った(であろう)なつかしい、連想ゲーム式の言葉遊び歌で、その冒頭は、「デブデブ百貫デブ」「お前の母さんデベソ」「さよなら三角またきて四角」「いろはに金平糖」など、地方によってさまざま。ワタシの知っていたのは「いろはに金平糖」だったように思うが、あまり確かな記憶ではない。ただ「さよなら三角またきて四角」には、まったくなじみがなくて、これは活字で覚えた。いまだに三角やら四角やらなんのことやらわからない。複数のサイトが、この「しりとり歌」の数々のバリエーションを収録していて参考になる。

http://www001.upp.so-net.ne.jp/asobinohiroba/page157.html
http://anto.sub.jp/kotobaasobi.htm

◆ 《Yahoo!知恵袋》で、

◇ 英語の「since」についてお尋ねします。よく街中で「since 1950」とか目にしますよね。自分の解釈としては、日本語でいうところの「創業○年」みたいなニュアンスだと思っていたのですが、"外国の方からみて" あの表現は大体何年ぐらいから使うのが妥当、というか常識的なのでしょう? 「since 2005」とうたった看板を目にし、かなり違和感を覚えたもので質問致しました。お分かりになる方、教えて下さい。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q107527885

◆ という質問をしたひとは、寄せられた回答のすべてに「かなり違和感を覚えた」ことだろうと思う。それから、気を取り直して、自分で調べなおし、たとえば、こんなサイトを訪れたかもしれない。

◇ よくちまたには喫茶店とかに「SINCE 1997」とかの文字が躍っていることがありますが、意義がわかってんのかよ。歴史と伝統を標榜するにあたって、たかだか10年とか20年とか位じゃ「恥ずかしいん事」なんだよ。これは歴史と伝統を重んじる英国・日本共通の価値観です。京都の何百年の老舗の立ち並ぶ町角で「創業 平成18年」なんて看板掲げたら大笑いです。京都の家電量販店「タニヤマムセン」は来年創業100年。同社のホームページでは「家電販売では100年は珍しいが、京都では創業100年は駆け出し」とある。「100年は駆け出し」なんだぜ。この感覚! すごいなあ。歴史のない、または戦乱続きで伝統が長続きしない国から見たら、すごくうらやましいことなんですよ。だから「創業 天文19年」とか「SINCE 1550」とかが輝くんですよ。少なくとも50年も経ってないようなところは、創業(SINCE)何年、ってのは謳うなよな。外国人が見ても恥ずかしいから。
www.max.hi-ho.ne.jp/orientvenus1994/C7_15.htm

◆ ワタシのサイトも「since 19/12/2002」の文字を入れているので、ちょっと恥ずかしい。それはそれとして、2002年12月から継続的に写真を撮り始め、はや6年以上が経過した。

◆ 「PhotoDiary」のトップページの下に、「RANDOM 5 ENTRIES」というのがあって、ランダムに縮小画像を5枚、表示するようになっている。そこで、ときどき、記憶のチェックをしているが、どこで撮ったのやらさっぱり憶えていないのも、ままある。おまけに、自分で撮った写真に見とれてしまうことすら、たまにある。

◇ この空は、胸に迫りますね。上手く言えないですけれど、立ち尽くすしかない、というような不思議な気持ちになりました。

◆ とは、おともだちの皐月さんのコメント。こんな写真には、日付は不要かもしれない、とも思う。