◆ ブックオフで105円で買った文庫本。めずらしく線を引きながら読んだ。
◇ 記憶を不思議がる人は多い。そもそも「覚えている」というのは、どういうことか。
不思議がるわりには、記憶がどういうものか、それを考える人は少ない。不思議だと思って、それでおしまいにするのであろう。そういうことを考える、そういう方法は、学校で教わらなかった。そんなところではないか。
なんの因果か、私はそういう疑問に突き当たると、しつこく忘れない性格である。これはあまりよい性格とはいえない。ものごとにこだわることになるからである。そういうしつこさは、世の中ではしばしば嫌われる。
疑問にぶつかったとき、もちろん答はただちには出ない。出ないからこそ、疑問なのである。答が出てしまえば、もはや疑問とはいえない。ところで、ただちには出ない答を、いつまでも要求する。それには疑問を疑問として記憶していなければならない。それはちょうど、奥歯にものがはさまったようなものである。気になるから、さっさと楊枝で取り出してしまいたい。しかし歯にはさまったものとは違って、疑問の答はそう簡単にはやってこない。だから、十年越し、奥歯にものがはさまったまま、という気分で過ごす。ふつうの人は、たぶんそれが嫌いなのであろう。だから、適当な答をその場で見つけて、それで良しとする。それでは、しかし、正しい答はなかなか得られない。
養老孟司『脳のシワ』(新潮文庫,p.92-93)